兵藤裕己のレビュー一覧
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西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
高師直・高師泰らが討たれた後、再び足利尊氏と足利直義が
不和に。騒乱後、降伏した直義は亡くなり、更に数年後、
尊氏も54歳の生涯を終える。そして足利義詮が二代目将軍に。
だが、将軍方と南朝の争いは未だに続き、幕府内でも対立が。
・凡例 ・全巻目次
第三十巻 第三十一巻 第三十二巻 第三十三巻
第三十四巻 第三十五巻 第三十六巻
・付録 系図(清和源氏系図(一)・清和源氏系図(二))
『太平記』記事年表5
[解説5]『太平記』の時代――バサラと無礼講
・地図 大宰府周辺図 紀伊国関係図
南北朝時代が舞台の歴史読み物「太平記」。 -
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西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
新田義貞の実弟・脇屋義助の転戦と死。
天下は武家のものとなり足利兄弟は、天災と混乱、
それに後醍醐帝鎮霊のために天龍寺を建立。
しかし世は鎮まらず、各地で内乱が起こり続ける。
児島高徳や脇屋義助の子・義治、楠正成の子たちの反乱と死。
そして高師直が吉野南朝の皇居を焼き払う。
奢り極める高兄弟に足利直義は企てを起こすが、
逆に攻められ、直義は蟄居し、出家。
九州では直義の養子・直冬が挙兵、尊氏と師直が討伐へ向かう。
それを機に直義は脱出。観応の擾乱の勃発となる。
北朝から鎮守府将軍の院宣を得て、更に南朝へ。
それを知った尊氏と高兄弟の軍は合 -
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西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
足利軍復活!
九州から尊氏は海路、直義は陸路で京へ。
南朝は、湊川の戦いで楠正成の敗北と自害、
越前では新田義貞が流れ矢に眉間を討たれて討死する。
比叡山臨幸後、花山院に幽閉された後醍醐天皇は脱出し、吉野へ。
北畠顕家の大軍は奥州から進軍を続け、吉野へ。
だが阿倍野の戦いで顕家は戦死する。
北朝では、光厳天皇が重祚し、足利尊氏は征夷大将軍に。
そして南朝の要、後醍醐天皇が吉野で逝去する。
・凡例 ・全巻目次
第十六巻 第十七巻 第十八巻 第十九巻
第二十巻 第二十一巻
・付録 系図(赤松氏系図・佐々木氏系図)
『太平記』記事年表3 -
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西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
それは、ほんの4年間の出来事。
足利高氏謀反!朝敵追討の綸旨を得た彼と後醍醐方の猛攻に、
ついに鎌倉幕府は滅亡へ。後醍醐帝中心の建武新政権開始。
だが公家一統政道の内政の矛盾は、寵臣と武士の軋轢を生む。
護良親王の捕縛と死。各地での北条氏残党の蜂起。
中先代の乱を平定した足利尊氏と新田義貞の対立からの、
尊氏対象の朝敵追討の綸旨。尊氏と直義は官軍と対峙する。
足利軍の反撃と各地の朝敵蜂起により、帝は比叡山へ臨幸。
勢いに乗った尊氏は京へ。しかし奥州から馳せ参じた北畠顕家や
新田義貞の軍勢、楠正成の軍略などで足利軍は大敗する。
帝は還幸し、 -
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西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
鎌倉幕府の政権に陰りが。
即位した後醍醐天皇は討幕を企てる。
正中の変、元弘の変、楠正成たちの挙兵、
大塔宮の吉野への逃避行、後醍醐天皇の隠岐への配流。
正成の反撃と赤松円心の挙兵、新田義貞の変心、
そして後醍醐天皇の隠岐からの脱出と名和長年の挙兵。
六波羅勢VS.後醍醐勢の戦いは激しさを増してゆく。
・凡例 ・全巻目次
第一巻 第二巻 第三巻 第四巻
第五巻 第六巻 第七巻 第八巻
・付録 系図(皇室系図・藤原氏系図・北条氏系図)
