宮本常一のレビュー一覧
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ネタバレ明治時代の日本人の暮らしとは隔世の感がある。
本書は昭和50年代に書かれている。
日本全国を訪ね歩き調査するときに話を聞いた地元の長老はまだ明治生まれが健在であった。
現在では戦前の話を聞くことすら難しいだろう。
そういった意味で、すでにかつての日本の姿を新たに見つけ出すのは不可能だ。
昔の日本の暮らしが知りたければ書物に聞くしかない。
本書では「塩の道」「日本人と食べもの」「蔵氏の形と美」の三点が収録されている。
海からしか採ることが出来ない塩を山村の住民はどのようにして確保していたのか。
木を切り川に流し、それを海辺で回収し自ら塩を浜辺で炊いていた。
それが瀬戸内海産の塩が海運 -
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・牛の大きな産地は西日本にあった。牛が東で飼われるようになったのは戦後。
・鎌倉時代、国々に地頭が置かれ、鎌倉の御家人が警察権と租税の徴収を行ったが、そこで自分の勢力をもった武士が戦争を起こした。奈良などの寺社勢力が強い場所には武士がいなかったため、戦争も起きていない。
・トウモロコシは根が深く下りるために、やせた土地でも育つ。
・18世紀初頭、瀬戸内海にサツマイモがもたらされ、その後の享保大飢饉ではほとんど人が死ななかった。サツマイモがつくられた西日本では、江戸時代の人口は増えた。
・古代中国の越が最後に建てた都は山東半島のつけねの琅邪山。 -
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専売制であった塩について、知りたいなと思い購入。専売制時代のお話はほとんどありませんでしたが、興味深い内容がたくさんあった。
3部構成で、「塩の道」「日本人と食べ物」「暮らしの形と美」からなる。
日本は、内陸に塩井なるものや岩塩などを存在しなかったため、海岸で塩を造作りそれを内陸まで輸送していた。その輸送する方法や輸送に生業とする者の話、そして輸送には馬よりも牛が使われ、牛の伝播についても書かれていた。
第2部の「日本人と食べ物」辺ではトリビア的な知識が多く得られた。
世界でも類がないこととして、日本は過去二千年はどの間に人口がずっと漸増してきている。異民族が大挙して侵攻してきたことが -
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宮本常一の未完の遺著である。柳田国男の『海上の道』とおなじくらい壮大な意図をもって書かれた書物と思われる。したがって柳田の同著と同様に、民俗学の通常のテリトリーを超え、むしろ歴史学に近づく。ただし宮本は柳田の仮説よりはもっと常識的な範疇で提言している。
この本で説かれている、たとえば稲作・畑作の伝来、エゾ=エビス文化のなりゆき等、読んでそれなりに面白くはあるが、やはり歴史学者の専門的な記述にかなうものではないと思う。
この本が未完で終わってしまったのは残念だが、もっと民俗学的なパースペクティヴが生かされた論述を期待していたので、やや不満足を感じてしまった。 -
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この本はこれまで私が読んできた他の宮本常一の本たちと、ちょっと様子が違う。
民俗学は民俗学なのだが、俯瞰的・通史的な観点が入って、歴史学的な著述となっているのだ。町や村の「なりたち」を問うということは、継起した事象の因果関係を追うことであり、それを体系化していくと民俗学とも人類学ともちょっと違う場所に行ってしまうようだ。
私の好みとしては、今回の宮本常一はいまひとつだった。
ちょっと面白かったのは、著者によると「村八分」というのは明治以降、つまりムラが解体しはじめたとき、共同体の維持のためにとられた方策だという指摘だ。
つまり、それ以前はムラの掟にわざわざさからう輩はいなかったのに、明治維新と -
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宮本常一の民俗学は、柳田国男のそれとちょっと似ているが、より庶民的な風景を描き出す点が異なる。
柳田民俗学は学術的というよりしばしば随筆的で、文体は極めて文学性が高く、凝縮されたものだった。それに対し、宮本常一の本はずっと平易で、親しみやすい。その文体が、名もない庶民の民俗誌を描出しようとする彼の民俗学的志向とぴったりマッチしている。
この本はサンカ、マタギ、木地屋、平家等の落人など、あえて山に住んだ人びとの生活をテーマとする。彼らは狩猟と採集で食料を得るが、結局それだけでは足りないということで、平地の村落まで降りていって交易する。平野部の水田地帯に定住した人びとに対し、山の人びとは「歩く」こ -
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宮本常一の晩年の書である。「塩の道」、「日本人と食べ物」、「暮らしの形と美」からなる。「塩の道」は製塩・釜を作った製鉄・燃料を提供した木材・牛馬での移送などの産業ネットワークを論じている。「食べ物」では、ソバ・トウモロコシ・米・サツマイモ・魚食などを論じている。「形と美」では、家のデザインが舟から来ているらしいこと、ワラを使った軟質文化などを論じている。馬での塩の移送は宿が必要だが、牛は道草を食って、野宿で旅ができること、山の民が木を切って川に流し、それを追いかけて海までいき、そこで木を燃やして塩を作ったこと、近江の鉄のネットワークなどを論じている。「食べ物」では、「オカズ」が祭りの日に出され