栗原俊雄のレビュー一覧
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この本に書かれている、大東亜戦争中の「いじめ」は、
これまで読んできた多くの本、、、代表は「はだしのゲン」だろうか?
を通じて嫌というほど読んできた。
なのでその記憶をよみがえらせる作業、という感が強かった。
え、ここまで酷いの?いじめ自殺もあれば、殺しもあるの?という思いはあったが、、
それより驚いたのは、
昨今、「戦前はいじめはなかった」などとのたまう人が少なからずいる、ということ。
そう、明治政府からの日本はすばらしかった、と、あの時代に戻したい連中が
そういうのだろう。
そのことの方が驚き。
いかにモノを知らないか。
あるいは知っててわざと知らんぷりをしているのか。
人間そんなきれいなものではないのだ。
いろんな失敗を繰り返し、そこから新しい秩序を生み出しているのだ。
いまかっこいいことを言っている欧米(あ、アメリカも戻ってしまったが)
少なくともヨーロッパも、過去にはろくでもない歴史があったのだ。
その失敗を、犠牲を乗り越えて、新たな価値観を気づいてきたのだ。
決して過去は否定していないのだ。
それを今の日本の風潮は、「過去の日本は良かった、戦後だめになった!昔に戻ろう!」
という。
確かにそういう部分はある。アメリカの属国になって、壊れた壊された価値観はたくさんあろう。
でも、少なくとも、それ以前の日本人が清廉潔白だったはずはない。
まして、、そういうことをのたまう人たちの多くは親米ではないか。
それって矛盾するのではないのか、、、
まあそっちはおいておいても、過去の失敗から次を生み出すしかなのだ。
関東大震災時の朝鮮人虐殺も、南京事件も、
災害、戦争という極限状態の中で、我々日本人が、いや、人間が、
やってしまったことなのだ。(南京事件の「30万人殺戮」の数は別として)
それは忘れてはいけない。
・・・
むしろ、家父長制の無理編にげんこつが負の連鎖で、
元は純朴だった人に恨みを抱かせ、
植民地引き上げ差別、抑留差別、疎開から戦後の差別(農村と都会)
を生むのかなあ。。。
まあ昔から農村は閉鎖的ともいうけれど、、、
都会は冷たいとも、、、
いじめにつながるだろうなあ、、
1章 学校
2章 疎開
3章 銃後生活―婦人会・隣組
4章 徴兵
5章 軍隊生活
6章 勤労動員
7章 植民地差別と引き揚げ
8章 抑留
9章 戦後 -
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「一年のうち8月だけ、戦争について考えることでいいのだろうか?」
「戦争被害に『節目』はないからこそ、発信し続ける意味がある」
と表紙に書かれている。
「8月ジャーナリズム」・・・8月に戦争に関する報道が集中すること。「8月が近づいてきたから、戦争に関する本を意識的に読もう」と思っていた。
本書で著者は書いている。
「戦後」とは何か。一般的な常識としては、「戦争が終わった後」ということだろう。しかし、戦争は本当に終わったのだろうか。
戦闘は、80年前に確かに終わった。だが、戦争被害は、終わらずに今も残っている。
「戦闘」は終わった。でも、「戦争被害」は残っている。この言葉にハッとしました。「戦争被害」が残っていることは、戦争に関する本を読めば分かる。でも、著者のようにそこまで思いを馳せることが出来ていなかった。
戦争に関する本を読んだり、話を聞いたりするのはしんどいことだと思う。苦しくなるから。でも、愚行を繰り返さないためには、必要なことなのだと思う。
「戦争なんてとんでもない」民意の広がり。それが戦争の抑止力になるはず。その著者の信念に、私もそう思います。
8月だけに限らず、関する本を読んでいきたいと思うし、ジャーナリズムも発信してほしいと思う。 -
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「いじめ」という呼び方には、日頃から反対している。
力であれ言葉であれ、人が人を傷つける行為は、まごうことなき犯罪だ。加害者は自分の所業を猛省し、心の底から被害者に詫びなければならない。
