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料理に失敗なんて、ない――レストランで食べるものと家で食べるものとを区別し、家庭では簡素なものを食べればよい、という「一汁一菜」のスタイルを築いた料理研究家・土井善晴。フランス料理、日本料理の頂点で修業を積んだ後、父と同じ家庭料理研究の道を歩む人生、テレビでおなじみの笑顔にこめられた「人を幸せにする」料理への思い、ベストセラー『一汁一菜でよいという提案』に至るまでの道のりを綴る。
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Posted by ブクログ
おもしろかった。仕事への向き合い方から、地に足をつけて生活することについてまで。ごはんを味わうことだけでなく、目の前の現実をどう捉え、咀嚼し、自分のものにしていけるかということが軽快な語り口で綴られている。背筋が伸びて、心が軽くなって、お腹が空いてくる。生きてることを実感できる1冊。
土井さんがご自身の半生を振り返りつつ、なぜ「一汁一菜でよい」と提案するに至ったのかを記述されている。 私は食べることに目がなく、外で美味しいご飯を食べることを楽しみに生きている人間である。 そんな人間こそ、この土井先生のおっしゃる提案には耳を傾けるべきだと思う。 そうすれば、より良い食生活を堪能す...続きを読むることができると思う。
先日読んで素晴らしかった「一汁一菜で良いという提案」の後に書かれた、そこに至るまでの料理家・土井善晴さんの経験や哲学をつづった本。本書も同様に良かった。 有名な料理家の土井勝さんの息子で、子どものころから料理を志すのが当然と考えて育った。フランス料理を学ぶためにスイスやフランスへ修行に行き、帰国し日...続きを読む本料理の道に進む。そこでは繊細な調和のとれた美しさや旬より早い食材が良いとされた。 テレビの料理番組に出演し、父の料理学校の後を継ぎ、町おこしレストランのコンセプトづくりやレシピ書き、調理指導など、さまざまな仕事をして感性を磨いてきた。その中で気づいたことが印象的である。例えば、 「食事とは、自分で判断し、他社との関係を健全に維持することで、人品をはかられ自身の生きていく力を育てる場になる。つまり、食事は、そもそも自立していなければ実現できないのです。」「調理場や道具をきれいに手入れしておけば、不思議なことに、仕事に追い込まれたときに道具が味方してくれ、自分(の仕事)を守ってくれていると感じるのです」などである。 一汁一菜とは、家庭料理の簡潔なかたちであり、そこが原点でもあるいっぽうで、一汁一菜さえ整えれば何とかなるという著者の考えである。本当にそうだと思うし、家で誰かが作ってくれる料理には、その人の愛情が詰まっているのだ。それを食べることの幸せをかみしめていきたい。
料理を通じて世界の事、地球の事、世の中の事、家族の事、自分の事を色々と考える事が出来る本です。味噌汁に色々な具をいれてみたいと思います。
料理研究家の著者の生い立ち、料理との向き合い、フランスでの料理修業、日本の「味吉兆」で学んだこと、家庭料理への向き合い方など、料理研究家土井善晴氏のエッセイ。 一言で料理と言っても、民族、生活環境などにより、食材も違えば、調理方法や盛り付け、食器、調理道具も違う。調理する側と食す側の両面から、多...続きを読む様な提案をされるのが、押しつけでなくスーッと心に入ってきます。 レストランや料亭で食べる料理と家庭料理は違う。時間に手間、食材など枚挙に暇がない。しかし、家庭では家族の要望や暗黙知があり肩肘張って、家庭料理は「~ねばならない」と暗黙の同僚圧力に押し潰されていないか。一汁一菜に「愛と栄養」を注ぎ込めば、出汁いらずでも食材からしっかり出汁が出ることに気づく。早速、化学調味料や過分な出汁で味を誤魔化してきた調理を反省し、楽しくおいしい料理を心がけよう。 閑話休題①家庭料理と料理屋 魯山人は「料理芝居」という随筆に、「家庭料理は料理というものにおける真実の人生であり、料理屋の料理は見せかけだけの芝居だということである」として、その違いを明らかにしています。 閑話休題②味噌汁 土井善晴氏は、味噌汁はもっと自由であって良いと提案される。唐揚げの味噌汁もあり。「料理教室の生徒から毎度『○○を入れてもいいんですか』と確認されます。味噌汁に入れたくないものはあっても、味噌汁に入れていけないものなんてありません。それが味噌汁の凄さです。著者も日々、味噌や味噌汁の万能には驚いています。」となんて自由な発想。 結婚するまで料理をすることのなかった私は、パートナーや子供たちの食事を作る必要に迫られて様々食材を使った味噌汁に挑戦したが、食材の組み合わせがイマイチの事も数多く経験し、結局いくつかのパターンに落ちつくことになった。大根と南関あげ、豆腐とわかめと南関あげ、じゃが芋と玉葱と南関あげ、などなど。必需品なのは「南関あげ」、これ一つで風味がよくなるので、我が家の必需品である。逆に、万能ネギを使わないのも我が家流なのだろう。パートナーは、専ら豚肉とほうれん草の味噌汁がお気に入り。