岡倉覚三のレビュー一覧
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日本的美意識が茶の湯という深淵な世界にいかに湛えられているかということを、著者が様々な文献に基づき具体性を持たせつつ明示している。
私見だが、「日本の文化が西欧文明に比べてこういう風に優れている」という語り口は現代においてはあまり意味を持たないと思うが、本書には文明開化とともに日本が西欧文明一辺倒に傾倒していた時代背景があり、さらに西欧の批評家たちが日本の文化を上から目線で評しがちであったことに対するカウンターとして著された側面があるから、かなり対比的で西欧文明に対して批判的な内容になっているのも無理はない。
そんなことよりも本書の最大の魅力は美というものに対する、深い考察である。今も昔も、人 -
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1906年に岡倉覚三(天心)氏が書いた『The Book of Tea』を、
1929年に村岡博氏が和訳したもの。
難しい言葉が多すぎて、調べ調べ読み進めていったが、
内容が理解できるようになったのは、「第四章 茶室」から。
(新訳読めばよかったと少し後悔)
茶道は日本文化の一つ、くらいにしか思っていなかったのですが、
本著に書かれているのは、茶道を通して現れる芸術観だと感じました。
<一部抜粋>
・茶道のいっさいの理想は、人生の些事の中にでも偉大を考えるというこの禅の考えから出たもの
・この動作は、身の貴きも卑しきも同様にすべての客に負わされる義務であって -
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部屋の模様替えの参考として読みました。
興味深かったのは、(茶道のベースとなった)禅の思想で完全よりも不完全な美を好む理由についての説明。
「不完全なものを想像によって心の中で完成する、その過程にこそ重きを置くから」とのこと(特に触れられていませんでしたが、禅の体験による知を重んじる性質に由来しているのでしょうか)。
これは感動的な発見でした。
なぜならこの考えをもとにすれば、日本のアシンメトリーの美学に「不完全は不完全でも、完全を示唆するような不完全じゃなきゃだめですよ」というルールが加わるわけです。
日本の美は引き算の美とはよく言われますが、完成系あっての引き算だと。
知ってい -
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読み終えて、奥付を見ると、「昭和4年3月10日 第一刷発行、昭和46年7月30日 第50刷発行」とある。大学時代に購入したようだ。読み始めたものの、途中て抛り出した記憶はある。
NHKeテレの「100分de名著」でこの本が取り上げられることを知り、テキストを読む前に読んでみた。
日本の文化を欧米の人々に紹介するために『The Book of Tea by Kakuzo Okakura 』として英語で出版された。お茶が中国から伝来した歴史もふまえながら、日本の文化が茶道の世界に凝縮して体現されていることを示す。中国の南宋の時代に、お茶の作法は道教の教義を交えた禅の世界で広がり、それを平安時 -
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日本の代表的名著ということで読んだが、自身の知識不足もあり、理解して読み切ることができなかった。また改めて読んでみたい。
茶の文化、日本でいう茶道にこそ日本人の美しさやものの考えたが根付いている。茶は美の宗教とも言える。
中国から来た茶そのものは、歴史の流れの中でなくなってしまったり、とを経て、日本にのみこのような文化が根付いている。それが西洋と日本との美意識や考え方の違いのもとになっているということが書かれている。
また茶は道教と禅の考え方が来ている。道教の教義を受けた禅宗が茶の儀式を組み立てられてきた。それが茶の湯、茶室にも現れている。道教や禅のことも知る必要があると感じる。
物を虚の中の -
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ページ数としては薄い、文庫で75ページほど。元々は日本の茶道を欧米に紹介する目的で、ニューヨークで刊行されたもので英語で書かれたもの(The Book of Tea)。
茶道の定義を示したうえで、日本の生活、文化の様々、すみずみまで茶道の影響が及んでいるとし、さらに日本と西洋の関係にまで言及している。
「この人生という、愚かな苦労の波の騒がしい海の上の生活を、適当に律してゆく道を知らない人々は、外観は幸福に、安んじているようにと努めながらも、そのかいもなく絶えず悲惨な状態にいる」「美を友として世を送った人のみが麗しい往生をすることができる」というメッセージは、100年も前に書かれながら現代に書