「いじめはなかった/少なかった」と(なぜか)言われる戦前・戦時中にも、実は凶悪な「いじめ」が蔓延っていた。
太平洋戦争が題材のドラマでは、上官や憲兵が「貴様はそれでも日本男児か!」と、鉄拳を喰らわすシーンをよく見かける。だが実際はその程度で済まず、更には軍隊以外でも「いじめ」のフィールドが広がっていた…。
「いじめ」という呼び方がいかに相応しくないか。本書を読んで、そう実感してくれる人が増えることを願っている。
「私の戦争は、米英との戦いではなくて、疎開者を『場所(都会の意味)から来た者』と呼び、差別した人々との戦いだったのです」(P 46)
学校・疎開・銃後生活(婦人会・隣組)・徴兵・軍隊生活・勤労動員・植民地差別と引き揚げ・抑留・戦後…
長年隠蔽されてきた証言もあったが、記録を掘り起こせば、こんなにも「いじめ」の現場が出てくる出てくる…。
疎開については食糧難やホームシック問題の印象が強かったが、現地の子供だけでなく大人からも容赦ない扱いを受けていたという。それも「疎開者が来ることで食料を奪われる」という、何とも身勝手な理由からだ。
空襲の被害を訴えても、「おめおめと逃げてきたのか」とバカにされる。泣き言を言えば「甘ったれるな」と大目玉を喰らう。
知らない土地で心が壊れるくらいなら、親元へ帰る方を選ぶのも無理はない…
徴兵や軍隊生活の章でも感じたけど、当時の加害者らはこうした理不尽を「いじめ」ではなく、「教育」だと言い張ってきたのだろう。力をもって弱い立場の人間を屈服させる。(八つ当たりであることも多々あり) 彼らにとっては、楽な「教育方法」に違いない。
しかし過度な「いじめ」で命を落としたり、自ら命を絶つ者を発生させるこれが「教育」なのか?自分たちが無抵抗の立場にあっても、無条件に「教育」を受け入れられるのか?
どれだけ解説を読んでも、そうした疑問が後を絶たなかった。
「”民主主義” ”愛” “平和” “正義” “弱い人を助け合いましょう” “めぐまれない人に愛の手を……”、なんと空虚で空々しい言葉と標語であろうか。人間がそんなに綺麗なことを言える動物か」(P 207)
だが「いじめ」の最大の黒幕は、日本政府であった。
補償なしどころか戦争孤児の調査をいい加減に済ませる等、舐めたマネもいいところだ。そのせいで、最近まで戦争PTSDが認められなかったり、孤児たちが引き取り先でトラウマ級のつらい目に遭ったりした。
国家による「いじめ」が、人々の本性を引き出したのだ。
「いじめ」発生のメカニズムが分析されているのも、著者らしい手法だ。(普段は、いじめ問題に取り組むNPOの代表を務められている) 「明らかにせずにいると、本書のような悲劇が再び繰り返される」という危機感からだろう。
(国家を含め)当時の加害者らは、詫びもせずにこの世を去った。それを許してしまったことも、「いじめ」を軽視しがちな現代を生み出した原因に違いない。 -
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「八月ジャーナリズム」という言葉がある
聞いたことがある人、ない人、様々だと思うが、内容はなんとなく想像できるのではないだろうか
広島、長崎の原爆投下、玉音放送(終戦記念日)があり、お盆という死者を偲ぶ季節柄と相まって、毎年風物詩のように8月に集中し、繰り返される戦争報道を揶揄して使われる言葉
筆者は毎日新聞の記者であり、長年戦後賠償や戦没者の遺骨収容について取材を続けている栗原俊雄さん
本書は栗原俊雄さんの「八月ジャーナリズム」に関する、やや否定的な姿勢からスタートする
自らを「常夏記者」と称し、戦争報道はいつでも必要だとのスタンスで取材を続けられている
「八月ジャーナリズム」に対しては主に3つの意見に集約されると思う
①八月に限らず常に報道すべきだという否定的な意見
②もういい加減報道自体終わらすべきだ、いつまで戦後だ!というこれも否定的な意見だが①とは百八十度違う
③八月だけでもしっかりと「非戦」を考えることには意義あるとするやや肯定的な意見
(無関心というのも意見と認めるなら4つ?)
