工藤幸雄のレビュー一覧
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ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムによる『架空の書籍』の書評集。
本の内容を個別のパーツにばらして、ひとつひとつを解説・批評することが書評のおもしろさだとすれば、架空の本の書評はそもそも「全体」がないのに「一部」だけを切り取って摂取することになってまずその経験自体が奇妙で楽しかった。
それを前提に、この本は架空の書評をするというアイデアを超えてすごい。ひとつひとつの「架空の書籍」につぎ込まれている想像・思考が尋常ではない。
『新しい宇宙創造説』『とどのつまりは何も無し』『生の不可能性について/予知の不可能性について』など、いくつの分野でどれだけの教養を蓄えたら書けるのかちょっと想像もつかない。哲学や物理学、文学すべてに精通していなくては書けないと思う。
本を書く時、まずアイデアがあって、それを小説や論説文にするための「梱包作業」がある。「梱包作業」は読者がページを繰るのを止めないような仕掛けを入れたり、起承転結をつけたり、そのアイデアが存分に発揮されるための伏線を張ったりする作業。
「完全な真空」では架空の書籍の紹介により、その梱包作業を放棄してアイデアという甘い果実のみを読者に食べさせている。
難解だがとてもスリリングな知的体験で、贅沢な読書だと思った。 -
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前年、岩波文庫から出ているのを読んだ。
その解説において、「サラゴサ手稿」には複数の異なるヴァージョンが存在している、とされていた。
この工藤幸雄による邦訳は、その「異なるヴァージョン」のひとつ、ということになる。
岩波文庫版の方の記憶はそれほど鮮明ではなく、また細かく比較して読むような手間を(今のところ)かけられていないが、違っているな、という点はいくつかあった。たとえば、この創元ライブラリ版で少し登場した「さまよえるユダヤ人」やそれにまつわる部分はまるっきり覚えがなく、同じ箇所を見比べてみるとたしかに、岩波文庫版からは、その部分がまるっと抜け落ちていた。
あるいは、数学者ってこんな早くから登場してたっけ? と思い岩波文庫版を見てみると、そちらでは下巻あたりでようやく、といったところで、物語の順序にも違いがある。
とまあそんな具合に、内容として異なる部分がちょいちょいある。
内容の違いだけでなく、訳文の違いもまた、岩波文庫版を読んだ人にとっては楽しめる部分だと思う。こちらは、もともと世界幻想文学全集(だったっけ?)に出た抄訳から始まっているからか、全体的に、外連味がある文体となっている。冒頭の部分なんか、まるっきり別物で、いい雰囲気を出している。
とはいえ、より広い読者を対象とした読みやすさでいえば、岩波文庫版に分がある。
「異本である」という点を抜きにしてもちゃんと棲み分けはできそうな感じだし、両方とも読んで飽き飽きするものでもないだろう。 -
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読むのに1ヶ月近くかかってしまいましたが,なんか,すごいものを読んでしまった.
「事典」のタイトルの通り,五十音順で見出しが並べられているのだが,それぞれは幻想短編で,全部読むと全容がわかるという構成.しかも事典なので,各国版で並びが違うはずなのだが,それでも全体が一冊の書として成り立つ,という不思議な構成.ああ,この不可思議さは1/100も伝えられていないんだろうなあ.
自分も混乱しているので,巻末の索引を使いながら再読する必要がありそうだ.
