兵藤裕己のレビュー一覧

  • 太平記 五

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    西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
    高師直・高師泰らが討たれた後、再び足利尊氏と足利直義が
    不和に。騒乱後、降伏した直義は亡くなり、更に数年後、
    尊氏も54歳の生涯を終える。そして足利義詮が二代目将軍に。
    だが、将軍方と南朝の争いは未だに続き、幕府内でも対立が。
    ・凡例 ・全巻目次
    第三十巻  第三十一巻 第三十二巻 第三十三巻
    第三十四巻 第三十五巻 第三十六巻
    ・付録 系図(清和源氏系図(一)・清和源氏系図(二))
        『太平記』記事年表5
    [解説5]『太平記』の時代――バサラと無礼講
    ・地図 大宰府周辺図 紀伊国関係図 

    南北朝時代が舞台の歴史読み物「太平記」。
    足利直義、将軍・足利尊氏、阿野廉子の死。
    そして後光厳天皇の即位、足利義詮が二代目将軍にと、
    新旧の入れ替わりになる中、戦乱の世は未だ終わりが見えず。
    京の都は火事と戦乱での破壊で、住む人が離散する有り様に。
    更に公家の困窮と武家の富貴の対比が
    権力者の変化を物語っています。
    また、住吉社の松や楠が折れる、大地震、大津波、
    6月に雪、大嵐、そして疫病。
    足利直義の毒殺の噂、崇徳院のたたりでの細川繁氏の怪死、
    騙し討ちで自死に追い込まれた新田義興の怨霊、
    後醍醐帝らの霊が夢になど、不穏な出来事が続発。
    戦記物語の部分は迫力満点で、奮闘あり、一騎打ちあり。
    南朝、幕府、幕府内での権力争いでの、それぞれの陣営の
    参加武士の一覧が複数ありますが、その中には裏切りや謀反、
    離反等が見えてしまう。佐々木道誉も行動してますし。
    また、なんだか清和源氏の末裔同士の争いの状況も。
    というか、細川、畠山、赤松、斯波、土岐など、
    応仁の乱までも争いが続いているんだなぁ。
    笛吹崇(峠)の戦いでは、長尾弾正と根津小次郎が足利尊氏に
    挑む姿が・・・って「逃げ上手の若君」のあの二人?
    とは違うようだけど、マンガに反映されたら面白いなぁと、
    ちょっと期待しています。
    あと、解説5のバサラと文化の話が興味深かったです。

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    2024年11月01日
  • 太平記 四

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    西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
    新田義貞の実弟・脇屋義助の転戦と死。
    天下は武家のものとなり足利兄弟は、天災と混乱、
    それに後醍醐帝鎮霊のために天龍寺を建立。
    しかし世は鎮まらず、各地で内乱が起こり続ける。
    児島高徳や脇屋義助の子・義治、楠正成の子たちの反乱と死。
    そして高師直が吉野南朝の皇居を焼き払う。
    奢り極める高兄弟に足利直義は企てを起こすが、
    逆に攻められ、直義は蟄居し、出家。
    九州では直義の養子・直冬が挙兵、尊氏と師直が討伐へ向かう。
    それを機に直義は脱出。観応の擾乱の勃発となる。
    北朝から鎮守府将軍の院宣を得て、更に南朝へ。
    それを知った尊氏と高兄弟の軍は合流し、直義軍と戦うが、
    大敗に。だが直義との合議となり上洛へ。その途上、高兄弟と
    高一族は粛清され滅亡してしまう。
    ・凡例 ・全巻目次
    第二十二巻(欠) 第二十三巻 第二十四巻 第二十五巻
    第二十六巻 第二十七巻 第二十八巻 第二十九巻
    ・付録 系図(高氏系図・上杉氏系図)
        『太平記』記事年表4
    [解説4]『太平記』の本文 参考文献有り。
    ・地図 瀬戸内海関係図 