旧国名図 洛中図 『太平記』記事年表1
[解説1]『太平記』の成立
・地図 比叡山周辺図 畿内周辺 -
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ネタバレ太平記よみの語りは、中世.近世を通じて人びとの意識に浸透し、天皇をめぐる二つの物語を形成する。その語りのなかで、楠正成は忠臣と異形の者という異なる相貌を見せ、いつしか既存のモラル、イデオロギーを掘り崩してゆく。天皇をいただく源平武臣の交代史、宋学に影響された名文論が、幕末に国体思想に読み替えられ、正成流バサラ再現としての薩長閥の尊皇攘夷へと続いてゆく。
「平家物語」と慈円の「愚管抄」
源平両氏が交替で覇権を握るという認識は、平安末期の保元・平治の乱にはじまり、治承・寿永の乱にかけて形成された歴史認識である。しかし内乱の複雑な過程を単純化し、それを源平交替として図式化してとらえたのは平家物語で -
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楠木正成の実像を知るために、三冊を同時に読み始めました。しかし本作は史実を詮索することがテーマではなく、芝居や講談で繰り返し再生され、現在も日本の社会や国家を呪縛している楠木氏的な物語がテーマです。それは太平記に起源を持ち、近世、近代に流通するフィクションとしての南北朝の歴史であり、その影響力は、同時代の思想家の言説とは比べようもなく、言い換えれば「南北朝時代史」という物語が思想家や学者の言説を構成しているとしています。本書では具体的にそのことを述べていきますが、非常に面白い内容です。私は太平記の歴史が幕末には共有されていたため、尊皇攘夷というスローガンで簡単に倒幕が出来たのではないかと理解し
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アニメ『逃げ上手の若君』が面白かったので、大原作たる『太平記』を読んでみることにしました。
本書は6分冊のうちの1冊目で、太平記第8巻までを収録しています。
『逃げ上手の若君』は北条高時が自害するあたりから始まりますが、それは太平記第10巻のことなので、本書はその前史ということになります。
そもそも後醍醐天皇を一度は島流しにできるほど強力な幕府が、なぜ最終的に一族郎党自害する羽目に陥るのかという問題意識で読んでいました。
『太平記』の説明では、基本的に幕府軍は大軍です。
が、大軍ゆえに崩れると脆い。
そのため官軍は、山城に拠った防衛戦や、奇策・ゲリラ的な機動戦で大軍を翻弄していきます。
その -
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西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
足利義詮が二代目将軍になり京奪回、北朝・後光厳帝は
修造が成った内裏へ還幸する。
だが、将軍方と南朝の争いは変わらず、幕府内でも対立が。
それでも細川清氏の討死、鎌倉公方へ謀反した畠山道誓の死、
大内弘世、山名時氏父子の帰順、仁木義長の降参、
上杉憲顕の返り咲きと、時代は徐々に変化していく。
特に権勢を誇った斯波道朝(高経)が、佐々木道誉との
対立と讒言で追い落とされ、病死してしまう。
変化と共に時の流れも止まらず、北朝・光厳上皇の死、
更には、鎌倉公方・足利基氏と二代将軍足利義詮の兄弟が
相次いで亡くなり、管領・細川頼之による10歳の若 -
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説教節とは、近世初頭に大道の語り芸として行われていたもので、それらのうち人気を博したものが「正本」として出版されたとのこと。本書はそんな説教節5作品を収録している。
本書を読む直接のきっかけとなったのは、だいぶ前に舞台を観て感動した横浜ボートシアターの『小栗判官・照手姫』、代表者の逝去等を乗り越えその新版を上演するとのことで、舞台の機会に合わせてその“原作”を、活字でも読んでみたいと思ったからである。
餓鬼阿弥陀仏となってしまった小栗を元に戻すためには、熊野本宮の湯の峰に入れなければならない。藤沢から熊野までいろいろな人が、「一引き引いたは千僧供養、二引き引いたは万僧供養」ということで