てっきりハザールは著者の創造の産物かと思っていたら,訳者あとがきの冒頭が「ハザールの首都発見」で,「?????」となる.実はハザールはかつて実在し,ユダヤ教に改宗したというのも真実だ,と.色々と不思議すぎる・・・・・ -
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再読。一気読みするとミステリーとしての構造がはっきりと見え、初読時よりエンタメ小説らしく思えた。読み終えてからも各項目の読み直すのがまた楽しい。
前回はあまりに東欧について無知だったが、マイリンクの『ゴーレム』やストーカー『ドラキュラ』の想像力が生まれてくる風土を頭に入れて読み返せば、惜しげも無く詰め込まれた奇譚の豊かさにクラクラする。アテーと鏡の話、人生の一日を閉じ込めた卵の話、天使と契約して聖画を描く悪魔の話、亀の甲羅に文字を彫ってやりとりする秘密の恋人たちの話など。特に妖婦エフロシニアに捧げたドラキュラオマージュの長詩は美しい。
また一気読みしてキリスト教(ギリシャ正教)、イスラーム、ユダヤ教、それぞれの資料の読み味の違いがよくわかった。キリスト教資料は幻想味が強く、物語として面白いものが多いが客観性に欠ける。イスラームの資料は神秘主義的な言い回しをするが、最後まで読んでからまた戻るとヒントの多い章。ユダヤ教の資料はカバラ主義的であると同時に歴史記述意識が高く、比較的客観的な目線で書かれていると思う。
史実ではハザールの王室はユダヤ教に改宗したとみなされている。本書では改宗の謎は謎のままだが、国が消滅し他者が見る夢のなかを転々として生きるハザール人は、セルビア人のパヴィチの手で、同じようにアイデンティティをめぐる争いに巻き込まれた人びとの抽象的なアイコンになったのではないかと思う。
辞典形式、広く言えばカタログ形式の小説は今じゃそう珍しくないけれど、やっぱり完成度でこの作品を凌ぐものには巡り会えそうにない。 -
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レムの生誕100年の年だとのことなので、レム祭り再開。
とはいうものの、レムを読むには知力、気力、体力が必要でお酒を飲みながら気楽に流して読むことはできないのです。仕事で疲弊していたころは気力がなくて読めなかった作品群も今ならば!と取り組んだ次第。いや〜、さすがレム。架空の本の批評を作ってそれをまとめた体裁で序文を書くという二重三重の仕掛けがあるうえ、架空の本そのものが、AIをテーマにしていながら神への信仰にまで言及するものから、新しい宇宙創生理論にいたるまで脳味噌痺れるテーマを暑かったものですが、どれも読んでみたいものばかり。
レム氏に実際に書いてほしかった。 -
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非常に新鮮な読書体験だった。周知の通り、本書は「存在しない本に対する書評集」という、一風変わった内容である。そのコンセプトに惹かれて手に取ったが、架空の書評というアイデアのみならず、一編一編の書評も読み物として大変興味深かった。物語を書くということに対して、「そういうアプローチがあったか!」と膝を打った回数は数知れず、無数の示唆に富んだ一冊だったと思う。
読んでみて思ったのは、「書評集」というよりは、存在しない本のストーリーラインの要約や根幹となるアイデアを示すという趣が強いなということ。他者の批評を引き合いに出して、問題点や要点を論じる形体を取ってはいるが、その小説の大まかな流れを説明することに、決して少なくない頁が割かれていた。
現実には存在しない事象、理論を下敷きとした執筆された書物に対する書評、という体裁をとったものが幾つかあるが、これらはつまり、書評を通じて別の世界を描き出しているとも言えよう。そういう意味では、SFっぽさもところどころ感じられた。その世界に存在するテクストを通じて、世界や物語を描写する、という展開の仕方から、読み味としては、書簡小説に似ているかも知れない。
