小田島恒志のレビュー一覧
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オードリーヘップバーン主演の映画、マイフェアレディの原作。映画は恋愛ものとして楽しんで観たが、実は奥深い内容だったことを知り原作を読んだ。
イギリスには、アカデミーという、国家に準ずるような機関が発音や文法を統一した過去があり、現在もそのような慣習が存在し、差別につながっている。つまり、正しいとされる発音や文法を使用しないと、階級が低いと見なされているという。
この小説は、花売りが職業という、毎日を生きていくのに必死な身分の低い娘が、上流階級の発音を手に入れ、豊かな暮らしもできるようになったのに、逆に様々なしきたりに縛られ不自由だと感じ、過去の自由だった自分に戻りたいと思う話。だが過去の生活に -
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しばらく宗教から距離を置いてきた著者「ミッチ・アルボム」。
幼い頃よく通っていたユダヤ教会のラビ(宗教的指導者)から
ある日突然「自分の葬式で君に弔辞を読んで欲しい」と頼まれる。
信仰心を忘れかけていた自分にラビはどうしてそんな大役を頼んできたのか?
断る事もできず、仕方無く弔辞の題材を見つけるために取材を始めた。
その取材を通して著者は、ラビのこれまでの行いを知り、信仰についても考えはじめる。
この本はユダヤ教の素晴らしさを謳ったり、勧誘しているものでは無く、むしろ信仰から離れていた著者が客観的に感じた事を書いている。
指導者ラビの生き方や、人への思いやりの心は、
宗教に興味が無い人で -
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バーナード・ショーの戯曲。
20世紀初頭のイギリス。言語学(音声学)者のヒギンズ教授が賭けをする。強烈な訛りのある貧しい花売り娘、イライザに、6ヶ月で上流階級の話し方を教え込み、貴婦人を作り上げてみせようというのだ。つまり、教授は話し方こそがその人の人となりを作り上げると考えている。このあたりは階級ごとに話し方が異なるイギリスならではという感じもするが、ともかくも教授、そして友人のピカリング大佐は、下品な花売り娘に上流階級にふさわしい言葉遣いとマナーを教え込もうと奮闘し、大成功を収めるが・・・というお話。
ピグマリオンというのはギリシャ神話に登場するキプロスの王の名である。現実の女性に失望し -
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20世紀初頭のロンドンを舞台に、上流階級で言語学者である男ヒギンズが教養を身に着けていない花売り娘イライザに特訓を施し、上流階級の夫人として通用するような女性に育て上げようとする話。
あらすじだけ見ると谷崎潤一郎『痴人の愛』や田山花袋『蒲団』を連想するのだけど、この物語はこれらの小説のような自らの愛・欲望といったドロドロした感情を掘り下げていく内省的な物語ではなく、階級や女性の立場といった社会的なメッセージを強く持った物語という印象だった。
現代日本においては、「一億総中流」なんて言葉が(たぶん)高度経済成長期に生まれ、今でも意識的には自分を中流だと思っている人が多いようだ(2013年 -
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きっかけは、本屋さんで平積みしているのを見つけたとき。面白そうだと思いながらも、「積読が他にも溜まっているから」と言い聞かせていたけど、結局ガマン出来ずに、いそいそと購入。
買ったは良いけど、ネックなのは「翻訳物」ってところだなあ…。と思いながらも、最近の翻訳物は読みやすいようにも感じるし、買う前にパラ読みした時も問題なさそうだったから、大丈夫なはず! と思い、他の積読ほったらかしで、早速読み始めました。
まず目次を見て思ったことは、「大学ごとでも、学部ごとでも、分野ごとでもなくランダムに問題を並べてあるなあ」ということ。そういえば、森博嗣の「つぶやきシリーズ」も、ジャンル関係なく、徒然なる -
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ショーが(後日談での弁明を含めて)この話で言いたかったことをざっくりまとめてみると・・・
①女性(イライザ)にとっての創造主(ピグマリオン=ヒギンズ)は絶対的であり、強い関係性を持つ対象としては続くが、恋愛対象とはなりえない。
②ピグマリオン効果(期待による学習・努力は実る)は存在するが、女性(イライザ)を思うがままにしようとする男性(ヒギンズ)はそれをまるで自分の所有物のように永久に自分の手元に置いておけると勘違いすると最終的に破滅する。
ということなんじゃないかと思う。
なので、舞台版、映画「マイ・フェア・レディ」のようなヒギンズ・イライザのハッピーエンドはショーにとっては「あり得