シャーリイ・ジャクスンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
人生ベスト入り作品に出会ってしまった。アルケミストとか遠い声、遠い部屋に並ぶくらいの感情を今抱いてる。
あ〜〜〜この作品を表現するための語彙力がないのが悔しい!!!!
信用できない語り手によって語られる、この2人の世界からしか見えない閉ざされた“お城”の中の世界の美しさ。その世界は狂っていて、恐ろしくて、暗くて、静かでとても美しい。その一方で、その外界には、普通で、明るくて、うるさくて醜い世界が広がっている。
幻想的で独創的な美しい表現と2人だけの秘密をずっと垣間見ているドキドキに何度も鳥肌がたった。そして絶妙に予想できない展開にもずっとわくわくさせられた。
メリキャット、コンスタンス……この愛おしさ言葉にできない……なんか激重感情。いつかちゃんとした言葉で残せるといいな
この作品なぜかホラー小説ってカテゴリに入れられてるみたいで、そっち系の読者のすごい客観的な冷めた視点で読んでる感想何個か見たんだけど、うーーん
これってもっとメルヘン小説(っていうのかな)というか幻想的で童話に近いような…そんなタイプの物語だと思う。そこにちょっと怖い要素が入ってるのが最高なの。童話もそうでしょ?
最近私生活これしかなかったけどそれはそれで濃厚で幸せだったかも。ページの写真で埋まったカメラロールすらも愛おしい。
「あたしは魔法の言葉を忘れない。メロディ、グロスター、ペガサス」
「いつかあたしは夏の芝生の上の朝ごはんになるの。いつかあたしはろうそくの火に照らされた正式なディナーになるの。いつかあたしは──」
「メリキャット、わたしとても幸せよ」
「月の上が気にいるって言ったでしょう」
とりあえず残しておきたいのは……好き!!!!!! -
Posted by ブクログ
メリキャットとコンスタンス、ジュリアンおじさんの暮らしにうっとりしながら読んだ。彼女たちなりの生活の秩序はとても美しく、メリキャットが大切な物を土に埋める場面がとくに好きだった。城が破壊されても「とってもしあわせ」に暮らせるふたりだけの世界は、もう外部の人間の接触も無い為メリキャットがよく語っていた〝月の上〟のような、理想の場所そのものになったのだと思う。彼女たちの生活は埋められた大切な物で キッチンは彼女たちを隠すやさしい土だから、このまま誰にも掘り起こされずに美しいまま守られていて欲しい。とても好みの文章と物語。この作品に出会えて本当にしあわせです。
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Posted by ブクログ
ネタバレ閉鎖空間ヤンデレ姉妹百合〜謎の一家殺人事件を添えて〜。
タイトルにもある「ずっとお城で暮らしてる」感そのままというか、おとぎ話感というか、キラキラ感というか、そういうものが、逃れがたい時間経過、自分たちの成長、当たり前に起こる周囲の変化という風化に伴って、話の展開とともにぺりぺりと剥がれていく様が本当に気味が悪くて最高だった。おとぎ話のようなお城に暮らしていても、おとぎ話の住人にはなれないのだと、まざまざと見せつけてくる作品。読者である私が何気なく1ページをめくるごとに、きっと「お城」のどこかでタイルや壁紙が剥がれているのだろうと思わされる。コンスタンスとメリキャットの姉妹の生活を壊したのは、ページをめくり話を進め、停滞していた空気を動かした私なのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
切れがある人物描写が素晴らしい。
人間の嫌な内面を描く作品もあれば、『レディとの旅』のようなほろ苦くずっと心に残りそうな作品もあった。
いわゆるどんでん返しなどもあったりして、作者の懐の深さかうかがえる。
『なんでもない日にピーナッツを持って』や『城の主』『メルヴィル夫人の買い物』のように最後まで展開がわからないものも多く、楽しめた。
『悪の可能性』は人間の邪悪さと、そこからの結果がなかなかぞっとするものがあった。
そういえばこの作品群の中には意地悪なおばあさんがよく出てきましたね。
