宮本常一のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
2014.9記。
生きるために欠かせない「塩」と、人々はどう関わり合ってきたか。
著者はまず、「八百万の神」を祀る習俗の日本において「塩」そのものを祭った神社がない、という事実に着眼して筆を起こす。
容易に塩を得ることのできなかった古い時代。山奥の人は薪を川に流す、川下の人はそれを拾って海水を茹で、塩に変える、それを山奥に返す。まさしく、流通経済が塩を媒介として育っていた。昭和初期くらいまでは薪のことを「塩木」と呼ぶ地域があったという。
また、人々は山中で立小便をすることを厳しく戒めた。理由は、狼が塩をなめに来るため。以前読んだ「イマドキの野生動物」という本の中で、現代でも、野生のシカが道路凍結予防に散布される塩を舐めて大繁殖している、というエピソードが載っていた。我々は「立小便禁止」を近代的道徳の範囲でしか理解せず、古の知恵を失ってしまっているのかもしれない。
最後に、結局回答が言及されていない「塩が祀られない理由」についての私個人の仮説。つまり、塩は一種の貨幣、「交換を媒介する手段」としての側面を持っていたから、という発想はどうだろうか。貨幣も、神社で神様として祭られているという話は聞かない。そして、網野善彦氏の歴史学の知見を借りれば、交換=経済を媒介するものは、モノと所有者との関係を断ち切る(「無縁にする」)性質を持っている(例えば市場)。
「浄化」という機能も含め、塩には貨幣や市場に通じる交換手段としての「無縁性」があり、よって八百万信仰の外にあったのではないだろうか。なんか、我ながら結構いい線いっている気がしてきたが、多分違うしまあいいや。 -
Posted by ブクログ
最晩年の講演3編を収録。語り口からして良いです。
「塩の道」
製塩法や塩の交易の移りかわり。
日本では塩は基本的に海水から作る(外国では塩井、岩塩の利用も多い)。単純に海水を煮詰める方法から、揚浜・入浜といった効率的な生産方法がおこり、瀬戸内などで大量生産されるようになる。原始的な少量生産をしていたころは本格的な塩の交易はなかったと考えられるが、集中生産されるようになると塩の道をたどって交易されるようになる。運搬については牛の果たした役割が強調される。馬と違って、細い山道もこなし、道草を食いながら移動できるので活躍した。塩を運んでいった先で牛を売って人間だけ帰るなんてことも。険しい山道は人間(ボッカ)が運んだ。塩魚も運ばれたが、これも塩の補給が第一義であった。初日は舐めるだけで、一尾をさらに3日間かけて食べた。
「日本人と食べもの」
トウモロコシは戦国時代の終わりくらいに日本に入ってきた。民間の力で、ヒエに代わって九州から関東にかけての山間地に普及したのではないか。サツマイモとともに飢饉を逃れる力になった。
ソバとかアワとか北から早く農耕が発達したのではないか。
日本からクリ山が姿を消したのは明治30年代から。鉄道の枕木として伐採されてしまった。トチの木、タコ穴が女系で伝承・管理されていた例も。備荒食。縄文以来の山地民の文化。
中国の人口増減、前漢末6千万→後漢初1.5千万→後漢末5千万→三国時代0.6千万→南北朝末2千万→→→安定するのは明代になってからby岡田英弘教授。ホントか?