自分は①よりの③の意見
常に考えようというのは理想だけど、例え風物詩化していたとしても、それはそれで意義のあることだと思う
栗原俊雄さん自身も、①から③へ論調が変化しているように感じました
みなさんはどの様に感じるでしょうか
そして本書の中で印象的だったのは、「語り部」は「聞き手」がいなければ、その存在足り得ないという話
そして、まだまだ「語り部」が残っている今、「聞き手」としての役割こそが今の報道に、より求められているのではないかというところ
全くその通りだと思う
そして八月に限らず、その語りを届けてほしいと願います
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毎日新聞の栗原俊雄さんと荻上チキさんとの共著の本書。大日本帝国時代のいじめについて書かれている。学校、疎開、銃後生活-婦人会・隣組、徴兵、軍隊生活、勤労動員、植民地差別と引き揚げ、抑留、戦後という章立てだ。何よりもいじめが一番酷いのは言わずもがな軍隊生活であるが、読みながら自分の子供時代を思い出していた。
僕は1960年生まれなので戦争が終わってたった15年しかたっていないかったのだ。確か幼稚園か小学校1年生ぐらいの時、近所の悪ガキに拉致されたことがあった。僕だけでなく5-6人が捕まっていた。「お前らは捕虜や!ここの穴を掘れ!」と命令され、どこかの家の花壇を靴で掘らされた。僕は隙を見て逃げ出したのだが、怖かったのを覚えてる。
小学校2年生の時、集団リンチにあった。その時の僕はとてもおとなしかったのであるが、人前では泣いたことはないと自負していた。それを聞いた友だちのMが学級で一番悪いK(彼とは最近呑んだ)と二番目に悪いSに告げ口した為に、掃除の時間に大勢に囲まれボコボコにされ、僕は泣いてしまった。帰宅してから僕の顔が引っ掻き傷だらけになっているのに母親が気づいて、担任に怒鳴り込みにいったことがあった。
そろばん学校では通過儀礼があった。10級は午後3時時から始まるのであるが、級があがるにつれて開始時間が遅くなっていく。そこで級が上がると儀式が待っているのである。半畳ほどの幅の廊下に上級生たちが、壁に足を突っ張って1mほどの高さで待機する。新しい進級生はその下を通過しなければならない。当然、通過しようとした瞬間に上級生は落ちてくる。
中学時代はもっと変だった。運動部員は全員、先輩に会うと直立不動になり「ちわーっ!」と大きな声で挨拶をして頭を下げなければならなかった。先生に対しては何もしないにも関わらず。そう言えば部活では先輩から下半身チェックもあった。
いろいろ思い出すと戦後30年以内は戦中とたいして変わっていなかったのかなと思う。
戦争は最大の人権侵害だとよく言われるが、いわゆる終戦から80年もたっているが、僕たちのさもしい心はまだ消えずにどこかに根付いたままだ。 -
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学校や疎開先をはじめとした日々の生活に/徴兵制度のもとで組織された軍隊内部に存在したいじめの記録。
国のために、社会のために、「生産的でなければならない」という呪いが、少しの違いを際立たせ対立を煽り、とめどない暴力を生み出す。
植民地や抑留地でのいじめの実状がとても印象的だった。加害者にも被害者にも身体と心の傷を残し、戦後にはその加害関係が逆転し、親から子供へと憎悪は受け継がれてゆく。被占領者がさらにその弱者に対して家父長的な価値観や暴力を強化してしまう。
ポツダム宣言を受諾しても、人々の戦争は終わらない。むしろ長い時間を経て心に暗い影を落とすこともあると知る。 -
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一夜にして10万人の民間人が殺害された東京大空襲では、77年が経過した今でも被害に苦しむ多くの人たちがいる。社会全体の無知や無関心、偏見に苦しめられながらも、国に対して救済を求めて立ち上がった空襲被害者たちの闘いと、政府や司法、立法の不誠実な対応を検証しながら、戦後の空襲被害者への対応を問いかける。
