あらすじ
元弘3年(1333),後醍醐帝の綸旨を得て,足利尊氏は北条一族追討の兵を挙げる.新田義貞・赤松円心らが加わった倒幕軍の勢いは止まらず,五月,北条高時以下873人が自害,150年続いた鎌倉幕府は滅亡した.だが,京に戻った後醍醐帝の親政はやがてほころびを見せ,建武政権に反旗を翻した尊氏は,九州へ落ちる.(第九─十五巻)※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.
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Posted by ブクログ
西源院本に現代文でも分かるよう、訳と注を配置している。
それは、ほんの4年間の出来事。
足利高氏謀反!朝敵追討の綸旨を得た彼と後醍醐方の猛攻に、
ついに鎌倉幕府は滅亡へ。後醍醐帝中心の建武新政権開始。
だが公家一統政道の内政の矛盾は、寵臣と武士の軋轢を生む。
護良親王の捕縛と死。各地での北条氏残党の蜂起。
中先代の乱を平定した足利尊氏と新田義貞の対立からの、
尊氏対象の朝敵追討の綸旨。尊氏と直義は官軍と対峙する。
足利軍の反撃と各地の朝敵蜂起により、帝は比叡山へ臨幸。
勢いに乗った尊氏は京へ。しかし奥州から馳せ参じた北畠顕家や
新田義貞の軍勢、楠正成の軍略などで足利軍は大敗する。
帝は還幸し、花山院を皇居に。足利軍は僅かな手勢で九州へ。
敵中での奮戦により、なんと九州全土を制圧してしまう。
・凡例 ・全巻目次
第九巻 第十巻 第十一巻 第十二巻
第十三巻 第十四巻 第十五巻
・付録 系図(足利氏系図・新田氏系図)
『太平記』記事年表2
[解説2]『太平記』の言葉
・地図 近江国略図 武蔵国関係図 鎌倉図 大内裏図
内裏図 比叡山周辺図 近畿地方略図
南北朝時代が舞台の歴史読み物「太平記」。
死を前にした家族との別れは涙を誘うが、
同じ源平の戦いでも「平家物語」と異なるのは自害の多さ。
京の探題滅亡での自害は432人。『吾妻鏡』を意識したのか、
2ページ半に延々と主な自害者氏名が並ぶのだけど、
さすがに大変だったのか、鎌倉幕府滅亡での自害873人は
ぐんと氏名の数が減り、中先代の乱では43人と少ないのに
諏訪頼重の氏名だけ。まぁ面の皮を剥いだからもあるけどね。
加えて、目の前の仲間が敵に回る、裏切りや寝返りの生々しさ。
状況次第で降人になったり、領地まで逃げたりしちゃうし~。
さすがに戦記だけあって戦闘シーンは詳しい。
でも九州の多々良浜合戦、足利軍三百余騎に菊池軍五万騎と
数は盛ってても、足利軍が勝利って???運の強さって何?
でもま、4年間の運命の変遷が分かる濃厚な内容でした。