ヴィクトール・E・フランクルのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ず〜〜んと重くなってしまって、放心状態の中にいる…
今日はもう難しいこと考えらんないや
ホロコーストの中身を初めてちゃんと知った気がする
触りじゃなくて、実態を。
むごいなあ…筆者がその中を生き抜いてこうやって本を出してるから「こんな極限状態でも人間って生きていけるんだな」と錯覚しかけたけど、そんなことないんだよな
さらりと書かれる亡くなっていった人たち
読んでる方もだんだん慣れていくのか、人が死んだという描写にそりゃそうだろうなと、読み進めていくうちに鈍感になっていく
生き延びて収容所を出れても、世間や世間の人たちの反応から新しい苦しみと対面するっていうのも救いがなさすぎるよと
PTSDとかはありそうだなと思ってたけど、なんかもっとぐろかった
収容所での生活に対して「こっちも大変だったんですよ〜」で返されるの、あまりにもむごい
写実的な話も読んで良かったと思う要素だけど、人が生きる意味とは?という哲学的な部分の話も良かった
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Posted by ブクログ
この旧版には初出当時アウシュヴィッツの知識の少なかった日本人のために70ページにおよぶ「解説」がみすず書房編集部により冒頭についている。
また、巻末には40ページもの写真・図版が付され、死屍累々の様子を目の当たりにできる。
「解説」は戦後の裁判で数々の正気を疑うような残虐行為を行った個人が恥知らずな申し開きをした記録などが「まったく呆れ果てる!」といった皮肉な、感情的な調子で綴られていて強烈。自分はかなりホロコーストなどについて知っているはずだったが、やはり改めてその苛烈さを嫌になるほど感じた。
フランクルの体験を書いた本編はあくまでも冷静で穏やかな記述に終始しており、この「解説」がなければ収容所でも余裕がもてる時間があったのかと勘違いしてしまうほどだ。もちろん、ひどい境遇であった体験を具体的に書いているのだけど、文章は格調高く、醜い心情は現れておらず、少しも読みにくいところがない作品になっている。
本書は単に体験を語ったものではなくて、アドラーに学んだ心理学者として極限の状況に囚われた人間がどのような気持ちをもって生き延びるべきかを述べた指南書のように思う。
意識して精神を良いほうへ向けると高みに達して生きていけるのだというくだりで、これは収容所に限らず、人生の崖っぷちの危機にある人に普遍的な方法なのだと作者は述べているのだと思う。
作者は心理学の専門医なのでこれを治療と呼ぶ。このことを考えることが、彼の収容所での生きる希望だったのだろう。
この本は2002年に新訳が出て、解説と写真はなく本来の作者が出版した形のものになっている。見比べて自分は旧版を読むことにした。旧版のほうが作者の言葉の重みがより感じられるように思う。 -
Posted by ブクログ
精神科医ヴィクトール・フランクルが、ナチスの強制収容所での体験をもとに書いた本。極限状態に置かれた人間の心理を描きながら、「どんな状況でも、人は生きる意味を見いだせるのか」を問いかける。
人が生きる意味を見つけるのではない。逆説だ。生きる意味というものが、私たちになにを求めているかを考えるのだ。
そう書いてあったのが、理解できるようでまだ難しい、そんな感覚だった。
人が生きる意味、それについて作者はとても深く考えている。終わりのない苦しい環境の中で、何のために生きているのか。例えば、収容所に入って、すぐに祈りを捧げる者がいた。「私は苦しんでいてもいいから、その代わりに愛する人たちを幸せにしてください」これによって、彼の苦しみには意味が生まれた。
解放された後の第3の心理状況について。まず喜ぶことはできなかった。何故かと言うと、感情を失っていたから。その後、解放する前に夢見ていた未来がそこにないと言うことを知らなければ、いけなかった。愛するものともう一度会うことを唯一の心の支えにしたものは、それがそこにはもうないと言うことを知らざるを得ない。そして、自分たちに浴びせられる言葉が、「そんなことになっているとは知らなくて」「私たちも大変だった」など、まるで私たちが苦しんだことの意味がないような、それを補えるほどの幸せが、日常にはないと気づかされるような、そんな苦しみがあった。
ある非収容者は、解放された後、畑の上をズカズカと歩いた。筆者は歩かないほうが良いのではないかと言ったが、彼はあんなに苦しい思いをしたんだから、俺たちにはそうする権利があると言うような言い方をした。あの体験は人格を歪めてしまい、苦しみは本当はそこにないはずの権利を産んでしまうのだ。