    南北朝時代が舞台の歴史読み物「太平記」。
    観応の擾乱が中心となりますが、楠正成や護良親王の怨霊が
    登場したり、天狗が出てきたり、不穏な出来事があったりと、
    人々の不安が駆り立てられています。
    また「史記」の引用も多い感じ。
    でも戦記物語の部分は迫力満点。
    奮闘あり、一騎打ちありでハラハラドキドキ。
    ん?捻じ首にせんと・・・マジ首ってねじ取れるのですか??
    それと戦いに利を測り、裏切りや逃亡の多いこと。
    尊氏と高兄弟の軍が数万から数百人ほどまで減って、
    高一族で討たれるのは14人。その中間や下部は逃げたそうな。
    ちなみに第二十二巻(欠)は足利政権の圧力ゆえらしい。

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    2024年10月05日
  • 太平記 三

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    西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
    足利軍復活!
    九州から尊氏は海路、直義は陸路で京へ。
    南朝は、湊川の戦いで楠正成の敗北と自害、
    越前では新田義貞が流れ矢に眉間を討たれて討死する。
    比叡山臨幸後、花山院に幽閉された後醍醐天皇は脱出し、吉野へ。
    北畠顕家の大軍は奥州から進軍を続け、吉野へ。
    だが阿倍野の戦いで顕家は戦死する。
    北朝では、光厳天皇が重祚し、足利尊氏は征夷大将軍に。
    そして南朝の要、後醍醐天皇が吉野で逝去する。
    ・凡例 ・全巻目次
    第十六巻 第十七巻 第十八巻 第十九巻
    第二十巻 第二十一巻
    ・付録 系図(赤松氏系図・佐々木氏系図)
        『太平記』記事年表3
    [解説3]『太平記』の歴史と思想
    ・地図 船坂・熊山・福山合戦関係図
        比叡山周辺図 越前合戦関係図

    南北朝時代が舞台の歴史読み物「太平記」。
    合戦の臨場感や京中の混乱の様子がひしひしと伝わってきます。
    この時代の戦闘は、弓と馬が主役だなぁとも感じます。
    楠正成の正行への遺訓や楠兄弟の自害、瓜生判官の母の心情、
    一宮と御息所の恋物語、「史記」の嚢砂背水の陣、
    結城入道宗広の十悪五道な振る舞い、塩谷判官の悲劇など、
    読者の心をくすぐる物語が盛り込まれているのも、興味深い。
    また、比叡山臨幸と、還幸供奉&北国落ちの、
    公家と武家一覧があり、比較するのも面白かったです。
    正々堂々なってものではなく、裏切りや謀反、謀殺や毒殺、
    確執もあり、なんかドロドロした気配も漂ってきな臭い。
    さあ、始まったばかりの足利政権の今後は?

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    2024年09月10日
  • 太平記 二

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    西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
    それは、ほんの4年間の出来事。
    足利高氏謀反!朝敵追討の綸旨を得た彼と後醍醐方の猛攻に、
    ついに鎌倉幕府は滅亡へ。後醍醐帝中心の建武新政権開始。
    だが公家一統政道の内政の矛盾は、寵臣と武士の軋轢を生む。
    護良親王の捕縛と死。各地での北条氏残党の蜂起。
    中先代の乱を平定した足利尊氏と新田義貞の対立からの、
    尊氏対象の朝敵追討の綸旨。尊氏と直義は官軍と対峙する。
    足利軍の反撃と各地の朝敵蜂起により、帝は比叡山へ臨幸。
    勢いに乗った尊氏は京へ。しかし奥州から馳せ参じた北畠顕家や
    新田義貞の軍勢、楠正成の軍略などで足利軍は大敗する。
    帝は還幸し、花山院を皇居に。足利軍は僅かな手勢で九州へ。
    敵中での奮戦により、なんと九州全土を制圧してしまう。
    ・凡例 ・全巻目次
    第九巻 第十巻 第十一巻 第十二巻
    第十三巻 第十四巻 第十五巻 
    ・付録 系図(足利氏系図・新田氏系図)
        『太平記』記事年表2
    [解説2]『太平記』の言葉
    ・地図 近江国略図 武蔵国関係図 鎌倉図 大内裏図
        内裏図 比叡山周辺図 近畿地方略図

