常盤新平のレビュー一覧
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1935年に書かれ、1970年と1988年に出版されてはいずれも廃版となっては、三度の光を浴びて復刊したのが本書である。しかしこれもまた再版とはならず現在は廃版の状態である。「廃版」とタイトルにある「廃馬」に重なるイメージがあるのだが、本も馬も人もいつかは廃棄される運命にあり、撃たれる運命にあるのかもしれない。
先日読んだばかりの『屍衣にポケットはない』で独特な感性とタフでぶれない軸を持った作家ホレス・マッコイの名を知り、二つの世界大戦の合間に展開するアメリカという社会の、大戦間ならではの独特な歪みをさらに検証することができるのが本書であると言っていいだろう。
『屍衣にポケットはない』では、街を牛耳る悪玉金持ちに新聞という名の報道まで持ってかれようという権力悪に、ただの一匹で立ち向かう男を主軸に据え、彼を支える一筋縄ではゆかない男女のアシスト役も目立っていた孤立チームの奮闘ぶりが何とも言えない魅力に満ちていた。本書はその二年前に出版された、中編というほどの短い物語であり、180ページに満たない物語だが、衝撃度はこちらの方が強いかもしれない。
戦争で儲かる一握りの権力者に対し、戦争で疲弊する社会の悲惨を強く感じ取ることができる本作は、『屍衣にポケットはない』と同様、一握りの金持ち対大勢の貧者という図式があり、そこにたくましく生きようともがく青春群像がはかなくも作品として燃え立っている。
本書で描かれる二人の男女は、さして深い知り合いでもないが、映画のエキストラをお払い箱になり、千ドルの賞金がかかったマラソン・ダンス大会に出場する。一時間五十分踊って十分間の休憩を取るという無期限のダンス競技に勝てば千ドルの賞金を手にすることができる、というほとんど狂気と言っていいような酔狂な金持ち主催の過酷なイベントなのである。
日々の休みなきダンス・レースの中で一日一日と多くの男女が脱落してゆく姿をマスコミが食いつき、見物客も絶えない。金持ちのスポンサーがそれぞれのカップルにつくこともあるらしく、一体この狂騒のダンス大会は何なのだろうと首を傾げているうちに、作品のなかの日々は少しずつだが過ぎてゆく。
ラストの衝撃がちと応えるのだが、そこで改めて本書の風変わりなタイトルのイメージが銃弾のように読者の感性を抉る。本作は1969年代に『ひとりぼっちの青春』という邦題で映画化されている。マイケル・サラザンとジェーン・フォンダ主演のこの英画を当時の映画誌『スクリーン』で知った覚えがあるが映画自体は記憶にない。
本書は最初から最後までカルチャー・ショックである。馬鹿げたマラソン・ダンス大会を道楽で開催する金持ち
たちと、そこに参加するしか生活の寄る辺さえ稼げない貧しい男女たち。おまけに本書の主人公たちは知人ですらなく、ただこの大会のために出合頭的にペアを組んだ二人である。だからこそ衝撃のラストが切なすぎる。
時代を投影する作品として『屍衣にポケットはない』とどちらも強烈な印象を残すのがこの時代の作家ホレス・マッコイ。職業小説家とは言え、小説だけで食べてゆけるほどの売れ行きにも恵まれなかったこの作家の才能は、時代を超えて、今のぼくらの手の届くところで生き続けている。食べてゆくだけでも大変なこの時代と、それに負けぬエネルギーを秘めた若い男女とその生き様、滅びの美学、すべてのノワールの要素を凝縮したような震撼の一作と言えよう。 -
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作家、翻訳家の常盤新平さんの、70代に入ってからのエッセイ集。
「銀座」のタイトルと、表紙絵に惹かれて手に取った。
銀座は、歴史と懐かしさを感じさせる大人の街で、私にとっては雲の上のようなイメージ。