戦後、空襲被害者への補償を行わずに、米軍の作戦変更による無差別爆撃へ作戦変更を行ったカーチス・ルメイに、日本政府は1964年、「勲一等旭日大綬章」を送った。受賞理由は「航空自衛隊の育成ならびに日米両国の親善関係に終始高研的な努力と積極的な熱意をもって尽力した」であり、日本人被害者や遺族が「鬼畜」「皆殺しのルメイ」と呼んだ将軍に対してである。
日本は敗戦までの数年間、「戦時災害」として被害者と遺族に十分とは言えないまでも補償を行っていた。しかし、GHQのクレーマーは、「日本の軍人恩給制度は世界に類例を見ない悪辣きわまるもの」との理由で保障制度を廃止させた。その後、被害者「受任論」を強要し、一方で軍人恩給を復活させた。元軍人や軍属と遺族に対して、日本政府が60年以上に及び支給してきたのは累計60兆円。自民党員を含む超党派で取り組まれてきた特別給付金の要求額は1人1回切りの50万円、予算は30億円足らずであり、年金ではないにもかかわらず、政府は自民党を中心に立法化を拒み続けている。戦後補償問題で、政府側が民間人への保障を拒む際に主張する「雇用者責任論」である。軍人・軍属は政府が雇用していた。だから被害には補償する。しかし民間人は雇用していなかった。だから保障の義務もない、という言い分だ。日本国家の全体主義・軍国主義に振り回された民間人空襲被害への速やかな救済を願う。 -
Posted by ブクログ
本書は「余り知らなかった事案」のあらまし、一部の事項を掘り下げた内容を伝えてくれる。こういうことが在るから、読書は必要な営為だと思い至らせてくれるような一冊になっている。
第2次大戦時、1945年3月の「東京大空襲」が凄惨極まりないものであったことは伝えられている。本書はその凄惨な有様を伝えることを主旨としているのでもない。凄惨な戦禍を潜り抜けた人達の「その後」というようなこと、必死に生きた戦後が在って、惹起した問題意識とそれを巡る論議というような内容が語られている訳だ。故に本書は「戦後史」と号するのだ。
「東京大空襲」は夥しい数の「孤児」を発生させてしまった。都内に居合わせて家族を失ったという子ども達も在れば、疎開で他所に出ていた間に家族を失う羽目に陥った子ども達も在る。そうした子ども達は「孤児」ということになって、「各々の不幸」というような経過を辿ってしまう。
そして焼夷弾が街を焼き尽くすという事態の中、「生涯を通じて苦しむ羽目」という障害を負う人達も多数発生した。そして多くの人達の財産も損なわれた。
そういう情況については、「街に留まって街を護るのだ!」と“同調圧力”的なモノを生じさせるような公の施策も在って、その故に生じてしまったということも否定し得ない訳だ。
所謂「戦後」という期間、戦禍を潜り抜けた人々は各々に必死に生きていた。年月を経て、「国の施策で開戦し、戦禍が国土を襲い、人々が被災した以上、国の幾許かの補償が在って然るべきだ」という問題意識が高まった。そして「このままでは生涯を閉じられない!」と多くの人達が訴訟というような活動に身を投じることになる。
そういうような経過に関して、実は殆ど知らずに居た。それらを伝えてくれた本書には感謝したい。
「東京大空襲」に象徴されるような、第2次大戦期の日本国内の戦禍に関して、「未解決!?」という「国の施策で開戦し、戦禍が国土を襲い、人々が被災した以上、国の幾許かの補償?」という問題が在ることが解った。そういう本書に触れ、世界の国々の事情を何となく思わずには居られなかった。
少し以前、何となく「やや旧い?」という程度の以前に、色々な場所で戦禍が生じた。そして残念ながら今でも大きな戦禍が生じている。そういう地域の人々に関して、「国の施策で開戦に至った以上、幾許かの補償?」とか、「戦禍をもたらした“落とし前”を付けるべき人達による補償?」というようなことは如何なっているのであろうか?