    南北朝時代が舞台の歴史読み物「太平記」。
    死を前にした家族との別れは涙を誘うが、
    同じ源平の戦いでも「平家物語」と異なるのは自害の多さ。
    京の探題滅亡での自害は432人。『吾妻鏡』を意識したのか、
    2ページ半に延々と主な自害者氏名が並ぶのだけど、
    さすがに大変だったのか、鎌倉幕府滅亡での自害873人は
    ぐんと氏名の数が減り、中先代の乱では43人と少ないのに
    諏訪頼重の氏名だけ。まぁ面の皮を剥いだからもあるけどね。
    加えて、目の前の仲間が敵に回る、裏切りや寝返りの生々しさ。
    状況次第で降人になったり、領地まで逃げたりしちゃうし~。
    さすがに戦記だけあって戦闘シーンは詳しい。
    でも九州の多々良浜合戦、足利軍三百余騎に菊池軍五万騎と
    数は盛ってても、足利軍が勝利って???運の強さって何?
    でもま、4年間の運命の変遷が分かる濃厚な内容でした。

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    2024年08月02日
  • 太平記 一

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    西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
    鎌倉幕府の政権に陰りが。
    即位した後醍醐天皇は討幕を企てる。
    正中の変、元弘の変、楠正成たちの挙兵、
    大塔宮の吉野への逃避行、後醍醐天皇の隠岐への配流。
    正成の反撃と赤松円心の挙兵、新田義貞の変心、
    そして後醍醐天皇の隠岐からの脱出と名和長年の挙兵。
    六波羅勢VS.後醍醐勢の戦いは激しさを増してゆく。
    ・凡例 ・全巻目次
    第一巻 第二巻 第三巻 第四巻
    第五巻 第六巻 第七巻 第八巻
    ・付録 系図(皇室系図・藤原氏系図・北条氏系図)
        旧国名図 洛中図 『太平記』記事年表1
    [解説1]『太平記』の成立
    ・地図 比叡山周辺図 畿内周辺・熊野図 京都周辺図

    南北朝時代が舞台の歴史読み物「太平記」。
    足利政権下での改訂作業が行われたことで歴史書ともいえる。
    が、史実と異なる記載もあるが。何百万騎とか盛ってる感じだし。
    また、中国の故事・先例説話や経書、兵法書、漢詩の引用、
    日本の和歌や朗詠など、仏教関連、神話や神道関連、
    有職故実、各種文学が盛り込まれ、教養書としての一面も。
    戦記の記述や人物描写が面白かったです。正成の智謀スゴイし。
    講談等の「太平記」読みだったら、ハラハラドキドキの連続。
    今生の別れとか仇討ちとか、歌舞伎に影響を与えるのも分かる。
    あ、大塔宮が経典の唐櫃に隠れるの、子どもの頃に読んだ
    記憶がある~!って、なんで読んだのだろうかが謎。

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    2024年06月21日
  • 太平記 二

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    分冊の中で最も厚い巻であると思われる。東京多摩のの場所としては、小手指と久米川が出てくる。前半は、源氏と平家(旧幕府軍)の争いが主である。後半では足利尊氏と新田義貞の戦いが中心で、足利尊氏が負けている。

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    2024年01月13日
  • 太平記 一

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    現代仮名遣いでさらに活字も大きいので意外と読みやすい。古文書を読むという形式でないのでスラスラ読め、さらに校注も多いので読むのに苦労はない。
     そして、巻の初めに概略が書いてあるので、それを読んでから本文をよむことで無理なく筋が頭に入る。

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    2022年11月10日
  • 太平記 一

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    中国古典を典拠とする表現・逸話がこれほど多く含まれてるとは思わなかった。 明治時代の人間ならずとも、楠正成の活躍に心躍り護良親王の冒険に感嘆する。赤松らはさほど活躍できてない印象。

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    2019年01月04日
  • 太平記<よみ>の可能性

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    ネタバレ

    太平記よみの語りは、中世.近世を通じて人びとの意識に浸透し、天皇をめぐる二つの物語を形成する。その語りのなかで、楠正成は忠臣と異形の者という異なる相貌を見せ、いつしか既存のモラル、イデオロギーを掘り崩してゆく。天皇をいただく源平武臣の交代史、宋学に影響された名文論が、幕末に国体思想に読み替えられ、正成流バサラ再現としての薩長閥の尊皇攘夷へと続いてゆく。