今はどうなっているか知らないけれど。
一日おきにパンとお粥の朝食、入浴洗髪髭剃、猫に餌をやるところから始まるのだが、多彩な読書と交友の記録に、なんだか全然飽きない。
銀座三越の地下二階「ジョアン」で甘食を買い、浦安のおばあちゃんが握る寿司屋に行く。
『ニューヨーカー』を毎週愛読(洋書は高いなあ…)
読むことと食べることの他に楽しみがない、とやや年寄りの繰り言めいた記述も多いが、「コレステロールが上がっているから肉を避けよ」とクリニックで言われた帰りに、お気に入りの店でかつ丼を食べて帰るなど、オイオイと突っ込みたくなるユーモアも。
気に入った店が、主に店主の高齢化から、一軒また一軒と閉じていく描写が切ないが、以前に読んだときにはわからないと思った本が再読で面白く感じられたと、人間の熟成はいいものだと思わせる部分も大いにある。
奥付を見ると、2011年3月10日、第一刷発行とある。
一つの時代が終わったような区切りの日付と感じられた。 -
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新年早々、オッペンハイマーの作品で失敗したので次は絶対に
はずしたくなかった。なので、本書である。常盤新平氏は私の
好きな作家であり、翻訳者である。
既に休刊となった雑誌「ダ・カーポ」に3年半に渡って連載された
日記風エッセイである。うん、当たりである。
70代前半の常盤氏の日常は非常に活動的だ。タイトルにある銀座
ばかりではなく、神保町や新宿、平井や浦安へまで足を運んでいる。
それがほとんど電車なのだ。理由:電車の中で本が読めるから。
そうなのだ。電車の中ってちょっとした書斎なんだよな。家にいる
より読書がはかどるんだもの。
行きつけの煙草屋で煙草を買って、行きつけの喫茶店(カフェではない)
で一服して、行きつけの寿司屋や飲み屋で杯を傾けて。
勿論、仕事の記述もあるし、常盤氏が主宰していた翻訳教室のこと
にも触れている。手元に積んだままの氏の翻訳によるノンフィクション
作品のことにも触れられていた。う~む、早く読まなくちゃ。
そして、時々語られる老いることの切なさ。
それは浦安にあった寿司屋の記述でほろっとする。おばあさんの
握る寿司が好きで、常盤氏が通っていた場所なのだが、ある日、
自転車で出前に行ったおばあさん。帰り道が分からなくなったこと
で、娘たちが心配して閉店に至った。
ご自身の老いることへの寂しさもところどころにあり、ちょっぴり
哀しい。しかし、老いても好奇心旺盛なところが垣間見れる
温かいエッセイだ。
その常盤氏も亡くなった。もっともっと、素敵な翻訳本を読みたかった。 -
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「山口瞳は,大人の男としての教科書だ」
そういう風に思う.
どうも,こういった人を好むのは,「おじんくさい」とか「年をごまかしているのでは」なんて言われるきっかけになってしまいそうだけれども,良いものは良い.
丁度,山口瞳が亡くなった1995年は,日本がとても大変な年だった.年明け早々,神戸で大きな地震があり,そして東京では3月に地下鉄サリン事件が起こった.そんな中,山口瞳は亡くなった.
大好きなアンクルトリスと江分利満氏が重なって,そしてなおかつそこに山口瞳がかぶって,何か一つ時代が終わってしまったような気がした.20歳そこそこの若造でさえ何か感じる物があった.
それから,山口瞳の著作を一通り読むに至った.
でも,小説や連載のエッセイより,より濃いエッセンスのあるサントリーの新聞広告がまとめられてはいなかった.待望のシリーズをまとめた物が書籍になったのである.
古い人間と言われるかもしれない.でも,心に染みるのである.何度読み返してみても,古くない.
