中務哲郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
7つの習慣に共通の原則を謳う寓話がとりわけ印象的。
例え話の有用性に触れつつ、時に失笑を誘うユーモアを含有する寓話集。
お気に入りの寓話9つをピックアップ。
井戸の中の狐と山羊・・・井戸に落ちた狐と、口車に騙されて井戸に入り、さらには踏み台にされた山羊の話。
まず終わりを思い描くことから始める。
ライオンを見た狐・・・狐がライオンを3度目に見た時には近寄って話しかけるほど大胆になっていた。習慣化の力を暗示。
腹の膨れた狐・・・腹を空かせた狐が木の洞穴の食料に飛び込み、腹が膨れ、脱出不可。別の狐が言ったのはじっとしていれば痩せて出られる。
困難は時間が解決する。
金の卵を生む鵞鳥・・・P/PCのバランスを説く話。効果性についての暗示。
ビーバー(海狸)・・・追いつかれそうになると生殖器を切り取って投げ、命を全うする。
命>財産の暗示。
産の軽さを競う豚と犬・・・四つ足動物でお産の軽さに優れるのは自分だと主張する犬、対して「目の見えぬ子犬を産むのに」と反論する豚。
速さも然りだが、一定の完成度(質)が必要だということを暗示。
猪と狐・・・猪が木のそばで牙を研ぐ。狐がなぜ今研ぐと問うと、「危険に襲われた時には研いでいる暇はない」
刃を研ぐ(7つの習慣)の暗示。
亀と鷲・・・空を飛びたいと懇願する亀。
鷲は渋々亀をつかんで飛び立つと、上空から放してしまった。
張り合う心から我が身を損なってはいけない。
烏と白鳥・・・白鳥の白さに憧れた烏は、餌場の祭壇を去って、池や川に住んだ。
当然色は変わらないし、飢えて死にそうになった。
生き方で本性は変えられない。 -
Posted by ブクログ
この本は、ユーチューブでアバタローさんが紹介している本だったので読んでみましたー。
まず、2000年前に書かれた本が読めるということに「すごいー❕」と思いました。
この本は、表題のとおり「老年について」書かれていますが「老年」について、とても前向きで「良いもの」として捉えており、「歳を取るってすばらしいことだよー❕」と教えてくれています。
2000年前の人も同じように「老年」について、不安に思っていたんでしょーねー。
「人の悩みって、いつの時代でも大差ないのかも!」っと思ってしまいました。
大昔の人も現代人も悩みは同じなのであれば、その答えは、誰かが本にしてくれてるはずだー!!
やっぱり読書はいいですねー!
ぜひぜひ読んでみて下さい -
Posted by ブクログ
非常に面白かった。同作者によるオイディプス王の続編にあたり、王の4人の子のうちの姉の名が表題となっている。わたしのなかではオイディプス王は最早レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザや、シュトックハウゼンの連作にも並ぶ真正の大芸術とまで格上げされているため、続編があると知って大分期待して読んだが、こちらは一段格は下がって、並の芸術品といったところに落ち着いている。格下げの主たる理由は、単純な因果応報(仏教用語でなく現在の用法)に落ち着いたこと。王道であり、民話ならなお一層親しまれるものだが、大芸術のやることではない(何故なら疑問の余地が残らず完全に消費されてしまう)。非常にポピュラーな内容であるので、今やっても売れるでしょう。また、アンティゴネーの毅然とした態度、迷いなく、真っ直ぐで、決して折れず、芯があり、加えて言葉の端に現れる思慮深さは、現在の男性・女性からも支持されるのではないでしょうか。もののけ姫のサンを思い起こさせたほどです、とても似ています。人類史における最大最悪の悲劇を被った王の娘は、呪われた血筋のなかで、民衆からも王宮のなかででも後ろ指さされながら生きるわけで、恥辱・屈辱の渦中にあってこれほど真っ直ぐに立ち向かえる女性(しかもまだ年の若い)の姿というのは、なかなか涙なくして読むのは難しい。自然法と人口的な法との対比が主な主題であることから、世界の縮図としての機能を持ち合わせているのも確かですが、疑問点は2、3ある。第一に、王であるクレオーンの態度は正しい。作中、「自分の非を認めて」となって後悔に向かうし、作中の預言者や多くの読者が、王の独善、独裁を非難し、その上で息子ハイモーンの台詞「大衆はみなそう言っている(王と違うことを言っている)」に民主主義の正しさを見ますが、絶対に間違っていると思う。王が「英雄を讃えて墓を作り、火を放った敵の死体を野ざらしにして放置する」ことは独断や独裁ではない。現在の大統領も同じ態度を取るであろうことだが、それはやはり大統領であるからの判断であり、そこには民衆の意を汲む配慮がある。対し、「大衆はみなそう言っている」などということもありえない。ポリュネイケースは国家を滅ぼさんとして来たわけで、彼を憎むひとがいないわけがない。ならば誰もがアンティゴネーに同情するわけもない。
