宮本常一のレビュー一覧
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-こうした貧農の家の日常茶飯事についてかかれた書物というものはほとんどなくて、やっと近頃になって「物いわぬ農民」や「民話を生む人々」のような書物がではじめたにすぎないが、いままで農村について書かれたものは、上層部の現象や下層の中の特異例に関するものが多かった。そして読む方の側は初めから矛盾や悲壮感がでていないと承知しなかったものである(「私の祖父」)
-村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上ではむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものをもった人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人々は頑固だと言って片付けている。(「世間師(一)」)
-文字を持つ人々は、文字を通じて外部からの刺戟にきわめて敏感であった。そして村人として生きつつ、外の世界がたえず気になり、またその歯車に自己の生活をあわせていこうとする気持がつよかった。(「文字をもつ伝承者(一)」)
宮本常一の民俗学の金字塔といわれる著書。
巻末の網野善彦氏の解説によると、宮本氏は、客観的なデータを整理・分析する従来の民族誌よりも、「生きた生活」をとらえることを目指したということで、分析的な記述よりも、地方村落のお年寄から聞いたことやフィールドワークの体験がそのまま記録されている。
太平洋戦争直後の昭和20〜30年代に調査は実施された。
東京の文壇ではちょうど同じ頃に小林秀雄が『ゴッホへの手紙』を書いたが、その当時の地方村落は、まだ中世のような生活だった。
地方の村落と言うのは、文明では都市部から100年近く遅れているようで、素朴なやり取りに、ほっこりと里山の空気を感じる。
動物や虫を支配するのではなく共に生き、性愛に風流を感じ、目に見えない神を尊ぶ、などが日本の特徴だろう。
西洋文明では、人は自然を支配し、純潔を重んじ、一神教、となる。
現代の日本が西洋と同じとは勿論言わないが、昔に比べてその傾向に近づいていることは間違いない。
科学技術や目に見える文化だけでなく、人間の頭の中もそのように変わるものだと改めて知った。
『源氏物語』の風流は、庶民にも存在したのかもしれない。
印象的だったのは、対馬である老人を訪ねた際のやりとりだ。
老人「あんたァどこじゃね」
宮本「東京の方のもんじゃがね…」
老人「へえ!天子様のおらしゃるところか。天子さまもこんどはむごいことになりなさったのう」
太平洋戦争敗戦について天皇を気遣う言葉だが、あっさりとどこか他人事のようで、自分が所属する国が他国との戦争に負けた、という実感は感じられない。
そもそも、「国家」というものが機能や組織として意識されていない。
都市部の戦争体験と言えば、空襲を受け、日の丸を掲げ、プロパガンダ新聞を読んで他国への憎悪を燃やす、と悲壮な画が浮かぶが、
それに比べて、「天皇かわいそうだったねー」というこの遠めの距離感。
国家や政府によって作られた物語に煽られず流されない、都市住民にはない素朴な人間の聡明さを感じた。 -
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口伝ぐらいでしか残っていない民俗風習から山岳民という民俗がいたという推論を証明しようとした点が非常にチャレンジング。
確かに山奥に畑作中心で細々と暮らす集落を見ると「なんでこんなところに住んだんだろ」と思うことはある。山岳民は著者の所詮想像ではあるが、縄文から弥生、朝廷ができて武家社会へという一般的歴史観にそぐわない歴史を歩んだ日本人がいる事は確かだろう。
ともすればスピリチュアルに陥ってしまう柳田國男的民俗学とは別に、あくまで現実的でリアルな民俗の成り立ちを捉えようとした意欲作。なぜ山で暮らしたか、そしてなぜ山から下りたか。それは決して精神論や綺麗事では語れない現実的な理由があったはずだ。 -
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日本の文化や歴史を、庶民の生活の視点から調べてまとめてある本は、とても貴重で、興味深かった。