亡くなって20年以上経ってしまったけれども,心をうつ文章を読むことが出来る本だ. -
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ネタバレニクソン大統領を最終的に辞任に追い込んだウォーターゲート事件を報道したジャーナリスト、ホブ・ウッドワードとバーンスタインが自らその顛末を語ったのが本書だ。ロバート・レッドフォードによって映画化もされている。
ジャーナリズムとしては記念碑的な事件を扱った本作は、ウォーターゲート事件というものの顛末を分かりやすく読もうとすると大きく期待を裏切られる。本作はむしろ彼らがウォーターゲート事件をきっかけとして、ニクソン大統領の陰謀を明らかにするまでの苦闘を描いているのであり、とにかく登場人物も多く出てくるし、描写もかなり行ったり来たりする。
正直に言って当時のアメリカに住んでいれば理解できたかもしれないが、その長大な量と合わせて、全体を一回で理解するのはとてもではないができない。読んでいてくじけそうになったことも何度もあったがそれでも最後まで読み通せてしまったのは、やはり本場のジャーナリズムの息遣いが聞こえてくるような描写と、扱っているテーマが非常に大きなものだからだろう。
本書を読むとジャーナリズムというのはとにかく足で稼ぎ、人の話を聞いて物事を明らかにする職業などということがよくわかる。また驚きなのは、アメリカの(少なくとも当時は0ジャーナリストに対してそれなりのに多くの情報を与えてくれる政策当局者や行政官が多くいたということだ。それらの一部は素状が明らかにされているが本書の中でも多くの人物は、ニュースソースとしか書かれていなくてその情報源が明らかになることはない。
決して多くの人にお勧めできるようなタイプの本ではないが、ジャーナリズムに興味があるひとは一度は目を通しておくと良いだろう。 -
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映画『ひとりぼっちの青春』の原作。1935年にアメリカの作家ホレス・マッコイによって書かれた、マラソン・ダンス大会を題材にした小説。
マラソン・ダンス大会とは、最後まで踊っていた男女ペアが優勝する、ダンスの耐久コンテストのこと。1時間50分踊っては10分間の休憩の繰り返しで、その10分間に睡眠や食事、風呂に入ったりと必要なことを済ませるという、なんともクレイジーなコンテスト。小説はフィクションでも、こんな狂騒的な催しが実際に行われていたのは驚きでした。
あらすじ:
ときは、大恐慌後の不況下のアメリカ。映画監督を目指すロバートが、エキストラで生計を立てる女優志望のグロリアと街で偶然出会います。お金に窮する二人は、食事も寝場所も得られるマラソン・ダンス大会に参加し、あわよくば映画関係の人達のお眼鏡にかなったり、賞金も得られることを期待します。はたして、大会での連日繰り広げられる過酷なダンスは、ロバートとグロリアに何をもたらし、そしてその行く末は……。
“被告は起立しなさい”との裁判長の発言から始まる本作は、裁判の過程で言い渡される判決の合間に、主人公がグロリアを撃ち殺すに至った過程が語られていきます。その判決文がページ一枚を占めており、章の間に収まっていますが、その判決文が読み進めるほど文字フォントが大きくなり、主人公の語るグロリアの様子の変化とともに物語が終局に向かっていく構成になっています(故に、紙の本で読む醍醐味が味わえます)。
主人公がグロリアを殺害することは決定事項として始まるので、最後まで読んで最初に戻ると、序盤のグロリアの様子がよくわかるという演出は見事です。ただし、硬質で乾いた文章は、あまり心理描写がないのでグロリアの本当の心の内は想像するしかないけどね。そして、最後の一文ですが、どうにもならなかった救いのない悲哀を感じさせる、切ない終わり方でした。仄暗い生い立ち、なかなか叶わない夢や貧しい暮らし、不況下に喘ぐ社会などの逃げ場のない男女を、同じく踊り続けなければならず、逃げたら失格になるマラソン・ダンス大会を引き合いに出す暗喩が印象的な作品でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレマスコミ、特にテレビについての不信感が個人的に強いです。バラエティは面白く見れるのですが、報道という観点からすると、ポジションテークを明示しない報道姿勢が私にはとても狡猾に感じるのです。とりわけ政治問題に対する報道はそうです。どういう立場での報道なのか、旗幟鮮明にせよ、さもなくば立場が分からない、問いたくなります。
さらに時代は一応総つぶやき社会へ。誤字脱字にあふれたネットニュース(人の事言えないけど)、個人の伝聞(ポスト)が即確からしく語られる昨今、何が信じられるニュースソースなのかよくわからくなってきました。むしろ気概のある個人の発信情報の方が時として信頼できる可能性も増してきました。口コミやインフルエンサーなどはその一例かと思います。
もちろん、個人という最小単位は、何かが起こると「仕組み」でカバーできないので(一人だけですから)、お金・健康・家族などが脅かされたらあっという間に信念が曲がる可能性もありますが。
