シャーリイ・ジャクスンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
独善的な父親と人生への希望を失った母親の元に生まれた空想好きな少女ナタリー。
ナタリーは両親との暮らしから離れ、大学の女子寮に入る。
やっと両親から解放されたと悦ぶのも束の間、同級生や上級生に戸惑うことになる。
ありがちな成長物語かと思いきや、どことなく様子が異なる。
文章に多くのメタファーが隠されており、読み方次第で解釈も膨らんでくる。
そこばかりに気を捉われると、物語そのものを見失ってしまいそうになる。
こう書くと難しい印象になってしまうが、特に難しい問題を提起しているわけではないため、普通に読んで気づけばそれで良いし、気づかないならそれはそれで問題ないと思う。
物語全体に比喩暗喩が多いため、幻想的な空気が漂っている。
好みは別れる作品かもしれない。
わたしは正直に言うと、そこまで作品の魅力に浸れたわけではないのだが、他の作品はどうなのかという興味は覚えた。
解説で深緑野分さんが、『ジャクスンの作品に惹かれる者は、魔術に憧れているか、魔女見習いであり、あるいは本物の魔女である。』と書いており、そうなのかもしれないと感じたため、恐らくわたしは魔女に憧れていないし、魔女見習いでもなく、もちろん魔女でもなかったということだろう。
主人公ナタリーは17才。それくらいの年頃は、自意識が過剰であるのに自己肯定感が乏しく、理想と現実との乖離に戸惑い悩み、腹立たしく感じるものだと思う。
そういう少女が親元から離れるということは、とてつもない大事件であり、環境に上手く適応できないことも多い。
そういう少女の様子が、作者の文章によって効果的に描かれていると感じた。
ナタリーがやっと出会えた友だちと感じたトニー。
彼女は本当に存在していたのか。
トニーはナタリーの一部、または理想の具現化ではないのか。
そう考えたほうが、ラストへ無理なく繋がるように感じた。
この作品は読むたび、読む時期によって見えてくるもの思うことが変わってくるだろう。
読者自身の成熟度がわかる作品というものは面白いと思う。
暫く経ってから、わたしがこの作品から何を読み取るのか楽しみではある。
こうして献本で、自分では買ってまで読まない作品に出会えることは本当にありがたい。
生きていれば、この先まだ多くの作品を生み出したであろう作家シャーリー・ジャクスンを知ることができて嬉しい。他の作品も探して読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
シャーリイ ジャクスンの短編集。
何気ない人々の日常のひとこまが切り取られているが、そこはシャーリイジャクスン、悪意や皮肉で味付けされている。
印象に残っているのは、「なんでもない日にピーナッツを持って」散歩しながら、出会う人々に善行をほどこしていく夫。家に帰ると妻が…。彼女は悪意ある行動をしてきたが、明日は交代してほしいという。
「悪の可能性」
近所の人たちに悪口を書いた手紙を投函し続けていたミス ストレンジワース。最後に思いがけないことから、その悪事がバレる。
「メルヴィル夫人の買い物」
普段から行き付けデパートのクレーマーになっている巨漢のメルヴィル夫人(42号サイズ❗)その彼女が、やせて小柄な悪女に引っ掛かって買い物に失敗する話。 -
Posted by ブクログ
・シャーリー・ジャクスン「なんでもない一日」(創元推理文庫)は あの「山荘綺譚」の作者の作品集である。私はこの人を「山荘綺譚」一作だけでしか知らない。48歳で亡くなつたといふから、早死にとは言はないまでも、作家として活躍した期間は短かかつたのかもしれない。本書は死後に発見された作品も含めて、彼女の子供達が新たに編集した作品集の抜粋である。「原書はこうした経緯で編まれたこともあり、作品の完成度にはどうしてもばらつきがありました。」(403頁)と「訳者あとがき」にある。そこで厳選した作品でできた のが本書である……はずなのだが、個人的には特に前半の作品の出来が良くないと感じる。私にはおもしろくないのである。敢へて言へば駄作の類かとも思ふの だが、それはもしかしたら「今まであまり知られていなかった、ジャクスンのさまざまな面を紹介できるように気を配りました。」(同前)といふ訳者の配慮に関係することであるのかもしれない。いづれにせよ、出来が良くておもしろく、かつシャーリー・ジャクスン的と言へる作品は後半に多くある。これまで知られ てゐない、紹介されなかつたといふのは、作品の出来によるのではないかと思つてしまふ。実際のところはどうなのであらう。
・「アンダースン夫人」は夫婦の物語である。夫が毎日決まつて口に出すいくつかの言葉を夫人が気にするといふ物語、しかしそれが高じるとどうなるか、これが問題である。そこに至るまでの神経質な、いや、ある意味病的な展開がおもしろい。あるいは恐ろしいと言ふべきか。「城の主」は正統的(?)ゴシック譚である。ヨーロッパ中世の若き城主の物語、魔術らしきものも絡んでゐる。ポイントは異母兄弟の出現である。これにより主人公は村人への仇討ちの実現を思ふ。 しかし、それが逆に己の破滅を招いて、父と同じ運命をたどらせることになる。たぶんよくある類の物語と言へる。最初からいかにも胡散臭さうな異母兄弟である。連れてきた女との関係も当然さうなるであらうといふ類のものである。そんな中での主人公の破滅の原因が父同様のものであつたといふのはおもしろい。 「店からのサービス」は上記二作とは異なる物語である。簡単に言へば、店員が客に代金をごまかされるといふ物語である。客の男が盲目であつたといふのがポイントで、実際にかういふことはあるかもしれないと思はせる。こんなチンピラの話も書くんだと思つてしまふ。「貧しいおばあさん」もこんなのをといふ物語である。第二次大戦中の食糧不足時代なのであらう。肉を買ひに行つた婆と孫が無事に肉を買ふまでの物語、婆と孫の皮肉な会話がおもしろい。「メルヴィル夫人の買い物」は現在ならクレーマーの物語といふことになりさうである。それも目的を達成できなかつたクレーマー、こんな女がゐるかもしれないと思はせてくれる。実はこれらの作品の発表誌は『チャーム』『マドモアゼル』『ニューヨーカー』等であつた。雑誌の雰囲気に合はせて書かれたらしい。これらは女性とし て、主婦として、更には母としてのシャーリー・ジャクスンの作品なのであらう。「山荘綺譚」とは異なる種類の物語である。これらにつながるかもしれない最後の5編のエッセイも主婦、母として書いてゐる。これが「山荘綺譚」の作者かと思はせる内容と書きつぷり、読んでゐて楽しい。もしかしたら母として本当に 心配しながら、それをユーモアで包んでこれらを書いたのかもしれないが、それなら彼女は名文家だと言へる。「訳者がとりわけ気に入っている」(405頁) と最後にあるこれらのエッセイはこの作品集の目玉であらう。これだけでも楽しめる作品集である。