あらすじ
本書は、みずからユダヤ人としてアウシュヴィッツに囚われ、奇蹟的に生還した著者の「強制収容所における一心理学者の体験」(原題)である。
「この本は冷静な心理学者の眼でみられた、限界状況における人間の姿の記録である。そしてそこには、人間の精神の高さと人間の善意への限りない信仰があふれている。だがまたそれは、まだ生々しい現代史の断面であり、政治や戦争の病誌である。そしてこの病誌はまた別な形で繰り返されないと誰がいえよう。」
(「訳者あとがき」より)
初版刊行と同時にベストセラーになり、約40年を経たいまもなお、つねに多くの新しい読者をえている、ホロコーストの記録として必読の書である。「この手記は独自の性格を持っています。読むだけでも寒気のするような悲惨な事実を綴りながら、不思議な明るさを持ち、読後感はむしろさわやかなのです」(中村光夫氏評)。なお、写真資料は、電子書籍版では割愛いたしております。
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Posted by ブクログ
夜と霧
面白かった、という感想はこの手のものにはそぐわないかもしれないが、強い葛藤と、そのうえで人間であろうとする思いは、時には少年誌の名作以上に強く輝く、そのドラマがとても感動的だった。
体験記録、という銘からは想像できないほどに前向きで、面白かった。
P12
警備兵の数が増大された そして 特別償却室はその年の終わりまでには完成しそうにもなかったので新来者たちは急増のガス室で寝かすにかけられ 穴の中で焼却されねばならなかった。
こういう部分を文章にされると ハプニングに対応しながら業務を遂行しているような部分が想起される ヒューマンエラーなどの当たり前の人間の日常の延長線にあるような感覚が気持ち悪い
P12
扉には消毒室と掲げられ 囚人にはシラミを取り除くための建物だという印象を与えるように仕組まれていた。
P13
30分後には扉が開かれ死体はここで永久的に働く 囚人の指揮者の手で除去され 穴の中で焼かれた。まず 焼却の前に死体から金歯と指輪が奪取された。
焼く時には薪を死体の間に積み重ね およそ100ぐらいが 穴の中に入れられたところでパラフィンを染み込ませた ボロ布で火がつけられた。
穴のそこに溜まった 脂肪は集めて置いて雨が降った際に火が消えないようにするためにバケツでかけるのに用いられた。
このような状態で穴 いっぱいの死体を焼くには 6時間から7時間かかったが この人間の体の焼ける匂いは風が吹かぬ時ですら 収容所に充満したのであった。
穴を綺麗にした後では骨を粉砕する こと が収容所の囚人の手で行われた骨はセメントの床の上に置かれ 重い 木槌で打ち砕かれた それから この残存物を貨物自動車に乗せて ビスチェラ河まで 運び 川の中に投げ込んだ。
P16
そこへやってきて数日経つと自殺を測るものが大勢いたそのため労働体となって外出した際に彼らは射殺されるがために歩哨の囲みを走り抜けようとしたが このような行為は収容所の隠語では「鉄条網に行く」と呼ばれていた。こうすれば 高圧電流のショックか 機関銃の炸裂による死が捉えられて受ける拷問の苦しみを救ってくれるのであった 夜間 機関銃の音が聞こえる時には誰もが絶望によってまた一人の人間が 鉄条網へと追いやられその男は 今やボロきりに包まれただけでいわゆる 中立地帯に生命のない1つの塊になって横たわっているということを悟るのだった。
P20
収容者は作業に不適になると 一掃され虐殺された。
この敵 不適の選択にはそのためのパレードが行われたこのパレードの目的を悟った 病人や老人は健康に そして若く見せようと 賢明になった そして 背筋を伸ばして胸を張って歩いただが 洗濯が終わると取り除かれた人々は囚人たちが死の家と呼ぶ 別の一等に隔離されてしまうのだった。
P23
この収容所の最後の数ヶ月というものは 食糧不足が深刻化したため 囚人たちは人肉嗜好に頼るまでに至った
自由に一つぐらいの割合で死体のまたやその他の部分が切り取られて食べられているのを発見し 彼自身も この人肉を食している光景を目撃したと語った。
『私は死体の奥にまたの後ろに非常に奇妙な傷があるのに何度も気づきました 最初は私にはそれが非常に近い距離から打った銃弾による傷のように思いました しかし いくつかこんな死体を見た後で友人の一人に尋ねてみると彼は多勢の囚人が死体から肉塊を切り取って食べているのだと教えてくれました その次に死体仮置き場に出かけた時 私はこの目で1人の囚人がナイフを主体に突き刺して足の一部を切り取り それを急いで口に運んでいるのを見ました それは見るも恐ろしい光景でした 彼らが真っ黒になった死体から危険を冒していっぺんの肉を切り取って食うに至ったのはどれだけ 囚人たちが追い詰められていたか それはあなたたちの ご想像にお任せしましょう』
P25
洗える種類の病気が蔓延していたが容認を 絶望的な状況に陥れるのに最も ボーイを振るったのは チブス 肺結核そして 飢餓であった。
P27
刺青をしているものは 薬剤所に報告するように命令された初めはなぜだが誰にもわからなかったが この謎はやがて明らかにされたその肌に刺青師の技術を発揮した素晴らしい彫刻を持っている連中は留置され それから 加工の一人である カール ベイブスの命令による注射で殺されてしまったのである この死体は 病理部に引き渡され そこで皮膚を剥がされて 処分された 処理を終えたら人間の皮は司令官の妻 いるぜ 候補に下げ渡されたが彼女はそれで ランプの傘や ブックカバーや手袋を作った。
P79
私は 例えば たった一人である道路の下に 下水溝のトンネルを作っていた そのことも 私にとって重要でないわけではなかった すなわち 私はこの私の仕事が認められて 1944年のクリスマスの直前に1枚のいわゆる 賞状を受けたのであった それは我々が労働奴隷として 収容所から文字通り 売られていた建設会社から受けたものであった
それは1枚あたり 50ペニッヒに価し、大抵は数週間後に収容所でタバコ 6本で支払われた(あるいは無効とせられることもあった)ところで今や私は12本のタバコの価値を持っているのである タバコ 12本はスープ 12杯を意味しそしてしばしば 12杯のスープは餓死することに対して さしあたり2週間分の生命の救いを意味したのである。
あらゆる 他の普通の囚人は危険な過重労働による症状で手に入れたタバコを食料と交換するのを常としていた そうでなければ彼らは生き延びることを放棄しなお 彼らの自由にし得る生涯の最後の日々を教授 しようと決心したのである すなわち 1人の仲間の囚人が彼の 数本のタバコを自分で飲み始めるならば我々は彼がもはや生き続けようとは思わないのだということを知るのである
P81
「我々は自分の体験について語るのを好まない なぜならば 収容所に自らいた人には 我々は何も 説明する必要はない そして 収容所にいなかった人には我々がどんな気持ちでいたかを決して はっきりと分からせることはできない そしてそれどころか我々が今なお どんな心でいるかも分かってもらえないのだ」
かかる心理学的な試みはもちろん 方法的な関係ではある 困難に合うのである すなわち 心理学は 体験 の学的距離を要求する しかし 収容所の生活を自ら体験したものは当時 自らの体験を直視し得るような 余裕すなわち 必要な距離を持っていただろうか もとより 当時 外部にいた人間は確かに距離を持っている しかしそれはあまりにも遠く 我々の体験の流れの外に立っているのであって何らかの 妥当な記述を成し得ないのである だから「その真只中に」あったものは全く 客観的な判断をなし得るには確かにあまりにわずかな距離しか持たないにせよ まさに彼のみがこの体験を知っているのである もちろん 彼がこのことにあてるものさしはそれ自身 歪んでいるということは可能だし ありえることなのである そのことは 常に考慮に入れなければならない。
P83
1500名のお 郵送はすでに数日数夜続いていた その列車たるや1貨車に80人もの人間がその荷物(彼らの財産の最後の残り