米は最初は田植えをしない乾田式だったろう。舟によって内陸に伝播。調理法は土器に焦げ付くと始末に終えないので、煮るのではなくかまどと甑で蒸すことから始まったのだろう。すると囲炉裏の自在鉤では甑は扱えないので、そちらは山地民の文化。
江戸時代は藩単位の食物自給自足が基本。飢饉が起こると周囲の藩は津留をしてしまう。
米を食う生活の方が魅力的なのになぜ山地に住むか?・・・山地の産業がある、林業、狩猟、採鉱。山地に住んで現地で自給自足する。
もともと発酵食品は壺で作っていた。関西に「たが」の技術が入って、桶・樽で酒が作られるようになる。その酒が東国へ来る。もちろん空樽を送り返す手間は取れない。それらを再利用して練馬の大根の漬物や、銚子の醤油づくりがはじまった。
「暮らしの形と美」
馬に乗らずに引くというのは世界的に見て特殊な風俗。貴族は割りと上手に馬に乗っているところから見て宮本先生は騎馬民族渡来説推し。もともと蝦夷地にはたくさん馬がいたらしいこともポイント。
大きな木材と墨縄による直線構造でできあがった家屋。
わら細工による軟質文化。 -
Posted by ブクログ
「海上の道」柳田国男
柳田の最後の著書であり、様々な論議を呼んだこの論文を私は初めて読んだ。「日本人の祖先が、南方海上より流れ着いた人々であった」という論旨そのものは、現在では明確に批判・訂正されているので、改めて読むモチベーションがなかなか持てなかったのである。この全集では、まず「文学」として読もうとしている。「科学」と対立する文学という意味で、私も確かに文学であると思う。構造はほとんど随筆だからである。柳田は、青年の頃拾ったヤシの実からこの論を立てている。私は勘違いしていたが、ヤシの実を沖縄の浜辺で拾ったのかと思いきや、伊勢の浜辺で拾ったのである。そこから、様々な思いと民俗事象を述べた後に、中盤で初めて「宝貝」がキーワードであったと学術的な根拠を述べる構造は、もはや文学であろう。文章は美しい。だから、最後まで読めてしまう。思うに、柳田国男を文学者として読み直す作業は、まだ始まっていないのかもしれない。
「死者の書」折口信夫
いろいろとわからない語句や展開もあるけど、詰まりながらも、なんとか最後まで読み通した。誤解していたのは、古代の黄泉の国描写が半分くらいあるのかと思いきや、それはほとんどなかったこと。有名な「した、した、した」という擬音が、もっと全編を覆っているのかと思っていた。むしろ、発表当時としては、非常に先進的、もしかしたら現代でもまだここまでの水準に達していないほど考証のしっかりした奈良時代小説になっていた。
地の文自体が、古代人の目線になっていて、例えば「片破れ月が、上がってきた。それがかえって、あるいている道の辺の凄さを、照し出した」「月が中天来ぬ前に、もう東の空が、ひいわり白んできた」(218p)というような言葉の選び方は、もう誰も到達できぬ高さである。
しかしこれは民俗学ではない。純粋に小説だろう。
「土佐源氏」宮本常一
(「忘れられた日本人」(1960)より)
池澤夏樹に「小説よりおもしろい」と言わしめる作品である。私もインタビュー記事を書いたことがあるのでわかるが、これだけの内容を聞き出すとすれば、優に4ー5時間を2回は繰り返さなくてはならない。もちろん信頼関係が出来上がってからの話だから、本当は数日かかる。私は、民俗採取の真似事をしたこともあるが、1時間じっくり話を伺って使えるのは一言二言分しかない事ばっかりだった。ところが、記録によれば、宮本常一の村への滞在はたった1日の数時間だったらしい。信じられない密度である。小説よりおもしろいが、これは明らかに民俗採取である。馬喰や盗人宿、こうぞつくり、夜這い、etc。今は無くなっている豊かな民俗がここにある。それから10数年後に書かれた「生活の記録」の中に、単に男女平等と云うことではなく、生き生きとした女の民俗が記録されているのは、そんな「採取」ができるのは、決して偶然ではない。
「神社合祀に関する意見」南方熊楠
