冨谷至のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
韓非→始皇帝→焚書坑儒。この図式は儒家にとって嫌悪するものでした。漢籍を学ぶもの(儒家)は韓非をことさら貶めてきました。
韓非子のなかに老子が収録されているのも、ことさら法家(韓非子)の宣伝工作のようなものだと批判してきました。
老子、韓非子の本文を精査するのではなく感情論が先行していたのではないでしょうか。
著者は、老子と韓非の結びつきを明らかにしました。つぎのように述べています。
「萌芽の措置」という韓非の主張が老子に思想的根拠を見つけたこと、ここに両者の交渉の一端があったのだと考えたい。(第三章 韓非と法家思想)
漢籍から学問へ、中国古代思想の研究が根をおろしたようです。 -
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Posted by ブクログ
紹介文に「その冷徹な思考は秦の始皇帝をも魅了し・・・」「究極の現実主義」などと書いてあって興味を持った。今まで全然知らなかったのだが、読んでびっくり、ロジカルですばらしい考え方だ韓非子は。これは著者の説明もうまいかも。
「君主は法に従って、臣下は法を師として、あたかもメジャーをあて、量を測るごとくに案件を粛々と処理していけばよい。そこには、非凡な政治的手腕、行政的力量は要求されない。」
「韓非の主唱する法による統治は不条理な法適用、残酷な刑執行、恐怖政治では決してない。きわめて理にかなった、現実的な考え方であり、むしろ理屈に合わず、情に流され、それゆえ論理性に欠けるのは儒家の徳治主義な -
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Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
紀元前三世紀、韓の王族に生まれ、荀子に学んだ韓非は、国を憂えて韓王を諌めるも容れられず、憤慨して著述に向かう。
その冷徹な思想は秦の始皇帝をも魅了し、「この人物に会えたら死んでもよい」と言わしめた。
人間の本性は善か悪か。
真の為政者はいかにあるべきか。
『韓非子』五十五篇を読み解くのみならず、マキアベリ、ホッブズらの西洋思想と比較して、いまなお輝きを放ち続ける「究極の現実主義」の本質に迫る。
[ 目次 ]
第1章 殷周から春秋戦国へ(神の時代の終焉;動乱の時代へ ほか)
第2章 模索する思想家たち(天・天命は存在するのか;人の性は善か悪か)
第3章 韓非と法家思想(韓非と『韓 -