土井善晴のレビュー一覧
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精神的なものから体調を崩して、料理ができなくなって、1年以上夫に食事を任せきりにしていた。
ごく稀に自分で作っても、美味しいと思えなくなっており、ますますやる気と自信をなくして、作れなくなった不安感と焦燥感だけが募り、どんどん台所が遠のいていた。負のスパイラル。
縋るような気持ちでこの本を手に取ってから、読み終わる前にまた台所に立てるようになった。知人が作ったたくさんの野菜をいただいて、実家で使っていた味噌を買った。夫の実家の文化から来た落とし卵と作る味噌汁。とびきり美味しいわけでもなく、不味くもならず、台所に立てるようになった自分への安堵感と食べた時の安心感を得られた。生活を取り戻す一歩を進めた気がした。
また、間に入っている味噌汁の写真や器、お膳に乗った食事の写真がとても美しく、癒された。
読み進めると、昔の日本の生活様式、祖母の家で過ごした記憶が蘇り、とても貴重で安心できる時間だったことを思い出すことができた。
土井先生ありがとうございます。 -
Posted by ブクログ
今の時代、男も料理くらい作れなくては。そう考えて料理教室に入ったことがある。月1回×12ヶ月のコースだったが、ちゃんと通ったのは最初の2回。残りは月謝だけ払って行かなかった。
そんな私だが、今では毎晩料理している。いや、毎晩はちょっと盛りすぎた。レトルト食品に頼ることもある。とはいえ、あの頃に比べれば格段の進歩である。料理教室で挫折した私が、なぜ料理できるようになったのか。
独身時代は仕事から帰ったら缶ビールを1本空け、つまみを一品晩飯代わりにしていた。はじめはスーパーやコンビニで出来合いの惣菜を買っていたが、そうするとだんだん飽きる。それで一品だけ作ることから始めた。
毎日の料理は続けられることが大事だ。私が料理教室を続けられなかったのは、続けられないくらい私にはハードルの高い料理だったからである。要するに一汁一菜とは、誰でも続けられる料理のシステムのことだ。
とはいえ、一汁一菜は単なる時短テクニックやライフハックではない。毎日食べるということは、毎日食べても飽きない食事でなくてはならない。テレビのグルメ番組で見るような、一口食べただけで美味しいと感じるようなご馳走は、毎日食べれば必ず飽きる。それは脳が喜ぶ料理で、体が喜ぶ料理ではない。白いご飯にお味噌汁は、毎日食べても飽きない。日本人は体が喜ぶ食事を知っている。
「素材の味」という言葉があるが、考えてみるとご飯とお味噌汁は素材そのものだ。ご飯はお米を研いで水加減をして炊いただけ。味噌は大豆に麹を混ぜて醗酵させたもの。どちらも人工的な味付けは一切していない。これが自然をいただくということであり、自然とつながる日本人の心だ。和食文化を守るということは、一流の料理人が手間暇かけて作ったご馳走を有り難がることではない。
ご馳走はたまに食べるから美味しい。日本人はそれをハレとケに分けてきた。そしていつもの食事はいつも同じだからこそ、毎日の、あるいは季節ごとの、ちょっとした変化を感じることができる。一汁一菜には昔の人の知恵が詰まっている。 -
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ネタバレ◎読む目的
栄養バランスや普段の食事について考えるきっかけにするため
◎学び
忙しさを理由に暮らしがおろそかになりがちな時代だからこそ、食事を大切にしたいと感じた。
食べることは生きることそのものであり、家族と囲む毎日の食卓は人生の土台になる。
これから子どもができれば、食事は次の世代へ健康や習慣を受け継ぐ大切な営みになる。
大切な家族のためにも食に責任を持ち、手軽さだけを優先するのではなく、無理のない範囲で栄養バランスの取れた食事を続けていきたいと思った。
暮らしの基盤が崩れると心身の健康や仕事にも影響するため、まずは日々の生活を整えることが重要だと感じる。
また、SNSやテレビ、広告では刺激的で華やかな食べ物が次々と紹介されるが、そうした情報に流されすぎず、自分で判断することも大切だと思った。
たまに楽しむのは良いが、日常の食事は和食のような地味でも栄養価が高く、長く続けられるものを中心にしたい。
現代は海外の食文化や加工食品が身近になり、意識しなければ簡単に不摂生な生活になってしまう環境でもある。
だからこそ、食べることが自分や家族の未来につながることを忘れず、具だくさんの味噌汁を取り入れることや献立をある程度固定化することなど、栄養バランスを維持しやすい仕組みを作っていきたいと思った。
◎アクション
・献立の型を固定化する
主食、具沢山味噌汁、メイン、缶詰
・以下内容を調べる
和食
味噌
昔の人の食生活 -
Posted by ブクログ
漠然と昨今の家庭料理の欠如を心配していたので、
料理学に於いて重要視されていることを知って良かったです。
優しく易しい言葉で大切なことを語られている本でした。家庭料理をもっと楽しく大事に味わい深く作れるようにと、素直に思いました。
現代の生活の変化によって小学生のうちにケアラーとなり料理を家族の分まで作る現実を思い出しながら、本書で朝食を食べないで登校する子供達についての記述を読みました。時代の危機的な変化を認識して、前半で書かれているように「ちゃんとすること」を改めて大事に出来る人間であるべきなのだと思いました。