    「平家物語」と慈円の「愚管抄」
    源平両氏が交替で覇権を握るという認識は、平安末期の保元・平治の乱にはじまり、治承・寿永の乱にかけて形成された歴史認識である。しかし内乱の複雑な過程を単純化し、それを源平交替として図式化してとらえたのは平家物語であった。
    平家物語の編纂が、比叡山-延暦寺-周辺で行われたこと、とくに天台座主慈円が、その成立になんらかのかたちで関与したことは、「徒然草」226段の伝承―後鳥羽院の御時、慈鎮和尚-慈円-の扶持した信濃前司行長が、平家の物語を作りて、云々とする伝承-からもうかがえ、また、平家物語が延暦寺の動向に詳しいこと、慈円の「愚管抄」との密接な本文関係が指摘されること、からも傍証される。
    「愚管抄」が書かれたのは、承久の乱-1221年-の前年、後鳥羽院と鎌倉幕府の関係が、修復不可能なまでに悪化していた時期である。そのような時期に、幕府を敵対的な存在としてではなく、むしろ「君の御まもり」として位置づける慈円の史論とは、現実の危機を歴史叙述のレベルで克服する企てだったろう。
    慈円の「愚管抄」によって意味づけられ、平家物語の語りものとしての広汎な享受によって流布・浸透してゆく源平交替の物語とは、要するに、源平両氏を「朝家のかため」「まもり」として位置づける論理であった。いいかえればそれは、武家政権を天皇制に組み入れる論理である。
    王朝国家が、武家政権に対して最終的に発明した神話だが、しかしそのような源平交替の物語が、源氏三代のあと、北条氏が桓武平氏を称したことで、以後の歴史の推移さえ規定してゆくことになる。
    たとえば、鎌倉末期に起こった反北条-反平氏-の全国的な内乱が、あれほど急速に足利・新田-ともに源氏嫡流家-の傘下に糾合されたこともまた北条氏滅亡ののち、内乱が公家一統政治として落着することなくただちに足利・新田の覇権抗争へ展開した事実をみても、源平交替の物語が、いかに当時の武士たちの動向を左右していたかがうかがえる。
    内乱が社会的・経済的要因から引きおこされたとしても、それは政治レベルでは、ある一定のフィクションの枠組みのなかで推移したのである。そしてそのような物語的な現実に媒介されるかたちで、太平記はさらに強固な源平交替の物語をつくりだしてゆく。
      2010/06/03

    桃中軒雲右衛門と宮崎滔天  -2010.06.01記

    幕末の浪人生活のあげくに、上州高崎で門付けのデロレン祭文の芸人となった吉川繁吉という人物がいた。
    繁吉の次男幸蔵は、父の家業を継いで二代目吉川繁吉を襲名するが、まもなく新興の浪花節に転向して、桃中軒雲右衛門を名告るようになる。
    師匠三河屋梅車の妻と駆落ちして関西へ逃避行をするなど、とかく不行跡の噂の絶えない雲右衛門だったが、明治35年-1902-に支那革命家の宮崎滔天と出会い、滔天のたっての頼みで、彼を一座の弟子に迎え入れる。
    「窮民革命」を唱えて日本各地や大陸の満州を放浪していた滔天は、その思想宣伝の手段として浪花節を選んだらしい。
    あえて無頼の悪評高い雲右衛門を選んだ理由は、赤穂義士伝を十八番としたその芸風にあったのだろう。仇討ちの大義に艱難辛苦する雲右衛門の語る赤穂浪人は、まさに明治20年代以後の民権運動に挫折した鬱勃たる壮士の姿であり、滔天にとって容易に彼自身が重ね合わされるものだったのではないか。
    雲右衛門は、明治36年-1903-、滔天の勧めで九州に下り、以後4年近く、博多を中心に活動する。雲右衛門はおもに赤穂義士伝、弟子の滔天こと桃中軒牛右衛門は、支那革命軍談というか、革命に揺れ動く支那の現状を実録風に語るなどして、二人は九州で大成功をおさめた。
    その余勢を駆って雲右衛門は、明治40年-1907 -6月に上京、東京本郷座を1ヶ月間にわたって大入満員にすることになる。赤穂義士伝-忠臣蔵-は雲右衛門の名声とともにまたたくまに日本近代の国民的叙事詩となり、いっぽうの宮崎滔天は、明治38年-1905-に中国革命同盟会の結成に参加しつつ、孫文や黄興あるいは滔天自身などの支那版義士伝を浪花節にのせて語り歩き、革命資金の調達に奔走していた。まさに語り芸の伝統を地で生きたような人物である。
    門付け芸人となった浪人の子.雲右衛門が、大陸浪人の宮崎滔天と結びついたことには、やはり語り芸の系譜の因縁めいたものを思わせる。
    それにしても、雲右衛門と滔天が同じ総髪姿で高座に上ったというのは、たんに奇を衒ったという以上の意味があると思われる。総髪に紋付袴という雲右衛門のトレードマークともなった出で立ちは、芝居や講談でお馴染みの彼の浪人軍学者由井正雪のそれである。また雲右衛門が好んで用いたその過剰な舞台装飾、演壇中央に極彩色の前幕と後ろ幕がかけられ、舞台両袖には色とりどりの旗や幟などが立て並べられたという。これら過剰な仕掛けは、日本社会の底辺に伏流したある精神の系譜を確実に指し示している。社会の良俗から故意に逸脱していく芸人雲右衛門と革命家滔天は、まさにその過剰.バサラな演出によって<革命>や<解放>のアジテーターとしての位相を獲得するのである。
    雲右衛門の浪花節は、その出し物や語り口-節調-も含め、すべての意味において日本の語り芸の行き着いたカタチであった。たとえば雲右衛門の総髪姿に、語り芸におけるある種の先祖返りが覗えるとしたら、雲右衛門や滔天に受け継がれた語りのエネルギーとは、じつは楠木正成や由井正雪をカタルあぶれ者、<ごろつき>たちのエネルギーである。
    宮崎滔天の<アジア主義>の理想が、その後継者たちによって、<大東亜共栄><五族協和>の幻想にすり替えられていったことが周知のように、日本社会のネガティブな部分が、歴史的にみてもっともラディカルな<日本>的モラルの担い手であったという構造がある。彼らのアジテートするもうひとつの天皇の物語が、ある種の<解放>のメタファーとして機能したこと、その延長上には、日本近代の<国民>国家のイメージさえ先取りされていたのである。      -2010.06.01記