)と共に うずくまっているのであり 積み上げられた リュックサックや 袋で 窓の一番上の部分だけが残っており そこから 薄暗い 暁の空を見上げることができた全ての人々はこの輸送はどこかの軍事工場に行き我々はそこで 強制労働者として使われるであろうという意見であった そして列車は今やある開けた平地に泊まりつつあるかのようであった 一体 今我々が地デジアにいるのか ポーランドにいるのか 誰も知らなかった機関車の鋭い汽笛が薄気味悪く響き それはさながら 大きな 厄災に向かって引かれていく人間の群れの化身として 不幸を 感づいて 救いの叫びを上げているかのようであった そして列車は今や 明らかにかなり大きな 停車場に滑り込み始めた 貨車の中で不安に待っている人々の群れの中から突然 一つの叫びが上がった 「ここに立て札がある アウシュビッツだ」
各人はその瞬間 どんなに心臓が止まるか感じざるを得なかった アウシュビッツは一つの概念だった すなわち はっきりとわからないけれども しかしそれだけに一層恐ろしい ガスかまど 火葬場 集団殺害などの観念の総体なのだった。列車はためらうかのように 次第にその進行を緩めていった すなわちあたかも それが運んできた 不幸な人間の罪にを徐々に勝つ 並べつつ アウシュビッツ という事実の前に立たせようとするかのようであった 今やすでに椅子を色々なものが見えてきた次第に明るくなる 暁の光の中に右も左も数キロメートルに渡って恐ろしく 大規模な 収容所の輪郭が浮かび上がってきた 行く 銃もの 限りない 鉄条網の垣、見張塔、探照燈、それに 暁の灰色の中を灰色に ノロノロと疲れてよろめきながら 荒れ果てた まっすぐな 収容所の道を行く ボロをまとった人間の長い列 誰も どこへ行くか知らないのだ そして 短い 恒例の笛があちこちで聞こえる 誰も何のためだか知らないのだすでに我々のうちの何人かは 驚愕した顔をしていた 例えば私は一対の工事代とそれに吊り下げられたものとが目に入った 私はずっとした しかしそれどころではなかったのだ すなわち 我々は1秒毎に一歩一歩 恐ろしい成立の中へ導かれなければならなかったのだ
P85
突然 貨車の戸が引き上げられそして 普通の縞の囚人服を着た囚人の小さな群れが飛び込んできた 彼らは頭を丸刈りにされ 栄養は極めて良いように見える ありとあらゆるヨーロッパの言葉を語っており この瞬間 どこの状況では グロテスクな印象を与える一種の陽気さを示していた
......
彼らはそんなに惨めな様子ではない 明らかに上機嫌であり 笑ってさえいる 私だってこのような 囚人の比較的 恵まれた幸せな状態にならないと誰が言えるだろうか。
P85
精神医学はいわゆる恩赦妄想という病状を知っている すなわち 死刑を宣告されたものがその最後の瞬間 絞首のまさに直前に 恩赦されるであろうという空想をし始めることである
かくして 我々も希望に絡みつき 最後の瞬間まで そんなに 事態は悪くないのだろうと 信じたのであった
P93
1つの感情が我々を支配し始めた すなわち 好奇心だった私は個人的にこの好奇心という態度を特別な生活 状態に対する反応として別な領域から知っていた。以前 すでに私が 生命の危険にさらされた時には例えば 登山の時 ずるずると岩から滑り落ちた時など私は常にその数秒間に(あるいはおそらく もっと短い間に)急に怒った外界の出来事に対する一種の態度 好奇心を知っていた すなわち生命に関わるかどうか 当該 骨折か あるいは 他の骨折か等々の好奇心であった アウシュビッツ においても いわば 世界を客観化し人間の距離を置いてみる ほとんど 冷たい 好奇心が支配した それは この瞬間において心を引き締め 自らを救おうとする注視と気体の気分であった 我々は全ての起こること およびその結果が何であるかについて好奇的であった 例えば一糸まとわぬ裸体でまだ 水に濡れたまま晩秋の寒さの中に 都外にさらされたことがどんなことになるのかと思っていたところが、翌日になって我々の 誰も 鼻風邪 ひとつしかなかったのには驚かされたかのような平凡な驚きは囚人の中の 新たに到着したものの中にはなおたくさん見られた。彼らの中の医学者には特に次のことを学んだのであった すなわち 医学の教科書は偽りを述べていることであった 例えば 教科書のある場所では人間はこれこれの時間以上眠らなかったならばやっていけない などと書いてあるが しかしそれは全く 誤っていた 我々自身も いつでも「もし......でないならば」人間は眠ることができないとか、「......なくしては」人間は生きえないとか、することのできないもの やそうさせてはならないことを想像していた。アウシュヴィッツにおいて 私は最初の夜を 蚕棚ベッドで寝たらそのベッドは 3段になっていて格段の上には直接 板の上に9人の人間が寝るのであった。そして 上にかけて寝るものといえば 格段にすなわち 9人の共同としてたった2枚の覆いしかなかった。我々は上を向いて寝ることができず ただ 横を向いて 互いに密着し 押し合いながらやっと眠ることができたがしかしそのことは 外の寒さとバラックの暖房のない冷たさに対しては不都合 というわけではなかった靴はこのいわゆる 仕切り の中に持ち込んではならなかったが 23人の人間はそっと規則を犯して靴にくっついている 糞便にも構わず 枕の代わりに靴を用いていたそうでもしなければほとんど 脱臼しそうにまっすぐに伸ばした腕の上に頭を乗せる以外何も喪中 べきものは我々になかったからである これら全てにも関わらず 睡眠は意識を奪い この状態の苦痛をも消し去った人間には何でも可能なものだというかかる 数多くの 驚きのうち 例えば 次のいくつかのことだけでも 引用しておこう すなわち 収容所生活の始めから終わりまで一度でも歯を磨くことはできず また食物明らかに著しい ビタミン不足にも関わらず以前の最も健康な栄養の時代よりも良い歯肉を持っていたということである あるいは 半年間 も同じシャツを着て そして最後にはどう見ても それはシャツとは言えないようになり そして 選択状の水道が凍ってしまったために一度も洗うことができず また手は土工の仕事で汚れて傷だらけであったにも関わらず一度も傷が可能 することはなかったということである あるいは 以前は 隣の部屋のほんの一寸した音でも目を覚まし もう眠れなくなった人間が同僚の囚人とぴったり 押し合って 横になり彼の耳の数センチのところに同僚の花が恐ろしいいびきを響かせていても目を覚まさずまた横になるや否や 深い眠りに陥るのであった 隠して ドストエフスキーが(「死の家の記録」において)かつて人間を定義して全てに慣れ得るものとした命題がどんなに正しいかを意識せざるを得ないのであった人間が全てに慣れ得るということが事実であるかどうか また いかなる範囲まで事実なのか我々なら言えるだろうと問われるならば我々は語るだろう。しかし 我々がいかにして慣れたかということは聞かないで欲しいのである。
P97
まだ収容のショックの段階にいる囚人は死を少しも恐れなかった 収容所に入れられた最初の数日の中にガスかまどももはや何の驚きでもなくなってしまった彼の目には それは単に自殺を 倹約してくれるものとしてしか映らなくなった 私個人も 客観的に見てくれた仲間たち度度語ってくれたところによると 収容のショックによって特に意気消沈してしまった人々には属していなかったと言っても良いと思う しかしそれにもかかわらず私はアウシュヴィッツで最初の夜を過ごした翌日の午前中に次のようなことが起こった時にやっと微笑することができ かつ元気になることができたのであった すなわち ブロック 閉鎖 その時間は何人も 明白な 要件なしにばらくから出てはいけないのであるが にもかかわらず すでに我々より1週間早く アウシュビッツに到着していた1人の知人が我々のバラックに忍び込んできたのであった 彼は我々は 安心させ 啓蒙し慰めようとよくしたのであった 彼は最初は彼だとわかることができなかったことをすでに痩せ衰えていたが いくらか 快活だと平然さを装って 大急ぎで 我々にいくらかの指示を与えた「心配するな もう選抜(がすかまど)の心配をするなM(収容所の親衛隊員の軍医長)は医者には少し重きを置いているぞ。」
...
