【感想・ネタバレ】説経節 俊徳丸・小栗判官 他三篇のレビュー

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Posted by ブクログ 2024年01月28日

 説教節とは、近世初頭に大道の語り芸として行われていたもので、それらのうち人気を博したものが「正本」として出版されたとのこと。本書はそんな説教節5作品を収録している。

 本書を読む直接のきっかけとなったのは、だいぶ前に舞台を観て感動した横浜ボートシアターの『小栗判官・照手姫』、代表者の逝去等を乗り...続きを読む越えその新版を上演するとのことで、舞台の機会に合わせてその“原作”を、活字でも読んでみたいと思ったからである。
 餓鬼阿弥陀仏となってしまった小栗を元に戻すためには、熊野本宮の湯の峰に入れなければならない。藤沢から熊野までいろいろな人が、「一引き引いたは千僧供養、二引き引いたは万僧供養」ということで、小栗の乗った土車を引いていく。舞台では、車を引く際の「えいさらえい」、「えいさらえい」の掛け声がとても印象的に聞こえた。

 「俊徳丸」、「愛宕の若」は『新毒丸』や『摂州合邦辻』にその筋が取り入れられた。仏に祈ったかいあって子宝に恵まれた夫婦だったが、つい要らぬ口をきいて仏の怒りを買い、妻が亡くなってしまう。後妻をもらうことにしたのだったが、継子いじめ、あるいは後妻からの懸想のため、「俊徳丸」では盲目の違例者(病者)に、「愛宕の若」では、助けを求めたにもかかわらず、遂には自殺に追いやられてしまうというもの。「俊徳丸」ではハッピーエンドになるが、「愛宕の若」では善人も含め関係者が皆、若君が身を投げた滝に次々に身を投げてしまう。不思議な展開?

 「山椒大夫」は、これに材を取った鷗外の『山椒大夫』が有名。いかにも語りものだなと思ったのは、逃げ出した厨子王が匿われた寺に、ここにいるのではと追い掛けてきた山椒大夫一味に対し、寺の聖が「そのような者はいない」と大誓文を立てる場面。日本全国の有名な神社の名を次々に挙げて、その神仏にかけて誓いをする。聞いている者はきっとありがたく思いながらその名前を聞いたのではないだろうか。

 「隅田川」、能が有名。息子にとうとう会うことが叶わなかった母親の悲哀がつらい。

 音読しながら読むといい感じがするが、実際どのような語りだったのだろうか。現代になってのものだが音源もあるらしいので、一度聞いてみたいものだ。

 

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