九鬼周造のレビュー一覧

  • 「いき」の構造 他二篇

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    日本独自の感覚、言葉である「いき」を西洋哲学的な手段によって分析し、構造化を試みた作品
    もちろんその独自性についても考察をしつつ、「いき」の内包と外延、その自然的表現、芸術的表現について分析を行っている
    また、「いき」だけでなく、風流についても考察し、情緒についても分析を行っている
    最初「いき」の構造を読んでいるだけだとピンと来なかったが、読み進めるうちに言葉の構造的理解の面白さと、それを情緒に適用したときの感情同士の関係性は非常に興味深かった
    特に情緒の系図については自身の感情の解像度を上げるための軸の一つとしても有用

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    2026年09月07日
  • 「いき」の構造 他二篇

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    20260827

    前半はいきの構造
    後半は情緒の構造


    p135
    悲しみとは、精神が一層大きい完全から一層小さい完全に移ること。
    悲しみには3種類ある.
    積極的な悲しみとは、運動の消費である
    消極的な悲しみとは、運動の停止である

    言い換えれば、骨の折れる仕事や、新しい労力の表像が積極的悲しみであって
    愛する人の死などの、欠損や喪失の意識は、消極的悲しみ
    それらを複合した混合的悲しみもある。

    著者は、パリへ留学中にこの本を作成した。
    パリの美学との比較対象に化政期の江戸を選んでいる。

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    2026年08月27日
  • 偶然性の問題

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    偶然性を定言的偶然・仮説的偶然・離接的偶然の三つに大別している。分析哲学における様相論理と比較しながら読むのも面白い。 

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    2026年08月25日
  • 「いき」の構造 他二篇

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    いきや風流といったざっくりとしたものを経験から客観に至るまで丁寧に書き上げた一冊。特に短歌をもとにした情緒の系図が興味深く、参考になる部分が多数あった。

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    2026年02月10日
  • 「いき」の構造 他二篇

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    本書は、哲学者である九鬼修造が、日本特有の感覚である「いき」の構造について論じたものです。
    解説によると、九鬼はあのハイデガーやベルクソンにも評価され、サルトルが家庭教師をつとめたこともあるとのこと。日本の哲学者としては西田幾多郎が有名でしょうが、日本の哲学者は彼だけではないんですね。

    本書は古典的な哲学書ではありますが、例えばハンナアーレントにおけるアリストテレス哲学のように前提となる基本的知識を必要としないため、非常に読みやすいものとなっています。
    そのため、哲学に興味がある方、古典に触れてみたい方、読みやすい岩波文庫を探している方など本書はおすすめです。

    本書において「いき」とは、「垢抜して(諦)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)」という三要素で述べられています。

    すなわち、異性に対する可能性を可能性として終始せしめんとする武士道的理想主義と、無常な運命を静観しようとする仏教的非現実性とにより、媚態を示しつつも漸近線のように決して交わることがないような態度を指すと考えられます。

    四章以降では、着物に素足がいきであるとか、平行線、特に横縞よりも縦縞の方がいきであるとか、「いき」の客観的表現について述べられていますが、このあたりはもはや九鬼の個人的趣向にすぎないというか、フェティシズムが大いに反映されたものだろうと思わなくもないのですが、それはそれとして、日本における「いき」というものを言語化したという点で非常に本書は面白い一冊であると感じました。

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    2025年11月10日
  • 「いき」の構造

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    ネタバレ

    ずっと読みたかった日本美学の名著が、あざやかなカラー写真つきで。流れるような文章は浸る余裕なく拾い読み程度だが、概要を理解できた。美しくシンプルな本。

    粋とは生き方であり、色事における媚態、武士道上の意気地、そして諦め、無心として表れる人の魅力。

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    2022年04月22日
  • 「いき」の構造

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    「粋(いき)」とは何か、について。

    →理想を持って人を好きになったり物事に明るくなったりした上で、
    その人や物事に執着し過ぎない

    ってことなんだな。
    面白かった。

    一見難解な文章だが、日本語の持つ流れるような美しいリズムで書かれていて、意外と読みやすかった。

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    2022年02月04日
  • 九鬼周造「いきの構造」 ビギナーズ 日本の思想