また、私が味噌汁を作る場合が多く、中華スープや溶き卵スープなど、調理のバリエーションを変えてくれて、二人で分担することでレパートリーは2~3倍になったことだろう。 10数年前に、子供たちが小学校の授業で味噌汁を作ってきたと話していた。先生によると、「あげと長ネギの細切りが味噌汁の基本」と教えられたと言っていた。その刹那、ものすごい違和感を憶えたが、担任の先生の手前、批判もせず飲み込んだが、我が家では学校で教えられた基本と違う味噌汁が日々提供されていることで、子どもなりに感じたこともあったのではないだろうか。 閑話休題③米 「国を挙げての国民の栄養向上政策の努力は実り、昭和50年(1975)年ごろには、ごはんを中心とした日本型食生活が完成したと喜ぶようになりました。しかし、その束の間、外食の楽しみを知ると、一気に肉食が進み、油脂(エネルギー)の取り過ぎに偏り、生活習慣病、さらにメタボが表れ、現代に至ります。」とまとめます。コロナ禍が追い打ちをかけるように宅配料理が跋扈(ばっこ)し、地域の食堂は衰退し、テイクアウトによるジャンクフードが軒並み業績を伸ばしているのを見るにつけ、コロナ禍で食生活を送ったZ世代の将来の健康状態や病気が気になるのは私だけだろうか。一方で、学校の休校で、唯一の栄養源であった給食が途絶えた子供たちもいて、体重減少の著しい子供たちが一定の割合でいることも気になる。貧困と格差が食事・栄養、教育に表れることを警鐘事例として捉えておくことが必要だろう。どこかの国の首相が「子ども食堂」に行ったことをさも自慢げに誇っていたが、「子ども食堂」が重要なのではなく、子供たちを生み・育てる親や保護者の所得増が必要だとは認識していないようだ。 もう一つ、佐藤洋一郎さんが中公新書で著した「米の日本史―稲作伝来、軍事物資から和食文化まで(2022年2月18日発売)」の中でも、やはり1970年代に入って日本人はやっとお腹いっぱいご飯(米)を食べることができたと指摘しており、日本人と米のかかわりを再認識できた。同時にロシアのウクライナ侵攻で、小麦が高騰し、パンや麺類が軒並み値上がりする中で、日本国民は生活防衛の観点から米への原点回帰が起きていることにも注意が必要なのだろう。かつて第1次世界大戦の帝国海軍は、兵隊に米中心の食事を提供したが、深刻な脚気・栄養障害に悩まされ、戦意・戦力が大いに低下した。あらためて米の炭水化物だけでは栄養素を賄えないことを認識したわけで、米への原点回帰が栄養の偏りより、脚気が再流行しないか心配しているのは、過剰反応であろうか?
土井先生の優しさが沁みる。料理に失敗なんて、ない。私の作る料理にも失敗なんてない。だから今日もごはんを作る。味噌汁には何を入れてもいい。背中を押してもらいました。ズッキーニ入れたら変かな?とか気にしません。入れました。おいしかった。コーンもいい。何を入れてもおいしい。お味噌汁すごい。 土井先生の修行...続きを読む時代のお話がおもしろかった。ドラ息子時代もいい。小布施での挑戦のところもよかった。そしてたくさん本を読んで、美術館や博物館にも行って、たくさん学んでこられたんだなあ。師匠がたくさんいて、皆さんを尊敬している。素敵だなあ。 おかずのクッキングや、きょうの料理の話もあってなんだか嬉しい。後藤アナのこともちらっと出てきて。また土井先生と後藤アナのコンビでやってほしいな。
「おかずのクッキング」などでお馴染の土井善晴の自伝。「自伝なんてものではない」とまえがきに書かれるが、これは自伝以外の何ものでもない。生まれからフランス修行時代、味吉兆での修行時代、おいしいもの研究所時代を経て、「家庭料理は民藝に通ず」「料理をするとは、自分で幸せになれること」「自然のうつろいに気が...続きを読む付けば、同じ味噌汁は二度と作れない」などの悟り(これはまさに悟りだ)に至るまでを著す。料理を通して語られる人生訓はどれも肩の力が抜けていて、魅力的。肩肘張っていては、一日三膳三百六十五日の食事は作れないのだから、自然とそうなるのであろう。
僕は料理をすることが嫌いではないけれど、この本を読んでいて改めて自分勝手流でいいから「一汁一菜」をしてみたいと思えました。 ご飯を炊いて、味噌汁を作る。 これだけでいい。これさえあればいい。 そんな家庭生活、食生活をしたいと思いました。
頭の中で土井先生の声が聞こえてきそうな語り口で綴られる一汁一菜までの軌跡。 フランス料理から日本料理、家庭料理になど多くの道を通じてきた中での一汁一菜なんだということに繋がった。土井先生の中でどんな「気づき」があったのかが知れる。
父と同じく料理研究家の道に進んだ筆者、フランス、味吉兆での料理修行から父の作った料理教室の手伝いを通じて家庭料理の大切さに気づくまでを回想する。 民藝と同様、家庭料理の重要性に気づくまでの過程、厳しい修行を経たからこそ回り道をして得た一汁一菜の思想。 筆者の人生に、父親の暖かい見守りの視点が感じ...続きを読むられる。堅苦しいことを考えず料理も食べることも楽しみたくなる。
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