最後の数編はやや難解で、十分に理解できたとは思えないが、面白く読めたことに間違いはない。突飛なアイデアを包含する本は数あれど、これほどバラエティ豊かなものを、ぎゅっと凝縮して読むことのできる本はそうあるまい。 -
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ネタバレ一ヵ月ほどかけてじっくり読み切った。
「石蹴り遊び」は子供の頃に読んだ本遊びだが、本書は事典の体裁。
ただし単なる思い付きや目くらましではない。
同じ唯一神を源流とする三つの宗教がいわば視点を成すので、並列することで大いなる相対主義を宣言するもの、
といえば仰々しいが、対立を笑い飛ばしてしまえる機構になっている。
実際各項目内の奇想を辿るだけでも愉しいし、色違いで比較すればするほどに切り口の違いが面白い。美味しい。
さらに時代を貫く生まれ変わりの物語はロマンチックでありミステリアスでありリリカルでもある。
ぜんぜん凶悪でも陰惨でもない悪魔の存在が素敵。
まえがき、付属文書、あとがきで全体像を把握してからがおすすめ。 -
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歴史上実在した民族ハザールに関する事典——の体裁をとった、奇想天外な小説。どこから読み始めても、途中で読み終えても、何語に翻訳されても成立するというポストモダン的な構成。
各項目はキリスト教/イスラーム/ユダヤ教の三つの観点から解説されているが、相互に補完するようでなぜか食い違う内容。奇人変人どもによる奇談珍談の数々を読み進めるうちに、夢と現実/虚構と史実といった区別だけでなく、前後・上下・左右といった方向感覚までも惑わされるよう。あらゆる決まり事や価値観など相対的、こだわるなんて馬鹿らしいぞ——作者のいたずらっぽく笑う顔が思い浮かぶ。小説でとことん遊んでいるようだ。 -
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7-10世紀にコーカサス地方に実在したハザール国についての、架空の事典という形式を取ったいわば事典小説。
ハザール国の国教を巡って争ったキリスト教、イスラム教、ユダヤ教それぞれの事典が掲載されており、各々の視点で、9世紀の国教を巡る論争、17世紀の事典成立のエピソード、20世紀のハザール研究について記す。
どの説が真実かはもちろん藪の中状態、さらにハザールの古の教えが夢と深い関わりがある設定のため、文章が良く言えば幻想的、言い方を変えれば非論理的なので何がなんだかわからなくなってくる。
しかし、事典の各項目が幻想的/非論理的で様々な物事を扱っているため、現代美術の美術展に迷い込んだような読後感があった。 -
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いやー、脳みそ疲れたー。(※鴨注:心地よい疲れヽ( ´ー`)ノ)
「架空の書籍を対象とした書評集」という、何をどうしたらそんな発想が出るのかというぐらいメッタメタにメタな作品なわけですが、ボルヘスが先鞭を付けているそうですね。文学の世界は奥深いよ・・・。
架空の書籍の構成を考え、さらにそれを評価する筋道も立てる必要があるという、面倒くさいこと極まりない構造をしていますが、虚心坦懐に読むとこれがなかなか面白い。特に、前半の小説パートは、こんな本が本当にあったら是非読んでみたい!と思わせる、エキサイティングで冒険的な作品が並んでいます。「親衛隊少将ルイ十六世」と「ビーイング株式会社」は、鴨も是非読んでみたいです。
一方、後半の論文系の作品に入ると難易度がぐっと増し、読み進めるのがかなり困難に(^_^;小説パートはとりあえず脳内にビジュアル・イメージを浮かべることができればついていけますけど、論文系は読む方もがっぷり四つに組んで自分の論理回路をフル稼働させないと、何が何だか分からなくなりますからねぇ(^_^; 正直、半分ぐらいは流し読みしました。でも、「生の不可能性について」「予知の不可能性について」の2冊組(も何も、存在しない本なのだからなーにが2冊組だって感じですがヽ( ´ー`)ノ)が面白かった!最後の最後に披露される、論理的どんでん返しの鮮やかなこと!