そんなことも思ったのだが、少し旧い経過を説くような内容を含みながら、「最近の情勢下でタイムリー?」というような気もした一冊だった… -
Posted by ブクログ
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ではないけれど、横並びなら安心
という考えは日本に根強いのだろうなと思う。何かをおかしいと感じても
「あなただけではない。みんな我慢している」と言われたら、正論のよう
に感じてしまう。
それが如実に表れているのが本書が取り上げる、戦後「未」補償問題。
GHQは軍人恩給を停止した。しかし、日本が主権を回復したと同時に
元軍人・軍属への軍人恩給が復活した。それまでは空襲などで被害を
受けた民間人同様、生活保護や障害者年金での対応だけだったのに。
元軍人・軍属は「雇用者・被雇用者」として国と特別な関係にあったから
との理由だ。ならば、「銃後を守れ」と言われた一般の人々はどうなの
だろう。
戦中、「日本人」とされた台湾や朝鮮半島から徴用され、戦後は「彼らは
日本人ではない」とされ、軍人恩給の対象から外された在日の人々も
いる。彼らはあの時代、「日本人」だったではないか。
名古屋で、大阪で、東京で。アメリカ軍の空襲により被害を受けた人々が
国に補償を求めて訴訟を繰り返している。だが、司法は同情は示すもの
の、司法としての判断を避け、立法が考えるべき問題だと言う。
あれは日本人すべてが望んだ戦争だったのか?そうではないだろう。
開戦に反対する政治家もいた。だが、国は戦争へと突っ走って行った。
それは国策に係わる人々が判断を誤ったのではなかったか。
沖縄戦を考えてみよう。沖縄本島全土が戦場になったのは、本土決戦
を回避する為ではなかっただろうか。沖縄戦では多くの民間人が命を
落とした。それでも「戦争で国民みんながひどい目に遭(あ)った。だから
みんなで我慢すべきだ」との「受忍論」がまかり通る。
勿論、補償には財源が必要だ。敗戦後、財政がひっ迫している時期なら
ば「お金ないし、我慢して」も仕方なかったかもしれない。だが、経済白書
は1956年に「もはや戦後ではない」と宣言しているではないか。
日本国政府はアメリカに対しても、旧ソ連に対しても賠償の権利を放棄し
ている。ならば、戦争災害で被害を被った人々に対しての賠償責任は国
が背負うべき問題だろう。
いつだったか。国による賠償を求めて座り込みをするシベリア抑留者の
ニュースを見た。80代・90代の高齢者が、厚生労働省の前で座り込みを
続ける姿に胸が痛んだ。
彼ら・彼女らが求めているのは金銭ではない。人間としての尊厳と、国に
よる謝罪である。しかし、原爆症認定に見るように国は極力責任を回避
する方策を求める。そうして、被害を訴える人たちが亡くなるのを待って
いる。水俣病の認定も似たような感じだよね。
遠い過去の話ではないと著者は言う。この先、誤った国策で大規模な
人災や戦争が起きた時、太平洋戦争での民間被害者のように私たち
が多大なる被害を受けないとの保証はないのだ。
日本と同様、敗戦国となったドイツは民間人の戦争被害者への補償を
行っていることを本書で知った。こういう情報はもっと知られていいので
はないかと思う。ドイツに出来て、日本に出来ないはずはないのだから。
「戦争だったのだから仕方ない」。そんな不条理な受忍論で片づけて
いてはいけない。自分がその犠牲にならないとの保証はないのだから。 -
戦艦大和 生還者たちの証言から
- カート
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試し読み
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戦艦大和 生還者たちの証言から
- カート
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試し読み
