「平家物語の中から好きなエピソードを2-3言えるようになりたいなぁ」と今更。
読むのに躊躇するような難しげな本、そんな時には私の心の友、ビギナーズクラシック。
日本で教育を受けた人ならまず全員諳んじることが出来るあの冒頭から。
普通はこんなオチを最初に持ってきちゃいかんのだろうけどこの話を「聞く」
...続きを読む人達は最初から人生の「あはれ」「無常」をドラマティックに聞き入るのが目的だからリズム良く物語のテーマから始まることで話の中に連れていく感じなのね。「鐘の音」「花の色」そうね、なんだか目が開いてるのに白昼夢を見るよう。暗く広い部屋、和蝋燭、琵琶法師の声。これは異世界に入る呪文的な?
この年までその感覚がわからなんだわ。
巻第一
祇王と仏御前がいいねぇ。特に仏御前。外国にも勿論こういう「権力者の庇護から自らの意思によって(命の危険とかじゃなくて人生の虚しさのため)逃げ去った女性」の物語ってあるんだろうけど、一応これってノンフィクションだもんね。日本でも女性は極めて激しく差別されてきたし現在もとんでもないレベルで続いているものの、こういった女性の哲学による行動(しかも日本最高レベルの生活を捨てる)ことがあるのもまた不思議。
巻第二
重盛かっこよ。中国宮廷や英国王室、ギリシア神話に至るまで「暴君の息子がマトモ」「賢帝の息子がクズ」ってのはあるけれど、ここでも清盛のヤバさと重盛がクリアな対比を見せて物語にエッジを与えてる。にしてもさぁ。世界中の人間はこうやって「親と子は似てるけど親子だからと言って頭の中身や品格まで似るわけじゃないで」と神話伝記故事物語を通じて教訓を残してくれているのになぜボンクラ世襲議員に投票(以下自粛
巻第三
鬼界島に一人取り残される俊寛。その暴れる様は喜劇的な悲劇。重盛の自殺のような神託。中国への大金送金と永代供養依頼。
こういうのって日本人の宗教観を表してるように思う。神罰はあるんだけどその神仏に仕える人達がことごとくろくでなしのクズ。神仏は恐れても宗教家は同じ人間だと。一神教ではこんな宗教家の堕落した姿や武力行為を物語として一般市民(信者)に聞かせられないですよね。
更にオモロいのは重盛が東山に建てた荘厳な仏堂。38基の灯籠(ここまではいい)、念仏を唱える美人尼の集団の配置。え?美人尼?
ここもとても日本的。尼さんが美人であることがプラスに働くような宗教観。全てファッション感覚でとてもいい。これなら欧州から宣教師が来て日本侵略を企ててものらりくらりとやり過ごせるでしょう。だって遊びでやってるもん。何もかも。笑
巻第四
渡辺の源三競の滝口(摂津の渡辺党、源氏の三男、名は競きおう、滝口の武士)エピ。こういう「相手をコケにした仕返し」って好きだよね。人間って。
三井寺の対等な態度が気に入らない延暦寺。奈良の興福寺はOK。この辺も平家物語を聞く一般大衆に「宗派が同じか違うかなんてことは政治的な問題を下回る些細なこと」という印象を植え付けるだろう。やはり現代に繋がる「ファッション宗教」を感じられてとてもいい。
巻第五
不吉エピを散りばめて不穏な空気を演出。これから起きることが神罰で、運命で、逃れられないことを再確認するような章。
当時の人達、というかつい最近まで、人間は運命宿命天命によって生かされてますっていう自覚だっただろうからこういうストーリー展開はさらに効果的だったのかも。あと音楽。この時の琵琶法師はどんな感じだったんかな。イミテーションゴールドのイントロみたいな?おどろおどろしい感じ?
