宮本武蔵のレビュー一覧
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ネタバレ単なる剣術の指南書にとどまらず、現代のビジネスや組織論にもそのまま通じる、極めて実践的な哲学書だった。
特に印象に残ったのは「観見の目付け」と「拍子」の概念だ。目の前の表面的な事象(見)に惑わされず、一歩引いて全体像や本質(観)を捉えるという教えはリスクの兆候や事象の深層を見極めるための視点として非常に示唆に富んでいる。
また、状況に合わせて柔軟に対応する「水」の教えや、他者のやり方を客観視して自らの立ち位置を知る「風」の視点は、仕事を進めていく上での強力な指針になると感じた。
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」という言葉が示す通り、地道な基本の反復があって初めて、何事にもとらわれない「空」の境地に至ることができる。多くの気づきを与えてくれる一冊。手元に置いて定期的に読み返したい。 -
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小林秀雄がたしか、この宮本武蔵をいう男について「観察」ということばを使っていたような気がする。
時にこういう人間がやっぱりどこかで生きて死ぬというのを知ると、続く精神のバトンというものが息づいていることがうれしくてたまらない。
剣の鍛錬というものは、生きるか死ぬかいつもその境界にあって考えなければならない。相手を打てないような剣は剣ではない。剣はいつもそれを考えなければならない。とことんそれを自分の身ひとつで追求したというところが、この男のパトスである。先哲たちが真理を掴もうとして脇目も振らず考え抜いたのとおなじパトス。
静かにじっと考えて書くというよりかは、いつも考えが先に動いていて、筆がそれに追いつかずにじれったく感じていたに違いない。彼が生きるのはそういう感覚の世界なのだ。鍛錬あるべし 吟味あるべし というのはおそらく、彼の心の動きをそのまま現している。そうとしか言えないのだ。弟子がどうもいたようであるが、おそらく、何かああこう言うのではなく、ただ黙って、剣をふる姿をみせていたのだろう。
空、それが彼の知ったもののすべてであった。空について、「有善無悪」とあるが、おそらくは継承した弟子の誤解であろう。おそらく「無善無悪」であったはずだ。
生きること死ぬことに師や学問などいらない。生きることも死ぬことも、ひとえにこの自分の剣にかかっているのだから。どこまでも彼の心は、自分という剣に向って深く沈んでいって、その自分という存在が限りなく無限で有限である瞬間を知ったのだ。あらゆる彼という存在が調和していることに気づいたのだ。
だが、彼はその生きること死ぬことそのものを問わなかった。剣で生きることこそ至上の目的であって、生きることそのものを問わなかった。生きるとは死なないことの裏返しであるから、おそらく、剣で考えるということ自体に疑いようが彼にはなかったのだ。だが、ではなぜ剣であったのか。生きることも死ぬことも、剣とは関係なくそれは起こっているのだ。どうして相手を打つことでしか考えられなかったのか。ほんとうに無駄なく考えるのであれば、とっくに剣を棄てたっていいはずである。晩年の彼が芸術に傾倒して隠居しようとしたのも十分に納得できる。 -
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ネタバレ随所に今に通ずる「なるほど」という部分がある。
--引用--
心の持ち方:
平常心と異なることがあってはいけない。(中略)心を広くまっすぐに持ち、強く緊張せず、少しも弛緩せず、注意がいずれかに傾かないように心の真ん中に置き、心を静かに流れさせ、その流れる瞬間瞬間にも流れが止まらないように充分注意すべきだ。(中略)心の中の雑念を払い、広々とさせ、そこに知恵を置くのだ。
物の見方:
心眼で見る「観」と、目で見る「見」の二つの見方があるが、観の目で強く、見の目で弱く見、遠いところを近くでありありと感じるように見、近いところは遠くから大局をつかむように見るのだ。
--引用おわり--
非常にシンプルに理を表わしていると思う。武蔵の強さのエッセンスを感じ取ることができ、時代を超え今の自分を見つめる糧としたい。 -
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ネタバレ宮本武蔵の「二刀一流(二天一流)」について、自ら没する前に記し残した兵法書。武蔵は、13歳から29歳までの間に戦った真剣勝負において、一度も負けなしという。
吉川英治の「宮本武蔵」は、何度も通読し、その剣へのひたむきな姿に、感動と尊敬の念を覚えたものだ。
本書は、「地」「水」「火」「風」「空」の五つの巻から構成されている。全体を通じて、テーマは「必ず勝つ」ということ。「勝つ」ためにどうすればよいか、それを合理的に考えられたのが武蔵の兵法なのだろうと思う。
当然、斬るか斬られるかの真剣勝負であり、現代のスポーツやゲームなどの世界とは違い、リアルに命がかかっており、負け=絶命を意味していたのであるから、勝てない兵法は無意味ということかもしれない。
ただ、武蔵は他の流派についても研究している。他の流派を批評し欠点を論じている。それらの他流に置いて、型を重んじて居たり、美しさを求めていたりしていることにには否定的であり、徹底した合理主義であると感じた。実践で役に立たない兵法は不要ということだ。ただし、どの流派がどうと、名前を出していないし、出す意味もないとしている。
武蔵の兵法は、固定的なものはない。変幻自在というか、相手によって、環境によって、状況によって、戦い方を変化させる。いわば、相手の心理を読み、環境を自分の味方につけ、状況を自分の有利に導き、いかなる不利をも有利に変化させていく兵法であると感じた。「構えあって、構えなし」というのはこのことを良く表現している。
また、技の部分もさることながら、心理戦をも重視している。そしてそれらテクニックの部分の根本となるとなるのが「空の巻」で述べられている「心に曇り、迷いがない」という点ではないかと思う。
以下、心に残った点を記しておきたい。
「地の巻」
その後なおもふかき道理を得んと朝鍛夕錬してみれば、をのづから兵法の道にあふ事、我五十歳の比なり。夫より以来は尋入べき道なくして光陰を送る。兵法の利にまかせて諸芸諸能の道となせば、万事におゐて我に師匠なし。
「水の巻」
兵法の道におゐて、心の持やうは、常の心に替る事なかれ。常にも兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く、直にして、きつくひつぱらず、少もたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静にゆるがせて、其ゆるぎのせつなもゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。
「火の巻」
朝から夕まで鍛練を続け、磨き果せて後、一人自由を得て、自然と不思議な力を身に得、万事に通じる力があるようになる。これが兵として法を行う心意気である。
「風の巻」
此道を学人の智力をうかゞひ、直なる道をおしへ、兵法の五道六道のあしき所をすてさせ、おのづから武士の法の実の道に入り、うたがひなき心になす事、我兵法のおしへの道也。
「空の巻」
心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心・意二つの心をみがき、観・見二つの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひの雲の晴たる所こそ、実の空と知るべき也。 -
Posted by ブクログ
■評価
★★★☆☆
■感想
◯五輪の書について、言葉遣いを現代語風にし、いい意味でアクセントの効いた外来語を交えて翻訳した本。
◯著者自身が剣道有段者だということで、心得がある中で翻訳されている。
◯宮本武蔵は歴史的な資料が少なく、五輪書ぐらいしかまともな資料がないらしい。バガボンドをはじめとした現代の人が持つ武蔵像は、吉川英治の創作によるところが大きいとのこと。
◯
地(軍事思想・武蔵の半生)
水(個人の剣術・身体の使い方)
火(戦略・多数との戦い方)
風(他流の分析)
空(仏教的・短い)
と、巻によって内容が変わっていることが知れてよかった。