「東南アジアで交易活動が活性化し、東西世界から多数の来訪者がこの地域を訪れた近世の十五〜十九世紀前半、さらに植民地社会が成立し国民国家形成運動が展開する近現代(十九世紀後半〜)を対象」(p.12)としたもの。サブタイトルに「港市(こうし、と読むらしい)・女性・外来者」とあるように、東南アジアの港町において「外来者と接触した存在(現地人女性、ユーラシアン、現地生まれの華人)をとおして、東南アジア海域世界の社会統合がいかに進展したか」(p.11)という話題を扱っている。
この地域の歴史をほとんど知らなかったので、マレーシアに旅行したのをきっかけに、興味が湧いて、読んでみた。本当はマレーシアを中心にした歴史についての本があれば良かったのだけど、なかなかマレーシアに特化した本を見つけることができず、結局この本。さすがにサイゴンがどこかくらい分かったとしても、バタヴィアとか、アチェ、チャンパー、バレンバンとか、地名が次々に出てくるが、どこのことかよく分からない。途中まではムラカがたくさん出てきて、これは最近行ったマラッカのこと、というのは分かっても、結構難しかった。pp.30-1に地図が載っているけど書いてあるけど、地名の表記も小さくて探すのが大変。歴史の本にありがちな事実の連続の記述が読みにくかったり、という面が確かにあった。けど、マレーシアに行ったらニョニャ料理、とか言って華人と現地の女性との混血の人たちが作った文化での料理、というのがあり、ニョニャと似た響きのニャイという女性の話がたくさん出てきたので興味を持った。たぶん、結果的にニョニャとニャイは違うものなんだろうだけど、歴史や文化に影響を与えてきた女性、外来人と接触する女性、という意味では共通するかもしれず、その部分は結構興味を持って読めた。他にも、下にメモするように、面白かった話題はたくさんあった。
ということでまず東南アジアの女性に関する歴史について、まず「交易活動を進展させるために滞在する外国人商人に、現地人女性との結婚が斡旋された。彼女らは、外来者に現地の言語や慣習を教え、現地社会との間を仲介した。こうして外国人商人は、港市に逗留するなかで、しばしば地元の人々の日常品市場にまで参入し、宮廷に出入りして影響力を行使することも起こった。」(p.37)という、女性の存在の大きさがこの本のポイントだと思った。でも「従来は婚姻慣行の一翼を担ってきたニャイのイメージは、民族主義者の間で、外来者の『妾』へと変容していた。」(p.219)のように、p.127の「使用人を差配するバタヴィアのニャイ」のイメージからはだんだん離れてきた、ということらしい。
女性に関連して、「全盛期を迎えた十七世紀前半のアチェでは、スルタンが妻や側室とともに数千人の女性を宮廷に抱えた。さらに十七世紀中葉の中部ジャワのアタラムでは、王が約一万人の女性を宮廷に住まわせた。」(p.60)という、これは大奥の大規模バージョン?一万人、って笑ってしまった。そして、やっぱり目をひくのは「食人風聞」の話だけど、「人喰いの話は、東部インドネシアの島民の呪術信仰の一端であり、同時に外来者を近づけにくくする『弱者の武器』でもあった」(p.54)というのが納得した。本当に人喰ってる、という訳ではないよね、という。さらに、十九世紀後半に白人が貧窮する(p.195)、という話も意外。ニャイと子どもを持つけれども、父親が本国に帰ったまま仕送りが滞る、という事情らしい。
最近行ったムラカ(マラッカ)に関しては、「十五世紀後半からポルトガルに占領される一五一一年までの時期、東南アジア最大規模の都市の一つであり、トルコ、アラブ、ペルシア、インドのグジャラート、(略)、さらに中国、琉球などから商人たちがムラカに寄港した。(略)この港町で八四の異なる言語が話されていた」(pp.37-8)という、今からは全然想像できないすごい中心的な町だったということが分かった。そしてここまで繁栄していたマラッカが衰退するのはポルトガルに占領されてから、だけれども、東南アジア全体として、「『交易の時代』は、一六七〇年代のヨーロッパにおける胡椒価格の暴落、日本の『鎖国』政策、明清交代期の鄭氏の活動に対抗した清朝の遷海令(一六六一〜八四年)などにより東西交易が衰退し、一七世紀終わりに終焉を迎えた。」(p.94)という事情があるらしい。遷海令?調べると遷界令?という海禁令があったらしい。沿海部を無人化して鄭氏を孤立化させる、というものだそうだ。
あとマレーシアでは錫の生産が盛ん、ということをガイドブックを見ていて初めて知ったが、マレー半島では「錫の採掘は近世から盛んで、マレー半島やバンカ島などで、おこなわれていた。その主要な輸出先は、一八五〇年代まではインドや中国だったが、イギリスにおける缶詰生産の進展に伴うブリキ板の製造と発展とともに、ヨーロッパ向けの輸出が大幅に増大した。」(p.174)ということで、錫って何に使うんだろう、って思ってたけど、缶詰なのか、と思った。
他に意外なことや知らなかったこと、という話では、近世の日本人のこの地域での活動の話かな。山田長政の名前くらいは知っているが、実際どれくらい影響力を持っていた人なのか、というのは知らなかった。「浪人となった武士には、東南アジアへ渡り傭兵となるものが少なくなかった。」(p.77)というのは知らなかった。そんな道があるのか、という。ここでも日本人女性の話が出てくるが、「ジャカルタにいたふく」(p.90)の話がすごい。金融業を営んで奴隷の売買をしていた日本人女性がインドネシアにいた、というのはテレビにある歴史バラエティーのネタみたいだなと思った。ただここで言う「奴隷」というのは、西洋史で想像するような、アフリカから誘拐されて過酷な労働をさせられた人たち、という印象とはちょっと違ったもので、「イギリス本国はすでに一八〇七年に奴隷貿易を禁じたが、アンダーソンはこの地域で奴隷制をなくすことは、博愛と人道精神に反することになろうと語る」(p.129)という、別の事情をもった身分のことらしい。あと意外なことは「アジアで最初に結成された共産党」(p.214)はインドネシアで出来た団体だったらしい、ということ。
最後に、『『まあいっか』で楽に生きる本』というマレーシア社会について書いた本があって、多様だからこそ価値観を理解しあうのは無理なので、気にしないようにする、気にして大変な対立につながることを避ける、という話を読んだが、インドネシアも似たような感じなのか、と思った部分は、「現在のインドネシアは、軍部、イスラム勢力、民主派勢力など諸勢力がせめぎ合う状況を呈しており、建国の際に謳われた国民統合のモットーは『多様性のなかの統一』であるが、それに逆行する現象が各地で生じている。こうした状況は、インドネシアだけでなく、他の東南アジア諸国でも程度の差こそあれ、同様である。強権的な国民統合が一段落すると、国内の諸集団がその存在を主張する現象が、各地で起きているのだ」(p.256)という、国民国家を作ったからこそ前面に出てくる矛盾、というものは、解決の道はあるのだろうか、やっぱり互いに干渉しない、というのが正解なのか、とか思った。
面白かったが、一般的に東南アジア史について書かれた本も読みたいと思った。(23/08/24)