・確かに塩はどこでも採れるわけではないけど、人体に必要不可欠であり、ないと生きていけない。当時の流通網を調べるには、とてもいい糸口だと思った。
・日本の人口は中国などと比べて、過去二千年の間に大きな増減をすることなく、緩やかに増え続けてきた。戦争をする者/食糧を生産する者が分けられていたからだ。
・日本の食糧自給が安定していた理由として、民衆が戦争から離れたところに存在していたことがあるが、民衆の生活の工夫が続けられてきたことも大きい。
米だけではなく、その土地の特徴に合わせて新しい作物を民間レベルで積極的に受け入れてきたこと。
トチやドングリなどの実のなる木を代々管理し続けて飢饉を乗り切ったこと。
山間部で発達した発酵食品などの保存食の知恵などなど…長い間、民間で繰り返されてきた努力と工夫で、日本の文化はできている。
現在は平和な世の中で飢えとは縁遠い生活をしており、生きるためというより、楽しむための食になっている。
ただ、また戦争などでいつ自給自足の生活に戻らないといけない日がくるか分からない。そんなときのために、自分で生きていくための食糧を得るための伝統的な文化はある程度伝承していかなければいけないんだなと思った。
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ネタバレ宮本常一がイザベラ・バードの「日本奥地紀行」を解説している。
「日本奥地紀行」は明治11年にイザベラが横浜~北海道を旅した話であり、宮本が全国を調査した経験を元に、イザベラが話す明治の地方の暮らしを補足していくスタイルとなっている。
●彼らはめったに着物を洗濯することはなく・・・夜となく昼となく同じものをいつも着ている。(奥地紀行)
一年に一枚くらいの割合で着破ったと考えられるのです・・・着物一人分の一反を織るのにだいたい一ヶ月かかるとみなければならない・・・働いている上にそれだけのことをしなければならないのです。(宮本)
●日本人に病気が多い・・・その大部分の病気は、着物と身体を清潔にしていたら発生しなかったであろう・・・(奥地紀行)
日本人はきれい好きである、風呂好きであると言いますが・・・村へ入ってみると風呂のないところが非常に多かったのです・・・戦前はすごく垢を溜めた子が多かったし、特に洟をたらし、それを袖で拭くものですから袖口のぴかぴか光った服を着ている子が多かったのです。(宮本)
●昔アイヌ人は弓矢・槍・ナイフで戦ったが、彼らの英雄神である義経が戦争を永久に禁止したので、それ以来は両刃の槍は熊狩りに使われるだけになった・・・(奥地紀行)
「義経記」がアイヌの世界に入っていって、ここでユーカラと同じように語り継がれたのです。源義経は北海道へ行きアイヌの世界に入り、そこで英雄として祀られた。
アイヌはかつて北海道で一つの統一体をなしていたことがあった。北方民族と戦って、その時の様子をうたったのがユーカラなのだ。少数民族の場合、琉球王国は形成され、アイヌは国家的要素をかえって解体させていった。(宮本) -
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ネタバレ人間にとって不可欠な「塩」を手に入れるため、昔の日本人がどのような手段を取っていたかが紹介されています。中でも、山の中に住む人々が塩を手に入れるため、木を伐って川に流し、河口まで行ってその材木を拾って焼いて塩を取っていたというのは衝撃でした。そこまでの苦労をしないと塩を手に入れられなかったというのがすごいなと。
これ以外にも、日本での製塩方法がいくつか紹介されていて、その辺の雑学も楽しいです。
著者によると、塩の道はかつては牛が踏み固めた道であり、道草が牛によって食われた道であるとされています。つまり、その先に必ず何かがあると確定している道であり、旅人はそれを頼りに道を進んでいったことになります。その意味でも、塩が通る道は非常に重要だったことが分かります。
この本では、塩以外にもサツマイモの安定供給によって江戸時代の人口が急増し、様々な職業が増えていったことや、畳が発明されたことで座ったまま生活をするようになり、食事が膳になってそこから幕の内弁当が作られるようになったことなどが紹介されています。塩の道以外のテーマについてはあまり詳しくないですが、面白い情報がいくつも入っている本です。