あらすじ
夏の集中的な戦争報道は「八月ジャーナリズム」と揶揄される.しかし著者はそれを1年中,20年間行ってきた名物記者.なぜ80年前の戦争についての報道が必要なのか,戦争体験者がいなくなる中でどんな意義があるのか.世界が不安定化する中,戦艦大和,シベリア抑留,硫黄島遺骨収容などを例に改めて戦争報道の意義を伝える.
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Posted by ブクログ
「一年のうち8月だけ、戦争について考えることでいいのだろうか?」
「戦争被害に『節目』はないからこそ、発信し続ける意味がある」
と表紙に書かれている。
「8月ジャーナリズム」・・・8月に戦争に関する報道が集中すること。「8月が近づいてきたから、戦争に関する本を意識的に読もう」と思っていた。
本書で著者は書いている。
「戦後」とは何か。一般的な常識としては、「戦争が終わった後」ということだろう。しかし、戦争は本当に終わったのだろうか。
戦闘は、80年前に確かに終わった。だが、戦争被害は、終わらずに今も残っている。
「戦闘」は終わった。でも、「戦争被害」は残っている。この言葉にハッとしました。「戦争被害」が残っていることは、戦争に関する本を読めば分かる。でも、著者のようにそこまで思いを馳せることが出来ていなかった。
戦争に関する本を読んだり、話を聞いたりするのはしんどいことだと思う。苦しくなるから。でも、愚行を繰り返さないためには、必要なことなのだと思う。
「戦争なんてとんでもない」民意の広がり。それが戦争の抑止力になるはず。その著者の信念に、私もそう思います。
8月だけに限らず、関する本を読んでいきたいと思うし、ジャーナリズムも発信してほしいと思う。
Posted by ブクログ
「八月ジャーナリズム」という言葉がある
聞いたことがある人、ない人、様々だと思うが、内容はなんとなく想像できるのではないだろうか
広島、長崎の原爆投下、玉音放送(終戦記念日)があり、お盆という死者を偲ぶ季節柄と相まって、毎年風物詩のように8月に集中し、繰り返される戦争報道を揶揄して使われる言葉
筆者は毎日新聞の記者であり、長年戦後賠償や戦没者の遺骨収容について取材を続けている栗原俊雄さん
本書は栗原俊雄さんの「八月ジャーナリズム」に関する、やや否定的な姿勢からスタートする
自らを「常夏記者」と称し、戦争報道はいつでも必要だとのスタンスで取材を続けられている
「八月ジャーナリズム」に対しては主に3つの意見に集約されると思う
①八月に限らず常に報道すべきだという否定的な意見
②もういい加減報道自体終わらすべきだ、いつまで戦後だ!というこれも否定的な意見だが①とは百八十度違う
③八月だけでもしっかりと「非戦」を考えることには意義あるとするやや肯定的な意見
(無関心というのも意見と認めるなら4つ?)
自分は①よりの③の意見
常に考えようというのは理想だけど、例え風物詩化していたとしても、それはそれで意義のあることだと思う
栗原俊雄さん自身も、①から③へ論調が変化しているように感じました
みなさんはどの様に感じるでしょうか
そして本書の中で印象的だったのは、「語り部」は「聞き手」がいなければ、その存在足り得ないという話
そして、まだまだ「語り部」が残っている今、「聞き手」としての役割こそが今の報道に、より求められているのではないかというところ
全くその通りだと思う
そして八月に限らず、その語りを届けてほしいと願います
Posted by ブクログ
毎日新聞の栗原俊夫記者による「戦争は絶対に起こさせない」という強い気持ちがこもったブックレットだ。著者は「一年中八月ジャーナリズム=常夏記者」と自称している。そう、新聞やテレビは毎年8月になれば戦争に関する報道が多くされるが、報道されるべきものは8月だけでは足らないということだ。戦闘は80年前に終わったけれど、戦争の被害は終わってはいなく「未完の戦争」が続いていて、決して昔の話ではないと述べられている。