富士川英郎の作品一覧
「富士川英郎」の「リルケ詩集」「江戸後期の詩人たち」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
「富士川英郎」の「リルケ詩集」「江戸後期の詩人たち」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
Posted by ブクログ
リルケは、やはり詩人と言ってよいのでしょうね。愛の詩人、あるいは薔薇の詩人。この詩集は、最初の詩集から晩年のものまで、年代を追って編訳されています、1冊で「リルケ詩集」と銘打つにはじゅうぶんでしょう。「詩の味わい方」がよくわからなかった時期もありました。「物語の筋を追う」ことに慣れすぎていたからかもしれません。詩を、一気に読み飛ばしてはもったいないし、でも、ある程度まとまった数のもの(たとえばひとつの詩集として出されたものなど)を読まなければ感じられないことも多いし。だけど、なぜか「○○詩集」は色々と私の本棚にあるのです。理由ははっきりしています。新潮文庫にせよ岩波文庫にせよ、詩集は小体なものが多くて、そのぶん安価だったからです。お昼休みに、昼食代を削って「今日読む本」を探すのに、なるべく安い本を選んでいた頃もあったのでした。誰にでも、同じような経験があるのでは?さて、このリルケの詩、あらためて一瞥して、私は「好き」だ、と言おうと思います。詩の翻訳は、訳者に依存するものが大きいし、それだけ翻訳が難しいということは、ようやく感じられるようになりましたけれど。「翻訳の成立可能性」について、夜を徹して語り合ったこともありましたっけ。ずいぶんと雑駁な議論をしたものだ、とも思いますが、私の基本は、今でも変わりません。翻訳ものであろうとなかろうと、感じる人は何か感じる、分からん奴には分からん。むしろ、「感じる」「読み取る」側の感じ方・読み取り方に依存するもこそが大きいはずだ。よって私は、「普遍的なもの」を信じるという意味で「翻訳の成立可能性」を信じる、と。けれど、だからこそ、そこに「良い翻訳者」が介在したほうがいい。そして、受け取る者である私自身が、能う限り豊かで敏感であるほうがいい。「豊かで敏感である」ということは、つまりそれに応じて如何様にも鷹揚になれるということです。遅かったかもしれませんが、やっとこの頃、実感として得心します。