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そんなことを考えているさなかに読んだのが本作『大統領の陰謀』です。
本作は、ワシントン・ポスト紙の若手記者二人が、政府からの圧力に耐えつつ、真実に近づき、ニクソン政権を追い込んでいくノンフィクションであります。
これを読みつつ改めて考えたのですが、真実を伝えること、真正なる報道というのは実に目に見えない努力に支えられていると感じた次第です。
まずもって感じたのは、真正の報道は恐ろしく手間がかかるということです。
本作では政府内部のタレコミ情報がワシントン・ポストに集まるものの、これをそのままスクープとして発表することができないシーンが数多く出てきます。悪さをしたニクソン政権ですが、当然記者とつながりのある内部者に意図的に虚偽情報をリークさせることも可能なのです。そのため、検証や裏取り、それが難しい場合は断定表現は避けるなど表現上の工夫を施す必要が出てきます。
作中では、ほぼ確からしい情報をどのように確かにするかという裏取り、検証の作業に呻吟する記者二人に感嘆いたしました。
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また、本ワシントン・ポストでは、社主(オーナー)から編集長まで、主人公の若手記者二人の集めてきた事実をキチンと受け止め、適切なテクニカルな指示(裏取り、出稿のタイミング等)のみを下におろす形にしていました。
政府からの攻撃(記事の内容を『でたらめ』と声明発表し、加えて記者クラブ的集まりに呼ばなくなる)を受けても、トップマネジメント以下状況に耐え、記者二人に取材をやめるよう圧力をかけなかった姿勢は立派という他ありません。
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また、主人公の若手記者の一人がニュースソースを外部に漏らすというあってはならないことをしてしまうシーン、大陪審の陪審員への接触を試みる(陪審員は知りえた情報を外部に漏らしてはならない)シーンなど失敗に関する場面も克明に描かれていました。作中では、記者二人が自らが作り上げる報道のもつ意味を考え呻吟し、そして表現に落とし込む様は、むしろ清々しさすらを感じた次第であります。
解説で常盤氏がこうした自己陶冶的側面を指摘していましたが、同感であります。
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本作は所謂ウォーターゲート事件発覚に至る様子を克明に描くノンフィクションものであります。ただ、スポットライトは、ニクソン政権の陰謀というよりも、むしろ政府からの攻撃に耐えつつ、報道人の矜持を保ったその誠実さ・清々しさ、に当たっていたように思われます。
昨今の違いを認める・受容する社会では、本作のワシントンポストのような全社的頑固一徹さもはや難しいかもしれません。でも、大きな風穴を作るときは、支えあい・忍耐・そして同じ方向を向くことが非常に大事である、とそう感じました。 -
Posted by ブクログ
アーウィン・ショーを訳していた人といった程度しか知らなかった常盤新平さんであるが、本書に登場してくる翻訳者の面々に関心があったことから手に取ってみた。
本書は小説であるから、実話そのままではないだろうが、登場する翻訳家も実名は出ていないが1960年前後の早川書房周辺の人たちだし、翻訳した作品の大体の記述もあるので、多分あの人がモデルかなあと推測するのは、とても楽しい。
翻訳家を目指してはいるが、まだまだ先の見えない若者だった作者の前に登場する師匠や先輩、同輩の人たちはほぼ変な人たちであるが、ほのぼのするものから不思議なもの、しんみりするものと、様々なエピソードが描かれる。
また、本当に翻訳家として一本立ちして、愛する家族と生活していけるか、揺れ動く真情には共感させられる。
アメリカ文化、文学が眩しかった時代。アメリカの小説に出てくるハンバーガーがいかなるものか話し合うエピソード、著者と恋人との借家に関する記述、翻訳料に関するやり取りなど読むと、当時がまだまだ貧しい時代だったこと、でも何とかなるさという希望が持てた時代でもあったことが伝わってくる。
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常磐新平『銀座旅日記』(2011)を読む。
文庫オリジナル。飄々とした文章がいい。
いまはなくなってしまった新橋Tony's Barのカウンターで
ひとりグラスを傾ける常磐を見かけたことがある。
本書の文体は常磐が敬愛する山口瞳や、
文中に何度か出てくる池波正太郎の日記をほうふつとさせるが
本人は百も承知で書いているのだろう。
読書と散歩と飲食が好きな老人の繰り言は
どこか憎めぬ味わいがある。
人がどう老いて、どう死んでいけばいいのか。
僕にはとうてい答えなど分からぬが、
つい参考にしてみたくなる一冊だ。
2003年2月から2006年8月まで
『ダカーポ』(マガジンハウス)連載。
(文中敬称略)