ヴィクトール・E・フランクルのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この旧版には初出当時アウシュヴィッツの知識の少なかった日本人のために70ページにおよぶ「解説」がみすず書房編集部により冒頭についている。
また、巻末には40ページもの写真・図版が付され、死屍累々の様子を目の当たりにできる。
「解説」は戦後の裁判で数々の正気を疑うような残虐行為を行った個人が恥知らずな申し開きをした記録などが「まったく呆れ果てる!」といった皮肉な、感情的な調子で綴られていて強烈。自分はかなりホロコーストなどについて知っているはずだったが、やはり改めてその苛烈さを嫌になるほど感じた。
フランクルの体験を書いた本編はあくまでも冷静で穏やかな記述に終始しており、この「解説」がなければ収容所でも余裕がもてる時間があったのかと勘違いしてしまうほどだ。もちろん、ひどい境遇であった体験を具体的に書いているのだけど、文章は格調高く、醜い心情は現れておらず、少しも読みにくいところがない作品になっている。
本書は単に体験を語ったものではなくて、アドラーに学んだ心理学者として極限の状況に囚われた人間がどのような気持ちをもって生き延びるべきかを述べた指南書のように思う。
意識して精神を良いほうへ向けると高みに達して生きていけるのだというくだりで、これは収容所に限らず、人生の崖っぷちの危機にある人に普遍的な方法なのだと作者は述べているのだと思う。
作者は心理学の専門医なのでこれを治療と呼ぶ。このことを考えることが、彼の収容所での生きる希望だったのだろう。
この本は2002年に新訳が出て、解説と写真はなく本来の作者が出版した形のものになっている。見比べて自分は旧版を読むことにした。旧版のほうが作者の言葉の重みがより感じられるように思う。 -
Posted by ブクログ
精神科医ヴィクトール・フランクルが、ナチスの強制収容所での体験をもとに書いた本。極限状態に置かれた人間の心理を描きながら、「どんな状況でも、人は生きる意味を見いだせるのか」を問いかける。
人が生きる意味を見つけるのではない。逆説だ。生きる意味というものが、私たちになにを求めているかを考えるのだ。
そう書いてあったのが、理解できるようでまだ難しい、そんな感覚だった。
人が生きる意味、それについて作者はとても深く考えている。終わりのない苦しい環境の中で、何のために生きているのか。例えば、収容所に入って、すぐに祈りを捧げる者がいた。「私は苦しんでいてもいいから、その代わりに愛する人たちを幸せにしてください」これによって、彼の苦しみには意味が生まれた。
解放された後の第3の心理状況について。まず喜ぶことはできなかった。何故かと言うと、感情を失っていたから。その後、解放する前に夢見ていた未来がそこにないと言うことを知らなければ、いけなかった。愛するものともう一度会うことを唯一の心の支えにしたものは、それがそこにはもうないと言うことを知らざるを得ない。そして、自分たちに浴びせられる言葉が、「そんなことになっているとは知らなくて」「私たちも大変だった」など、まるで私たちが苦しんだことの意味がないような、それを補えるほどの幸せが、日常にはないと気づかされるような、そんな苦しみがあった。
ある非収容者は、解放された後、畑の上をズカズカと歩いた。筆者は歩かないほうが良いのではないかと言ったが、彼はあんなに苦しい思いをしたんだから、俺たちにはそうする権利があると言うような言い方をした。あの体験は人格を歪めてしまい、苦しみは本当はそこにないはずの権利を産んでしまうのだ。
全体を通して筆者は、生きる意味について考えているように感じた。苦しみは終わっていないと言うことを伝えたいようにも思う。苦しい中でなぜ生きなければいけないのか。収容中はもちろん解放された後もそれについて考えたのだろう。その1つの答えがこの本を書くと言うことだったのだと思う。それができた。筆者はきっと幸せだった。
最後の解説に書かれていて、はっと気づいたのが、本文のどこにもユダヤ人と言う表記がないことだった。すべて非収容者と書かれていた。これは当時、ゲイや反逆者など、ユダヤ人以外の人も同じ境遇化に置かれたことが影響されているらしい。
さらに、筆者は常に必収容者のことを「仲間」と呼んでいたのも印象的だった。
彼が断言していた唯一の事は、この世には「まともな人間」と「まともではない人間」がいると言うことだった。そしてそれらの2種類の人間は、いろいろなグループにそれぞれ所属している。だから、グループ1つを見て、全員がまともな人間と言うわけでも、その逆もありえないのである。 -
Posted by ブクログ
読んで良かったと思う一冊だった。
タイトルだけずっと知っていて、ずっと小説だと思っていたが、第二次世界大戦収容中のルポルタージュのようなものだと読んで気付いた。