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Posted by ブクログ
ちょうどいいタイミングで新訳が出ていた。旧訳からかなり読みやすくなっているし、解説もちきんとした量があって理解を助けてくれる。あらためて読んでも、ギリシア悲劇の中でも「オイディプス王」と並ぶ傑作だと思う。
祖国テーバイを攻めた兄ポリュネイケスの死体を埋葬しようとするアンティゴネーと、反逆者の埋葬を決して認めようとはしない王であり叔父でもあるクレオーンの対立。親族を弔うという神の理と、法と秩序を守るという国家の論理、それぞれの正義が真っ向からぶつかってやがて悲劇をもたらす。
そして、ただ正義の対立だけでない、対立する二人の不完全さが状況を複雑化させる。アンティゴネーは誰とも心を通わせることなく孤独のなかで自らの思想を先鋭化させ、一方のクレオーンは思い込み激しく頑固それでいて人の意見に流されやすい。彼らの売り言葉に買い言葉の応酬は、決して合意にはたどり着かない。だから、どちらの主張に理があるのか一概には判断できないし、彼らの言動の意図を読み取ることも容易ではない。
そのため、読み方によってどのようにも印象はかわる。解釈の幅の広さは、他のギリシア悲劇と比べても頭抜けている。だから何度読んでも面白い。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ■ 要 約
・テーバイの王位に就いたクレオンは、テーバイに反逆し、兄弟であるエテオクレースと相討ちに果てたオイディプスの息子ポリュネイケースの埋葬を禁止するお触れを出した。
・オイディプス王の娘アンティゴネーは、死者、特に親族の亡骸の埋葬は神々の掟であるとして、王の命に背いて兄の亡骸を埋葬し、クレオンにより生きたまま石の洞穴に閉じ込められる。
・アンティゴネーは首を吊り、婚約者であったクレオンの息子ハイモーンも自刃した。息子の死を知ったクレオンの妻エウリュディケーも自刃してしまい、クレオンはその悲劇に絶望する。
■ 核心テーマ
→正義は単一の基準に統一されるとは限らず、異なる原理に基づく複数の正義が不可避的に衝突しうる。
■先に読んだプラトンの 『国家』と比較した感想
プラトンの国家では、善のイデアはひとつである。正義が複数存在する(と感じられる)場合は、善のイデアではなく善の似像を見ている状態であり、認識が向上すれば、たったひとつの善のイデアを観得し、正しい判断力に到達できる事になる。
アンティゴネーでは、クレオンとアンティゴネーの二つの正義がぶつかる事になる。クレオンの正義は、王としてテーバイ国の秩序=正義を守るために、国家の反逆者に対し毅然とした扱いをするという意味で必要な正義である。また、アンティゴネーの正義は、親族の亡骸は正しく埋葬されなければならないというテーバイ国では誰もが認める宗教的原則=神々の掟(正義)に則ったものであり、テーバイ国民の宗教観からして自然な心情・行為と言える。
この二つの対立は、国家を正しく維持しなければならないという、社会的人間(国家の一員としての人間)の立場の正義と、死者の扱いは神々の掟(宗教倫理)に従わなければならないという宗教的人間(神々の下にある人間)の立場からの正義の対立であり、異なる次元の人間観からくる対立であり、容易に調停し得ないものである。
現代人の感覚からすれば、権力者としてのクレオンが死者に対し寛大な態度を示し埋葬を許すことで、政治的安定を図るという解決が考えられる。しかしこれは現実的な妥協であって、国家の法と神々の掟のいずれを優先すべきかという問題そのものを解消するものではない。
したがって、善のイデアに基づき正義は最終的に一つに統一されるとするプラトン的前提に対し、『アンティゴネー』は、異なる正義が不可避的に衝突する状況において、その統一が必ずしも可能ではないのではないかという問題を突きつけるものである。
→先に読んだプラトンの国家と比較しつつ読んだ。次は、アリストテレスの政治学を読んでみて、アリストテレスはこれらをどう考えたのか?について読むことができたらと思う。