上西充子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
家人が購入して本棚にずっとあったのだが、もっと早くに読めばよかった!と思うくらいよき本。
答えのない問い、「どうして負けたんだ?」「私のどこがきにいらないの?」
何を答えても誤答になる問い。
「人が『答えにならない問い』を差し向けるのは、相手を『ここ』から逃げ出さないようにするため」
いきなりガツンと来た。
私もある。言われたことも、言ったことも。
そうかあ、相手を逃げ出さないようにさせる問いの形を取った言葉だったんだ。私もそういうつもりで確かに発したことがある…。
そういう言葉には問いの次数を上げて対処すること。
要するにメタ的に捉えるということ。
なるほど。
でもそれができない弱い相手に発する言葉ではあるのだよね。やはり呪いの言葉は怖い。
「やっぱり若さというのは価値だと思うんです」という呪いの言葉には
→「自分で自分に呪いをかけているようなものよ。あなたが価値がないと思っているのは、この先自分が向かっていく未来よ」
さらに、「灯火の言葉」と名付けられた、人に勇気と元気を与える言葉についても書かれている。
褒める、というよりも、まず相手を「発見』して、話しかけることだよね。通り過ぎるだけでは、「発見』したことにはならない。話しかける、というのは意外と骨が折れて面倒だけど、それは、もしかするとものすごく人間にとって必要で基本的な生きる力に直結するものなのではないだろうか。言う方も言われる方も、人生を変えるくらいの。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「嫌なら辞めればいい」と言われたことがある。典型的な呪いの言葉。
「この仕事を選んだのは私、辞めずにいるのも私がそれを選んでいる、だから文句を言わずに働くしかない」本気でそう思っていた。
本当は働くものを追い詰めている側に問題があるのに、それには全く気づかなかった。まんまと相手の土俵に乗り、「文句」を言う自分の側に問題があるかのように相手が設定した思考の枠組みに縛られていた。
この本は、私自身の思考と行動が「呪いの言葉」に支配され、がんじがらめになっているにもかかわらず、そのことに全く気づいていないことに気づかせてくれた。ホント、自分のことながら呆れて笑えた。 -
Posted by ブクログ
twitterでの絶賛コメントを見て、これは読んどかんと、と思って早速購入。実際的な対応の不誠実さからして、誰が出鱈目を言ってるかは考えるまでもないんだけど、たとえここに挙げられたいくつかが事実とは違っているとしても、ほんのひとつが当て嵌まるだけで不信任に十分値う。それにしても、これだけのことをされて、何とも思わない政治家諸氏って、どうなってるんだろう?嘘と言い逃れで塗り固められた安倍のことを、過半数が依然支持しているという国会に、恐怖すら覚えるのが普通の感覚じゃないのか?自分が入手した本書が既に第三版で、興味を示している人が少なからずいるという事実はひとつの救い。でも結局、もともと安倍に危機感を抱いている人が本書を紐解き、頑迷な頭には届かないんだろうなっていう、半ば諦めの気持ちも少なからず。本書の内容が、一人でも多くの心に届くことを願う。
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購入済み
議会とは何か
法案だしました。議論は行わず提灯持ちが無駄な時間潰し。野党の質問には不誠実と時間つぶしと嘘答弁。もういい加減にしてほしいと切なる声がこの一冊。どっちもどっちじゃない。安倍内閣が酷いんだ。それをわかりやすく示している良著です。
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Posted by ブクログ
昨年の2月に『呪いの言葉の解きかた』の書評を書いた。さまざまな呪いの言葉がある中で、政治にまつわる言葉は厄介である(今気が付いたが、やっかいには「厄」が付いている)。「政治の話はしたくない」「◯◯を政治利用しないで」「野党は反対ばかり」‥‥。
私はそれらの「空気」を変えたいとずっと思って来た。けれども、なかなか変わらない。何故か。「安倍政権」が世論操作してきたのか?「マスゴミ」が悪いのか?「国民」が未熟だからか?それとも私が「勘違い」しているのか?
今年3月に上梓した本書は、その根源を一生懸命に探っている。上西充子さんは2018年に「ご飯論法」という言葉を流行らせた。安倍政権の不誠実な国会答弁や記者対応を一言で言い表した言葉である。「朝ごはんを食べなかったのか」と問われて「ご飯は食べていない」と答えていながら、実は「パンを食べていた」等と、ことを巧みに隠す言い方を喩えたわけだ。問題を表面化せず、論点のすり替え、等々を使った最近特に目立つ与党の答弁である。(cf.加藤周一「白馬は馬にあらず」)記者は気がついていないのか?気がついてそれに乗っているのか?私はずっと不満だった。
本書は政治報道を丹念に追い求め、ひとつひとつを検証して、じゃどう書けば良かったのか?まで述べたものである。
本来政治報道は、問題の論点を読者に提示するのが仕事のはずだ。しかし、それを避けて「政局報道」に走る。「国会がこのように荒れた」「解散はあるのか」「時期首相は誰か」。その政局報道の陰で、1番問題にするべき時に論点を示さず問題法案が通っていっていく。最近の悪法は全てそれで通って行く。そして通った後に問題点を示す。
例えば、このように「切り込んだ批判」を上西充子さんは書いている。
⚫︎自民、学術会議問題で「逃げ切り」に自信「批判の電話も少ない」月内に集中審議(毎日新聞2020年11月10日)
・この記事に山崎雅弘氏が「政治記者なのに、なんでそんな風に「傍観」するんですか」と批判した。すると、該当記者が反論したという。「傍観していません。これはストレートニュースです。深掘り記事は他に書いている」と。
上西充子さんは、その主張を受け入れつつも、「ストレートニュースには新聞社の「視点」や「判断」は含まれないのか」と再批判している。そして、記者の該当記事を細かに分析して見せている。事実の切り取り方、表現次第で、読者の印象は大きく変わるのである。「政府が逃げ切りに自信があるなら、もうそのまま逃げ切るだろう」と思うのである。それは政府の印象操作に手を貸す事と同義だろう。
「逃げ切り」報道も、報じられているのは「政局」である。まるで対戦ゲームのように、いかに相手にダメージを与えるか、いかにポイントを稼ぐかに国会審議の狙いがあるかのように描かれている。そこに欠けているのは、何が論じられ、その論点はどうだったのか、だ。
このような「外側」からの報道の「ファクトチェック」はとても重要だと思う。残念ながら、こういう問題意識を持って報道を読んでいる市民は、上西充子さん含めて未だ少数だ。よって、報道はまだ変わらない。
おそらく、ツィッターを見ると、最近はいくらかやっているのは見えているけど、それでも大勢の市民の「ファクトチェック」を始めることが、報道や野党の姿勢を変えることになるのだろう。