「ただ一つのことを君たちに忠告する それは冷え 恐れということだ できれば毎日だ 何でも良い 俺はガラス片でやっているあるいは髭を剃ってくれるものに最後のパンの一片をやれそうすれば君たちは若く見え 方はたとえひっかけ回したようでも血色が良くなる病気になるな また 病気のように見えさせるな生命が助かろうと思うならば たった一つだけ 方法がある それは労働が可能であるという印象を引き起こすことだ 君たちが一寸した つまらない 傷や靴擦れで跛を引くだけで、もうおしまいだぞ 誰か 親衛隊員がそれを見つけ そやつにそばに来るように合図しそして翌日はガス行きは受け負いだ。俺たちの間で回教徒と呼ばれているものを知っているか 病人らしく見える くたびれて痩せた もう働くのが難しいような 哀れな姿さ早かれ遅かれ しかも大概はすぐ回教徒はガスの中に入っていくのだ だからもう一度言うがなひげ 恐れ そしていつも まっすぐ立って歩け そうすれば ガスの心配をする必要はない まだここに来て24時間しか経っていないにせよ ちょうど 俺の前にいる君たちのようにしているのだ いつでもな そうすれば ガスの心配はない ただきっと君たちの中の一人 きみだ」と彼は私の方を指さした
「君は気を悪くしないだろうな だが俺ははっきり言おう たかだか君が」と彼は再び 頭で私をさして
「みんなの中で今度のガス選抜で顧慮されるぐらいだろう だから安心しろ」私はその時 微笑していたことを誓って言える そして私は誰でも私の立場で そのような時にいたならば それ以外の他のことはできなかっただろうと確信している
P99
異常な状況においては異常な反応が まさに正常な行動なのである
P100
第2の段階とは 比較的 無感動 の段階である すなわち 内面的な死滅が徐々に始まったのである記述の様々な情緒の反応 の他に親友の囚人たちは 収容所 生活 の第1期には苦悩に満ちた その他 なお 様々な感情 昂憤を体験するのであるが やがて間もなく彼は自らの中でこれを殺すことを始めるのである 初めのうちは特に故郷に残してきた人々への際限ない情景がある それは燃えるが如く体験されるのでもはや 頼りそうなほどの感じの情景 なのである まだ 特に1周 アクションに対する嫌悪がある彼は他の仲間と同様に ボロの「おしきせを着て」いるのであり その彼のなりに比べれば カカシですら エレガントに見えるくらいであった 収容所のブラックの間には泥土以外の何物もなかった そしてそれの除去や「地ならし」に働かされればされるほど 我々は泥だらけになるのであった また新入りの囚人 ほどよく 便所の掃除や 汲み取りをする 労働中隊に配属された 凸凹な原を超えて便所の汲み取りに行く時 よくあることだが 糞尿が顔に跳ねかかったりした時 顔をしかめたりあるいは 拭き取ろうと試みたりすると それは確実にその労働者のお上品ぶりに腹を立てるカポーの棒の一撃で酬いられるのであった。通常の感情の昂奮を殺すこと が隠して次第に進むのであった最初は囚人は例えば 彼がどこかのグループの懲罰訓練を見ねばならぬために 点呼 収集を命令された時 思わず目をそらしたものだった また彼はサリズム的にいじめられる人間を見ることが 例えば何時間も 分量の上に立ったり寝たりさせられ しかも無知によって必要な店舗を取らされる同僚を見ることに耐えられなかったのである しかし数日たち 数週間経つうちにすでに彼は異なってくる 早朝 まだ早いうちに彼の労働 中隊が収容所のツールや 門の前で 更新の準備をしている時に彼は叫び声を聞く彼はそちらを見える そして一人の仲間が何度も地面に殴り倒されるのを見る また立ち上がってはまた殴り倒される......なぜかそれは彼が熱があるからだ。しかも 前夜来、急に そうなったので病気になったことを期限内に申告できなかったからである そして彼は朝に病気の申告をして戸外の労働に出て行かなくても済むようにしようとする見込みのない試みをしたから 罰せられているのであった それを眺めている すでにその心理的反応の第二段階にいる囚人はもはや 目をそらさない 無関心 無感覚になって彼は黙って眺めやるだけである
P101
12歳になる少年が運び込まれその少年は足に合う靴が収容所になかったため裸足で何時間も 雪の上に 点呼で立たされ その後も戸外労働をさせられて今や 彼の足指が東証にかかってしまったので 軍医が死んで黒くなった 足指をピンセットで 付け根から引き抜くのであるが、それを彼は静かに見ているのである この瞬間 眺めている我々は嫌悪 戦慄 同情 興奮 これら全てを もはや 感じることができないのである 苦悩するもの 病むもの死につつあるもの 死者 これらすべては数 収集の収容所 生活 の後には当たり前の眺めになってしまってもはや人の心を動かすことができなくなるのである
P102
少しの間 私は発疹チブスのバラック病舎に横たわっていた そこは全てひどい 高熱で せん妄状態の患者であり彼らの中の多くは死につつあった またしても 1人死んだすると何が起きるだろうか もう✕回目のことでもはや何の感情の動きも引き起こすことはないのだが。私は囚人 仲間が次々とまだ暖かい 死体に近づき 1人は昼食の残りの泥をかぶったジャガイモを素早く 獲得し もう一人は死体の木靴が自分のよりまだマシなことを確かめて それを取り替え 他の一人は死者の上着を 同様に取り替え さらに他の人間は1本の本物の結び紐を確保できたことをいかに喜んだかを見た 私はそれを傍観していた
P104
この 無感動こそ当時 囚人の心を包む 最も必要な装甲であったオーダーを我々は収容所では ごくつまらない理由からあるいはそれどころか全く理由なしに受けるのであった 例えば私が働いている建築 場で飯時 が与えられた我々は列をなして立った私の背後にいた男が一歩 ぐらい 横の方に立っていたに違いない そして それは 親衛隊員の関心にはおそらく 視覚的なシンメトリー 感情から気に入れなかったに違いなかったそんなことは 規律の立場から見ても不条理で余計なことであった にせよ 我々はでこぼこの地ならしのしていない地面に立っていたのだから それは彼の気性に合わなかった どちらにせよ 私 は 列の後の方で何が監視兵の心の中に起こったか少しも 知る 吉もなかった しかし私は当然 頭の上を二度ひどく殴打された
心理的な苦痛とでも言おうか不正にまたわけもなく そういうことをされることへの反感が この瞬間 一生苦痛であった 隠して 全く当を得なかった殴打も事情によっては 一層 苦痛であることが理解できるのである
P105
殴打における最も苦痛なことは殴打に伴う嘲弄であることは理解できることである
...