巻第六
清盛死去。熱病(マラリア、もしくは瘧)の描写が素晴らしい。
巻第七
都落ちの平家一門。清盛の血を引く者をそれぞれ短く触れていく。清盛の弟忠度(ただのり)都落ちの際、歌の師匠俊成(しゅんぜい)に「戦後選定御下命あれば」と自らの秀歌百余首を託す。「千載和歌集」には「ささ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」が。但し天皇のお咎めを受けた人間なので「よみ人しらず」の一首としてのみ。
牽制を誇った人間でも朝敵となったからには歌だけ残り名前すら残されないこの無常感。平家物語の中のミニ平家物語マトリョーシカ。伝えたいのはひたすらの無常。
巻第八
九州から四国に逃げ移る平家、威風堂々と法皇の使者を迎える頼朝、京都での木曽義仲の横暴な振る舞い。西、京、東に分断されたような日本の様子。個人的ツボは頼朝が法皇使者にやり過ぎなほどのお土産を持たせるところ(各宿場にも食べきれない米プレゼント)と、大蛇の子孫と伝わる九州豪族の緒環のくだり。頼朝のやり方は現在も多くの権力者が行う「やり過ぎ太陽政策(威圧)」緒環はまんま「古事記活玉依姫(通い婚って言えば聞こえはいいけどただの犯罪)」
巻第九
所望した馬がライバルに与えられていたことを知った際の男特有の根深く嫌らしい嫉妬から始まり、最後は徒歩一番乗りで笑いの緩みを作った後、主従二騎で挑む最期の一戦木曽義仲と兼平、平忠度、美少年平敦盛と熊谷直実の話などが続く。この緩急。漫才であれ恐怖映画であれ「緊張と緩和」が物語に味と厚みを持たせる。木曽義仲兼平との対比で重衡盛長、親の知盛を庇って息子二人が死んだことに恥いって号泣するなんてのもいい。
忠度も敦盛もお歯黒や笛などが東方武士にはあり得ない高貴さの証となって討たれてしまうんだけど、その高貴さも京都の公家に番犬扱いされたコンプレックスの爆発の結果というか仕返しだったわけでねぇ。
徒歩一番のくだり、敵味方の笑い声が響いたとある。ここで解説の短文もいい。「平家物語の思想はは無常感というがここには陰陰滅々としたものは皆無。そもそも無常をはかない人間の死とするのが間違い。無常は陰陽明暗の対立を対立のまま包み込む、広く大きな人生の知恵だから。」
ちょっと勝手に打たないでよ。こころ。
巻第十
入水自殺する平維盛。頼朝の命を救った恩人筋は特例として助けられる。個人的ツボは鎌倉まで引っ張られた平重衡に頼朝が遊女をあてがうところ。あとここだけではないけれど「美貌の夫人」や「光源氏と謳われた美青年」など容貌についてのこだわりが強い。物語に引き込むためのエッセンスだと言えばそれまでだが、やはり美形でないと悲壮感も出ないし感情移入も出来ない。
巻第十一
那須与一の神技(数十メートル先海上船の扇を射抜く)、壇ノ浦合戦、安徳天皇入水、能登守教経(清盛甥)の最期、新中納言知盛(清盛四男)の最期「見るべきほどの事をば見つ」
平家物語のクライマックス。
パッパラパーの私が知らなかった事。
その1。安徳天皇を抱いて三種の神器と勝手に入水自殺する二位殿(祖母)。有名な「波の底にも都の候ぞ」の前に「この国は粟糞辺土と申して物憂き境にて候」と日本自体を辺境とし海底の極楽浄土を目指していること。(だとしたら最期の言葉は要らないのではとは思うけどまぁここが泣かせのキラーポイントかな)
その2。二位殿は「伊勢神宮に挨拶を」としているけれどもその天皇が伊勢神宮に参ったのは280年ほど無かったと前述されている。大事なのは分かるけどその割に行かなすぎなのでは?京都伊勢でしょ?行けるよね。
その3。「義経の八艘飛び」が戦うための能動的跳躍ではなく消極的逃走跳躍であったこと。
その4。最期を悟った総司令官、新中納言知盛の平家女性陣に対する自棄っぱちブラック下ネタ。
「珍しき東男こそ、御覧ぜられ候わんずらめ」
解説にもあるけど二位殿やりすぎ。
どう考えても安徳天皇は助かったはず。
その5。(日本武尊の)草薙剣だけが海底から見つからないのは素戔嗚尊が退治した八岐大蛇が生まれ変わって安徳天皇となったからだと噂されたこと。
巻第十ニ
義経の都落ち。平家嫡流六代の処刑による平家本流滅亡。(一回は助かるんだけどね)
平家物語おもろいですねぇ。
てか800年以上前とはいえ、こんな闘い方してる我々は他国との戦争は絶対に避けないといけませんねぇ。