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    ネタバレ

    「和の心」というテーマで展示を作成するにあたり、その核となる書籍として選んでみました。
    「粋だねえ」などと言われ、ある種の誉め言葉として使われる「いき」という概念は、はたしてどのようなモノであるのか、読み終えて、ひとつの定義を知ることができたように思います。
    原著を現代語で読みやすく書き改めてあるので、本論もストレスなく読むことができましたし、著者の主張もわかりやすかったです。

    実体験として、また実生活の中で自分が「いき」に生きることはなかなかハードルが高いのですが、だからこそ(そして「いき」がどのようなものであるかわかったからこそ)「いき」である人やその仕草にあこがれ、尊いものだと認識できるのだとあらためて思います。
    「いき」の核となる「媚態」は出せずとも、「意気地」くらいはしっかりともって生きてゆきたいものです。


    p.31
    「いき」な意識を構成する三要素として、媚態、意気地、諦めをあげ、……「いき」の本質とは、つまるところ、媚態すなわち男女がたがいに相手をひきつけようとする駆け引きに発する美意識にほかならないと九鬼は意味づけます。
    p.34~
    媚態とは、恋愛において、自分と異性の間に、どう転ぶかわからないような不安定な関係を持ち込むことである。「いき」のうちにみられる「なまめかしさ」「つやっぽさ」「色気」などは、すべて、この自他の不安定な関係から生まれる緊張のあらわれにほかならない。……この不安定な関係こそは媚態の根本的要素であり、異性同士が完全に相思相愛の仲となって、不安定な緊張感がなくなってしまえば、媚態はおのずと消滅してしまうことになる。……それ故に、自他の緊張した関係を持続させること、すなわち、どうなるかわかならいという不安定さを維持することが媚態の本領であり、恋の醍醐味なのである。
    p.38
    「いき」の第二の要素は「意気」すなわち「意気地」である。……「いき」は相手の気をひこうとする媚態でありながらも、なお異性に対し突き放してみせる強さをも兼ね備えた意識なのである。
    p.41
    「いき」の三番めの要素は、「諦め」である。運命というものを心得て執着心を捨て、無関心に徹するありかたである。「いき」であるためには垢抜けていなければならない。あっさり、すっきり、スマートでなければならない。……「いき」のうちには運命に対する「諦め」と、その「諦め」に基づく淡々とした境地とが含まれている……。
    p.45
    以上をまとめれば、「いき」の構造は「媚態」と「意気地」と「諦め」の三要素から成り立っているのである。……「媚態」の本質は、自分と相手の間柄がどうなるかわからないという不安定性にあるが、第二の要素である「意気地」は、相手の言いなりにならず、自己の独立を誇り高く堅持しようとする理想主義に支えられることによって、こうした「媚態」の不安定性に一層の緊張と持久力をもたらすのである。……第三の要素である「諦め」も、また、決して媚態と相容れないものではない。媚態は、その目的である恋愛がぎりぎりのところで成就しないところに真骨頂があるのであり、そうであるなら、「諦め」こそは、媚態と相容れないどころか、逆に、媚態の本質を示しているといえるのである。

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    2018年12月11日
  • 九鬼周造「いきの構造」 ビギナーズ 日本の思想

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    いき という抽象的で個人的な感覚をここまで概念化させることができる九鬼の手腕に脱帽。感覚的なものを言語化してくれると理解が深まったような気になる。そして、そのことについてもっと知りたくなる。

