栗原俊雄のレビュー一覧
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この本に書かれている、大東亜戦争中の「いじめ」は、
これまで読んできた多くの本、、、代表は「はだしのゲン」だろうか?
を通じて嫌というほど読んできた。
なのでその記憶をよみがえらせる作業、という感が強かった。
え、ここまで酷いの?いじめ自殺もあれば、殺しもあるの?という思いはあったが、、
それより驚いたのは、
昨今、「戦前はいじめはなかった」などとのたまう人が少なからずいる、ということ。
そう、明治政府からの日本はすばらしかった、と、あの時代に戻したい連中が
そういうのだろう。
そのことの方が驚き。
いかにモノを知らないか。
あるいは知っててわざと知らんぷりをしているのか。
人間そんなきれ -
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「一年のうち8月だけ、戦争について考えることでいいのだろうか?」
「戦争被害に『節目』はないからこそ、発信し続ける意味がある」
と表紙に書かれている。
「8月ジャーナリズム」・・・8月に戦争に関する報道が集中すること。「8月が近づいてきたから、戦争に関する本を意識的に読もう」と思っていた。
本書で著者は書いている。
「戦後」とは何か。一般的な常識としては、「戦争が終わった後」ということだろう。しかし、戦争は本当に終わったのだろうか。
戦闘は、80年前に確かに終わった。だが、戦争被害は、終わらずに今も残っている。
「戦闘」は終わった。でも、「戦争被害」は残っている。この言葉にハッとし -
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「いじめ」という呼び方には、日頃から反対している。
力であれ言葉であれ、人が人を傷つける行為は、まごうことなき犯罪だ。加害者は自分の所業を猛省し、心の底から被害者に詫びなければならない。
「いじめはなかった/少なかった」と(なぜか)言われる戦前・戦時中にも、実は凶悪な「いじめ」が蔓延っていた。
太平洋戦争が題材のドラマでは、上官や憲兵が「貴様はそれでも日本男児か!」と、鉄拳を喰らわすシーンをよく見かける。だが実際はその程度で済まず、更には軍隊以外でも「いじめ」のフィールドが広がっていた…。
「いじめ」という呼び方がいかに相応しくないか。本書を読んで、そう実感してくれる人が増えることを願ってい -
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「八月ジャーナリズム」という言葉がある
聞いたことがある人、ない人、様々だと思うが、内容はなんとなく想像できるのではないだろうか
広島、長崎の原爆投下、玉音放送(終戦記念日)があり、お盆という死者を偲ぶ季節柄と相まって、毎年風物詩のように8月に集中し、繰り返される戦争報道を揶揄して使われる言葉
筆者は毎日新聞の記者であり、長年戦後賠償や戦没者の遺骨収容について取材を続けている栗原俊雄さん
本書は栗原俊雄さんの「八月ジャーナリズム」に関する、やや否定的な姿勢からスタートする
自らを「常夏記者」と称し、戦争報道はいつでも必要だとのスタンスで取材を続けられている
「八月ジャーナリズム」に対 -
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毎日新聞の栗原俊雄さんと荻上チキさんとの共著の本書。大日本帝国時代のいじめについて書かれている。学校、疎開、銃後生活-婦人会・隣組、徴兵、軍隊生活、勤労動員、植民地差別と引き揚げ、抑留、戦後という章立てだ。何よりもいじめが一番酷いのは言わずもがな軍隊生活であるが、読みながら自分の子供時代を思い出していた。
僕は1960年生まれなので戦争が終わってたった15年しかたっていないかったのだ。確か幼稚園か小学校1年生ぐらいの時、近所の悪ガキに拉致されたことがあった。僕だけでなく5-6人が捕まっていた。「お前らは捕虜や!ここの穴を掘れ!」と命令され、どこかの家の花壇を靴で掘らされた。僕は隙を見て逃げ出 -
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学校や疎開先をはじめとした日々の生活に/徴兵制度のもとで組織された軍隊内部に存在したいじめの記録。
国のために、社会のために、「生産的でなければならない」という呪いが、少しの違いを際立たせ対立を煽り、とめどない暴力を生み出す。
植民地や抑留地でのいじめの実状がとても印象的だった。加害者にも被害者にも身体と心の傷を残し、戦後にはその加害関係が逆転し、親から子供へと憎悪は受け継がれてゆく。被占領者がさらにその弱者に対して家父長的な価値観や暴力を強化してしまう。
ポツダム宣言を受諾しても、人々の戦争は終わらない。むしろ長い時間を経て心に暗い影を落とすこともあると知る。 -
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一夜にして10万人の民間人が殺害された東京大空襲では、77年が経過した今でも被害に苦しむ多くの人たちがいる。社会全体の無知や無関心、偏見に苦しめられながらも、国に対して救済を求めて立ち上がった空襲被害者たちの闘いと、政府や司法、立法の不誠実な対応を検証しながら、戦後の空襲被害者への対応を問いかける。
