宮本常一のレビュー一覧
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日本民族学の大家の4人の作品集
南方熊楠・柳田國男・折口信夫・宮本常一
南方熊楠は、『神社合祀に関する意見』
各地の神社が廃止されていくことに強い危機感を
もって意見書として書いてあるもの。神社をはじめ
日本における宗教的施設の役割や重要さ、もしくは
それが亡くなってしまう場合の民族として失う
ものを体系だてて整理して書かれてある。
少し難解ではありますが、とても趣のある内容で
あると思います。
柳田國男は民族史や古代からの日本の成り立ちに
ついての考え方や意見、考察がのべられている。
『海上の道』『根の国の話』『何をきていたか』
『酒ののみようの変遷』
折口信夫は、『死者の書』貴族の生活と仏教感
日本人がとらえる宗教感や死生観が美しく
語られているのですが、少し難解。
『我が子・我が母』『声澄む春』『神 やぶれたまふ』
は鬼気迫った感じで戦争に対しての憎悪が語られている。
宮本常一は、対馬や九州。日本各地の漁村・や寒村
の老人から語られる話をもとに、日本の原風景
や生活風景を克明に語られている内容。
私が子どもだったころ、うっすらとそういうこと
などがあったようなことを覚えていることが
何点かありましたが、もうなくなってしまった
日本の原風景・風俗・生活なのであろうと思います。 -
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日本書紀で神が出雲にやってきたときに、そこにいたとされるコトシロヌシ(事代主)を後世の人はエビス神としてまつった。古くから日本列島に住んでいた人々がエビスと呼ばれたと考える。
中国の夏は東南アジア系の人々の王朝で、祖先神として蛇身の水神(竜)をまつった(岡田英弘「倭国」)。越人は夏の王の後裔であると言い、体に入れ墨をして米と魚を常食とする海洋民族だった。倭人は越人の一派に属するとも考えられる。揚子江や西江では、船を家にし、鵜を利用して魚をとる人々がいる。
日本列島で国家を形成したのは、新たに海の彼方から強力な武器を持って渡来してきた人たちであり、東南アジアの海岸から北上してきた海洋民と考える。
周防に勢力を張り、中世末まで続いた大内氏は、百済の聖明王の子である琳聖太子の子孫と言われた。秦氏は秦の始皇帝の後裔と言われ、秦滅亡後に朝鮮南部に移動して日本へも多数渡来した。秦氏は畑耕作や機技術を伝えたと考える。雄略天皇の時代に秦酒公が秦の民を管理下におき、太秦の姓を与えられた。秦氏は欽明天皇の頃から朝廷と関係を持つようになる。
高床式家屋は稲作文化と深いかかわりがある。日本へ稲作を持ってきた人たちが高床式家屋に住んだ形跡は乏しいが、穀物を保存する高倉は設けた。貴族の家は古墳時代から、仏寺は鎌倉時代に高床になる。西日本では床のある家が多かったが、東日本では明治になってから。 -
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ネタバレ明治時代の日本人の暮らしとは隔世の感がある。
本書は昭和50年代に書かれている。
日本全国を訪ね歩き調査するときに話を聞いた地元の長老はまだ明治生まれが健在であった。
現在では戦前の話を聞くことすら難しいだろう。
そういった意味で、すでにかつての日本の姿を新たに見つけ出すのは不可能だ。
昔の日本の暮らしが知りたければ書物に聞くしかない。
本書では「塩の道」「日本人と食べもの」「蔵氏の形と美」の三点が収録されている。
海からしか採ることが出来ない塩を山村の住民はどのようにして確保していたのか。
木を切り川に流し、それを海辺で回収し自ら塩を浜辺で炊いていた。
それが瀬戸内海産の塩が海運で全国に運ばれるようになってからは、中から外の流れが外から中への流れに変わる。
陸船を呼ばれた牛の隊列が日本全国に塩を運んでいた。
失われた日本の姿は書物の中にしか残っていないのだ。 -
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・牛の大きな産地は西日本にあった。牛が東で飼われるようになったのは戦後。
・鎌倉時代、国々に地頭が置かれ、鎌倉の御家人が警察権と租税の徴収を行ったが、そこで自分の勢力をもった武士が戦争を起こした。奈良などの寺社勢力が強い場所には武士がいなかったため、戦争も起きていない。
・トウモロコシは根が深く下りるために、やせた土地でも育つ。
・18世紀初頭、瀬戸内海にサツマイモがもたらされ、その後の享保大飢饉ではほとんど人が死ななかった。サツマイモがつくられた西日本では、江戸時代の人口は増えた。
・古代中国の越が最後に建てた都は山東半島のつけねの琅邪山。 -
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専売制であった塩について、知りたいなと思い購入。専売制時代のお話はほとんどありませんでしたが、興味深い内容がたくさんあった。
3部構成で、「塩の道」「日本人と食べ物」「暮らしの形と美」からなる。
日本は、内陸に塩井なるものや岩塩などを存在しなかったため、海岸で塩を造作りそれを内陸まで輸送していた。その輸送する方法や輸送に生業とする者の話、そして輸送には馬よりも牛が使われ、牛の伝播についても書かれていた。
第2部の「日本人と食べ物」辺ではトリビア的な知識が多く得られた。