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    2022年10月21日
  • 太平記<よみ>の可能性

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    楠木正成の実像を知るために、三冊を同時に読み始めました。しかし本作は史実を詮索することがテーマではなく、芝居や講談で繰り返し再生され、現在も日本の社会や国家を呪縛している楠木氏的な物語がテーマです。それは太平記に起源を持ち、近世、近代に流通するフィクションとしての南北朝の歴史であり、その影響力は、同時代の思想家の言説とは比べようもなく、言い換えれば「南北朝時代史」という物語が思想家や学者の言説を構成しているとしています。本書では具体的にそのことを述べていきますが、非常に面白い内容です。私は太平記の歴史が幕末には共有されていたため、尊皇攘夷というスローガンで簡単に倒幕が出来たのではないかと理解しました。また正成の実像に迫るヒントも与えてくれました。何度でも読むであろう学術書です。

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    2015年03月15日
  • 太平記<よみ>の可能性

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    いや、この方の本はホントにおもしろいです。「南北朝」という物語的言説が先にあり、それにあわせて「南北」の対立構図ができあがっていったという話は、読んでいてひざを打つ思いでした。「言説(物語)としての歴史といったばあい、歴史は書物のような『もの』としてあるのではない。それは、ある制度化された言表行為として読まれ、また語られることで歴史になるのである。」(「原本あとがき」より、太字箇所は出典では傍点)という一節、ジョーシキっちゃあジョーシキですが、非常に重要ですよね。(20071003)

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    2009年10月04日
  • 太平記 二

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    足利高氏の上洛から、鎌倉幕府滅亡、そして高氏(尊氏)が落ち延びた九州での再起まで。次はいよいよ湊川の戦いである。
    平家物語の影響がところどころ見られるが、源平合戦の頃よりも人々の生き様はよりカオスになったような気がする。一人一人が自らの理想を引用した意味を行動に持たせ、戦い、死んでいく。これは人々がより内向的になった、つまり世間や集団の中に存在する自分という視点ではなくて、自分の行為を中心に置いた視点を中心として生きているということなのだろうか。
    私はこの物語を楽しむという気持ちで読んでいたが、解説を知ったことで、叙述から垣間見る人々の生き方というものについて考えることができた。