我大学在住の折、常民文化研究会に所属し、フォークロワフィールドワークの真似事をす。民俗学は科学か、文学か?講師と論議し、不明に終わる。突如その会話思い出しぬ。それより35年。民俗学は常に脳中不可忘。数年前、和歌山南方熊楠記念館を訪ねる。小字で埋め尽くされたノート、紙、凡ゆる標本、博覧強記、南方曼荼羅我を圧倒す。
この小文、日本エコロジー論嚆矢也と世に云う。無論、我同意。唯、八割かた神社合祀政策反対論拠を(1)敬神思想を薄くし(2)民の融和を妨げ(3)地方の凋落を来たし(4)人情風俗を害し(5)愛郷心と愛国心を減じ(6)治安・民利を損じ、と論じ、輿論に訴え、政治家を説得す。文中、和歌山県並びに全国の合祀神社事案のみならず、水戸光圀、定家、西行、白石、他多くの日本古典を挙げ、モンステキュー、孔子、その他欧米の様々な地方を引合いにす。正に、博物学そのもの也。
(7)史蹟・古伝を滅ぼし(8)学術上貴重の天然記念物を滅却す、と論じるに及んで、例えば次のように記す。
わが国の神林には、その地固有の天然林を千年数百年来残存せるもの多し。これに加うるに、その地に珍しき諸植物は毎度毎度神に献ずるとて植え加えられたれば、珍草木を存すること多く、偉大の老樹や土地に特有の珍生物は必ず多く神林神池に存するなり。(45p)
この後、怒涛が如く珍草木珍生物の名前出ず。全ては我は知らず。果たして絶滅せしか。
守護の要は、金でも政策でも無し。敬神思想であり、民の融和であり、地方であり、人情風俗であり、愛郷心と愛国心であり、治安・民利である。蓋し、民俗学の核心也。民俗学は、日本文学か否か、元より日本文学なり。その謂、日本文学とは日本の文なれば也。 -
Posted by ブクログ
(01)
山の可能性を描いている。一見すれば、本書は過去へのノスタルジーに支えられているようにも見受けられるが、著者が未来の未来を見据えたときに現われた山の生活(*02)と読むこともできる。交通、生産、信仰、闘争など山にありうる生き様を、著者が山を歩きまわるうちに出会ったものを根拠に示そうとしている。
(02)
この生活は過去の日本列島の生において一般なのか特殊なのかと考えたとき、その動的な可能性に力点が置かれている。つまり、人は山を生産手段も求めることもあるし、里に暮らすこともあり、そのときそのとき、その場その場で、しのいでいる人びとの選択や意志も見えてくる。そして人びとの移動が単一でない複合的な生活手段を開発(*03)している。この山稼業コンプレックスともいうべき器用さと技術が山の仕事に集積したという事実は面白い。
(03)
開発がもたらしたのは当然に資源の枯渇であった。獣、木、鉄などの資源が加工され消費地に流通され、山から資源が目減りしていった過程も本書に詳しい。むしろ、高度な加工や頻繁な交通は資源不足の常態化の上に築かれたものと見るべきであろう。 -
Posted by ブクログ
民俗学者である宮本常一氏の著書、人里離れた山中で暮らす人々について考察する作品。
人が山で暮らすようになった経緯は色々だが、もともと山で狩猟生活を行っていた民族は、焼畑による畑作へ移行する場合が多く、平家の落人のように平地から山間部へ移り住んだ人々は、棚田などで稲作を行う事が多いそうだ。
山での職業も様々で、狩猟を行うマタギ、食器や民芸品を製作する木地屋、木材を切りだす杣人、鉄山で働く鍛冶屋や炭焼きなどなど、実に多種多様である。中でも木地屋が偽の文書で役人をだまし、全国各地で商いを行っていたという話や、江戸時代に酒の輸送で活躍した鴻池が、現代でもサントリーなど酒造メーカーとの取引が続いているのは大変興味深い。
論文タッチで記述されているので、文書的な面白さでは『忘れられた日本人』にはかなわないが、資料としては非常に価値の高い作品だと思う。 -
Posted by ブクログ
イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を、民俗学者の宮本常一氏が解説する作品。宮本氏が実際に行った講読会が、この作品のベースとなっている。
本作を読む前は、イザベラ・バードと宮本常一と聞いて、チョット意外な組み合わせだなと思ってしまった。でも、何の先入観も偏見も無い外国人が描いた、開国直後の素の日本という背景を考えれば、実は民俗学的要素が満載なのである。
