岡倉覚三のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
熱い本だなあ〜っていうのが最初の感想でした。(茶だけに笑)
著者の岡倉天心のことをざっくりとYouTubeとかで調べて見て、背景をある程度理解した後で読んだからわかったところもあるけど、昔の言葉な上に、英語を日本語訳してるからやっぱり読みづらいところはあったので、全ては理解しきれなかった。ただ日本の美意識に対する著者の熱い思いはびしびし感じるし、西洋美術に対する独特(?と今は思う)な感性は時々笑えるくらいだった。
虚を重んじること=空白を作る=余裕を持つこと。茶室に関連した記述だけど、生活においても、人生についても、ためになる美意識がたくさん詰まってる。
昔の本ってあんまり読んだことないけど、 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「世界に衝撃を与えた名著の初のビジュアルブック化! 」の企画は見事成功していると言える。
美しい写真と共に添えられるのは、本文の要諦とも言える言葉を選んでの抜き出したもの。そのセレクトの是非はあるが、概ね、自分が付箋を付けておきたいと思った文章は抜き出されていると思う。文章と写真との相性は、必ずしも合致したものではないが(そこまで意識はされてない印象)。
読み返すときも、美しい写真とキーセンテンスだけを、のんびり拾い読みできるのも良い。
おそらく30年ぶりに読み返したが、若かった当時、「不完全」を愛でることの真意が腹落ちしていなかったと思うが、齢をとって理解が進んだ、いや、理解ではな -
Posted by ブクログ
ネタバレ圧倒的にセンスがある人だと思った。(訳だけど)この人の言葉の使い方を少しでも取り込みたい。
西洋の茶人たちは、茶のかおりとかれらの思想の芳香を混ずるに鈍ではなかった。茶にはワインのような傲慢なところがない。コーヒーのような自意識もなければ、またココアのような見せかけの無邪気さもない。
一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身 -
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「茶の本」といいつつも、人生において大切なことを教えてくれる本。
「茶室」「芸術鑑賞」「花」「茶の宗匠」からは自分の暮らしの改善点が多くわかり、特に学びになった。
【自分の部屋について】
・自分の心から美しいと思うものを1点選ぶ。それにあうように空間をつくっていく
・その美しさを妨害しないように無駄なものを置かない
・収集することに価値をおかない
→断捨離、掃除、シンプルな部屋
【芸術鑑賞について】
・美術館は気になった作品を時間をかけて楽しむ
・前回よりも少しでも美しくなって美術館へ行く
・記念にとりあえず買うのではなく、本当に気に入った作品のポストカードを購入する
【生活について】
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Posted by ブクログ
これは名作。知り合いにお茶の先生がいて、お茶をふるまってもらった時に茶道とは何だろうかと、すごい不思議な気持ちになった。柔道、剣道、弓道などの武道は心技体を磨き、そして結果が勝敗として現れる。書道や華道は芸術としてその作品が残る。しかし茶道は所作や作法ではないだろうか。ただ、飲み物としてのお茶をふるまうだけならば、それが何の道なのだろうか。いまいち何を求めているのか釈然としなかった。もう80を超えるその先生に聞いても、質問の真意をとらえてくれず、しつこく聞きなおすことをあきらめてしまった。
しかしこの本にはそれがつぶさにあらわされている。それは日本人の宗教性と芸術の表出である。そしてそれはお茶 -
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本書を読み始めたきっかけは、尾崎秀実について取り上げた竹内好編著『現代思想体系 9 アジア主義』(筑摩書房、1963)の中で、最初に取り上げられていた論文だったから(訳者は富原芳彰。現在、講談社学術文庫で読むことができる)。
新訳が出たばかりならそちらをと手に取ったのだが、正解だった。原著は註も少なく、絵画や彫刻などの美術作品を論じてはいても、図版は皆無。
抽象度の高い美術論や哲学的考察が頻出するので、理解するのが容易ではない。
詳細な解説と訳註に加え、適宜図版を挿入してくれているので、大変読みやすく仕上がっている。
ただ、終章「『東洋の理想』はどう読まれてきたか」での竹内好についての記述は納 -
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まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟(しょうらい)はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめもないことをあれやこれやと考えようではないか。▼おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。▼美とともに生きた者だけが、美しく死ぬことができる。岡倉覚三かくぞう(岡倉天心)『茶の本』1906
※躙(にじ)り口。茶室の出入り口。どんな権力者も頭を下げて入る。
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いたずらに器を美のために作るなら、用にも堪えず、美に