    いきを本当に理解するためには、人がどう感じているかという、いきな行動の奥に潜む意識を感じようとしなければならない…という旨のくだりはとても心に残った。

    相手の全てを知ることは出来ないと心得た上で、相手を慮る姿勢に、優しさを感じる。


    本書最後の「九鬼の生涯と思想」も内容理解の助けとなった。良書。

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    2018年07月25日
  • 「いき」の構造 他二篇

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    ネタバレ

    いき、とは何かについてが知れるとともにその研究姿勢に関しての学びも多い本。

    二元的態度、という決して交わらない平行線のような緊張感を保つ媚態と、理想主義に基づく意気地、そして最後に非現実性をふまえた諦めを経ていきという美的感覚が、浮かび上がる。

    それを絶妙な、筆者の言葉を借りると、「意識現象のもとに存在する」いきの描写とともに概念の解釈がなされていく。

    筆者の研究態度としての真髄が「意味体験を概念自覚に導くところに知的存在者の全意義が懸っている」という一説に表されているだろう。

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    2016年12月29日
  • 「いき」の構造 他二篇

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    ・九鬼周造は、江戸の美意識であった「粋(いき)」の意味を哲学的に探り、恋愛にある緊張感や儚さ、近松や西鶴の描く、心の交情。その本質的なところに「いき」があると云っています。


     「いきの第一の徴表は、相手に対する媚態である。

     関係が、いきの原本的存在を形成していることは、いきごとが、いろごと、を意味するのでも分かる。


     媚態の要は、距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が、極限に達せざることである。

     いきは媚態でありながら、なお相手に対して、一種の反抗を示す強みを持った意識である」


                 (九鬼周造)




     まず第一に、「いき」には「媚態」があり、相手を惹き付けようとする色気こそが、いきの大前提なのだそうです。
     そして、恋愛には、緊張感が大切で、いざ深い仲になってしまうと、その媚態は消え去り、いきではなくなってしまうのだそうです。
     近づきたいから生まれるのが、いき。しかし、近づきすぎてもだめ……。この微妙な距離感でないと、いきにはなりません。そこで、生まれたのが、意気地(いきじ)という反抗的な態度です。たとえば、武士は食わねど高楊枝、宵越しの金は持たぬ、というどこか突き放したやり方も、いきといわれる所以です。

     また、運命を受け入れる、諦めの気持ちもいきには必要といいます。
     恋愛においては、相手を好きになっても構わないけれど、そのことで束縛や、未練があるなら、それは断つ(諦める)のだそうです。好きだとしても、相手に縛られるということは、「いき」ではなくなってしまう。好きでありながらも、その支配下には入らない、のが良いそうです。


     この、媚態、意気地、諦観、の三位一体がいきの定義としていて、成る程と興味深いのですが、ここで、九鬼自身が実例として挙げているのを見ると、いき特有の複雑さが分かります。


    (九鬼の女性観に対するいき)

     「只、まっすぐ立っているのではなく、

    少し姿勢を崩し、姿はほっそり柳腰。丸顔よりも、細面が宜しい。

     目は、流し目。過去の憂いを感じさせる光沢。軽やかな諦めと、凛とした張りがあること。


     口は、緊張と緩みの絶妙なところが好い。憂いを感じさせて、厚化粧は野暮である。

     髪形は、きちっとさせないつぶし島田など、少し崩したものがいきである。


     着物は揺れる物で、襟足を見せるように引き下げた抜衣紋(ぬきえもん)が色っぽい。

     湯上がりのような上気した肌に浴衣を羽織って解れ髪。こういうのがいきである……」




     個人的に思うのは、アメリカなどでは、胸が大きければ大きいほど良いというのがアメリカ人のエロスの考え方ですが、うなじがなんとなく、見えたり見えなかったりするのが色っぽい、エロスだ、というのは、アメリカ人の感覚にはないです。

     「いいな」「いきだな」、と思う日本人の振るまい、生き方に蓄積されていったものを知れると同時に、国際的な第三者の考えでいうと、あまり意味のない「一体なにしているんだろう」、とも思ってしまいます。
     直接的すぎてはいけないし、直接的じゃなくてもいけない。
     かっこいいだけではなくて、けれどかっこ悪くてもいけない。そのあいだの微妙なところを歩いていくのが、「いき」であり、日本人の美徳だと九鬼は述べています。