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    2026年05月17日
  • 太平記 一

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    中世神話、中世日本紀を勉強していくなかで『太平記』の記述に多く出会ったので、読むべき時だと言われている気がして意を決して通読を始める。

    文学史では軍記物語に分類されているけど、百科事典のような知の宝庫。
    中世という時代を最もよく教えてくれる作品なのかもしれない。

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    2025年12月05日
  • 太平記 一

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    アニメ『逃げ上手の若君』が面白かったので、大原作たる『太平記』を読んでみることにしました。
    本書は6分冊のうちの1冊目で、太平記第8巻までを収録しています。
    『逃げ上手の若君』は北条高時が自害するあたりから始まりますが、それは太平記第10巻のことなので、本書はその前史ということになります。

    そもそも後醍醐天皇を一度は島流しにできるほど強力な幕府が、なぜ最終的に一族郎党自害する羽目に陥るのかという問題意識で読んでいました。
    『太平記』の説明では、基本的に幕府軍は大軍です。
    が、大軍ゆえに崩れると脆い。
    そのため官軍は、山城に拠った防衛戦や、奇策・ゲリラ的な機動戦で大軍を翻弄していきます。
    その官軍の中でも楠木正成は、もはや三国志における諸葛孔明レベルの戦術家です。
    幕府軍にも宇都宮公綱など良きライバルはいるものの、いくつもの戦で撤退が相次ぎます。

    楠木正成絡みではライトノベルを読んでいるような爽快感があり、読み継がれてきただけのことはあると思わされます。
    軍勢の規模はかなり盛っているようですし、史実はまるで違うのかもしれませんが、物語として幕府が滅びる流れが丁寧に積み上げられている感じがしました。
    解説では「教養書としての需要が、中・近世における広汎な『太平記』享受の一因だったろう」とありますが、そういう需要を抜きにして、結構面白いんですよね。

    なお、歴史的仮名遣いとはいえ、室町時代に書かれた和漢混交文なので、9割方は現代日本語の延長線上にあります。
    残りの1割にも丁寧な注があるので、現代語訳のない本ですが、意味がとれなくて困ることはないでしょう。
    平安時代に書かれた枕草子のようなガチガチの古文ではないので、学生時代に古文に苦しんだ人でも、歴史が好きなら親しめると思います。

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    2025年08月10日
  • 太平記 六

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    西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
    足利義詮が二代目将軍になり京奪回、北朝・後光厳帝は
    修造が成った内裏へ還幸する。
    だが、将軍方と南朝の争いは変わらず、幕府内でも対立が。
    それでも細川清氏の討死、鎌倉公方へ謀反した畠山道誓の死、
    大内弘世、山名時氏父子の帰順、仁木義長の降参、
    上杉憲顕の返り咲きと、時代は徐々に変化していく。
    特に権勢を誇った斯波道朝(高経)が、佐々木道誉との
    対立と讒言で追い落とされ、病死してしまう。
    変化と共に時の流れも止まらず、北朝・光厳上皇の死、
    更には、鎌倉公方・足利基氏と二代将軍足利義詮の兄弟が
    相次いで亡くなり、管領・細川頼之による10歳の若君(義満)を
    補佐した幕府運営が始まる。
    ・凡例 ・全巻目次
    第三十七巻  第三十八巻 第三十九巻 第四十巻
    ・付録『太平記』記事年表6
    [解説6]『太平記』の影響――国家のかたち
    ・人名索引有り。

    南北朝時代が舞台の歴史読み物「太平記」はこれにて完結!
    最終巻も凶事続出。天変に旱魃、琵琶湖の水位低下、地震、
    京には大鹿が出たり、生首が転がったり、物付きの童が出現と。
    当会不相応な中殿御会は出席者の名前たっぷりだったけど、
    前日に天変が起こり、当日は天龍寺が炎上してしまってます。
    荒ぶるのは武士ばかりでなく、興福寺の強訴や南禅寺対三井寺、
    興福寺対延暦寺と、僧も戦っていますね。死人出てるし。
    「史記」や「大智度論」「漢書・李陵列伝」等の登場も多め。
    それにしても足利基氏26歳、足利義詮38歳の死は早過ぎる。
    で、10歳の若君(義満)を補佐しする管領・細川頼之の政治が
    始まることで、終了となります。
    付録の『太平記』の影響は、徳川家康の立場や徳川光圀の
    『大日本史』、更には南朝正統論や国体、尊王攘夷にまで
    及んでいるということでした。
    南朝対足利政権の戦記物語として読むと面白かったです。
    それにしても幕府内での権力争いの凄まじいこと。
    これが応仁の乱、戦国時代にまで続いていくんだなぁ。

