九鬼周造のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
いきという言葉の意味は、結局時代や見る人の立場によって、様々だということだと思います。
あと、「媚態」「意気地」「諦め」の3要素だけで語るのは、無理があるように感じました。
1.この本を一言で表すと?
・「いき」という日本独特の文化を分析した本
2.よかった点を3〜5つ
・いきな衣装
→湯上りの浴衣姿は媚態、つかず離れず、をよく表していると思う
・九鬼周造の生涯と思想
→「いき」を哲学的に追及する背景をぼんやりだがわかった気がする
2.参考にならなかった所(つっこみ所)
・邦楽における「いき」
→音楽のことは、文章で説明されてもイメージができない。
・「いき」な言葉づかい
→こちらも、イメージができない。どこがいきなのか?
・一口でいえば、媚態のための媚態−恋の成就をめざすのではなく、ただ永遠に成就することのない、恋の駆け引きを生き抜いていくことなのである(p47)
→あまりにも超越しすぎていて、凡人には無理ではないか?
・九鬼が、女遊びが激しかったのは「いき」なのだろうか
3.実践してみようとおもうこと
・とくになし
4.みんなで議論したいこと
・「いき」は異性が存在しないと、ありえないことなのか?同性のみで「いき」はないのだろうか?
5.全体の感想
・日本人としての"いき"という概念の大切さを学べれたきがする
・現代語訳がうまくいっているようで、とても読みやすくなっている
・現代で考える「いき」と本書の「いき」は若干ニュアンスが異なるように思われる
・「いき」というのが、民族性に深くかかわっているということは納得できる
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Posted by ブクログ
先日読んだ論文集『人間と実存』が面白かったので早速これを買ってみた。
九鬼周造の「時間論」をテーマとした4編が収められている。最初のものはごくごく初期のもので、あまりおもしろくはなかった(「時間の観念と東洋における時間の反復」)。これは言語が仏語で、フランス留学中にパリで行った講演。
しかし時間論に関する基本線はこの最初期の頃からあまり変わっていない。横に一直線に、不可逆的に流れる西洋的時間に対して、東洋の輪廻説に見られるような時間軸の垂直方向への思考。ここに九鬼は東洋的「永遠」の契機を見る。
それはその後「永遠回帰」と呼称することになるが、九鬼周造のこの概念は「同一性」の永遠をうたうものであり、ニーチェの「永劫回帰」のような苦痛をもたらすものではない。
九鬼周造はベルクソンやハイデッガーを参照しており、そこに深まりはあるが、最終的な弁証法的解釈にはやや甘い感じを受ける。
本書の中では最後の「文学と形而上学」が面白かった。映画のような「時間芸術」の側面をもつ文学は、しかしながら結局は「重層的な時間」をしめしているという思想。
これから音楽に関して「時間」を探究してみようと思っている私にとっては、参考になった。
「音楽が音の知覚そのものとして時間的には単層性を示すに反して、文学は言語によって観念的時間を産むことにおいて時間の重層性構成するのである。」(P172)
さてそのように対比される音楽の時間とは、本当にそんな単純なものであろうか。それは私が自分で考えていかなければならない。 -
Posted by ブクログ
大正~昭和時代の哲学者・九鬼周造(1888~1941年)の代表的著作。
著者は1921~29年に欧州に留学し、パリの哲学界で若い俊秀として認められ、ハイデッガーやベルクソンからも評価を受けていたという。
著者は、「「いき」は欧洲語としては単に類似の語を有するのみで全然同価値の語は見出し得ない。したがって「いき」とは東洋文化の、否、大和民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明の一つであると考えて差支ない」と、ソシュールの言語学的アプローチから、「いき」を「わが民族に独自な「生き」かたの一つ」と述べている。
そして、その日本人の生き方の美意識の基本的構造を、古典的ヨーロッパ哲学の論法で分析したのである。
著者による、「いき」の内包的な特徴・性質は以下である。
◆第一に、異性に対する「媚態」、即ち、異性を意識した「なまめかしさ」、「つやっぽさ」、「色気」であり、異性との関係が「いき」の原本的存在を形成している。
◆第二に、「意気」即ち「意気地」であり、江戸っ子の気概が含まれる。「武士は食わねど高楊枝」の、溌剌とした武士道の理想が生きている。
◆第三に、「諦め」、即ち、運命に対する執着を離脱した無関心である。垢抜けがしてなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒たる心持でなくてはならぬ。無常等を原理とする仏教の世界観である。
更に、著者は、「いき」の芸術形式として、模様は「縦縞」、「曲線」ではなく「直線」、「絵画的模様」ではなく「幾何学的模様」、色は「鼠色、褐色、紺や藍」などと、我々のファッションにも役に立つような具体的な内容も述べている。
最近ではあまり耳にすることがなくなった「いき」という言葉であるが、ある言葉が使われなくなるということは、その言葉の表す「概念」、「価値」が失われることと同義である。「いき」の表す日本人の生き方の美意識を再認識するとともに、言葉が生まれること・無くなることの意味を改めて感じる。
(2010年7月了) -
Posted by ブクログ
最初は、そのものすごく論文的な文体に若干の疎ましさと、なんとも、言えない違和感を感じながらの読書だった。
おそらく、自分の中で予想していた、「いき」というものを論じるリズムや語彙、文体とあまりにもかけ離れていたからだと思う。
でも、しばらく読み進むうちに、だんだん、面白くなって来た。
何が面白いかというと、「いき」というある種情緒的な内容を、それとは全く異なるような次元での論調との二元性に可笑しみを感じたのだ。
書いている内容はとてもわかりすく、興味深い。
でも、その語彙や文体が、それを自虐的に妨げる節もある。
と、こうしてレビューを、まとめていて、あることに気づいた。
著者が、あらゆる角度から、「いき」に着いて論じているその要旨を一言で現せば、まさに
「二元性の同居」
なわけである。
なるほど、有る意味、この本も、「いき」なのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
20世紀の日本哲学者である九鬼周造による本著書には、「いき」について、内包的構造、外延的構造、自然的表現、芸術的表現の切り口で、哲学的に丁寧に説明されている。
「いき」とは、大和民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明の一つであると考える。
意気、渋み、甘味、野暮、上品、地味、派手、下品の点軸を定義した上で、さび、乙、きざ、雅、味、いろっぽさという面が存在するとの説明。事例として、抜き衣紋、首、素足、手、縦縞、色(灰色、茶色、青系統色)、建築、音楽についても興味深い。
日本民族に独自の美意識をあらわす語「いき(粋)」とは何か。「運命によって<諦め>を得た<媚態>が<意気地>の自由に生きるのが<いき>である」 -
Posted by ブクログ
「いき」という言葉のもつ世界観を教えてくれた.「いき」と二元性をなす対のことばは「野暮」となる。これら関連の言葉「渋味」ー「甘味」、「上品」ー「下品」、「派手」ー「地味」を「美意識の六面体」としての表現にとても興味を持った.この「いき」という言葉は、日本独特のものらしい.英語では、raffine, chicが近い言葉として例示され、「美意識の六面体」のどの辺りを表すかを立体的に説明している。言葉の意味の持つ空間性にとても新鮮さを覚えた.作者「九鬼周造」の経歴も波乱に富み、彼の母は、岡倉天心との不倫によって離婚し、幼少期から岡倉天心を伯父さんとして、身近に接する.自信も女性癖のため、離婚する.意外な繋がりに驚いた.