昔の日本にはノミがたくさんいて、ノミによる寝不足解消を祈願したのが、ねぶた祭りの起源であった事。そして日本の警察官は元々士族階級だったため、一般の人々に対する態度がデカい事などなど、バードの描写に対する宮本氏の説明がとても面白い。
バードの旅の途中によく登場する、好奇心旺盛でデリカシーの無い日本人の態度が印象に残っていたが、実はこの好奇心の強さこそが維新後の日本発展の一因であった、という考察には妙に納得してしまった。 -
Posted by ブクログ
著者の良い所は、生活の底辺にある(根源的な)必要から成り立つ文化を追い求めているということであって、それは現代の画一化された社会通念とは異なるものだ。
言い換えれば著作当時、田舎の人は、都会に人材を供給しながら羨望するという経済成長期にあって、著者はしっかりと本来の道、或いはあるべき全体の行く末を見つめているということだ。それは、中央集権的な・・・或いは都市経済中心ではない。
本書では、中央官庁主導の離島振興の中で、著者が奮闘する様が記録してある。
仮に現代であれば「地域おこし協力隊」だろうが、かつての名残が濃厚な地域文化を多数フィールドワークを通じて考察した著者とは、時代も含めて、いろんな意味で視点が大きく違っていると思われる。
私は土台、くらしと生産性を並列に置くこと自体が、おかしな話だと感じている。
それでも「地域振興と暮らし」の話題は、今でも続いているのだ。
簡単に需給バランスで言えば、消費を減らすことだ。
そして本来それは、GDPが増えることと無縁の話だ。 -
Posted by ブクログ
「昔の日本は牧歌的で良い時代だった」「最近の世の中はイヤな事件が増えている」という考えの対極にある事実・歴史を口承で記述している。
初版は1959年に刊行された。宮本常一、山本周五郎などの複数の執筆者が、日本全国の市井の辛苦に満ちた人生をヒアリングした記述。
各地方の方言で語られる、窮民、殺戮、略奪、乞食、堕胎、鉱山で働く女性、遊女、女衒、飢饉などに関するストーリーは迫力がある。
とりわけ、盲目の馬喰の一代記「土佐檮原の乞食」、山梨の上野原の「おせいばあさんの話」、明治時代のシンガポールを本拠地に活動していた「女衒 村岡伊平治伝」は面白い。 -
Posted by ブクログ
親父の本棚から持ってきた本。
「塩の道」「日本人と食べ物」「暮らしの形と美」の3作が収録されています。
いずれも日本人の生活レベルの文化を読み解くお話。
・塩の生産法と販売ルート
塩の生産方法の伝播と販売ルートに関する丁寧な記述が面白い。
塩は生活に欠かせないもの。今では手に入れる苦労なんてほとんどなく、著者曰く「意識することもない」が、歴史上塩を生産し、手に入れることには多くの工夫と労力が割かれてきた。とんでもなく足を使ったであろう渾身の研究ですね。
・戦乱と食料生産
食料を生産する人口と、戦う人口はまったく区別されてきたのが日本の歴史。
戦国時代にあっても民衆はなるべく戦乱に巻き込まれないようにすることが重要事であり、
ゲリラ戦は一般的ではなかった。
⇒自然の植物食料が非常に豊富だったこととはどういう関係があるのか?
・「軟文化」と「硬文化」
日本は軟らかい物質を巧みに利用する軟文化であった。とくに生活を支えていたのが「わら」
草鞋をはじめとしたわら文化は日本の大きな特色。3日に1回は履きつぶしてしまう草鞋は非常に大量に必要になるものであり、子ども時代からわら細工を覚える必要があった。また、この軟文化の特色は刃物をほとんど使わずに多くのものを作ること。わらだけでなく竹細工も同じ。これを各家庭、個人それぞれが身に付けることが生活上必要だったことは日本人の器用さの背景にあった。
⇒他の日本的文化の発現にもこうした生活上の必要の説明が多くあると良かった。
・日本家屋と畳文化
まっすぐな木を使用する住宅だったからこそふすまによって、間取りを自由に変更できる形式が発達した。また、畳も部屋を自由に使える空間にした。
民俗学の本、だけどそれほど小難しいことが書いてあるわけではないです。
日本の歴史読み物として非常に面白い本です。