中務哲郎の作品一覧
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ユーザーレビュー
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アンティゴネーの兄に対する想いが兄妹間のそれ以上のものを窺わせる等、解説によれば随所に解釈の余地があるようです。
オイディプスに端を発する悲劇は叔父のクレオンと娘のイスメネを除き、みな死亡という結末を迎えました。
クレオンとその息子ハイモーンの対話、アンティゴネーとクレオンの対決の場面がハイライ
...続きを読むトでしょうか。
抗い難い運命、現実の苦悩を引き受けながらも生を肯定する、というニーチェが悲劇の誕生で言及していたギリシャ悲劇の本質に触れられた気がします。
Posted by ブクログ
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7つの習慣に共通の原則を謳う寓話がとりわけ印象的。
例え話の有用性に触れつつ、時に失笑を誘うユーモアを含有する寓話集。
お気に入りの寓話9つをピックアップ。
井戸の中の狐と山羊・・・井戸に落ちた狐と、口車に騙されて井戸に入り、さらには踏み台にされた山羊の話。
まず終わりを思い描くことから始める。
...続きを読む
ライオンを見た狐・・・狐がライオンを3度目に見た時には近寄って話しかけるほど大胆になっていた。習慣化の力を暗示。
腹の膨れた狐・・・腹を空かせた狐が木の洞穴の食料に飛び込み、腹が膨れ、脱出不可。別の狐が言ったのはじっとしていれば痩せて出られる。
困難は時間が解決する。
金の卵を生む鵞鳥・・・P/PCのバランスを説く話。効果性についての暗示。
ビーバー(海狸)・・・追いつかれそうになると生殖器を切り取って投げ、命を全うする。
命>財産の暗示。
産の軽さを競う豚と犬・・・四つ足動物でお産の軽さに優れるのは自分だと主張する犬、対して「目の見えぬ子犬を産むのに」と反論する豚。
速さも然りだが、一定の完成度(質)が必要だということを暗示。
猪と狐・・・猪が木のそばで牙を研ぐ。狐がなぜ今研ぐと問うと、「危険に襲われた時には研いでいる暇はない」
刃を研ぐ(7つの習慣)の暗示。
亀と鷲・・・空を飛びたいと懇願する亀。
鷲は渋々亀をつかんで飛び立つと、上空から放してしまった。
張り合う心から我が身を損なってはいけない。
烏と白鳥・・・白鳥の白さに憧れた烏は、餌場の祭壇を去って、池や川に住んだ。
当然色は変わらないし、飢えて死にそうになった。
生き方で本性は変えられない。
Posted by ブクログ
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この本は、ユーチューブでアバタローさんが紹介している本だったので読んでみましたー。
まず、2000年前に書かれた本が読めるということに「すごいー❕」と思いました。
この本は、表題のとおり「老年について」書かれていますが「老年」について、とても前向きで「良いもの」として捉えており、「歳を取るってす
...続きを読むばらしいことだよー❕」と教えてくれています。
2000年前の人も同じように「老年」について、不安に思っていたんでしょーねー。
「人の悩みって、いつの時代でも大差ないのかも!」っと思ってしまいました。
大昔の人も現代人も悩みは同じなのであれば、その答えは、誰かが本にしてくれてるはずだー!!
やっぱり読書はいいですねー!
ぜひぜひ読んでみて下さい
Posted by ブクログ
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非常に面白かった。同作者によるオイディプス王の続編にあたり、王の4人の子のうちの姉の名が表題となっている。わたしのなかではオイディプス王は最早レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザや、シュトックハウゼンの連作にも並ぶ真正の大芸術とまで格上げされているため、続編があると知って大分期待して読んだが、こちらは
...続きを読む一段格は下がって、並の芸術品といったところに落ち着いている。格下げの主たる理由は、単純な因果応報(仏教用語でなく現在の用法)に落ち着いたこと。王道であり、民話ならなお一層親しまれるものだが、大芸術のやることではない(何故なら疑問の余地が残らず完全に消費されてしまう)。非常にポピュラーな内容であるので、今やっても売れるでしょう。また、アンティゴネーの毅然とした態度、迷いなく、真っ直ぐで、決して折れず、芯があり、加えて言葉の端に現れる思慮深さは、現在の男性・女性からも支持されるのではないでしょうか。もののけ姫のサンを思い起こさせたほどです、とても似ています。人類史における最大最悪の悲劇を被った王の娘は、呪われた血筋のなかで、民衆からも王宮のなかででも後ろ指さされながら生きるわけで、恥辱・屈辱の渦中にあってこれほど真っ直ぐに立ち向かえる女性(しかもまだ年の若い)の姿というのは、なかなか涙なくして読むのは難しい。自然法と人口的な法との対比が主な主題であることから、世界の縮図としての機能を持ち合わせているのも確かですが、疑問点は2、3ある。第一に、王であるクレオーンの態度は正しい。作中、「自分の非を認めて」となって後悔に向かうし、作中の預言者や多くの読者が、王の独善、独裁を非難し、その上で息子ハイモーンの台詞「大衆はみなそう言っている(王と違うことを言っている)」に民主主義の正しさを見ますが、絶対に間違っていると思う。王が「英雄を讃えて墓を作り、火を放った敵の死体を野ざらしにして放置する」ことは独断や独裁ではない。現在の大統領も同じ態度を取るであろうことだが、それはやはり大統領であるからの判断であり、そこには民衆の意を汲む配慮がある。対し、「大衆はみなそう言っている」などということもありえない。ポリュネイケースは国家を滅ぼさんとして来たわけで、彼を憎むひとがいないわけがない。ならば誰もがアンティゴネーに同情するわけもない。
Posted by ブクログ
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年代それぞれに自然に与えられる恵みを活用し謳歌すれば、それは生きることを活かすことになる。 ないものを求めればそれが手に入ったとしてもまたないものを求めるが、今あるものの中で最大限活用して日々を生きれば、老年は重荷ではない。
Posted by ブクログ
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