リルケのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
マルテの手記が好きって人は、ちょっとヤバい。
何故なら、孤独者の視点が身に浸みてしまうから。
悲しみや苦しみ、そして孤独や不安、影や暗闇、そういったものたちに美しさや豊かさを見出してしまうから。
だけどもリルケが好きって人はそれでいいんです。
少しずつ読んで、隣にマルテがいるような感覚を覚えるまで、じっくり付き合っていくのも良いと思います。
私も実は五年くらい読んでるけど、まだ、終わりません。
リルケ自身も書きあげるのにものすごく時間がかかりました。そういう小説です。
何か面白いことを期待して読み始めると、きっと、面白くないと感じて投げ出してしまう人も多いと思います。
だけど、これらをじっと見 -
Posted by ブクログ
リルケは、やはり詩人と言ってよいのでしょうね。愛の詩人、あるいは薔薇の詩人。この詩集は、最初の詩集から晩年のものまで、年代を追って編訳されています、1冊で「リルケ詩集」と銘打つにはじゅうぶんでしょう。「詩の味わい方」がよくわからなかった時期もありました。「物語の筋を追う」ことに慣れすぎていたからかもしれません。詩を、一気に読み飛ばしてはもったいないし、でも、ある程度まとまった数のもの(たとえばひとつの詩集として出されたものなど)を読まなければ感じられないことも多いし。だけど、なぜか「○○詩集」は色々と私の本棚にあるのです。理由ははっきりしています。新潮文庫にせよ岩波文庫にせよ、詩集は小体なもの
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Posted by ブクログ
リルケの詩集ですね。
ライナー・マリア・リルケ(1875~1926)
ドイツの新ロマン主義の詩人。
訳は、富士川英郎さん(1909~2003、東京生まれ)
ドイツ文学者、比較文学者。
あとがきに『本書には「時禱集」以後の詩のうちから特にリルケ的な特徴の著しいものを選んだが、それは、紙数の関係でやむをえなかったという事情もあるけれども、主としてそれによってリルケの詩のもつ独自な風格を鮮かに浮かびだせようとする意図にでたものである。』と、語られています。
「或る四月から」
ふたたび森が薫る
ただよいのぼる雲雀の群は
われわれの肩に重かった空を引きあげ
木の枝を透 -
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他の人の訳も読まねばという感じではありますが、好きだった言葉を
「読書する人」『形象集』
…そして私がいま書物から眼をあげると
訝しいものは何ひとつなく すべてが偉大であるだろう
かしこの戸外にあるものは 私がこの内部で生きているもの
そしてこことかしこと すべてに限界はないのだ…
「ピエタ」『新詩集』マグダラノマリアの詩
…いま あなたは疲れています そしてあなたの疲れた口は
悲しい私の口を求めようとはしないのですー
ああ イエスよ イエスよ 私たちの時はいつでした?
なんと奇妙に 私たちふたりは亡んでゆくことでしょう
「別離」
どんなにか私は感じたことだろう 別離というものを
なんと -
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リルケが7年の歳月をかけて完成させた小説。ページをひらくとマルテが歩いたパリの町の空気がどっと押し寄せてくる感じがする。彼の目にするものは盲の新聞売りや、舞踏病のじいさんや、もとは家だったのに今は瓦礫の山になっている光景といったすさまじい退廃、惨めさ、貧困……ではあるけれど、マルテの瞳はそこで止まらずに彼らが祝福された者であることを発見する。
二十歳の頃に読んで、なんだかんだでこれで3度目くらいになるかもしれない。当時のほうがマルテの孤独な文体に深く同期できていたような気がする。いつでもどこでも開ける本じゃあない。妙になつかしい気分になるんだなあ。