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Posted by ブクログ
「昔のいじめはひどくなかった」「現代のいじめは悪化している」という言説を全否定し、いかに戦争前後の時代のいじめがひどいものだったか、むしろいじめが醸成して発露しやすい環境だったかということを、数々の証言とともに分析したもの。「『いじめ』を意識して個々の事象を見つめ直すことで、戦争はいじめの孵卵器であることが分かってきた。タマゴには孵化するものがあれば、しないものもある。心の中に『いじめ』のタマゴを抱えている者がいるとしよう。そのタマゴは、平時ならばタマゴのままであるかもしれない。しかし戦争という極限状態におかれると、孵化率が格段にあがるのではないか。(略)戦時下の日常的なストレスがタマゴを温め、いじめという暗い命の誕生につながっていったことが分かる。戦争もしくはそれに準じる状況になったら、同じようなタマゴが孵化してゆくだろう。」(p.211)という著者の1人によるあとがきが言い得て妙で、おれも全く同じ感想を持った。いつかどこかで、「現代は世界史的に見ても安全な時代。昔は人間は他の人間に対しても動物に対してももっと残酷だった」というような話を聞いたことがあるが、古代とか中世とかそこまで遡らなくても、戦時中の日本は今の時代からすれば本当に恐ろしい時代なんだって思ってしまう。むしろこういう戦時中の状況を鏡にして今の状況を考えるということもできるかもしれない、と思った本だった。
個人の証言、いわゆる「オーラルヒストリー」を史料とすることの注意点も踏まえつつ、冷静に分析しようとしている著者の姿勢が伝わってきたのが良かった。それでもやっぱり証言の一つ一つは、どれも恐ろしいし酷いし、読んでいると胸が痛くなってくる。「暴力のハードルがあまりに低い」(p.26)例が数知れず紹介されるが、特にハードルが高い今から見ると余計に嫌悪感を持つ感じがある。でも、そういう暴力を受けたり目の当たりにして、「さぞ、配属将校の非人間性を批判しただろうと思われるかもしれない。しかし、そうではなかった。内心は傷つきながらも、それを、『軍人精神』に対する自らの未熟さ、甘さとして受け入れようとする姿勢が強かったように思う。」(p.27)という証言が説得力を持っていた。暴力が良い悪いとかそういう次元の問題じゃないないんだな、と思った。それよりももっと高次の、軍人精神、皇民、という、ある種の宗教的な観念が支配する時代、ということなのだろうと思う。
そしてこうしたいじめが起こりやすい組織と言えば軍隊だが、軍隊の人間組織の構造についての研究、というのが興味深い。「元コンゴ兵士を対象にした研究では、軍は兵士の身体を操作することで、軍に『再領土化』していくこととみてとれる。兵士は民間生活とのつながりを絶たれ、厳しい訓練や通過儀礼を与えられ、新たに軍事文化へと適応させられる。兵士の身体は軍事組織の所有物=領土となり、そこでは国家主義的なレトリックが多用される。お前たちの命は国家のものだ、国のために命を使え」(p.90)ということらしい。「国民の身体は天皇のもの」、「国に役立つ身体」(同)って、そんな発想すらおれにはなかったので衝撃だったけど、確かにある時代や社会や文化や組織にとってはこういう発想は自然なのかもしれないとも同時に思った。それから、新兵いじめのことをhazingと言う、ということは、昔一緒に働いていたネイティブの先生から教えてもらったが、これについても研究があって、発生率やいじめの種類についての研究がされているらしい。とにかくいじめや体罰がなくならない、秘密主義、権威主義、再生産、という構造的な原因があるらしい。「自殺率が世界一位だった日本」(p.96)というタイトルの章もあるが、軍隊の中での自殺はとても多かったらしい。「軍隊内でのリンチは公式には禁止されていたが、侵略戦争を遂行する残虐行為に無感覚な兵士を作るうえで必要なリンチだから半ば公然と認められていた」(p.112)という証言で、自殺者が少なくなかったこと、また単純にリンチによって殺害される、という事例がたくさん紹介されて、驚く。