『おつらいときには』でも、悩んでいる人の相談に乗りたいのではなくて悩んでる人が自分を求めた=自分の手紙で救われたという、偽善どころか自己の承認欲求を満たすためだけに手紙を送るおばあさんが出てくる。
ブラックユーモアに溢れつつも人間のいやらしさがよく出ている人物が多かった。
そしてそういう悪意の中でも、純粋な心のうちに巣食う悪というのだろうか。
『インディアンはテントで暮らす』のような雪崩れ込むようなコントも面白く冴えている。
後半は著者ジャクスン自身のエッセイになっており、これがまた鋭い人物描写の元に軽快に描いていてクスりと笑える内容になっている。
怖かったり、あたたかかったり、読む前に想定しなかったいろんな感想を持つことができました。 -
Posted by ブクログ
シャーリイ・ジャクスンの描いた日常は白黒のテレビが初めて家にやって来た頃に観た「じゃじゃ馬百万長者」のエピソードのようで、何だか作り物のような手触りがして嘘臭い。でもそこから当時の当たり前や海の向こうの常識なんかを取り去ると、残るものは案外今でもそこら中で起こっている話なんだろうなとは想像する。
じゃじゃ馬百万長者が、当時のアメリカのことや油田で一儲けする話なんてなんにも知らなかった子供にも面白いと思えたのはどうしてだろう。海の向こうとこちらの違いの意味するところも定かでない子供にも面白いと思えたということは、きっと何か本質的なことが笑いの対象になっているからだ。それはきっとイソップのネズミの話に出てくる本質と建前のギャップが生み出す可笑しさ哀しさのようなものなんじゃないか。それが世界中どこにでもある構図なのだと子供の自分が理解するにはクロコダイルダンディーを待つ必要はあったけれども。あるいはそんな差を感じ得たのは、自分がいわゆる右肩上がりの経済の中の新興住宅街に育ったせいで夏休みになれば級友のほとんど両親どちらかの田舎に帰省するのが当たり前という、皆が田舎と町の違いに聡かった母集団にいたせいであるかも知れない。そんなことを考えていたら、若者言葉や流行りの略語にいちいち腹が立つのは、何にも持っていないのに矢鱈と自慢したがる町のネズミに対する感情と根っ子は同じなんだなと気付いた。
シャーリイ・ジャクスンの描く日常には、余所者と地元民の対立の構図、あるいは身内とそれ以外の壁、という話が多いと思う。描かれる物の値段や商習慣、大人や子供の娯楽も随分と時代遅れのようにも見えるけれど、その対立の構図そのものは全く変わっていない。それを全て貧富の格差に押し込むつもりはないけれど、そこには自分達の側にはあって相手側にはない、という認識が生み出す隠れた問題があるのだと思う。そして持つ持たないなんてどうでもいいことの筈なのに、何時の間にかそれが譲れない信条に化けてゆく。持つにせよ持たないにせよ、こちら側は正しくてあちら側が間違っている。そんな理屈が空気を支配する。
何でも持っている筈の町のネズミの生活を色眼鏡無しに観察できる田舎のネズミにしてみたら、町のネズミが本当に幸せなのかどうかは甚だ疑問だった訳で、子供にだってそれが解ってしまう話だからイソップだって書いたのだ。大人になるとそれが段々見えなくなるね。シャーリイ・ジャクスンは大人が読むイソップ童話なのかも知れないね。 -
Posted by ブクログ
村人から隔絶されて暮らす姉妹。
買い物へ出ると村人たちから酷い言葉を浴びせられる少女を、最初はただ気の毒だと思っていた。
でも、読み進めるうちにある疑問が浮かんでくる。
さらに従兄チャールズが屋敷を訪れたことで、閉ざされた世界は大きく揺れ始める。
認知症めいた伯父、18歳とは思えないほど幼いメリキャット、そして外の世界を持ち込む従兄チャールズ。
そんな3人に囲まれて暮らす姉のコンスタンスを思うと、息苦しいほどの閉塞感があった。
語り口は穏やかで静かだけど、読み終わってからもじわじわ考えてしまう。
好きなタイプの作品だった。
「メリキャット お茶でもいかがとコニー姉さん♪とんでもない 毒入りでしょうとメリキャット♪メリキャット おやすみなさいとコニー姉さん♪深さ十フィートのお墓の中で!」
作中で村の子どもたちが歌うこのフレーズ。
Audibleだったので、バカにした口調で何度も歌う子どもたちの声が頭に残ってしまった。
Audibleにて。