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サンカやマタギや木地師など、かつて山に暮らした漂泊民の実態を探訪・調査した、宮本常一の代表作。もう一つの「忘れられた日本人」とも。
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Posted by ブクログ
Eテレ100分de名著で宮本常一をやってたので、思い出して手持ちの本を再読しました。 冒頭の章は「塩の道」。ん?山の話じゃないの?と思わせておいて、海で作った塩を山奥の村に運ぶ道について説きおこし、山で暮らし仕事をするサンカ、木地屋、炭焼きなどの生業を解説したかと思うと、そこから落人の末裔がどのよう...続きを読むに集落を作って暮らし、里の支配者に滅ぼされていったかという歴史の話に転じていきます。 とにかく一つ一つの事柄が山より高く海より深い知識に裏打ちされていて、連れていかれる方はたまったものではない、と、いつも思います。(私が浅学なためそう思うのかもしれませんが) ジェットコースター好きな方は、宮本民俗学コースター、是非乗ってみてほしいです!私は毎回少し酔いますが(笑)
とてもよかった。宮本常一の本を読んだのは3冊目だが、一番心をつかまれた。山とか森とかについて書いているから、だろうか。 50年前の本で、「山に生きた」ではなく「山に生きる」と銘打つことができる時代であったことにジェラシーも感じさえするが、いやはやそうだとしても見事な見取り図である。 そしてまた俺自身...続きを読むが、各地の森や川に触れてきて実感できることも増えているからというのもあるのだろう。 塩の道としての川、信仰対象としての山…。 木曽の木材が姫路城再建や(墨俣であげるのを経て)南禅寺建立にも使われたということ。 サンカや木地屋が美濃山中にもいたということ、近江方面も含めて山沿いに回遊していたということ。 鍛冶屋や鉄山師や炭焼きのこと。多種多様な職が山(森)にはいて、でも次第に里におりてきたということ(特に、ダムによる水没や災害の影響により、しかも映ってきたあとはそれなりに新天地を気に入っていたりもする。。。) いずれ、山や森の暮らしも、単に林業とか木こりとかひとくくりにしてはいけない、と思った。また岐阜近辺も古くから様々に、山や森に根差してきたのだな、いろんな山の生き方があったのだな、と知った。 特に、木地屋の話を最近きいたり、鍛冶屋体験をしたりしたのも効いている。鍛冶屋に関していえば、木炭をとても多く使うということ(発見)とか、あるいは小屋の素朴さとか、ふいごの便利さとかの実感も、今にして思えば収穫。又、森を転々としながらろくろ等を使ってお椀等の製作にあたり、各地で小屋を建てていた木地屋のことも、興味が出てきた。本と体験とは、車の両輪であるよなぁ。
国土の70%が森林という日本。これだけ山に囲まれた環境に住みながら、あまりスポットライトが当たらなかった山の暮らしとは。 山の奥深くに突如ポツリと表れる集落。マタギや生地屋、強力、たたらなどを生業に、山岳信仰を深めた人々は、平地人とは全く異なる文化を持っていた。 緻密で徹底したフィールドレポート...続きを読むで、改めて日本の歴史の深みに驚かされる。 平家の落人伝説で有名な四国の祖谷渓など、以前訪れた地名も登場し、地図を片手に読み進めると、さらに楽しめる。
昔、村の境界線の向こうには異界が広がっていた、という認識の元を見る思いがした。 彼らは定住民の村人にとって理解しがたい共通認識を持つ集団であり、利益と不利益をもたらす両義的な人々であっただろうという事がうかがえる。
我々が習う歴史とは、貴族社会から封建社会、そして富国強兵へという統治機構の変遷ですが、そこに依存していない社会が日本の山の中にはありました。 とはいえ、彼らの暮らしが里の暮らしから隔絶していたかといえば、まったくそのようなことはなく、むしろグローバルまで繋がるような社会のダイナミズムをこの素朴なロ...続きを読むーカルの暮らしに見出すことができます。 たとえば、中国地方の山中においては炭焼きが盛んに行なわれていました。それは、鉱山で金属を精錬するために多くの木炭が使われたからであり、そこから得た金銀銅が日本から輸出されて中国に渡りました。 炭焼き職人は専業化し、貨幣経済のなかに組み込まれて農民や町人との交易が進められていったのです。そこに支配階級に組み込まれる政治的な流れももちろんあり、山を管理することが軍事的にも重要な要素となったわけですね。 そこに住んでいた人々の息づかいが聞こえてくるような、リアリティ溢れる語り口こそが宮本文学の真骨頂です。サンカ、木地屋、杣人、炭焼き、鉱山師、、山に生きる人びとは、確かにそこにいました。
海を主なフィールドとする著者が山を生活の場とする人々の暮らしぶりを描いたもの。著者が日本全国を旅する途中で出会った猟師、木地屋、サンカ、炭焼き等の見聞を踏まえて、山に生きる人々をリアルに描いているので、その起源、来歴等の説明も説得力がある。わずか数十年前に、貧しいが、多様かつ高度な技術を駆使し,自然...続きを読むと折り合って生きていた人々がいたという事実に驚かされる。
私の中でサンカブームがやってきたときに購入。 定住せずにあちこちに居を移し、竹細工をして、川魚を食べ暮らしていた彼らの生活に思いを馳せながら読みました。 人間は結構自由な動物だなと思いなおした本。
(01) 山の可能性を描いている。一見すれば、本書は過去へのノスタルジーに支えられているようにも見受けられるが、著者が未来の未来を見据えたときに現われた山の生活(*02)と読むこともできる。交通、生産、信仰、闘争など山にありうる生き様を、著者が山を歩きまわるうちに出会ったものを根拠に示そうとしている...続きを読む。 (02) この生活は過去の日本列島の生において一般なのか特殊なのかと考えたとき、その動的な可能性に力点が置かれている。つまり、人は山を生産手段も求めることもあるし、里に暮らすこともあり、そのときそのとき、その場その場で、しのいでいる人びとの選択や意志も見えてくる。そして人びとの移動が単一でない複合的な生活手段を開発(*03)している。この山稼業コンプレックスともいうべき器用さと技術が山の仕事に集積したという事実は面白い。 (03) 開発がもたらしたのは当然に資源の枯渇であった。獣、木、鉄などの資源が加工され消費地に流通され、山から資源が目減りしていった過程も本書に詳しい。むしろ、高度な加工や頻繁な交通は資源不足の常態化の上に築かれたものと見るべきであろう。
民俗学者である宮本常一氏の著書、人里離れた山中で暮らす人々について考察する作品。 人が山で暮らすようになった経緯は色々だが、もともと山で狩猟生活を行っていた民族は、焼畑による畑作へ移行する場合が多く、平家の落人のように平地から山間部へ移り住んだ人々は、棚田などで稲作を行う事が多いそうだ。 山での...続きを読む職業も様々で、狩猟を行うマタギ、食器や民芸品を製作する木地屋、木材を切りだす杣人、鉄山で働く鍛冶屋や炭焼きなどなど、実に多種多様である。中でも木地屋が偽の文書で役人をだまし、全国各地で商いを行っていたという話や、江戸時代に酒の輸送で活躍した鴻池が、現代でもサントリーなど酒造メーカーとの取引が続いているのは大変興味深い。 論文タッチで記述されているので、文書的な面白さでは『忘れられた日本人』にはかなわないが、資料としては非常に価値の高い作品だと思う。
20140208 日本人の来し方が単純ではない事が分かる。民俗学はボランティア的な学問ではないだろうか。
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