私の古い友人である 1人の同僚は生来性の股関節脱臼を持っていた彼はそれにもかかわらず とにかく労働できるのを喜んでいたなぜならば 彼のように身体的に障害のあるものにとってはどの淘汰も実際ガスかまどでの確実な 死を 意味していたからである
P111
直接の生命維持にのみ集中するという心理的な強制 状態と必要性の圧力の下では 全精神生活の表れがある 原始的な段階にまで引き下げられてくるということは容易に理解できる 従って 囚人の中の精神分析に興味を持つ 同僚は屢々(しばしば)収容所における人間の退行についてすなわち 心理的 生活のより 原始的な段階へ戻ることについて語っていた この願望や努力の原始性は囚人の典型的な夢において明らかであった 収容所の囚人が最も屢々夢見るものは何であったろうか 囚人はパンや 果物 パイやタバコや 温かい 素晴らしい風呂とかを夢見るのである 最も素朴で原始的な欲求充足が欠如していることが最も原始的な願望の夢において満たされるのである彼が目覚めて再び 収容所の現実に直面しそして夢の幻影と収容所の現実との恐るべき コントラストを感じた時 夢がそれを夢見たものにどんな気持ちを与えるかは想像の外であった
どちらにせよ 私 は 次のことを消して忘れないであろう ある夜 私は私のそばに 寝ていた同僚が明らかに恐ろしい悪夢のために大きな声でうなされながら転げ回っているので目を覚ました 私は元来 何らかの不安や妄想観念や、あるいは夢の表情によって苦しめられる人間に対して特別に同情を感じる人間であった だから私は最初はこの哀れな悪夢に悩まされている仲間をまさに揺り起こそうとしたその瞬間 私は私の意図に驚き 揺り起こそうと 伸ばした手を慌てて引っ込めたのであったなぜならば その瞬間に いかなる夢も たとえ最も恐ろしいものでさえ 収容所で我々を取り囲んでいる現実 すなわち 私がすんでのことでそれへと目覚めさせようとした現実に比べればまだマシであるということが強烈に私の意識に登ったからである
P112
囚人は考えられないほどの 劣悪な栄養不足に悩まされない ばならなかったから当然のことながら 収容所における低下した精神生活の原始的衝動性のうちでは食欲が中心になった囚人の一隊がもし 労働 場に集って しかも 監視の目が緩んでいる時にはすぐ彼らは 食物 について語り始めるのであった 例えばすぐ1人が彼のそばの穴の中で働いている 仲間に自分の好物を知らせ始めるのであった すると彼らは 料理の仕方を交換しいつかは故郷に帰り自由の身になって互いに再会する日のメニューを一緒に作り始めるのであったそして これら全てを想像することはもはや キリがなくなるのであった そして それはついに 密かな 秘密な暗号「見張りが来たぞ」が穴の中に 伝わってくるまで続くのであった 私自身はこの 絶え間ない ほとんど 強迫観念じみた食物に関する会話(収容所ではそれを「胃のオナニー」と呼んでいる)を憂うべきものだと思っていた すなわち 極端に低い 食物 量や カロリー量に何らかの意味で 立ち会うことに 半ば 慣れてきた 有機 帯を 美味 好物のごとき 情緒を伴う強烈な観念によって挑発すべきではないのである 心理的に 瞬間的な満足を与えてくれるものは錯覚 なのであり それは生理的なものにおいて有害な影響を与え得るのである
P113
我々は夜寝る前にシラミを取りながら裸の我が身を見る時など 皆おおよそ 同じことを考えるのであった 一体この体は 私の体だろうかもうすでに死体ではなかろうか一体 自分は何なのか 人間の肉でしかない 群衆 掘っ立て小屋に押し込まれた群衆 毎日その一定のパーセントが死んで腐っていく 群衆の一小部分 なのだ
P117
収容所の普通の囚人のほとんど 大多数においては 原始的な衝動性 すなわち 単に生命を維持するということに注意が集中せざるを得ない ということは この 排他的な関心に役立たないものを徹底的に無価値なものとした
我々は 50人ずつ 1台の囚人貨車に乗っていたが この 貨車には2つの小さな鉄格子の覗き窓があった
...
私が つま立ちながら私の前の頭の間から 鉄格子を通して自分の故郷の都で見たものはまるで 亡霊のような効果を持っていた 我々を全てはすでに生きているというより死んでいるような感じだった我々は 残りの生命が 平均 12週間より長くはないと思っていた私の子供の頃からのふるさとの街路 広場 家々を私は見た それは全く 奇妙な感じであったあたかも 私が とうに死んで そして 死者のように 彼岸から 亡霊として この亡霊のような都を見下しているかのようであった 今や列車は数時間待った後に停車場を出発して 横町 私の横町に差し掛かった そこで私は懇願し始めた すなわち 多年 既に収容所生活を送りそして今やこの旅が甚だ 印象深いに違いない若者たちが 覗き窓を占領して外に見とれていたのであるが 私は今 私が一目だけでも外をどんなに見たいかわからせようとした半ば粗野に腹を立て 半ば 嘲笑い 軽蔑するかのように 私の願いは拒絶され次の言葉で片付けられてしまった「お前はそんなに長く ここに住んでたんだって そんならもう嫌というほど見ていたんじゃないか」
P119
一般的に収容所においてはいわば 文化的な冬眠が支配していたこの多少ともあれ 共通な現象を別とすれば なお 2つの関心があった1つは当然のことながら 政治的関心であり 他は注目すべきことには宗教的な関心であった
収容所内はいつも至る所政治に関心が持たれていた そしてまた現在の軍事情勢などのごときに関して送られてくる 噂を熱心に受け取り さらに流すといったことが 関心事であった しかし 噂は大部分 お互いに 矛盾ししかも 矛盾する噂が次々と流れてくるために これは結局 囚人の心の中にイライラさせる「神経戦」を起こさせることにしか 役立たないのである
P120
彼は発疹チブスの熱の中で死の近いことを知り 祈ろうとしたのであるが しかし 熱の譫妄の中で彼は祈りの言葉を見いだすことができなかったのである。
P122
我々の間にはほとんど一語も買わされなかった 未明の氷のような風はその方が賢明であることを示していた上着の襟を立てた その陰に口を覆いながら私と並んで進んでいた1人の仲間が突然つぶやいた
「なあ君もし 我々の女房が今我々を見たとしたら多分彼女の収容所はもっといいだろう 彼女が今我々の状態を少しも知らないといいんだが」
すると 私の前には 私の妻の面影が立ったのであった そしてそれから 我々が何 km も雪の中を渡ったり 凍った場所を滑ったり 何度も 互いに支え合ったり転んだり ひっくり返ったりしながら よろめき進んでいる間もはや何の言葉も語られなかった しかし 我々はその時 各々がその妻のことを考えているのを知っていた時々私は空を見上げた そこでは 星の光が 薄れて暗い雲の後から朝焼けが始まっていた そして私の精神はそれが 以前の正常な生活では決して知らなかった 驚くべき生き生きとした 想像の中で作り上げた面影によって満たされていたのである私は妻とかだった私は彼女が答えるのを聞き 彼女が微笑するのを見る 私は彼女の 励まし 勇気づける眼差しを見る そしてたとえそこにいなくても彼女の眼差しは今や登りつつある 太陽よりももっと私を照らすの であったその時私の身を震わし 私を貫いた考えは 多くの思想家が 英知の極みとしてその生涯 から生み出し 多くの詩人がそれについて歌ったあの心理を生まれて初めて つくづくと味わったということであった すなわち 愛は結局人間が実存が高く翔り得る最後のものであり最高のものであるという真理である私は今や人間の詩と思想とそして信仰とが表現すべき 究極の極みであるものの意味を把握したのであった愛による そして愛の中の被造物の救い これである 例えも早くの地上に何も残っていなくても人間は瞬間でもある 愛する人間の像に心の底を深く身を捧げることによって浄福になり得るのだということが私にわかったのである 収容所という考えうる限りの最も悲惨な 外的状況 また自らを形成するための何の活動もできず ただできること といえばこの上ない その苦痛に耐えることだけであるような状態 このような状態においても人間は愛する眼差しの中に彼が自分の中に持っている 愛する人間の精神的な像を想像して自らを目指すことができるのである
P138
すでに人々は一寸でも驚かされることがなければそれだけで運命に感謝した 例えば 夜 横になる前のシラミを取ることができればもうそれで喜んだのである 火の気ひとつないバラックでしばしば 屋根の内側の天井から 氷柱の下がっている 寒さの中でシラミを取ることはそれ自身は何の楽しみでもなかった しかしそれでもこの場合空襲警報 のため急に灯が消えてシラミが取れなくなるのよりはマシだったのである シラミはとても全部は 取りきれなかったが それでも一夜の半分を安らかに眠れるに値したのであった 収容所 生活の全てのかかる哀れな喜びはもとより ショーペンハウエル の否定的な意味における幸福 すなわち 苦悩から解放されているということに他ならなかったしそれも 既述のごとく全く相対的な意味において であった積極的な喜びはたとえ わずかなものでも我々にとって 極めてまれであった
P142
