ジル・ドゥルーズのレビュー一覧

  • アンチ・オイディプス 上 資本主義と分裂症

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    ドゥルーズガタリのオイディプスへの告訴文が個人的体験と結びついたこともあり、非常に好感度な読書体験へと昇華できた。
    正直理解半分なとこも多々あり、参照すべき文献に全く当たれていないため時間をおいて再読する予定。
    精神分析の広まりが薄い日本においては、ドゥルーズガタリの言説にどれほどの適用範囲を与えるべきか曖昧なところ。
    要点は、フロイトの権威が確立されて以降の20世紀ヨーロッパ精神医学において、オイディプス的還元という絶対的神話が患者だけでなく、一般の人や知識人、芸術家等に多大な影響を与え、その余波は多くの分野に広がったということ。
    そのせいでどこか世間一般の常識や始まりとして措定されるに至っ

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    2024年02月25日
  • 千のプラトー 下 資本主義と分裂症

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    「リゾーム」「多様体」「器官なき身体(CsO)」「強度」「顔貌性」「非正確(不正確ではなく)」「存立平面」「戦争機械」「抽象機械」といった数々のD-G用語について、おぼろげながら理解した。

    本の主題は、資本主義と分裂病なのだが、内容は資本主義の分析にとどまらず、「人間」「言語」「国家」「生命」を、歴史的・宇宙的な規模から考察するどえらい内容となっている。

    思考のフィールドが広大すぎて、さすがの翻訳者(宇野邦一先生)も、その全貌をとらえきれないという感じで、あとがきを書いておられる。発刊後43年が経過して、まだ、この本の本格的な解説書は現れていない。
    リゾーム概念は、おそらくブロックチェーン

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    2023年05月25日
  • 記号と事件 一九七二―一九九〇年の対話

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    哲学に対しての知識はほぼ皆無だったけど挑戦してみた。読み終えるのにかなり時間を要したが、読んで良かったと思う。読んでいて今までの自分の考えが刷新されるような感覚が何度もあったので、門外漢の自分でも理解ができるような、比較的わかりやすく書かれた傑作なのではないかと思った。
    わかりやすく書かれてはあるが、一般的なレベルの普通の言葉の使い方ではないので、理解できたとは簡単に言ってはいけないような気もする。またドゥルーズが言葉と格闘して練り上げられた、いくつかの概念を示す言葉は斬新な扱い方をされていて、詩にも近いような感触もある。
    ドゥルーズの他の著作、スピノザのエチカ、アンリミショーなどにも興味を覚

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    2022年08月01日
  • アンチ・オイディプス 上 資本主義と分裂症

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    ネタバレ

    半ば学者の義務感で翻訳されたような旧訳ではなく、読み手を意識している新訳は、文章の意味が、わかりやすい。
    一体全体、何の話かと思わせる旧訳と違って理解できることが、とても嬉しい。
    が、それは、書からのメッセージを解読できるかという意味とは、別次元の話である。

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    2019年03月16日
  • 千のプラトー 中 資本主義と分裂症

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    記号の発生から、記号を脱したアナーキーな領域の多様性までを語る『千のプラトー』シリーズの中巻。脱記号化と、カオスからの非記号的なものの発生を語るパート。
    単に記号的なものを否定的に語るだけじゃなく、記号そのものの成立と非記号的なものの成立自体を描き出すことによって記号に対して批判的な立場を取るというやり口は、ドゥルーズの面白いところ。おそらく、そういう仕方で対象を肯定することこそが、もっとも批判的でありうるのだと思う。寄り添い存在することはそれ自体差異の共存であり、批判的創造的なんだろう。(そうした存在性について述べられるのが下巻)

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    2017年06月29日
  • 差異と反復 下

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    凄く面白い。

    シンプルでありながら物凄く重い荷物を背負い込んだ本だ。
    言及範囲、取り扱い射程が長大である。ギリシャ哲学、ベルクソン、ニーチェ、カント、ヘーゲル、ハイデガー、ダーウィン、フロイト … …。万物を縦断し、横断し、掘り上げ、そして掘り下げる。
    次から次へと諸事象が繰り出される。
    それゆえに私のような凡人にはあまりに突飛な論脈だと感じる箇所もしばしばであった。

    何かと何かが違うということ。
    同じことを繰り返すということ。
    差異と反復は共存し得ない対立概念でありながら、それと同時に、両立するものでもあると汲み取った。その霊妙さが本書全体を覆っていた。

