五来重のレビュー一覧
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講義録の形式で四国八十八ヶ所の縁起や四国遍路を解説しているのだが、話の流れが変わっている。総論のあと室戸岬、石鎚山、足摺岬と来て、44番からお寺を紹介する(上巻は86番まで)。これは「弘法大師が確実に土佐を回っているから」で、足摺岬にある金剛福寺から石鎚山を目指す経路上に44番大宝寺、45番岩屋寺がある。実際に歩き遍路を経験した身からは、おやと思うが、お大師様は色んな道をあちこちへと歩いたわけだ。それにしても「集印するのが目的であるかのごとく八十八か所を回るのは、いかがなものか」という一文があるは耳が痛い(116ページ)。
元々の四国遍路は海洋宗教で、札所はどこも海と関係しているという。例え -
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2013.1記。
世界遺産にもなった熊野古道は、熊野本宮大社をはじめとする社寺を参詣するための道々の総称。
山と鬱蒼とした森によって隔てられた熊野は「隠国(こもりく)」、すなわち「死者の国」の古語を地名の由来とするとも言う。民間信仰、神道のルーツ的なエリアでありながら、平安期の阿弥陀信仰の盛り上がりにより「浄土」のイメージが重ねられ、日本独特の神仏習合の聖地となっていく。時宗の開祖一遍上人が熊野「本宮」を目指す旅路は一遍上人聖絵という絵巻物の傑作に残され、聖人の内面の葛藤と当時の習俗を今に伝える。
1960年代に執筆された本書は、市井の怪奇譚から荘園支配を巡る伊勢神宮と熊野仏教勢力の訴訟 -
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1970年代に角川選書で刊行された同書名の文庫化。
思想としての仏教と、民俗、つまり慣習としての仏教との間に違いがあることは、なんとなく理解していても、意識化していない。
例えば、墓地に葬り墓を建て、家にも仏壇を設け、位牌を置く。当たり前だと思い続けてきた「両墓」が、仏教伝来以前の祖先崇拝によるという指摘は、とても新鮮だった。
この時代に進められていた既存宗教教団の、仏教の本来の思想としての布教活動を、祖先崇拝を時代遅れと切り捨てていることの、その危うさを著者は警告していた。時代が過ぎて、皮肉にも、結果は真逆で、多くの仏教者は、墓守と化してしまった。それだけ、日本民俗の祖先崇拝の根は、深いとい -
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・ 殯(もがり)が気になつてゐたのだが、それが具体的にいかなるものであるのか分からなかつた。wikiには、「死者を埋葬するまでの長い期間、遺体を納棺して仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願い つつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終 的な『死』を確認すること。その柩を安置する場所をも指すことがある。」とある。私は後の「柩を安置する場所」のやうに思つてゐた。まちがひではないが、 正確でもなからう。第一、どのやうな場所か分からない。「物理的変化を確認する」にしても、それがどのやうな場所で行はれるのかは重要な問題である。私は、本当に殯とは
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・昔話といふと直ちに関敬吾と思ふ。実際、五来重「鬼むかし」(角川文庫)でも柳田国男と関敬吾に何度も触れてゐる。それは肯定的な見解を述べる場合よりも否定的な見解を述べることの方が多い。ごく大雑把に言へば、五来にとつて関の方法や考察は不十分なのである。五来は、「神話は、その民族の文献以前の生活と民族宗教が、説話化して伝承されたものである。それは神々の言葉や行為として語られているけれども、これを人間の世界に世俗化すると、昔話になってしまう。」(12頁)とか、「神話と、これが地域に密着した伝説と縁起が、民間伝承として分裂し、単純化して昔話になった」(同前)と昔話を規定する。神話から昔話である。私などは
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原始信仰、神道、仏教、その他派生した信仰を詳しく解説しながら、仏教がいかに日本に広まり、なぜ定着したのか、なぜ日本人に受け入れられたのかを解説する。仏教の布教の特徴(既存の信仰や習俗に合わせる)やベースとなる土壌(古くからある習俗、信仰、儀礼)を予備知識のない人にもわかりやすく説明している。
文章は読みやすく、量も文庫でちょうど良い。しかし内容がしっかり盛り沢山なので、一度読んだ後他の本や資料で知識をつけた後で再読するとさらに吸収できるかもしれない。
霊魂観
古代あるいは庶民は死というものは「集団のなかのひとりのの死」と捉えられる。現代の個人の死のように寂しさ懐かしさの対象だけではなく、恐ろ -
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山岳信仰についてチョット興味があり、非常に軽い気持ちで購入してみた。が、わりと難しい語句が並んでおり、宗教や歴史の予備知識に乏しい自分にとっては、少し難しい読書となった。
古来日本では山に登ってはいけないという、暗黙のルールがあったそうだ。それは大昔の日本人が、亡くなった人を山の中の洞窟などに置いて、風葬をしていた事に由来するらしい。
そのうち仏教や神道が普及し始め、元々その地に残っていた風習などと重なり、山岳信仰として発展していった。
たしかそんな内容だったと思う・・・
写経の墨に使う水は山の池から汲んでいたとか、曼荼羅は宣伝に使われていたなど興味深い考察もあり、少し勉強してからもう一