人間の生命の価値や人間の人格の尊厳については何一つ 知らない環境の暗示を受けて すなわち人間をもっぱら 根絶 政策の強制的対象とし その最終目的の前に身体的な労働能力を徹底的に搾取するという政策をとる環境の暗示を受けてついには自らの自我も価値低下を経験 せざるを得ないのである 強制収容所の人間は彼が抵抗して自己価値観の最後の効用を試みない限り まだ死体であるという感情を一般に失っていくのである ましてや 内的な自由と人格的な価値を持った精神的存在などということはなおさらであった 彼はもはや自分を大きな群衆の最小の部分としてしか感じず彼の存在は郡の存在の水準にまで低下するのである 正しく考え 意欲することなく 人間は あるいはこちらへあるいはあちらへと駆られ 離合集散せしめられて 羊の群の如くであった。人間の右や左に前や後に小さなしかし 武装した 狡猾でサリスト的な猟犬の群が彼を待ち伏せして怒鳴ったり長靴で蹴ったり銃の台床で殴ったりしながら人間を前に狩り後に追うのであった我々は犬の攻撃を逃れ 少しでも暇があれば 草を食べるということだけを良くする 羊の 群のようなものだった
P149
黙って彼は手を差し出した頭も それが生きるための物理ではなくて私の生命 からの別離であるかのように 私は立ち去った ゆっくりと私のバラックに帰った私の席に悲しげに一人の良い友人が座っていた「本当に行くのかい」と彼は私に聞いた「うん行く」涙が彼の目にあふれてきた 私は彼を慰めようと試みた しかしそれから ある他のことをせねばならなかった すなわち 私は口伝え の遺言をしたのである「よく聞いてくれ オットーもし私が家に妻のところに戻ってこなかったら そして もし君が彼女に再会できたら そしたら彼女に言ってくれ......いいかね第1に......我々は毎日毎時彼女について話したということ......思い出すかい?第2に私は彼女ほど愛した人は決していなかったということ第3に彼女と結婚した 短い期間この幸福は我々がここで体験しなければならなかったすべてのものを償って余りあったということ......」
オットー君は今どこにいるだろう?まだ生きてるだろうか?あの最後の一緒の時間 以来 君はどうなってしまったのだろうか?君は君の妻に再会しただろうか?君はまだ思い出せるかい?......どんなに私が当時 子供のように 泣きじゃくる 君を無理に強いて一言一言 私の口伝え の遺言を暗記させたかを。......
P155
私はもちろん 多層計画をどんな場合にも固く 秘密にしておかねばならなかった それにもかかわらず私の同僚は何かを 感づいたらしかった(おそらく 私はいくらか 神経質になっていたのだろう)とにかく彼は疲れた声で聞いた「君も逃げるのかい?」私は否定した しかし彼の眼差し から逃れることはそんなに 容易なことではなかった 回診の後私は再び 彼のところへ行った そして再びこの希望を失った眼差しが 私の上に落ちた そして 何らかの意味で 私はそれを非難のように感じた 私が同僚と一緒に脱走することに同意し そして運命の主役を演じないという 私の以前からの原則を破って以来 私を襲ったやましい 感情はますます深まっていった 突然私はバラックから飛び出し 病舎の私の同僚のところへ行き 私は一緒に行けないと告げた ほとんど私は彼にそれをよく納得のいくように説明することはできなかった しかし 結局彼は私と一緒に行くことを放棄せねばならなかった そして 前と同じように 患者の下にとどまろうと私が決心するや否やあのやましい 感情は急に消えてしまったのだった私はこのまま続く日々が どうなるか知らなかった しかし 内面的には今までになかったほど安らかであり 私の同僚の 眠床板の足のところに座り 彼を慰めることに努め それから 他の発熱患者と語り 安心させようとするのであった
P161
収容所の囚人の独特な心理 一種のコンプレックスが付け 加わったのである 囚人の大部分は当然のことながら 一種の 劣等感に悩まされた我々 各自 はかつては「1個の独自な人間」であったしまた 少なくともそうであったと信じていたしかし今やここでは各人は文字通り何人でもなかったかのように取り扱われるのであった(より 本質的かつより高い 精神的領域に目指す自己価値意識は収容所における情勢によっても揺るがされなかったことはもとより である しかし どれだけ多くの囚人がかかる しっかりとした自己価値意識をすでに持っていただろうか?)そのことをよく考えたり意識したりせずに 平均的な収容所 囚人に1人でに完全に貶められてしまうのであった しかしこの体験は 収容所 生活の 独自な社会学的構造から生じる コントラスト効果によって初めて現実的となるのであった すなわちここで私は いわゆる 有力者として通用した 少数の囚人のことを考えているのである すなわちカポー、コック、収容所倉庫管理者、「収容所 警察官」などの人々であるが 彼ら全ては原始的な 劣等感を補償していた すなわち 彼らは一般に通常の囚人の大部分のように自分が貶められているとは決して感じていないのであって 反対に 出生したと思っているのであった それどころか中には 小規模な皇帝 妄想にまで発展するのもいたのである
P166
強制収容所にずっと長く留まることが人間に与える典型的な性格特徴を心理的に描写し 精神病理学的に説明しようとする この試みは人間の心が 結局 環境によって規定されるという印象を与えざるを得ないかもしれない 例えば 強制収容所ではそこでの生活が独自な社会 環境として 人間の行為を強制的に 形作るのではないだろうかしかし人は当然のことながら異論を立てることができるのである そして一体 それではどこに人間の自由があるのか と問うであろう 一体 与えられた環境条件に対する態度の精神的自由行動の精神的自由は存じないのであろうか 自然主義的な世界観や人間観 が人間は生物学的であれ 心理学的であれ 社会学的である多様な規定性や条件の産物に他ならないと我々に信じさせようとすることは真実なのであろうか 人間は従ってその身体的体質 その 性格 学的素質およびその社会的状況の偶然な結果にほかならないのであろうか もっと具体的に言うならば 収容所生活という特殊な社会的条件の環境に対する人間の心理学 反応において人間は彼が強制的に入れられたこの存在形式の影響から全く抜き出ることができないと言えるであろうか すなわち 彼は収容所を支配していた「諸々の事情の強制の下に他のことのようにはできなかった」であろうか
さてこの問題に我々は 経験的にも理論的にも答えることができる経験的には収容所生活は我々に人間は極めてよく「他のようにもでき得る」ということを示した人が感情の鈍麻を克服し 刺激性を抑圧していることまた 精神的自由 すなわち 環境への自我の自由な態度はこの一見 絶対的な強制 状態の下においても 外的にも 内的にも存し続けたということを示す 英雄的な実例は少なくないのである 強制収容所を経験した人は誰でもバラックの中をこちらでは優しい言葉 あちらでは最後のパンの一片を与えて通っていく人間の姿を知っているのである そしてたとえそれが少数の人数であったにせよ 彼らは人が 強制収容所の人間から一切を取り得るかもしれないがしかし たった一つのもの すなわち 与えられた時代にある態度を取る人間の最後の自由をとることはできないということの証明力を持っているのである「あれこれの態度を取ることができる」ということは 存するのであり 終了じゃないこの 毎日 毎日がこの内的な決断を行う 数千の機会を与えたのであった その内的決断とは人間からその最も固有なもの 内的自由を奪い 自由と尊厳を放棄させて 外的条件の単なる玩弄物とし、「典型的な」収容所 囚人に鋳直そうとする環境の力に陥るか陥らないかという決断なのである
あらゆる 可能な視点の中で究極のものである この視点より見ると 強制収容所内の囚人の心理的反応様式はある身体的 心理的 社会的条件 の単なる 表現 以上のものと思わざるを得ないのである たとえ 食物のカロリー不足や睡眠不足や色々な心理的コンプレックスが人間が典型的な収容所性根に落としてしまうのを理解させるとはいえ 最後の観点においては 人間の内部に起こったもの 内的 決断の結果が示されるのである 原則的に言えば 各人はかかる状態の上でもなお 収容所において 何が彼から精神的 意味で出てくるかということを何らかの形で決断し得るのである すなわち 典型的な収容所 囚人になるか あるいはここに置いてもなお 人間としてとどまり 人間としての尊厳を守る一人の人間になるかという決断である
ドストエフスキーはかつて「私は私の苦悩にふさわしくなくなるということだけを恐れた」と言った
P174
当時新しく到着した囚人の長い 列に入って停車場から 収容所へ 進行した 収容所 囚人の1人は後に私に当時のことを述懐して、自分はあたかも自分自身の死体の後から進んでいくかのようだったと言った それほど彼は当時 その絶対的な未来の喪失を体験したのだった それは彼の全生活を ただ過去の観点からのみ 眺め ある 過ぎ去ったもの ちょうど 死体のそれのごとくとみなすことを彼に敷いたのである しかし 行ける屍 というこの体験は さらにもっと他の理由で一層深くなるのである すなわち 次第に収容所にとどめられている期間の無限性が感じられるとともにまた空間の制限が すなわち 閉じ込められているということが感じられてくるのである 鉄条網の外部に存ずるものは間もなく近寄りがたいものになる ついには何か 非現実的なもののように見えてくるのである 外部での出来事 収容所 外の人間外のすべての正常な生活 これら全ては収容所にいるものには何か 亡霊のようなこの世ならぬものに思われてくるのである 囚人が外部の世界を一瞥 できるような時には 彼はそこでの生活をまるで死者がこの世から世界を見下しているように 眺めるのであった 従って 囚人は正常な世界に対して 次第にあたか もこの世界が存在しなくなったかのような感情を持たざるを得なくなったのである
...