    下巻の前半、微分、積分の話題で

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    2014年03月30日
  • 千のプラトー 中 資本主義と分裂症

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    「生成変化」「リトルネロ」および、既出ではあるが幾度もリロードされアップデートされる「(脱/再)領土(化)」の3つの概念が中巻においては差し当たり極めて重要。その周囲に彼らの独創的ではっとするようなテリトリーがあり、おそらく彼らの予想を越えた含蓄がある(その予感が「文学をひきあいにだしすぎる」と非難されながらも[上p ]、文学性に近づけた動因ではないだろうか。その美しい表現は、まわりくどく曖昧ないいかただととらえることもできるだろう。しかし、「すべてを曖昧にしておくのは容易だなどと考えないでほしい。」[p64])。

    第7-9章は、それらの重要な概念をもちいた実践例。「顔貌性」や「切片性

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    2012年12月29日
  • 千のプラトー 上 資本主義と分裂症

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    序章の「リゾーム」は全体の概観を示す。まずこの小片が書かれて発表され、本書に繋がった。ここだけで「アンチ・オイディプス」とは比較にならないほどの射程と奥行きをもっているのがわかる。新しい語が唐突に用いられるので(リゾーム?脱領土化?器官なき身体?強度?存立平面?)、ごく一般的な生活をしている人には「浮いている」ので馴染みずらいか。まず書き方に慣れ、全体を通読、あるいは結論意外の章を[「結論だけはおわりに読むべきである」※冒頭の緒言より]好きな順に、開いた順にでもとにかく通読すること。細かい意味はあまり気にせずに、何度か通読して全体に慣れること。そうすると、この書物全体が地図であることがわかる[

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    2012年10月31日
  • 千のプラトー 上 資本主義と分裂症

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    当時、紙爆弾と呼ばれたインパクトのある、哲学。
    当人たちはポップ哲学とかいっていたけど、
    ポップというより、パンク、
    いやパンクなんかでは表現しきれない、
    爆弾 な 本

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    2011年06月23日
  • 差異と反復 下

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    p307
    或るひとつの差異がおのれをそこから抜き取るその表面的な反復に、その差異が(深さにおいて)必然的に所属している場合、そうした差異の本質はどこにあるのかを知ることが問題になる。そうした差異は縮約であるが、しかしこの縮約の本質はどこにあるのだろうか。そうした縮約はそれ自身、弛緩のすべての水準とすべての度においてそれ自体と共存する或るひとつの過去のもっとも縮約された度、もっとも緊張した水準ではないだろうか。各瞬間、過去全体が、ただし、様々な度と様々な水準において[それ自体と共存する]。現在の度と水準は、それらのうちのもっとも縮約されたもの、もっとも緊張したものでしかない。それが、ベルクソンの

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    2012年09月10日
  • 千のプラトー 中 資本主義と分裂症

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    ついに中が発売!

    僕がこの本を読む理由は、難物にぶつかれという寺山さんの意志をついでいるからなのです。また、カオスから身を守るための哲学としてドゥルーズを利用したいのです。

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    2011年09月03日
  • 批評と臨床

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    2010/9/14ジュンク堂で購入

    もはや愛さず、身を捧げず、取ることもしない。そのようにして自分自身の個人的な部分を救うのだ。というのも愛は個人的な部分ではなく、それは個人の魂ではないからだ。それはむしろ個人の魂を一つの自我にしてしまうものだ。ところが、自我というのは、与えるべき、あるいは取るべき何かであり、愛したがったり、愛されたがったりするのだが、寓意であり、イメージであり、主体であって、真の関係性ではない。自我は関係ではなく、反映である、主体を作り出す微かな光、瞳に輝く勝利の光である。

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    2011年12月28日
  • アンチ・オイディプス 上 資本主義と分裂症

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    1082夜

    ドゥルーズの中では一番好きだなあ。

    1976年くらいのことだとおもうのだが(『アンチ・オイディプス』は訳されていなかったし、『千のプラトー』はまだ原著も発表されていない)、ガタリをぼくのところに連れてきたのはアラン・ジュフロワで、それはぼくが主体性を嫌っているためだった。それ以前にジュフロワとそんな話をしたことがあって、それをおぼえていて「この男も主体性が嫌いなんだ」とガタリを紹介してくれた。
     初対面の理屈屋のフランス人との会話をそんな話題から始めるなんて、まったくツイてないほどの最悪のコースだったけれど、ガタリが主体性そのものを嫌っているのではなく、20世紀の精神分析が勝手