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    2024年11月12日
  • 太平記 六

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    この巻はわずか200ページであり、足利義満を保護する新田氏の下りでハッピーエンドであるがそれはわずか1ページである。その後の解説には太平記の江戸時代における武士の指南書としての役割と江戸後期の攘夷までの関連が書かれている。

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    2024年01月25日
  • 太平記 三

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    南朝が滅んでいく過程である。新田義貞がついに死亡する。足利氏の完全勝利とはいかず、各地での新田勢の反乱がある。学習する歴史では簡単に南朝から北朝にということであるが、実際は複雑であることが理解される。

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    2024年01月18日
  • 太平記<よみ>の可能性

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    北畠親房と足利尊氏の理想が同じという点に驚いた。楠木正成はじめ、武臣ではない者たちが好意的に語られる点において、太平記の作者を考察するところが面白い。鎌倉〜室町時代の前例主義がうかがえるところも読んでいて気持ちがよかったが、100ページで断念する。

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    2022年10月30日
  • 〈声〉の国民国家 浪花節が創る日本近代

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    こういう本こそ、電子書籍で読みたいのだ。とにかく、桃中軒雲右衛門を始め、ちょんがれ、デロレン祭文などが頭に思い浮かばない。
    とはいえ、とても面白く読めた。論理展開や論証はやや強引な感もあるので、全面的には賛成できないが、他の芸能分野との比較などで、きちんと考えていくべき内容だと感じた。

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    2012年08月30日
  • 説経節 俊徳丸・小栗判官 他三篇

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     説教節とは、近世初頭に大道の語り芸として行われていたもので、それらのうち人気を博したものが「正本」として出版されたとのこと。本書はそんな説教節5作品を収録している。

     本書を読む直接のきっかけとなったのは、だいぶ前に舞台を観て感動した横浜ボートシアターの『小栗判官・照手姫』、代表者の逝去等を乗り越えその新版を上演するとのことで、舞台の機会に合わせてその“原作”を、活字でも読んでみたいと思ったからである。
     餓鬼阿弥陀仏となってしまった小栗を元に戻すためには、熊野本宮の湯の峰に入れなければならない。藤沢から熊野までいろいろな人が、「一引き引いたは千僧供養、二引き引いたは万僧供養」ということで、小栗の乗った土車を引いていく。舞台では、車を引く際の「えいさらえい」、「えいさらえい」の掛け声がとても印象的に聞こえた。

     「俊徳丸」、「愛宕の若」は『新毒丸』や『摂州合邦辻』にその筋が取り入れられた。仏に祈ったかいあって子宝に恵まれた夫婦だったが、つい要らぬ口をきいて仏の怒りを買い、妻が亡くなってしまう。後妻をもらうことにしたのだったが、継子いじめ、あるいは後妻からの懸想のため、「俊徳丸」では盲目の違例者(病者)に、「愛宕の若」では、助けを求めたにもかかわらず、遂には自殺に追いやられてしまうというもの。「俊徳丸」ではハッピーエンドになるが、「愛宕の若」では善人も含め関係者が皆、若君が身を投げた滝に次々に身を投げてしまう。不思議な展開?

     「山椒大夫」は、これに材を取った鷗外の『山椒大夫』が有名。いかにも語りものだなと思ったのは、逃げ出した厨子王が匿われた寺に、ここにいるのではと追い掛けてきた山椒大夫一味に対し、寺の聖が「そのような者はいない」と大誓文を立てる場面。日本全国の有名な神社の名を次々に挙げて、その神仏にかけて誓いをする。聞いている者はきっとありがたく思いながらその名前を聞いたのではないだろうか。

     「隅田川」、能が有名。息子にとうとう会うことが叶わなかった母親の悲哀がつらい。

     音読しながら読むといい感じがするが、実際どのような語りだったのだろうか。現代になってのものだが音源もあるらしいので、一度聞いてみたいものだ。

     

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    2024年01月28日