過去の生活に思いを寄せることによって現在の前では目を閉じるのが最も良いと考えるのである
P180
私のところの囚人 代表はかなり知られていた外国の作曲家 及び 脚本家 であったが ある日私にそっと 秘密を打ち明けた「ねえ ドクター 私は君に話したいことがある 最近 奇妙な夢を見たのだ ある声が聞こえて 私に何でも望んで良いと言ったのだ......つまり 知りたいことを何でも言えばその声はそれに応えてくれるというのだところで私が何を聞いたかと思うね私は私にとって戦争が いつ終わるかを知りたかったのだ。ドクター。私にとって という意味がわかるかね つまり 我々が いつ 収容所から解放されるだろうか 従っていつ 我々の苦悩が病むのかということを知りたかったのだ。」彼はいつその夢を見たのかと 私は尋ねた「1945年の2月だ。」と彼は答えた(当時は3月の初め だった)そして夢の声は君に何と答えたのか と 私は さらに尋ねた 小さな声で 彼は私に囁いた「3月30日......」この仲間 F が彼の夢について私に語った時彼はまだ希望に満ちており 彼の夢の声の言ったことは正しいであろうと確信していた 一方その声によって予言された起源はどんどん近づいてきた そして 軍事 調整について 収容所に入ってくる情報によれば 戦 線が 実際 5月の中に我々を解放してくれる可能性は ますます 低くなっていくようであった すると 次のことが起こった 3月29日に F は 突然高熱を出して 発病した そして 3月30日 すなわち 予言に従えば戦争と苦悩が「彼にとって」終わる日に F はひどい せん妄状態に陥り始め そしてついに意識を失った 3月31日に彼は死んだ彼は発疹チブスで死んだのである。勇気と落胆 希望と失望というような人間の心情の状態と他方では有機体の抵抗力との間にどんなに 緊密な関連があるかを知っている人は失望と落胆 へ 急激に沈むことがどんなに 致命的な効果を用いるかということを知っている私の仲間の F は期待していた 解放の時が当たらなかったことについての深刻な 失望がすでに潜伏していた発疹チブスに対する彼の身体の抵抗力を急激に低下せしめたことによって死んだのである 彼の未来の信仰と意志は 弛緩し彼の肉体は 疾患に倒れたのであった。隠して結局彼の夢を正しかったのである
この一連の観察とそれから出てくる結論とは かつて 我々の収容所の医長が私に注意してくれた 次の事実と合致するのである すなわち 1944年のクリスマスと1945年の新年との間に我々は収容所ではいまだかつてなかったほどの大量の死亡者が出ているのである 彼の見解によれば それは過酷な労働条件によってもまた 悪化した栄養状態によってもまた 悪天候や 新たに現れた伝染疾患によっても説明されるものではなくむしろこの大量死亡の原因は 単に 囚人の多数がクリスマスには家に帰れるだろうという世間で行われる素朴な希望に身を委ねた事実の中に求められるのである クリスマスが近づいてくるのに収容所の通報は何ら明るい記事を載せないので一般的な失望や 落胆が囚人を打ち負かしたのであり 囚人の抵抗力へのその危険な影響は当時のこの大量死亡の中にも示されているのである
P187
集団的な心理療法の可能性は 収容所においてはもちろん 極めて限られていた この点においては言葉よりももっと有用なものがあった それは 模範ということであった 例えば 各ブロックの集塵 代表の中には優れた人物がいたが そういう人物は彼のしっかりとした勇気づける存在によって深い
広汎な道徳的影響を統率化の囚人に及ぼし得る 多くの機会を持っていたのである 模範的存在であるということの直接な影響は 常に 言葉よりも大きいのである しかし また時折 言葉も何らかの外的な反響が高ぶられるような時には有効であった 私は以下のようなある外的な状況によって高ぶめられた獣人たちの心の準備を 一種の集団への呼びかけによって 心理治療的に利用する機会があったことを思い起こすのである その日は悪い日だった 少し前に店舗の時に古い毛布の減りを切り取るというがごとき 犯罪(それは手作りのゲートルを作るために よくされていたのだが)じゃあどんな窃盗でもこれからは 全て サボタージュとみなされ絞首刑法を持って 罰せられるということが 布告されていたところが数日前 ほとんど 餓死しそうになった一人の囚人が100キロかのじゃがいもを盗むために 倉庫に侵入した この侵入したということは やがて発見されたが侵入者は誰であるかは囚人には分かっていた 収容所 当局はこのことを嗅ぎつけて犯人を引き渡すように要求してきた そうでなければ 収容所 全員に1日の絶食を課するというのである もちろん 2500人の仲間は1人を行使 主体に引き渡すよりはむしろ 1日の絶食 を選んだこの絶食日の夕方 我々は特に不機嫌な気分で掘っ立て小屋の中に横たわっていた ほとんど 誰も口を開くものもなく開かれればどれもイライラした言葉ばかりであった そこへなお 悪いことが起こった 停電したのである 不機嫌は最高点に達した しかし 我々のブロックの囚人 代表は賢い男であったので我々全ての気持ちを集中するような小さな話をその場で し始めた すなわち 彼は最近 病死 あるいは自殺した 多くの仲間について話したのである しかし また彼は人によって その様子は色々ではあれこの死ぬことを 真の理由はどこにあるかといえば すなわち 自己放棄であるということについて語った そして いかにしてこの自己崩壊による 次の犠牲を防ぐことができるかについて 若干の説明を聞きたいと言った そして彼は私を指名したのであった それはとんでもないことであった 私は 心理学的な説明をしたり 医師の説教をした
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読んでよかった。印象に残る部分が多くあり、特に「我々が人生に期待するのではなく、人生が我々に何を期待しているのかこそが重要だ」というフレーズは印象的。このメタ視点が、絶望的で閉塞的な環境下で未来に目を向け、苦悩に意味を与える唯一の方法なのだと思った。収容所の記録としてのみならず、現代を生きる私達にも重要なメッセージを含有した稀有な書だと思う。
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グロ・残酷描写には耐性がある方だと思っていたけど、「解説」で書かれる虐殺には、さすがにすごく心が重くなった。もはや銃殺のが楽なんじゃないかと思ってしまうほどの、ひどい虐待に人体実験、あまたの屈辱。
そんな生活の中で、作者はそれでも「自己維持のための闘いにおける心の武器」である「すてばちなユーモア」で「自分に対し、また他人に対し陽気になろうと無理に努めた」人たちを見る。
「愛する人間の精神的な像を想像して、自らを充たす」。
「われわれの戦いの見込みのないことは戦いの意味や尊厳を少しも傷つけるものでない」と語る。
苦しみの中でも生き抜く方法を伝える書として、この本より説得力があるものはないんじゃないだろうか。
ユーモア、愛、自尊心が、人間を人間として保たせるものなのかもしれないと思った。
ただ、作者は医者であるということで優遇されたときもあった。
手に職をつけることと体力も、どこでも強く生きついくためには必要というのが現実だ。
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4年ぶりに再読。アウシュビッツに実際に行くことに決め、その列車の中で読んだ。この本に、私は生きる意味を教えていただいた。私の人生を変えてくれた大切な1冊。