20代の自分、よくこれをハードカバーで読む気になったよな、としみじみ思いますヽ( ´ー`)ノ脳味噌を柔らかくするツールとして、オススメです! -
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文庫化されて飛びついた、
架空の本の書評群という体裁のメタフィクション短編集
『完全な真空』(1971年)。
順序が逆で、後から刊行されていた《実在しない未来の本の序文集》
『虚数』(1973年)を先に読んだので、
多分ついていけるだろうと思って(笑)。
収録は全16題。
■完全な真空
ワルシャワで出版された
スタニスワフ・レム著『完全な真空』の書評
(という触れ込みの文章)。
■ロビンソン物語
パリで出版された
マルセル・コスカ著『ロビンソン物語』の書評
(という触れ込みの文章)。
■ギガメシュ
ロンドンで出版された
パトリック・ハナハン著『ギガメシュ』の書評
(という触れ込みの文章)。
■性爆発
ニューヨークで出版された
サイモン・メリルの長編小説『性爆発』の書評
(という触れ込みの文章)。
■親衛隊少将ルイ十六世
フランクフルトで出版された
アルフレート・ツェラーマンのデビュー作である
長編小説『親衛隊少将ルイ十六世』の書評
(という触れ込みの文章)。
■とどのつまりは何も無し
パリで出版された
ソランジュ・マリオ『とどのつまりは何も無し』
の書評(という触れ込みの文章)。
■逆黙示録
パリで出版された
ヨアヒム・フェルセンゲルト『逆黙示録(ペリカリプシス)』
の書評(という触れ込みの文章)。
「逆黙示録」は創作活動という無駄(!)に
与しない者が助成金を受け取れる世界で、
あらゆる創造に対する控除額の一覧を提示する。
現代のある種のSNS上での投げ銭システムを予見し、
皮肉を投げかけているような気がした。
■白痴
ミラノで出版された
ジャン・カルロ・スパランツァーニ『白痴』の書評
(という触れ込みの文章)。
■あなたにも本が作れます
Universal社が著作権の消滅した古典文学を解体して
素材とし、どなたにもお好みの本が作れます、
という触れ込みで販売したDIYキットについて。
「超ミニ短篇小説を各家庭の即席文士が作って、喜んでいる」(p.161)
とは、まるで、現代のツイート文化を40年以上も前に
予見して皮肉っていたかのよう。
■イサカのオデュッセウス
アメリカ人の作家、クノ・ムラチェ著
『イサカのオデュッセウス』の書評
(という触れ込みの文章)。
■てめえ
パリで出版されたレイモン・スーラ『てめえ』の
書評(という触れ込みの文章)。
■ビーイング株式会社
ニューヨークで出版された
アリスター・ウェインライト『ビーイング株式会社』
の書評(という触れ込みの文章)。
コンピュータを使ったマッチングによって、
あらゆる事象を意図的に作用させられるようになった
――という一種のディストピア小説
「ビーイング・インコーポレイティッド」について。
■誤謬としての文化
ベルリンで出版された
ヴィルヘルム・クロッパー『誤謬としての文化』の
書評(という触れ込みの文章)。
■生の不可能性について/予知の不可能性について
プラハで出版されたツェザル・コウスカもしくは
ベネジクト・コウスカ教授が物した全2巻の
『生の不可能性について/予知の不可能性について』
の書評(という触れ込みの文章)。
■我は僕(しもべ)ならずや
アーサー・ドブ『我は僕ならずや』の
書評(という触れ込みの文章)。
ペルソナ(人間)とゲネティカ(創造)を合わせた
「パーソネティクス」という名で呼ばれるプログラムの住人、
人間に似た「パーソノイド」
――恐らく今日AIと称されるもの――について。
■新しい宇宙創造説
アルフレッド・テスタ教授による
ノーベル賞受賞時の講演のテキスト
(という触れ込みの文章)。
特に面白かったのは「親衛隊少将ルイ十六世」と
「てめえ」(笑)。
前者はナチスの元親衛隊将校ジークフリート・タウドリツが
第二次世界大戦後、アルゼンチンへ逃れ、
パリシアと名付けた奥地に王朝を築く――という、
コンラッド『闇の奥』を想起させる筋立ての小説評。
実在するなら是非読んでみたいと思ってしまった。
後者曰く、作品の原題はフランス語「toi」。
著者レイモン・スーラは作中で読者に語りかけるのではなく
“読者について”語ろうとしたのだと述べる。
野心的なアイディアではあったが、その試みは失敗に終わった、
何故なら著者が成し得たのは
アクロバティックな言語上の曲芸に過ぎなかったから。
書き手の読者に対する反乱の形式は
沈黙以外にあり得ないのだと、評者は語る。
いずれにしても、訳者の一人、
沼野充義先生の解説にあるとおり、
レムは架空の書物を書くことで、
作家と批評家という二つの相反する精神を結合させたのだろう。
作中に《書評家》の意識が織り込まれることで成立する
メタフィクションの魔術を堪能した。