すごい。もはや哲学の域。
実家を出て料理を始めて28年。この間、基本の料理、カリスマ主婦の料理、時短料理、ズボラ料理、本格料理、世界の料理、⚪︎⚪︎幼稚園の人気メニュー、絵本に出てくる料理。。。ヨシケイ、オイシックス、家事代行。。。色々なものを試したけれど、決して満たされることはなかった。料理はいつもプレッシャーだった。
特に、子どもを持ってからの料理は大変だったし、末っ子が食べ盛りになった今も大変。あぁ、私は孤独に責任を負って、自分自身は食べることを楽しめずに、辛かったのだなと振り返る。
目の前の素材としっかり向き合って、命をいただく。生きていくことの基本かなと。
金言 料理は南無阿弥陀仏に似ている
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●日本人と自然・美
人間は自然に寄り添うことで、過剰を抑えることができるのです。
日本人は毎日、同じ代わり映えのない暮らしをしていても、自然の移ろいに現れる小さな変化に美を見つけるのです
美を見つける事は、自然と人間が調和するところを感じとることでもあります
生活と仕事が分離したところに美しいものは生まれない。by 白洲正子
その瞬間を心に留め、心に楔を打つことを、日本人は「もののあわれ」と表現してきました
これが絶えず変化する命の一瞬をつかむ術です。それが情緒豊かに生きること、自然と共存すること、いつでも心を動かすことにつながります。
●和食
和食には洋食の濃厚味や中華料理の強い味や香りの抑揚はありません。しかし食事に美を見つけることで心の豊かさを作ってきた。
大自然と調和する食文化はなくしてしまうと二度と取り戻せないものです。
●和食の料理
料理はハンナアーレントの言う「人間の条件の基礎的側面」である。人間の条件の基礎的側面は失ってはならない。
和食の創造性とは、精神性を深めるところにあります
仕事のある平日は、何も考えない。ご飯を炊いて、味噌汁以外は作らないと決めることです。まず自分を解放してください。
和食の調理は、感覚所与を磨く機会・エクササイズです。全く同じものができたのでは和食の面白みを失います。違いに気づき、違いを見つけることで感性が磨かれるのです。違いに気づく事は小さくとも発見ですので嬉しくなります。これが日本における人間創造の深化です。
姿形色もそのままにして、できれば紫陽花つけたくないと言う考えが和食の調理にはあります。和食は何もしないことを最善とするのです。
料理は南無阿弥陀仏に似ていると思います。1 11歳と言う日本の食事スタイルはいつでもすぐに実行できます。1 11歳は人間の暮らしを健全になめらかにします。毎日何も考えずに料理をして仕事をする。これを繰り返すことです。
●間違った価値観
手間をかけるのが料理であり、また手間をかけるのがおいしいものである
時間と手間を省略する事は何も生み出さないため、クリエーションではありません
料理をいっぱいしないと手抜きをした気分になる。なぜか満足できない。それを解決するのはきれいにすることです。まずは御膳を整えて場をきれいにすれば簡単な料理でも大丈夫です。きれいにすることで充実感が生まれます。