鎌田慧のレビュー一覧
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1997年5月に神戸で起きた少年殺人事件を緒に、マスコミの対応や学校の対応、いじめ問題から今後の教育へと論が進められていく。
1998年10月発行で、冒頭の事件が起きた一年前後の期間に、著者が学校と教育について書いた文章を集めたもの、という体裁の文庫版。週刊誌に連載されていた記事もあり、当時の社会情勢を反映した、臨場感のある鎌田節が読める。
学校や、ひいては会社など大人社会にも蔓延するいじめや過労、それらが引き起こす自殺についての例を挙げながら、著者は一貫して「弱いものが生き延びられないような社会で良いのか?」と問い続ける。
信じがたいような少年犯罪や、死んでしまうことでしか自分の気持 -
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今から約40年前、自ら自動車工場の期間工として半年間働いた著者のルポルタージュ。
当時の日記を基にしているので、当時の苛酷な労働環境や周りの労働者の思いなどが生々しく描写されている。
初版は1973年だが、今読んでも色褪せてない。てか、今読むべき本なんだと思う。
まだ自分が生まれる前、こういう人たちの懸命の働きで日本が発展を遂げてきたと考えると心が痛くなる。
著者はあとがきで「今の時代のほうが大変」と書いているが、本当にそうだろうか。
現代に生きている自分たちも、もっともっと努力できるんじゃないだろうか。
いろいろ考えさせられる一冊でした。
にしても、出てくる自動車会社の徹底的な合理 -
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六ヶ所村再処理工場のアクティブ稼働をめぐる人々の姿を描いたドキュメンタリー映画「六ヶ所村ラプソディー」の前史ともいえる鎌田慧さんによるルポルタージュ。人間の暗部をこれでもかというようにえぐっている。後半は驚くべき事実のオンパレードである。
六ヶ所村は青森県の下北半島の東側に位置する。ここは隣接する三沢市などの人たちからも「鳥も通わぬ村」「青森の満州」などと言われているという。そんな六ヶ所村がいかにして核施設が集中することになったのかを描いていく。
原発は「トイレのないマンション」との比喩をされている。これは見かけは立派だが、最後の処分ができない、との皮肉である。原発には使い終わった後に放射 -
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原発暴走列島 単行本(ソフトカバー) – 2011/4/27
エネルギー政策までは踏み込んでない
2011年11月27日記述
自動車絶望工場などの著作がある鎌田慧さんの本。
今回の震災を受けての原発事故についても述べているけれどもこの本の多くはかつて著者が発表したものを再編集した本。
反原発の立場からの取材が中心。
当たり前だが電力会社、それを進めた自民党政権、への批判は厳しい。
マスコミについても広告費関連のためかベタ記事で済ませてきた過去が分かる。
物足りない点は基本的にこれまでについて語っており、これから(未来)どうするべきかが脱原発のみでエネルギー政策をどうするかまで踏み込ん -
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ルポの名著といわれているもの。書名は知っていたけど、こんな昔の本だったのかという印象。そして、だいぶ昔な感じかなと思いながら読んでみると、驚くほどそんな感じがしなかった。もちろん、いまのトヨタの工場がどうなってるか知らないし、ここに書かれているよりは労働環境はよくなっているだろうけど、でも何というか……まさに絶望を誘うような状況があるだろう。そのことは書中の「補章の補章・キカンコーとハケン」でも示唆されているし、ハケンというものができてより大変になっていることが示唆されている。
読みつつ思ったのは「勤勉」ということの価値。1970年代ですら勤勉は不器用クソ真面目の言い換えのようなとらえ方があっ -
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私たちはあきらめてはいけない。
私たちには、私たちの子供、私たちの孫、私たちの子孫、そして世界の未来に安全に暮らせる日本を、そして地球を手渡していく責任がある。
福島第一原発事故のあと、原発再稼働が強引に行われ、そしてまだ次々と再稼働、新設工事再開が狙われている。
福島第一原発4号炉は、停止中に地震によって壊れた。
いま、一時的に原発が止まっているからといっても、安心してはいけない。
5号炉、6号炉の廃炉ですら、大規模災害後3年半も経ってようやく渋々と始めようとするくらい、原発関係者は恐らく狂っている。昔の漫画のように、彼らの瞳はきっと -
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日本ではとかく勧善懲悪が基本的に支持されるので、殺人者=死刑で裁かれるべき、というのが常に趨勢になる。
そのため死刑廃止論は抹殺されがち。もちろん自分の子供が殺されたら加害者を絶対死刑に頬むりたいって思うだろう。その気持ちはもちろんよく分かる。
だけど裁判とか刑法というのは、そういう被害者感情だけに流されては本来いけないはず。とはいえこの著者もそうだけど、そういうこと言うと叩かれてしまう。
刑法39条の心神喪失者や心神耗弱者に対する免刑・減刑規定により、日本の殺人事件の裁判は、複数の精神鑑定結果報告の解釈が重要視されるようになってしまい、事件の本質がどんどん見えなくなってしまう傾向にあるようだ -
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1983年の著。戦前の日本の状況について書いたものかと思った。もちろん、筆者の年齢を考えればそんなはずはないことはすぐに分かるのだが、、、それぐらい、時代錯誤で封建的、軍隊もかくや、というほどの規律に縛られた異常な状態が記されている。教師から生徒への横暴はもとより、教育委員会から学校、すなわち校長に対する締め付けや、それが助長する閉鎖的な隠蔽体質など、自分が学校に通う年齢だったこの時代に、こんな現実がまかり通っていたなんて、衝撃である。嘘だと信じたいが、私は、生まれ育った地域や周囲の環境のおかげでたまたま、これらのことに触れずに生きてこられただけ、幸運だっただけ、いうことなのだろう。
あるいは -
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1970年4月に東大経済学部を卒業した人たちの現在(1988年)までを追った話。だいぶ昔に取材されたものなので、その後の合併やら吸収やらで今はない企業名などもちらほら。世の無常を感じる。
昔の経済卒なので、エリート街道まっしぐらな人しかいないのかと思いきや、意外に途中で方向転換した人もいた。東大闘争というのは彼らに少なからず影響を及ぼしているようだったが、その話と現在の話の関連がイマイチピンとこなかった。元々雑誌連載の記事だったので、コンパクトにまとめられているのだろうが…また、会社員への取材であれば、企業広報課を通さねばならないことも多かったらしい。そのせいもあるのだろうか。
自営業や新