現代の各国でも、例えば韓国でも「軍人の死亡者数の65.6%を自殺が占めていた」(p.118)ということとか、今の自衛隊でも自殺事案があるとか、でもその構造故に「明らかにされるのは、氷山の一角」(p.119)とかあって、今とは全然違う昔の話、ということではないことも確認できた。「戦後の決まり文句の一つに、『国家のために命を捧げた英霊に感謝を』といったものがある。かような定型文での戦争語りの多くは、軍隊内での苛烈ないじめ死を想定していない。誰一人として、いじめを受けるために軍隊に入っていないし、ましていじめ死など望んでいなかった。それもまた国家のためになったのだなどとは誰も言えないだろう。」(p.117)というのは全くその通りだと思った。
色々ショッキングな話ばっかりだったけど、「2020年のアフガニスタン調査報告書では、新兵が上官の指示により、最初の殺人経験を得るために囚人や民間人を殺害していたことが判明した。これは『ブラッドリング(血を味わう)』と呼ばれる儀式であった。同様に、アジア・太平洋戦争では、新兵に度胸をつけるためとして、縛りつけた中国人らを殺害させる『刺突訓練』などの強要が見られた。」(p.114)という部分で胸が苦しくなった。そして、こういう経験を実際にすれば、PTSDがあるというのは分かるが、「戦争PTSDの特徴の一つは『晩発性』だ。つまり発症が遅い。」(p.194)ということがあるらしい。つまり直後は苦しまないけど、過去を振り返る年齢になった時、老いてから不眠になる、ということがあるらしい。
あとは、「結核は体質の『虚弱』な人たちから命を奪っていくので優生学的には歓迎すべきだという論調さえもあったことに触れ、徴兵制と優生学との緊密な関わりを整理」(p.94)した分析もあるらしく、こんなロジックを作れるのはたまたま結核にならなかった運の良かった人で、何と言うか優位に立つ者は平気で色んなことを言うだな、というなんか勝者の歴史が語られる過程を見るようだった。
それから教員のおれとして気になったのは、「道徳の教科化こそいじめを減らす」(p.33)という「研究成果よりも政治的好みが優先されてしまう」(同)という部分。ほんと嫌気がさすところ。2011年の大津市のいじめ事件は「文部科学省指定の『道徳教育実践研究事業』推進指定校で起きたものであり、道徳の授業後の休み時間でも激しいいじめが行われていた」(同)なんて知らなかった。こんなの教員免許の道徳教育の授業で教えた方がいいんじゃないの、とか思う。
単純にこういうのを読むと、もっと多くの人がやっぱり平和が良いと思うだろうし、逆に極限状態で、あるいはそこまででなくても同調圧力にとって人は本当に嫌な、残酷な人間になってしまうという可能性を知るという意味でも、読む意味がある本だと思った。(26/01/30) -
Posted by ブクログ
ガンカメラとは軍事利用される航空機に取り付けられているカメラだ。古くは初めて戦争に航空機が運用された第一次世界大戦時で、イギリス空軍機に設置されたものだ。その後1920年代には多くの軍用機でその運用が一般的になり、日本の軍用機にもカメラが取り付けられていたようである。これは戦果の確認や、パイロットの教育用として映像が利用されたが、その多くは永年保管する運用になかった事で、現存する撮影物は非常に貴重なものである。なお、第二次世界大戦時には機銃操作と連動して撮影がされるなど、技術面でも進化がみられていたようである。
本書はそうしたガンカメラ映像の新たに発見されたものを中心に、主には空から見た太平洋戦争といった内容になる。タイトルも「米軍戦闘機から見た太平洋戦争」、サブタイトルは「ガンカメラが捉えた空戦•空襲」となっている。前述したように、機銃操作との連動性から、写真の多くに、戦闘機が射出した弾丸が(主に左下あたりに)映り込んでいるものが多い。