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個人的に色々と重なり、心身ともに追い込まれた時期があった。様々な本を読んだけど、この本に最も救われた。西洋も東洋も哲学も心理学も結局は瞬間瞬間をいかに生きるか。未来も大事だがその期待は瞬間の積み重ねでしかない。ここに腹落ちするかどうか。この本は壮絶な体験の中でいかに生きるか、を我々に教えてくれる。歴史の風雪に耐えうる名著。
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ある精神科医が極限状態における人間の心理状態を、その始まりから終わりまで自身も当事者となりながら見つめる…
収容生活におけるユーモアもさることながら、突然自由になった人間がどうなっていくかというのも、とても興味深かった。フランクル氏の開放後に闇堕ちする人を救い出すのだと使命感が素晴らしい。
人生の意味を知るというか、人生を克服した人間の姿を見せてもらいました。
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精神の自由
何人も過酷な状況下に置かれても、精神は自由であること。その自由が失われる時、人は死に向かい、そして死ぬのだと学びました。
移送された直後の選別や解放された後に失った感情との向き合い方など体験した者にしか知り得ない地獄なのだと思いました。
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人間的自由が全て剥奪され、(歴史上多分)命の価値が1番軽く扱われるという、特異な環境にいる人たちが、何を想い、どう行動したのか、そこから我々は何を学べるのか、というのが主題。この極限まで人間の尊厳をStrip downされた人が行き着く「生」の意味は洗練されていて、脳天に食らう感覚があった
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フランクルから直接話を聞いているような感覚の読書体験であり、それだけフランクルの感傷的な文章に引き込まれた。
目を背けたいような残酷な状況に陥った時に、人間は2種類に分けられると述べられている。
乗り越えられるものと破綻するもの。
精神の自由な王国を築いたり、未来への希望を想像することで乗り越えることができるという。
そのためには自分の人生をどう生きたいかという主体性を持って生活していかなければならないと考えさせられた。さもなければ予想外の苦難に遭遇したときに飲み込まれてしまうだろう。
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人間の美しさを信じようと思える作品。
壮絶な体験をした筆者が綴る文章は、一つ一つが大変重く、耳を傾けなければと自然に思わせる尊厳があるように感じた。
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人間の想像だけでつくる小説では描写不可能だろうなというほどの、想像を絶する状況と環境と事実。
あの状況下においても、生きることを諦めなかった著者の精神力とこの思い出すだけでも絶望の淵にたたされそうになる体験を活字にしてくれた著書の勇気と行動力に感謝しなきゃいけないな、と思いながら読んだ。
こういうことを繰り返さないためにも、全員が読まなきゃいけないのかもしれない。
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夕焼けに心を打たれ、ひどい空腹の中劇を観る。
ブルジョア的暮らしを手放し、収容所に入ったことを感謝した女性
地上には2種類の人間が存在し、どのグループに所属するかは関係ない
人間の生命は常に如何なる事情の元でも意味を持つこと、
収容所の外に思い描いていた夢の暮らしはなかった
アウシュビッツからの生還者の本で、ほとんどの人間は2週間かそこらで死に、生き残るのはほんのわずかの人間だけだと言っていた。
厳しい環境で自分を見失わなかった人は思考によって自己を守り、感性さえ磨いた。
だが、そんな人はほとんどいないことは明白。
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この本については知っていたけど読むのに勇気が要りそうで数年かけてやっと読むことに決定。それこそ、何度も著者フランクルについて話を聞くことがあり、たまたま見たオンデマンドで、またフランクルだったから私は呼ばれていると感じたのだ。
アウシュビッツ、強制収容所について読むのは怖かったというのが読む前の私。読後、高揚感に包まれた。ナチスの中でもサディスト傾向の強い者が監視員に選ばれ虐待を楽しむ。絶望の中で人はどうなっていくのか。自身も収容所に入れられ、精神科医として人が極限状態に置かれるとどう壊れていくのかを観察していたフランクル。
まず初めになくすのが感情なのだ。私は子ども時代を思い出した。いちいち泣いていられるか、同情していたら生きていけない。痛みを与えてくるものから逃れられないなら体も感情もストップをかける。動いたらよけいに痛いだけ…とクールになっていた小学生時代を…
そして絶望の中だからこそ光に敏感になる。思い出した。近所の優しいおばちゃんたちにお礼をいう時もなかったが優しい眼差しと誉め言葉にどれだけ癒されていたか。
生まれるに値しない、つまり望まれずに生まれてきたことは開き直っていたもののコンプレックスにはなっていた。そしてこの「夜と霧」を読んで、はっとしたのだ。私は母に望まれなくてもこの世に望まれて生まれてきたのだということを。必然があって生まれてきて生きてきた。私がこの世に何を望むのかではなく、人生の方から望まれている。
亡くなった人に二度と会えなくても触れられなくても、彼らと過ごした日々は強烈に私の体内に記憶されている。父が夢に出てきて「いつもいるよ」と言ったのはこのことだったのだ。人間だけではない。虹の橋を渡った犬も猫も、私の中にこうしている。感情をなくしたはずだった私に無二の愛をくれたものたち。感動させてくれた父、兄、妹、犬、猫たち。鬼籍に入っても決して私の中から消えたりしないのだ。絶望の中にいたことがあるからこそフランクルの深い思いやりに満ちた言葉は私を動かした。読んだ後から今にも泣きそうな、でもそれを抑える自分の二面性を自覚しながら、抑えただけで感情は死んでいないと歓喜に溢れた思いである。
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目をそむけたくなる、でも決して忘れてはならない人類として最悪の歴史。
アウシュビッツで何が行われていたか、読めば読むほどとにかく悲しくて痛々しい。
地獄とはここのことだ。
この地獄の中で、沢山の人間が別々の思いを抱きながら過ごした。
一筋の希望を信じたもの、全てを投げ出した者。
何をするにも気の持ちよう、なんて軽々しい言葉で言うのは失礼だが、結局はそういう事なんだと思う。
心の持ち方について考えさせられる。
自分がこの状況になったら、何を心に持ちながら耐えていくのだろう。
印象に残ったこと
・刑務所内ではヒゲを剃り、健康なふりをしろと教えられる。不健康だと判断されたらガス室に送られるから。
・クリスマスが過ぎた時、収監されていた人々が次々に力尽きた。クリスマスが過ぎたら解放されると信じていたからだ。一筋の希望を信じており、その希望が打ち砕かれた時に命が尽きた。それが実際にあった。
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読み手が試される 戦争やホラー、猟奇殺人の話を上回る気分の悪さ。当時のアウシュビッツ収容所とその周囲の人たちも含めた話。人体実験もやってるのだけど、それらをできるメンタルどうなってるんだろ。
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新訳版を読みました。文から伝わってくるものがあり、自分に知識があったなら原文で直接にふれてみたかった気もしました。