世界でも類がないこととして、日本は過去二千年はどの間に人口がずっと漸増してきている。異民族が大挙して侵攻してきたことがないのが大きな原因。
また、大規模餓死がないことも原因の一つ。戦国時代に100年も戦争が続いて、みんなが餓死しなかったのは、戦争している人と、食べ物を作っている人たちが別であったことが餓死を防いだ。
これも世界敵に珍しいことだが、ゲリラ戦が行われたことがない。戦争する者と食べ物を作る者が分かれているためゲリラ戦も行われない。ゲリラ戦とは民衆も参加して行われることがおこってくるものらしい。
保存食なるものも紹介されていたが、記述量が少なく消化不良な感じ。発酵に関して興味がわいてきたので、別で読む必要あり。
民俗学者が書いた本。科学者が書く本とやっぱり違いますね。これはこれでおもしろかった。 -
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宮本常一の未完の遺著である。柳田国男の『海上の道』とおなじくらい壮大な意図をもって書かれた書物と思われる。したがって柳田の同著と同様に、民俗学の通常のテリトリーを超え、むしろ歴史学に近づく。ただし宮本は柳田の仮説よりはもっと常識的な範疇で提言している。
この本で説かれている、たとえば稲作・畑作の伝来、エゾ=エビス文化のなりゆき等、読んでそれなりに面白くはあるが、やはり歴史学者の専門的な記述にかなうものではないと思う。
この本が未完で終わってしまったのは残念だが、もっと民俗学的なパースペクティヴが生かされた論述を期待していたので、やや不満足を感じてしまった。 -
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この本はこれまで私が読んできた他の宮本常一の本たちと、ちょっと様子が違う。
民俗学は民俗学なのだが、俯瞰的・通史的な観点が入って、歴史学的な著述となっているのだ。町や村の「なりたち」を問うということは、継起した事象の因果関係を追うことであり、それを体系化していくと民俗学とも人類学ともちょっと違う場所に行ってしまうようだ。
私の好みとしては、今回の宮本常一はいまひとつだった。
ちょっと面白かったのは、著者によると「村八分」というのは明治以降、つまりムラが解体しはじめたとき、共同体の維持のためにとられた方策だという指摘だ。
つまり、それ以前はムラの掟にわざわざさからう輩はいなかったのに、明治維新という「近代化」によって個人が自立化し、共同体から離れ始めた。村八分はそれを罰し、共同体を守ろうとしたわけだ。
宮本さんの言うとおり、江戸時代に村八分がなかったかどうかさだかではないが、そうだとすると、近代化=個人主義化=自由化の波にあらがい、共同体はかつての「自然なむすびつき」を失って、懲罰を処する「権力構造」を武装したということになる。それ以前には、共同体は構造的な権力を必要としなかった。
ちょっとおおざっぱな見方になってしまったが、ついでに連想を広げていくと、子供たちの世界に「権力構造」がなく、素朴な結びつきしかないのであれば、「いじめ」もまた存在せずに済むのかもしれないと思った。 -
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宮本常一の民俗学は、柳田国男のそれとちょっと似ているが、より庶民的な風景を描き出す点が異なる。
柳田民俗学は学術的というよりしばしば随筆的で、文体は極めて文学性が高く、凝縮されたものだった。それに対し、宮本常一の本はずっと平易で、親しみやすい。その文体が、名もない庶民の民俗誌を描出しようとする彼の民俗学的志向とぴったりマッチしている。
この本はサンカ、マタギ、木地屋、平家等の落人など、あえて山に住んだ人びとの生活をテーマとする。彼らは狩猟と採集で食料を得るが、結局それだけでは足りないということで、平地の村落まで降りていって交易する。平野部の水田地帯に定住した人びとに対し、山の人びとは「歩く」ことによってそのノマドぶりをあらわす。
ただしこの本は、興味深いエピソードを持ちながらも、あまり深い探究はなされていないように感じた。 -
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宮本常一の晩年の書である。「塩の道」、「日本人と食べ物」、「暮らしの形と美」からなる。「塩の道」は製塩・釜を作った製鉄・燃料を提供した木材・牛馬での移送などの産業ネットワークを論じている。「食べ物」では、ソバ・トウモロコシ・米・サツマイモ・魚食などを論じている。「形と美」では、家のデザインが舟から来ているらしいこと、ワラを使った軟質文化などを論じている。馬での塩の移送は宿が必要だが、牛は道草を食って、野宿で旅ができること、山の民が木を切って川に流し、それを追いかけて海までいき、そこで木を燃やして塩を作ったこと、近江の鉄のネットワークなどを論じている。「食べ物」では、「オカズ」が祭りの日に出される数ある料理のこと、「献立」は酒宴の一献ごとにだされる料理のことだと言っている。「形と美」は日本の貴族は騎馬民族で船にのる民族と協力して渡ってきたらしいことが語られている。十二単衣などは寒いかららしい。日本人が器用だとされるのはワラを使った細工をせねばならなかったからだという。ワラジは三日に一足履きつぶされ、年間で100足必要だった。冬には作られねばならない。