戦後、空襲被害者への補償を行わずに、米軍の作戦変更による無差別爆撃へ作戦変更を行ったカーチス・ルメイに、日本政府は1964年、「勲一等旭日大綬章」を送った。受賞理由は「航空自衛隊の育成ならびに日米両国の親善関係に終始高研的な努力と積極的な熱意をもって尽力した」であり、日本人被害者や遺族が「鬼畜 -
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本書は「余り知らなかった事案」のあらまし、一部の事項を掘り下げた内容を伝えてくれる。こういうことが在るから、読書は必要な営為だと思い至らせてくれるような一冊になっている。
第2次大戦時、1945年3月の「東京大空襲」が凄惨極まりないものであったことは伝えられている。本書はその凄惨な有様を伝えることを主旨としているのでもない。凄惨な戦禍を潜り抜けた人達の「その後」というようなこと、必死に生きた戦後が在って、惹起した問題意識とそれを巡る論議というような内容が語られている訳だ。故に本書は「戦後史」と号するのだ。
「東京大空襲」は夥しい数の「孤児」を発生させてしまった。都内に居合わせて家族を失ったとい -
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「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ではないけれど、横並びなら安心
という考えは日本に根強いのだろうなと思う。何かをおかしいと感じても
「あなただけではない。みんな我慢している」と言われたら、正論のよう
に感じてしまう。
それが如実に表れているのが本書が取り上げる、戦後「未」補償問題。
GHQは軍人恩給を停止した。しかし、日本が主権を回復したと同時に
元軍人・軍属への軍人恩給が復活した。それまでは空襲などで被害を
受けた民間人同様、生活保護や障害者年金での対応だけだったのに。
元軍人・軍属は「雇用者・被雇用者」として国と特別な関係にあったから
との理由だ。ならば、「銃後を -
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ガンカメラとは軍事利用される航空機に取り付けられているカメラだ。古くは初めて戦争に航空機が運用された第一次世界大戦時で、イギリス空軍機に設置されたものだ。その後1920年代には多くの軍用機でその運用が一般的になり、日本の軍用機にもカメラが取り付けられていたようである。これは戦果の確認や、パイロットの教育用として映像が利用されたが、その多くは永年保管する運用になかった事で、現存する撮影物は非常に貴重なものである。なお、第二次世界大戦時には機銃操作と連動して撮影がされるなど、技術面でも進化がみられていたようである。
本書はそうしたガンカメラ映像の新たに発見されたものを中心に、主には空から見た太平洋 -
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戦後79年経ったが戦争はまだ終わっていない。
原爆や沖縄戦の被害者のことは考えたことがあったが、東京大空襲や名古屋大空襲などの被害に遭われたことの人をあまり考えたことがなかった。なんたることと思う。
亡くなった方たちはもちろんのこと、命が助かったても怪我や火傷による障害が残ったり、両親を亡くして孤児になり苦労されたり、国によって起こされた戦争による被害は非常に大きい。それなのに何の補償もされていない。軍人・軍属にはあったのに。その格差を問題にし、たびたび裁判を起こすが、ことごとく敗訴。立法府の仕事だと判決でも言われるので、国会に請願するも全く進まない。年をとる。だんだん亡くなる人が増えてくる。 -
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東京大空襲をめぐる補償の裁判についてが主軸となっている。
軍人と民間人との補償の差の理不尽や、防災法があり焼夷弾が降り注いだら消し止めることが求められており、大人が疎開することは許されなかった、ことなどが記載されている。
何故子供だけ疎開させて大人はもっと避難しなかったのだろう、と疑問に思っていたのだが、なるほど、そういう事情もあったのか、と初めて知った。
しかし「軍人と民間人とで補償に差があるのは人権問題である」「戦争はみんな被害にあったのだから我慢せよ、というのは理不尽で犠牲の濃淡で補償すべき」という理論は、心情的にはわかるのだが、行政側の立場もまたわかるなあ、と思う。
国として -
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序章 命を削って訴える高齢者たち
第1章 一〇万人を殺した無差別爆撃
第2章 今日まで続く戦争被害
第3章 民間人差別 国の論理
第4章 「受忍論」と裁判
第5章 立法運動の開始
終章 未完の戦争――当事者が望んでいること
新聞連載をもとにした内容で、問題の全体像をわかりやすい形で教えてくれる(ただし、他の関連する問題=徴用工問題や慰安婦問題とのつながり/かかわりに関する言及は見られない)。とくに、空襲被害者たちの戦後の苦難と、空襲議連での議論と議会における議論のプロセスが詳しく紹介された点は重要。
民間人戦争被害者に対する「補償」を出来るだけ小さくしようとする政府のありようは、現在の日