森史朗のレビュー一覧
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ネタバレ日米の人事の差も大きく感じる海戦の結果となった。
山本五十六→南雲忠一&草鹿龍之介へ作戦の目的・趣旨が正確に伝達されていなかった。
太平洋戦争開戦以来の戦勝気分からぬけておらず、またその後の敗戦の研究もされなかった。
少しでも研究分析をしていれば、この後の戦闘も幾分違ったはずである。
また、艦艇の沈没とともに司令官や艦長が沈んでいくのは理解しがたい。
兵士や幹部一人一人を育てるのにどれだけ時間とお金がかかるのかという根本も理解していないようである。
今まで知らなかった真実も知ることができたのが良かった。
「運命の5分間」などまったくなかった。
この敗戦の根本的な責任は山本長官も含め幹部全体にあ -
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<ガダルカナルとは>
ラバウルからガダルカナルまでは、東京から下関くらいの距離がある。
<薄暮攻撃(夕方に攻撃出発)の緊張感>
レーダー、GPSがない当時、母艦に戻るのも一苦労である。限られた燃料で、母艦を探すのも一苦労、ましてや夜の闇の中では・・・・。
母艦が見つからない場合、海中の藻屑となるほかない。また、敵空母が発見できず母艦に戻るにしても、魚雷を抱いたまま、着艦するのは母艦側にも緊張が高まる。一つ間違えれば、自爆攻撃のような効果が起きるからである。
<珊瑚海海戦>
空母対空母の歴史最初の戦いである。過去に例のない戦いであるため、指揮官の経験は何の役にも立たない。
すべてが -
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清張という人の本や映画を同時代で読んだり見たりした人間と、かつての有名な作家として読む人の差は、司馬遼太郎等々他の人気作家の作品以上に落差が大きいように思う。
同時代に生きた読者にとっての清張の本の不気味さは主人公そっくりな人間が気が付いたら読者の身の回りのあちこちにいたというところにあり、また映画やテレビ番組になった映像にしてもその時代を生き抜いたアクの強い役者がいくらでもいたところから、息を呑むような絵作りができたというところにあったのであろう。この絵空事で終わらせない点が他の追随を許さない清張の作品の迫力となっていると思われるのだが、本書は長年身近で清張の制作現場に立ち会っていた編集 -
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戦争は人間がするものであり、人間がするからこそ、そこには過誤がつきもので、それが実際の戦闘では勝敗を分ける決定的な要素として作用してしまうこともあるということがよく分かる。
大規模な作戦になればなるほど、実際の戦闘に至るまでの戦略的要素は重要で、人事を含めたいかにも日本的な処置は、この海戦が負けるべくして負けた戦いであったことを証しているように思われる。
それに追い打ちをかけたのが、作戦参謀も含めた実戦部隊の開戦初頭の勝利による驕慢ぶりであった。
いよいよ下巻では戦闘に入る。敗戦記を読むのは心苦しいところもあるのだが、失敗から学ぶことは多い。 -
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ネタバレすぐれた戦記です。この本を読んで、井上成美に興味を持ちました。
珊瑚海海戦について思ったこと。
米艦は既に対空レーダーを装備していた。実際に5月7日の夜、日本機が旋回して消えた、すなわち着艦までが見えていた。
米艦隊は輪型陣を組み艦攻の進入が困難であったが、日本艦隊は、空母と重巡が数キロも離れていた。
魚雷を抱えた艦攻の生存率が低い。97式は「艦攻としては」速いが、戦闘機、対空砲火に弱い。戦術としては艦攻より艦爆による爆撃の方が機能的だったのでは。
航空母艦戦では発艦、収容の決断が明暗を分ける。指揮官は夜間に母艦のそばまで戻った機体を見殺しにした。同様の事例はハワイでも、セイロンでもあったがこ -
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世に名高い神風特別攻撃隊の創設・命令者側にスポットを当てた作品。巷間では大西瀧治郎海軍中将が航空兵力が潰滅したフィリッピン戦線で苦肉の策として命じ、関行雄海軍大尉が志願してその先陣を承ったというのが特攻神話の始まりとされているが、事実は昭和17〜18年の激戦期において海軍中枢(陸軍でも同様)にて計画されていた。つまり第一線の機転で始まったどころか軍組織上部からの正式な命令であり、突っ込む若いパイロット達は志願でなく軍命令として事実上強制されて絶望的な戦闘に臨まねばならなかったことが分かれば十分だと思う。そして命じた側はみな命を全うし、のうのうと戦後の世界を生き延びたのである。源田実しかり。若者
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司馬遼太郎の作品は長編・短編あわせて67篇におよぶ。さらにエッセイ・評論などを加えると無限に近い。
しかも一つの長編は文庫本にすると3巻~10巻ものボリュームがある。
かなり以前に司馬作品を100冊読破したので、もう読む作品も少ないだろうと思って調べたら、読んでいない作品がまだまだあったのに驚いた記憶がある。
著者は「私たち昭和世代は、司馬さんがつむぎ出す作品世界を刊行されるごとにむさぼり読み、この作家が年齢とともに広く、深くさせていくさまを身近で知る贅沢を味わうことができた。しかし司馬さん没後に生を享けた若い世代は、一から司馬作品と取り組まなければならない。豊饒だが、未知の膨大な作品世界に