日本にいる自分は、数少ない被曝生存者の存在を知っているが、ヨーロッパにおいて、収容から生き残った人を認識したことはなかったため、全てが新鮮だった。
監視者は、全てが無慈悲で機械的に為す人だと思っていたが、衣服や食物をかき集めてくれたり、筆者が医師だということで優遇してくれたり甘く見てくれるカポー(カポーって役職名かと思ったけど、カップルのことなんだね、と思ったらここでは囚人を監視する囚人のことなんだ)
訳者が意識していたゆえなのかもしれないが、「心理学者」という主観的な目線を感じることなく、ただ、俗人にもわかりやすいように描かれているように感じて、論理的だけどすんなりと内容を理解することができた。
旧訳者と、新訳者のあとがきも良かった。 -
Posted by ブクログ
身体的及び精神的極限を強いられる人間の人間らしさを精神医学の観点から客観的に分析した本であった。「収容所ショック」と呼ばれる、強制収容所に収監されて初期の人間の有様から、発疹チフスや飢餓、自殺やその他の感染症、ガスや暴力で人がバタバタと倒れていく経過、最終的には人が生きる理由を失ったことを皮切りに死んでいく事象などあっけなく人が死ぬ様や、逆に絶対的なエゴを内に秘めた人が強く生き抜く様など、ナチス政権下の強制収容所のリアルが生々しく描写されていた。私はこの本を読んで、相対的になんて自分は恵まれているのだろうと思った。また、自分だったら生き残る精神力はないと感じたし、生き残ったとして、収監されていた時間やそれまで強いられてきた苦痛をそのまま受け入れることができる自信はないと感じた。普段当たり前に美味しいご飯を食べられ、暖かいシャワーを浴び、衛生的で適温の布団で寝られ、人を愛せることへの感謝を再認識させられた。
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Posted by ブクログ
今を生きている誰もが読む価値のある本。
著者や他の多くの迫害を受けた人々が経験した苦しみは、日常をある程度普通に生きることができている私にはとても想像の及ばないものだ。
けれど私にも、そしてきっと他の誰にも、人知れず抱えている苦悩があり、その苦悩によって日々悩み苦しんでいるところがある。
そんな私にとって、自らに降りかかった運命や苦悩を、それでも自分なりに引き受けること、その引き受け方にその人の価値が出るという考え方はとても救いになった。
また、自らが経験したことは決してなくならず、自分の養分になるという内容にもとても勇気をもらった。
「われわれが体験したものばかりでなく、われわれの為したこと、われわれの悩んだものも永久に現在の中に組み入れられている」のだから、悩んだり苦しい経験をすること、していること、そのすべてに何も無駄なことはない。
私はかけがえのない私として、私を生き、私が愛するものを愛し、私の苦悩に私として悩み向き合っていきたい。 -
Posted by ブクログ
「人生から何を我々はまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。」P183
一生忘れないであろう言葉。
これをブログで引用した同期はエグいな。
「苦悩への勇気」って言葉も響く。
「この各個人が持っている、他人によってとりかえられ得ないという性質、かけがえないということは、ーー意識されればーー人間が彼の生活や生き続けることにおいて担っている責任の大きさを明らかにするものなのである。」P186
愛とか家族とか仕事とかのことらしいが、愛も仕事も無いやつは人生に対して責任ないってことになるのだろうか。かけがえのない個人性を持っていない奴に希望はないのだろうか。
恵まれた環境から、こういった文章に感想申すってキツイな。
「それでも人生に然りと言おう」 -
Posted by ブクログ
本当に辛くなった時に読む本だなと。いまは恵まれているので。。。
全体を通して重い内容だったが、印象に残ったのは、生きる意味や目的を見出せた人が生き抜き、諦めてしまった人が亡くなっていったという事実。身体的な強さ以上に、まだ希望があると思える精神の力が生死を分けていた。食事も満足に取れず、極度のプレッシャーの中でそう思い続けるのは相当難しいはずだが、そう在れた人だけが残ったのだと感じた。
もうひとつ怖さを感じたのは監視する側のこと。あれほど非道な行いにも人は慣れてしまう。しかも分業化することで個々人に罪悪感を持たせない仕組みがあったという点に、人間の怖さを見た。
結局、人はどちらの立場にいるか、どんな環境にいるかで大きく変わってしまう。今回の例は極端だが、だからこそ自分がどんな環境に身を置くかは意識的に選択していく必要があると強く感じた。
この本から得た学び
生きる希望と目的を持っていれば、どんな時でも何とかなる。境遇が人を決めるのではなく、境遇の中で何を見出せるかが人を決める。アウシュヴィッツほど過酷な状況が自分の日常に訪れることはない。だからこそ、目の前の困難に向き合う時、この一点を忘れないようにしたい。