全体を通して筆者は、生きる意味について考えているように感じた。苦しみは終わっていないと言うことを伝えたいようにも思う。苦しい中でなぜ生きなければいけないのか。収容中はもちろん解放された後もそれについて考えたのだろう。その1つの答えがこの本を書くと言うことだったのだと思う。それができた。筆者はきっと幸せだった。
最後の解説に書かれていて、はっと気づいたのが、本文のどこにもユダヤ人と言う表記がないことだった。すべて非収容者と書かれていた。これは当時、ゲイや反逆者など、ユダヤ人以外の人も同じ境遇化に置かれたことが影響されているらしい。
さらに、筆者は常に必収容者のことを「仲間」と呼んでいたのも印象的だった。
彼が断言していた唯一の事は、この世には「まともな人間」と「まともではない人間」がいると言うことだった。そしてそれらの2種類の人間は、いろいろなグループにそれぞれ所属している。だから、グループ1つを見て、全員がまともな人間と言うわけでも、その逆もありえないのである。 -
Posted by ブクログ
今を生きている誰もが読む価値のある本。
著者や他の多くの迫害を受けた人々が経験した苦しみは、日常をある程度普通に生きることができている私にはとても想像の及ばないものだ。
けれど私にも、そしてきっと他の誰にも、人知れず抱えている苦悩があり、その苦悩によって日々悩み苦しんでいるところがある。
そんな私にとって、自らに降りかかった運命や苦悩を、それでも自分なりに引き受けること、その引き受け方にその人の価値が出るという考え方はとても救いになった。
また、自らが経験したことは決してなくならず、自分の養分になるという内容にもとても勇気をもらった。
「われわれが体験したものばかりでなく、われわれの為したこと、われわれの悩んだものも永久に現在の中に組み入れられている」のだから、悩んだり苦しい経験をすること、していること、そのすべてに何も無駄なことはない。
私はかけがえのない私として、私を生き、私が愛するものを愛し、私の苦悩に私として悩み向き合っていきたい。 -
Posted by ブクログ
「人生から何を我々はまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。」P183
一生忘れないであろう言葉。
これをブログで引用した同期はエグいな。
「苦悩への勇気」って言葉も響く。
「この各個人が持っている、他人によってとりかえられ得ないという性質、かけがえないということは、ーー意識されればーー人間が彼の生活や生き続けることにおいて担っている責任の大きさを明らかにするものなのである。」P186
愛とか家族とか仕事とかのことらしいが、愛も仕事も無いやつは人生に対して責任ないってことになるのだろうか。かけがえのない個人性を持っていない奴に希望はないのだろうか。
恵まれた環境から、こういった文章に感想申すってキツイな。
「それでも人生に然りと言おう」 -
Posted by ブクログ
『夜と霧』を読み終えました。
第2次世界大戦下、ナチスの強制収容所を生き延びた精神科医、ヴィクトール・E・フランクル氏による作品です。
フランクル氏はウィーン生まれ。
フロイトやアドラーの影響を受けて精神医学を学び、精神科医として活動。
家族と平和に暮らしていた日常は、ナチスによるオーストリア併合を境に一変。
やがて強制収容所へ送られ、想像を絶する過酷な体験をすることになります。
私がこの本を手に取ったのは、以前、「人生とは何か?」「生きるとはどういうことか?」と悩んでいた時期に、フランクル氏の言葉を知ったことがきっかけです。
・生きる意味は、自分自身で見出していくもの。
・「何のために生きるか」ではなく、「いかに生きるか」。
・人生とは、何かをするために与えられたチャンスである。
こうした考え方に触れたのはずいぶん前のことですが、改めてきちんと作品を読んでおきたいと思い、今回手に取りました。
フランクル氏が強制収容所を生き延びたのは、幾多の偶然が積み重なった奇跡だったのだと感じます。
ただ、その過酷な環境下でも生きる希望を失わずにいたことが、わずかな生存の可能性をつかみ取ることにつながったのではないかと思います。
そんな壮絶な体験を経たフランクル氏は、本書を通じて、次のようなことを伝えています。
・人生に何かを期待するのではなく、私たち自身が人生から何を期待されているのかを知るべき。
・生きていれば、苦しみに直面したり、何らかの決断を迫られたりする。それでも、「なぜ生きるのか」を知っている人は、どんなことにも耐えることができる。
「人生とは何か?」と問い続けていた自分を振り返ると、答えを外に求め、どこか他人任せになっていた部分もあったのかもしれません。
人生の意味を考えること自体が悪いのではなく、問い続けるだけでなく、自分自身の生き方を通じて意味を見出していくことが大切なのだと感じました。
もっと実のある人生にするために、自分にできることを一つずつ実践していこうと思います。