【感想・ネタバレ】太平記 三のレビュー

あらすじ

建武3年(1336)5月,足利軍との戦いに敗れた楠正成は湊川で自害し,暦応元年(1338)閏7月新田義貞も流れ矢に眉間を射られて討死した.南朝の勢力が衰える中,武家は公家を軽んじ,佐々木道誉は延暦寺の門跡寺院を焼き討ちする暴挙に出た.2年8月後醍醐帝は病となり八宮への譲位などを遺言して死去した.(第十六-二十一巻)[全6冊]※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.

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Posted by ブクログ

西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
足利軍復活!
九州から尊氏は海路、直義は陸路で京へ。
南朝は、湊川の戦いで楠正成の敗北と自害、
越前では新田義貞が流れ矢に眉間を討たれて討死する。
比叡山臨幸後、花山院に幽閉された後醍醐天皇は脱出し、吉野へ。
北畠顕家の大軍は奥州から進軍を続け、吉野へ。
だが阿倍野の戦いで顕家は戦死する。
北朝では、光厳天皇が重祚し、足利尊氏は征夷大将軍に。
そして南朝の要、後醍醐天皇が吉野で逝去する。
・凡例 ・全巻目次
第十六巻 第十七巻 第十八巻 第十九巻
第二十巻 第二十一巻
・付録 系図(赤松氏系図・佐々木氏系図)
    『太平記』記事年表3
[解説3]『太平記』の歴史と思想
・地図 船坂・熊山・福山合戦関係図
    比叡山周辺図 越前合戦関係図

南北朝時代が舞台の歴史読み物「太平記」。
合戦の臨場感や京中の混乱の様子がひしひしと伝わってきます。
この時代の戦闘は、弓と馬が主役だなぁとも感じます。
楠正成の正行への遺訓や楠兄弟の自害、瓜生判官の母の心情、
一宮と御息所の恋物語、「史記」の嚢砂背水の陣、
結城入道宗広の十悪五道な振る舞い、塩谷判官の悲劇など、
読者の心をくすぐる物語が盛り込まれているのも、興味深い。
また、比叡山臨幸と、還幸供奉&北国落ちの、
公家と武家一覧があり、比較するのも面白かったです。
正々堂々なってものではなく、裏切りや謀反、謀殺や毒殺、
確執もあり、なんかドロドロした気配も漂ってきな臭い。
さあ、始まったばかりの足利政権の今後は?

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2024年09月10日

Posted by ブクログ

南朝が滅んでいく過程である。新田義貞がついに死亡する。足利氏の完全勝利とはいかず、各地での新田勢の反乱がある。学習する歴史では簡単に南朝から北朝にということであるが、実際は複雑であることが理解される。

0
2024年01月18日

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