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    2010年10月06日
  • 千のプラトー 上 資本主義と分裂症

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    2010/9/6購入

    文庫で出た・・・。ついに。
    戦争機械の武器である情動を動かさないかぎり、私たちの手にある労働の道具が武器へと生成変化することはない。加算的なものであればマジョリティもマイノリティもそこらじゅうに存在する。だが、存在すべきものだけが欠けている。ブラックパンサーが黒人でさえ黒人になる必要があるといったように、わたしたちはわたしたちが当のものであるわたしたちに生成変化しなくてはならない。

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    2011年02月06日
  • 記号と事件 一九七二―一九九〇年の対話

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    面白い。

    その副題に記された年号(1972-1990)から推察される通り、本書は『アンチ・オイディプス』から『哲学とは何か』にいたるドゥルーズの思考の軌跡を側面から辿るものである。

    ★本を書くことの価値やその方法、本の機能に関するドゥルーズの洞察も捨て難い。(p41-42)

    ドゥルーズは、私たちのうちに移行してくる外部の諸力に対し、私たちはたえず自分自身と徹底的に語り(折衝し)、自分自身にゲリラ戦を挑むことでおのれを見出さなければならない、哲学に出来るのはそれだけである、と述べている(p5-6)。

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    2011年10月07日
  • 記号と事件 一九七二―一九九〇年の対話

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    ドゥルーズの対談や、知人の本に寄せた序文などをまとめたもの。
    対談なので比較的読みやすいのではないかと思い、手に取った。
    とはいえ、例によって、理解したとは言い難いので、読書ノートという形で心に残った箇所を引用するに留めたい。/


    【プルーストの場合は、記憶の探索をおこなっているのではなく、ありとあらゆる種類の記号に目を向け、環境、記号の発信様態、記号の素材、記号の体制に照らして記号の性質を解明することが作家の責務となっている。『失われた時を求めて』はひとつの一般記号学であり、さまざまな階層に分かれた社交界を診断する症候学でもあるのです。カフカの仕事は私たちの行く先々にひそむであろう悪魔的な

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    2023年10月19日
  • 批評と臨床

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    村の隅々をあちこち探索してみても、「城」への入り口は一向に見えてこない。
    注の極小ポイントの活字が眼を射る。
    まるでカリンティ・フェレンツ『エペペ』の、未知の言語を使用する国に迷い込んでしまったブダイのようだ。
    あるいは、そもそも僕は最初から追放されてあるのだろうか?/

    カフカの『流刑地にて』の「処刑機械」は、キリスト教のことではないか?
    「処刑機械」は、そのシステムに拘束された者の身体に馬鍬で刑罰を書き込むのだから。
    馬鍬で身体に書き込まれる刑罰=最後の審判ではないだろうか?/


    【注(1)ザッヘル・マゾッホの評伝(略)の中で、ベルナール・ミッシェル(略)は、『変身』の主人公の名前そのも

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    2023年10月19日
  • 批評と臨床

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    ネタバレ

    総括して、まだまだ理解が及んでいない。全体像を理解してからまた読むことの必要性を感じている。しかし所々で自分にはなかった文学の見方、或いはそもそも世界に対する認識の視点を得ることができたと感じている。

    中でもお気に入りは「l prefer not to」というそれ。この文章によって全てが曖昧になる様。この言葉を吐く人物の心情や世界への視座というものは、驚くべきものであった。

    「拒否しないが、受け入れもせず、彼は前に進み、この全身の動きの中で後退するのであり、言葉のかすかな後退の中でわずかに身をさらすのだ」

    すべてをその決まり文句のうちに閉じ込めてしまうことで、前進=彼がその決まり文句を使

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    2020年11月15日
  • 批評と臨床

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    大きな前提をふまえて書かれている留保であったり拡張であったり別の可能性を提示する内容。なので、その前提への理解がないと正確なニュアンスを感じるのは難しい。が、その目指そうとする感じは難しいけど耳を傾けてしまう不思議な魅力がある。徐々に機会を見つけて読んでいきたい人かな。

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    2017年12月18日
  • アンチ・オイディプス 上 資本主義と分裂症

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    ネタバレ

        -20080619

    欲望が革命的なのは、それが荒々しいからではなく、意識によっては導かれない微細な未知の波動と流線そのものだからである。Globalizationと原理主義という相反するとみえる二つの傾向が、同じ一つの世界システムから出現することを、本書はすでに精密に解明し、警鐘を鳴らしていた、86年河出書房新社刊の新訳版、06年刊

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    2013年08月14日