     江戸時代、江戸っ子が蕎麦の汁をちょっとしか浸けないで食べるのは、いきなことだと云われていましたが、それは確かにかっこよくもあり、また変な人だとおかしくもあります。

     つまり、江戸時代の人たちのメンタリティは、外からの敵がいない状況のなか、かっこよさとおかしさが、複雑に、そして独特に絡み合い、しかもその絡み合いの概念が、「いき」と人々の間で共有されてしまっていました。それは、異分子(諸外国)から見ると、考えられない光景でした。

     九鬼は、いきをさらに明らかにしようと、他のさまざまな言葉と、どんな関係にあるのかを探り続けました。
     「この時のいきは何かである」と言わないで、その「何か」というのは、常に他のものとの関係性で、はじめて出てくるいきであり、曖昧なものでも、曖昧なもののまま、追求はできるのだということを、一手に引き受けて論じてくれました。

     好む、や好奇心を持つなどの、「好き」は、髪を梳く、紙を漉く、土を鋤く、風がすく、透き通る、ということの「数寄」に由来していますが、この「いき」も、何となく曖昧に揺れ動く「好き」に近いです。

     現代のいきは、決して日本人だけのものではなくて、色々なところに伝わって語っていける、いきな、恋心であり、いきな、かっこよさになっていけたらいいなと思いました。

     

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    2015年03月05日
  • 「いき」の構造 他二篇

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    「いき」の核にあるのは、見た目でもなく振る舞いでもなく二元性。

    江戸のいきな人たちと同じような生活はできないけれど、現代の日本人の中にも「いき」の精神は生き続けることができる

    いきでありたい

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    2015年01月28日
  • 九鬼周造「いきの構造」 ビギナーズ 日本の思想

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    「いき」は日本の独自文化で、男女のつかず離れずの媚態における「逢瀬の美学」である

    人生の50冊 エンジョイライフ ベスト3位

    九鬼周造は2013年における大発見でした。
    なにしろ日本の遊里における男女の媚態を分析して、
    これをフランスで哲学書として成立させるのが、九鬼魔術(マジック)。
    白眉は、欧米の類似の恋愛観と比較しながらも、吉原における男女の機微に日本独特の文化的背景を展開するロジックにある。


    「いき」は武士道の理想主義である「意気地」と
    仏教の脱俗世である「諦観」と密接な内的関係がある。
    さらに、関連諸概念として、上品と下品、派手と地味、意気と野暮、渋味と甘味を挙げ、それらでロジカルに概念正方形を形成し、
    その中に「いき」を位置づける。
     
    くぅう、これは格好いい!江戸の遊び人、ここに極まり!
    人生の目標のひとつが、この大人の遊び感覚、余裕なのです。

    いざ、遊びをせんとや生まれけん

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    2014年01月01日
  • 九鬼周造「いきの構造」 ビギナーズ 日本の思想

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    クキさんの書いたイキに関するウィキ。とか、つまんない事言いません。

    江戸文化のなかで生まれた「粋」を構造的に分解していく本書。 武士道精神に則る「意気地」が体験を生み、仏教観がもたらす「諦観」が執着を断つ。その狭間にあって、波を乗りこなすサマこそ「粋」という感覚の根幹、というのは大変腹に落ちました。

    本来であれば、粋を言葉で語るという行為そのものが野暮ってなもんですが、あえて才人が挑戦した本書は、日本人が持つ特有の精神世界への扉を打ち立てたのではないかと思います。

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    2013年11月14日
  • 九鬼周造「いきの構造」 ビギナーズ 日本の思想

