あらすじ
「私は憎しみを共にするのではなく、愛を共にするよう生まれついているのです」――祖国に攻め寄せて倒れた兄の埋葬を、叔父王の命に背き独り行うアンティゴネー。王女は亡国の叛逆者か、気高き愛の具現者か。『オイディプース王』『コローノスのオイディプース』と連鎖する悲劇の終幕は、人間の運命と葛藤の彼岸を目指す。新訳。
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Posted by ブクログ
非常に面白かった。同作者によるオイディプス王の続編にあたり、王の4人の子のうちの姉の名が表題となっている。わたしのなかではオイディプス王は最早レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザや、シュトックハウゼンの連作にも並ぶ真正の大芸術とまで格上げされているため、続編があると知って大分期待して読んだが、こちらは一段格は下がって、並の芸術品といったところに落ち着いている。格下げの主たる理由は、単純な因果応報(仏教用語でなく現在の用法)に落ち着いたこと。王道であり、民話ならなお一層親しまれるものだが、大芸術のやることではない(何故なら疑問の余地が残らず完全に消費されてしまう)。非常にポピュラーな内容であるので、今やっても売れるでしょう。また、アンティゴネーの毅然とした態度、迷いなく、真っ直ぐで、決して折れず、芯があり、加えて言葉の端に現れる思慮深さは、現在の男性・女性からも支持されるのではないでしょうか。もののけ姫のサンを思い起こさせたほどです、とても似ています。人類史における最大最悪の悲劇を被った王の娘は、呪われた血筋のなかで、民衆からも王宮のなかででも後ろ指さされながら生きるわけで、恥辱・屈辱の渦中にあってこれほど真っ直ぐに立ち向かえる女性(しかもまだ年の若い)の姿というのは、なかなか涙なくして読むのは難しい。自然法と人口的な法との対比が主な主題であることから、世界の縮図としての機能を持ち合わせているのも確かですが、疑問点は2、3ある。第一に、王であるクレオーンの態度は正しい。作中、「自分の非を認めて」となって後悔に向かうし、作中の預言者や多くの読者が、王の独善、独裁を非難し、その上で息子ハイモーンの台詞「大衆はみなそう言っている(王と違うことを言っている)」に民主主義の正しさを見ますが、絶対に間違っていると思う。王が「英雄を讃えて墓を作り、火を放った敵の死体を野ざらしにして放置する」ことは独断や独裁ではない。現在の大統領も同じ態度を取るであろうことだが、それはやはり大統領であるからの判断であり、そこには民衆の意を汲む配慮がある。対し、「大衆はみなそう言っている」などということもありえない。ポリュネイケースは国家を滅ぼさんとして来たわけで、彼を憎むひとがいないわけがない。ならば誰もがアンティゴネーに同情するわけもない。
Posted by ブクログ
ギリシャ悲劇は、自らの力ではどうにもならない運命に翻弄された人間の運命悲劇だと言われる。『オイディプス王』は確かにその通りだが、『アンティゴネー』は死を覚悟の上で自らの意志を貫いたアンティゴネーの性格悲劇ではなかろうか。そのような人物造形は、『オイディプス王』よりも、むしろシェイクスピアに近いように思う。
Posted by ブクログ
ちょうどいいタイミングで新訳が出ていた。旧訳からかなり読みやすくなっているし、解説もちきんとした量があって理解を助けてくれる。あらためて読んでも、ギリシア悲劇の中でも「オイディプス王」と並ぶ傑作だと思う。
祖国テーバイを攻めた兄ポリュネイケスの死体を埋葬しようとするアンティゴネーと、反逆者の埋葬を決して認めようとはしない王であり叔父でもあるクレオーンの対立。親族を弔うという神の理と、法と秩序を守るという国家の論理、それぞれの正義が真っ向からぶつかってやがて悲劇をもたらす。
そして、ただ正義の対立だけでない、対立する二人の不完全さが状況を複雑化させる。アンティゴネーは誰とも心を通わせることなく孤独のなかで自らの思想を先鋭化させ、一方のクレオーンは思い込み激しく頑固それでいて人の意見に流されやすい。彼らの売り言葉に買い言葉の応酬は、決して合意にはたどり着かない。だから、どちらの主張に理があるのか一概には判断できないし、彼らの言動の意図を読み取ることも容易ではない。
そのため、読み方によってどのようにも印象はかわる。解釈の幅の広さは、他のギリシア悲劇と比べても頭抜けている。だから何度読んでも面白い。
Posted by ブクログ
自分の欲ばかりに目が眩んだり他者を受け入れようとする寛容さもないと、この物語のように負の連鎖を生み身の破滅までにも追い込むようにもなるという一種の教訓の様にも感じました。
この機会で一度劇も鑑賞したくなった。
Posted by ブクログ
再読3/20
『オディプス王』の後に読むと以前よりも断然楽しめました!クレオンの人間らしさや、彼も分別を持ち合わせているという点が理解できて作品に深みを感じられたような気がします。
ただ相変わらずアンティゴネーはハンター試験の初っ端で落ちます。
Posted by ブクログ
オイディプス家の悲惨な運命。王女アンティゴネーとテーバイ王の対立が破滅へと収束していく。敵国に寝返ったアンティゴネーの兄を神の法(=倫理観)に基づいて埋葬すべきか、それとも王の命令に倣って兄の遺体を打ち捨てるべきか。法と倫理の対立というこの作品のテーマは現代でも通ずるものがあり、読み継がれているのにも頷ける。他にも男と女、壮年と青年など様々な対立が読み取れる。短いしおすすめ
Posted by ブクログ
演劇作品で始めて素直に面白いと感じ、すんなり没頭することができた。アンティゴネーが単純に正しい側のヒロインなのかと思いきや、しばしば不穏な発言をするから面白い。
"私は憎しみを共にするのではなく、愛を共にするよう生まれついているのです。"という感動的な言葉も、大きな説得力がありながら、どこか言行不一致の気配がうっすら感ぜられ、それが余計に味わい深い。
アンティゴネーがなぜこのような不幸な結末を迎える必要があったのかという理由は、出自そのものの不幸によるのではという解説の説明に一応納得。しかし、近親相姦がなぜこれほどまでにタブー視されているのか、オイディプスが自ら両目を刳り取り、アンティゴネーを自死に追い込むほど罪の意識をもたらすのか、現代に生きる私には不思議でしょうがない。