料理の発達とともに料理学も非常に発展しているので多く知りたいと思うキッカケとなり有難い本でした。 -
Posted by ブクログ
本書を読んでまず驚いたのは、「ただの食事」と思っていたものが、暮らしそのもの、生き方そのものとこんなに深くつながっていたのか、ということでした。土井先生が紹介する、家庭料理を作ってきたお母さんたちの「救われた」という声や、さまざまなシーンで料理に関わってきた人たちの価値観が変わっていく様子に、「料理の捉え方が変わると、暮らしの向きも変わるんだ」と実感させられました。
一汁一菜は、流行りの“丁寧な暮らし”のファッション的なムーブメントではなく、日本の「晴れと褻」の感覚や、民藝、縄文文化までさかのぼるような、文化の根っこの部分から提示されている暮らしの哲学だと感じました。足し算・掛け算で「何品も作らなきゃ」と力んでいた自分に対して、「味噌汁に旬の野菜や少しの肉を入れて、きちんとご飯を炊けば、それで十分」という引き算の提案は、とても優しく、しかし芯の通ったメッセージでした。
結婚してから、自分が作りたいもの・食べさせたいものに意識が向きすぎて、結局コンビニや外食に頼ってしまう日も多くありました。作り手の顔が見えない食事から同じように栄養を摂るのか、それとも味噌汁一つでも、自分や家族のために台所に立つのか。その違いは、健康面だけでなく、暮らしへの肯定感にもつながるのだと教えられました。
また、ここ数十年のファストフードやチェーン店化の広がりと、糖質・脂質の過剰摂取といった現代の食事情への視点も興味深かったです。ジャンクフードの「その場の快楽」も知っている30代半ばだからこそ、日々の軸足は一汁一菜のような、心身ともに心地よい食に置きたいと思うようになりました。
料理が苦手な人や、毎日のごはん作りに疲れている人はもちろん、「自分にとっての心地よい暮らしとは何か」を考えたい人にもすすめたい一冊です。いい食事を通して、いい人生を少しずつ編み直していく。その入り口に、この本は静かに、けれど確かに立っていると感じました。 -
Posted by ブクログ
すごい。もはや哲学の域。
実家を出て料理を始めて28年。この間、基本の料理、カリスマ主婦の料理、時短料理、ズボラ料理、本格料理、世界の料理、⚪︎⚪︎幼稚園の人気メニュー、絵本に出てくる料理。。。ヨシケイ、オイシックス、家事代行。。。色々なものを試したけれど、決して満たされることはなかった。料理はいつもプレッシャーだった。
特に、子どもを持ってからの料理は大変だったし、末っ子が食べ盛りになった今も大変。あぁ、私は孤独に責任を負って、自分自身は食べることを楽しめずに、辛かったのだなと振り返る。
目の前の素材としっかり向き合って、命をいただく。生きていくことの基本かなと。
金言 料理は南無阿弥陀仏に似ている
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●日本人と自然・美
人間は自然に寄り添うことで、過剰を抑えることができるのです。
日本人は毎日、同じ代わり映えのない暮らしをしていても、自然の移ろいに現れる小さな変化に美を見つけるのです
美を見つける事は、自然と人間が調和するところを感じとることでもあります
生活と仕事が分離したところに美しいものは生まれない。by 白洲正子
その瞬間を心に留め、心に楔を打つことを、日本人は「もののあわれ」と表現してきました
これが絶えず変化する命の一瞬をつかむ術です。それが情緒豊かに生きること、自然と共存すること、いつでも心を動かすことにつながります。
●和食
和食には洋食の濃厚味や中華料理の強い味や香りの抑揚はありません。しかし食事に美を見つけることで心の豊かさを作ってきた。
大自然と調和する食文化はなくしてしまうと二度と取り戻せないものです。
●和食の料理
料理はハンナアーレントの言う「人間の条件の基礎的側面」である。人間の条件の基礎的側面は失ってはならない。
和食の創造性とは、精神性を深めるところにあります
仕事のある平日は、何も考えない。ご飯を炊いて、味噌汁以外は作らないと決めることです。まず自分を解放してください。
和食の調理は、感覚所与を磨く機会・エクササイズです。全く同じものができたのでは和食の面白みを失います。違いに気づき、違いを見つけることで感性が磨かれるのです。違いに気づく事は小さくとも発見ですので嬉しくなります。これが日本における人間創造の深化です。
姿形色もそのままにして、できれば紫陽花つけたくないと言う考えが和食の調理にはあります。和食は何もしないことを最善とするのです。
料理は南無阿弥陀仏に似ていると思います。1 11歳と言う日本の食事スタイルはいつでもすぐに実行できます。1 11歳は人間の暮らしを健全になめらかにします。毎日何も考えずに料理をして仕事をする。これを繰り返すことです。
●間違った価値観
手間をかけるのが料理であり、また手間をかけるのがおいしいものである
時間と手間を省略する事は何も生み出さないため、クリエーションではありません
料理をいっぱいしないと手抜きをした気分になる。なぜか満足できない。それを解決するのはきれいにすることです。まずは御膳を整えて場をきれいにすれば簡単な料理でも大丈夫です。きれいにすることで充実感が生まれます。