以前、北⚪︎⚪︎の収容所のお話だと思うのですが、外国のアニメ映画の予告がふとインターネット上で流れてきて、その映像が胸にひどく残った日がありました。
絶望感、無力感、未来も夢もない、生命の裂け目がのぞいているような生活、その中で、人間らしく生きようとすること‥
その繋がりで手に取りました。
前半はとてもつらく、皆さまの感想をたよりに、後半や最後を中心に読みました。
以下引用です。
「現場監督(つまり被収容者ではない)がある日、小さなパンをそっとくれたのだ。わたしはそれが、監督が自分の朝食から取りおいたものだということを知っていた。あのとき、わたしに涙をぼろぼろこぼさせたのは、パンという物ではなかった。それは、あのときこの男がわたしにしめした人間らしさだった。そして、パンを差し出しながらわたしにかけた人間らしい言葉、そして人間らしいまなざしだった‥。」p144より
「あなたは雲雀があがり、空高く飛びながら歌う讃歌が、歓喜の歌が空いちめんに響きわたるのを聞く。〜あなたを取り巻くのは、広大な天と地と雲雀の歓喜の鳴き声だけ、自由な空間だけだ」p151より
旧版訳者さんのあとがきでは、著書とのやりとりや、とても簡素、質素な部屋に住われていたこと(何もかもなくしてしまったので)など、当時の様子も伝わってきました。
また本当に個人的な感想なのですが、
今まで、生活で見かけるとつらくなる場面がありました。満たされたようにみえる親子連れや、家庭の映像などです。自分にはなかったと、どうしても気持ちが沈んでいく事がありました。
この本の中で、本当に大勢の方の命がなくなった様子を読み、せめて生まれ変わりがあるなら、幸せに、ただただ幸せに人生を生きてほしい。素直にそう思いました。
そのことで、つらさが消えていくように思いました。
Posted by ブクログ
「人生から何を我々はまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。」P183
一生忘れないであろう言葉。
これをブログで引用した同期はエグいな。
「苦悩への勇気」って言葉も響く。
「この各個人が持っている、他人によってとりかえられ得ないという性質、かけがえないということは、ーー意識されればーー人間が彼の生活や生き続けることにおいて担っている責任の大きさを明らかにするものなのである。」P186
愛とか家族とか仕事とかのことらしいが、愛も仕事も無いやつは人生に対して責任ないってことになるのだろうか。かけがえのない個人性を持っていない奴に希望はないのだろうか。
恵まれた環境から、こういった文章に感想申すってキツイな。
「それでも人生に然りと言おう」
Posted by ブクログ
アウシュビッツと聞くとガス室のイメージが強いが、強制重労働という形で生き延びた人の事は初めて知った。人としてじゃなく番号、ただの有機体としか扱われない環境の中で未来に希望を持って生き続ける精神に感銘した。ここまで苦しい生活はこれまでの人生も願わくばこの先もないが、自分の生活に落とし込める思想はたくさんあった。苦悩は、それを明晰解明に表象した時、苦悩であることをやめる。生きることの「なぜ」がわかるものは、どんな「どのように」にも耐える。
Posted by ブクログ
いつか読もう…いつか読まねばと思っていた。
ユダヤ人精神科医でアウシュヴィッツなどの強制収容所を体験したフランクル。その体験を、学者としての冷静な視線で記録している。
強制労働、チフスの蔓延、収容所の移動、そして解放から愛する家族の喪失を知るまでを、感情に走ることなく綴る。
収容者だけでなく、ナチス側の心理やナチスに重用された囚人たちについても、精神医学的解釈を述べる。
決して過去の事例として見過ごしてはならない。
70年近く版を重ねている。訳文に多少古めかしい表現があるけれど、絶版にしない みすず書房に感謝したい。
Posted by ブクログ
いつか読まねばならないと思っていたが、なかなか手に取ることを躊躇していた一冊。ついに読み切った。1ページめくるたびに、気が滅入る本であった。
我々と同じ人間が、これほどまで酷い狂気といえる悲劇と地獄を引き起こしたことを、忘れてはならない。
Posted by ブクログ
クラシック音楽を堪能した翌日、何百人ものユダヤ人を無表情のままガス室に送る強制収容所所長という「ダスマン」(ハイデガー)が居る一方、文字通り全てを失って尚、人間性を失わない人々が居る。
人間とはどこまで邪悪で、どこまで素晴らしいのか。
衝撃無しには読めない。
Posted by ブクログ
かくも人間は残酷になりうるのか、その中でどのように内的に保っていられるのか?
ハイデガーの実存主義にふれて、この本を読んでみたくなり手に取った。
哲学と心理学、全てはつながっている。
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淡々とアウシュビッツでの出来事を医者が書き記している。感情的でなく書き進めてくれるのでかろうじて読めるが、その悲惨な風景は筆舌に尽くしがたい。
「アンネの日記」と共に、あの時代のキツさを知るためには読んでおいたほうがいい。
Posted by ブクログ
年始から読み始めましたが、解説の途中で断念。
私には、今読む本ではなかったようです。
私は途中で本を断念することはほとんどありません。それでも今はやめておこうと思います。
一度仕切り直して、時がきたら、読める勇気が出たら、必ず読みたいと思います。
Posted by ブクログ
細君の愛読書というフレーズから読みたくなり、久しぶりに再読しました。学生の時に読んだ印象と歳を重ねてから読んでみると違いますね。
唯の残虐さで心が痛いと思うばかりでなく、こんな状況下でも生きる希望や愛する人への思い様々な目的を持つ事で自分自身を崩壊させない事が大事なんだと思い知らされました。
Posted by ブクログ
この世には2つの種族の人間しかいない。「まともな人間」か「まともではない人間」か
この本を読んで寝たとき、自分が酷い目にあう夢を見た。
夢でさえ叫びたくなるほど辛く苦しかったのに、実際にアウシュビッツに幽閉された人々はどのくらいの苦痛を強制されたのだろうか。
人間が人間であることを放棄する瞬間、窮地で縋るもの、未来を見据えることの大切さ、
それらが実際に収容されていた心理学者の視点から語られる、大切な本。
Posted by ブクログ
大学生の頃、初めて読んだときは確かに感銘を受けました。
ですが、その後、アドルノの言説やドキュメンタリー映画「ショア」を観てからは、すでに役割を終えた本ではないのかと思うようになりました。
エリ・ヴィーゼルやプリモ・レーヴィと比べると、V.E.フランクルはあまりにも楽観的で、軽く思えてしまいます。
Posted by ブクログ
再読は不可 初めの70ページほどは2段組みの細かい文字で始まる、読むことを更にハードルを上げる装丁。
そこでは、ナチス収容所での事実が淡々と書かれ、さらに憂鬱になる。
ここまで人は残酷になれるのか、
人でなく別のものとして認識するから、こんな看守とかが出てくるのか、と思ったりする。
本編が始まると、フランクルの経験に基づく一人称になる。
文字は大きいが、こっちになるとさらに読むのが大変になった。
人としての尊厳を認められない状態であろうが、望む未来を捨てない自由ゆえに、最後まで生き延びた。とあるものの、妻子はとっくに死んでおり、求める未来は叶えられないだろうと知りつつ、心強く持つところ、自分ではできないなと思ってしまった。
結局生き延びれたのは、高い精神力まありつつ、運じゃんという思いが強い。
無駄なあがきするぐらいなら、あきらめた方が楽になるなんて考えてしまう。
落ち込んでいる時に読む本じゃないな。
だが、再読はまずしない。