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    江戸時代の吉原遊郭などを題材に、日本人の美意識「いき」とは何かについて書かれた本。絶妙なバランスや 本来とずれていること 二元性 あきらめ 意固地 などがいきを理解する上でのポイントと書かれている。

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    2025年12月31日
  • 「いき」の構造 他二篇

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    九鬼周造氏は「いき」の内包的構造の徴表を「媚態」「意地」「諦め」とする。そこから外延的構造、自然的表現、芸術的表現の側面から、定義を示しながら考察していく。例えば縦縞と横縞、どちらが「いき」か、など。読む前は純文学をこじらせた作家の考察と勝手に思って手に取ったが、世界的に評価の高い哲学者であり、ハイデッカーやサルトルとも面識があると知って二度びっくり。そのため内容はかなり硬派で難解。なので読み応えがある。他収録の「風流に関する一考察」「情緒の系図」も面白い。

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    2025年08月11日
  • 九鬼周造「いきの構造」 ビギナーズ 日本の思想

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    媚態(男女の駆け引き)
    束縛、固定を許さない不安定な関係ながら、だからこそ自由と可能性がある
    媚態を支えるものとして、
    意気地(武士道)
    禁欲性と自負
    諦め(仏教)
    未練、執着から離れる仏教的諦観

    垢抜けて張りのある色っぽさ

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    2025年05月11日
  • 「いき」の構造

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    ぱっと見、結構難しそうに思えたからなかなか読む気にならなかったのだが、載ってる写真はちょっとイイし、学術文庫とかで読むよりはとっつきやすそうだから、気を入れて読んでみた。
    畢竟、「いき」とはこの日本において「生きる」ことが大前提、ということだったのかな。表現や仮名遣いなどが昔だから、読みづらいのだけど、写真が時折理解を助けてくれるようにも思うい、読み通せた。
    内容は、今一度、というわけでもないのだが、写真はまたみたいなと思うものだから、古本でもいいから手にしておきたいなと思う。

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    2025年01月18日
  • 「いき」の構造 他二篇

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    日本の哲学者、九鬼修造の論考。

    本来、感情的、直感的に把握される「いき」という日本文化の心象について構造的な説明を企てた書。

    同著の「偶然性の哲学」に挫折したのでこちらを拝読。

    「いき」の中心概念に「媚態」が提示されるが、これは恋愛における互いに決して束縛されることのない緊張関係として説明される。

    これは恋愛する男女のみならず、あらゆる他者、概念、神、物体に通ずるものだと思った。

    すべての他者は自分のものにもならないし、すべての概念を完全に理解することはできない。

    神にどんなに接近を試みても永遠に届くことはない。

    愛着ある文房具、食器、家具、グッズ、ガジェット、これらに囲まれると、とても幸せな気持ちなるが、同時に彼らと心を通わしたり、共に死ぬことは決して出来ない。

    我々はこれらの互いに束縛されない緊張関係の中に存在する。

    とてつもなく寂しい。

    だが、ある種の諦めと、それでも向き合い愛するという姿勢が「いき」なのかもしれない。

    その全体性が日本の美意識だったら良いなあ、などと勝手な解釈と共に思う。

    追記
    ・日本語が美しい(九鬼は詩人でもある)
    ・全体を理解するには明治期の大衆文化を勉強する必要があるかと思う(特に歌舞伎)

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    2024年09月12日
  • 「いき」の構造 他二篇

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    流し読みして自分で勝手に翻訳すれば大筋は割と理解しやすい。逆にくそまじめに書いてあることを逐一理解しようとすると眠くなって読むのが苦痛でしかなくなる。って感じでした

    そのうえで、粋に関する具体的な体験の羅列・分析→抽象的な定義づけ→フレームワークの構築っていう九鬼さんの進行に素直に乗っからないと、文章がむずいから途中で迷子になってわからなくなるという印象。

    あと個人的にはa○emaの某番組の、ちょうどいい匂わせ選手権っていう企画が、読み進める上で手助けになった気がする。

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    2022年04月08日