本書はそうした写真群が中心ではあるものの、太平洋戦争開始当初からの、戦争の経緯や背景が時系列で説明されている。視点がアメリカ側であることは、当初は優位に戦線を拡大した日本が、サイパン陥落以降に徐々にアメリカに制空権を奪われ、更に後半に進むにつれて空襲被害写真がアメリカの優位を示すかの如く多くなっていく構成である。読み進める読者は空襲そして原爆投下などにより日本が確実にそして、避けられない敗戦に向けて衰退していく様を空から眺めることになる。単なる文章からだけでは伝わりにくい日本の被災の状況を写真から視覚的に認識する意味は何か。その意味を一枚一枚の写真から考えていくことには大きな意味があるものだと感じる。これまで多数の太平洋戦争関連書籍を読んできたが、私にとっては、文章を読みながら想像してきたイメージを更に上回る悲惨な状況として、改めて認識することができた。しかしそれは上空=上から眺めた優勢な攻撃側視点であり、その遥か下、地上には逃げ惑う民衆の姿がある。下から見上げた戦闘機の恐怖を本書の写真を見ながら同時に感じなければ、戦争は理解できない。
一枚ずつ写真を隅々まで眺めてみて、戦争が何を世界にもたらすのかを改めて考えてみたい。そうした意味では、後半に戦後のアメリカによる原水爆実験の写真を掲載した筆者の意図が何であったのか、読者は十分に考える必要があるだろう。 -
Posted by ブクログ
戦後79年経ったが戦争はまだ終わっていない。
原爆や沖縄戦の被害者のことは考えたことがあったが、東京大空襲や名古屋大空襲などの被害に遭われたことの人をあまり考えたことがなかった。なんたることと思う。
亡くなった方たちはもちろんのこと、命が助かったても怪我や火傷による障害が残ったり、両親を亡くして孤児になり苦労されたり、国によって起こされた戦争による被害は非常に大きい。それなのに何の補償もされていない。軍人・軍属にはあったのに。その格差を問題にし、たびたび裁判を起こすが、ことごとく敗訴。立法府の仕事だと判決でも言われるので、国会に請願するも全く進まない。年をとる。だんだん亡くなる人が増えてくる。
本にも書かれていたが「被害者が死ぬのを待っている」。
国というのは国民を見捨てるものだとつくづく思う。現在の状況を見ていても。無力感ばかりが募るが、この賠償請求を続けている方達は「未来の国民のため」とおっしゃっている。「新しい戦前」と言われる現在。国民はみんな一緒になって「国」と戦わなければいけないのではないか。
第2章の扉の戦災孤児の写真に心がつぶれる。何が「浮浪児」だ。親戚に引き取られた人たちも大変な苦労をされた。子供たちにこんな酷い目に二度と遭わせてはならない。 -
Posted by ブクログ
東京大空襲をめぐる補償の裁判についてが主軸となっている。
軍人と民間人との補償の差の理不尽や、防災法があり焼夷弾が降り注いだら消し止めることが求められており、大人が疎開することは許されなかった、ことなどが記載されている。
何故子供だけ疎開させて大人はもっと避難しなかったのだろう、と疑問に思っていたのだが、なるほど、そういう事情もあったのか、と初めて知った。
しかし「軍人と民間人とで補償に差があるのは人権問題である」「戦争はみんな被害にあったのだから我慢せよ、というのは理不尽で犠牲の濃淡で補償すべき」という理論は、心情的にはわかるのだが、行政側の立場もまたわかるなあ、と思う。
国として成り立つためには、どうしても「軍」が必要で、であるならば軍務による死傷を国家として補償すうるのは当然である。民間人と同じ補償にしてしまっては、いざというとき人が集まらなくなるのでは、と思ってしまう。また、補償の濃淡を決めるにしても戦争という極限状態で客観的データを求めるのは難しく、けれど本人の証言のみで補償するのもまた難しい。などと考えると、なかなか国として補償に動かなかったのもわかる。実際沖縄戦でも3人の目撃者証言者がいるいないで補償が受けられる受けられないが分かれてしまって、溝が生まれているし……。
そういう点で、実際に四肢欠損などの身体障害&補償開始時点での生存者のみというのは妥当な落としどころに感じ、ぜひ東京大空襲の補償が実現してほしい、と感じた。