宮本常一のレビュー一覧
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江戸や明治の頃の田舎(主に四国や九州)の庶民の暮らしというと、貧しく虐げられたものというステレオタイプなイメージしか持っていなかった。
そこに住む生き字引のような翁や婆のいきいきとした実話はどれも興味深い。
■女の世間
世間を知るために、女性でも山口から四国まで旅をする慣わしがあった。下半身に下着をつけずに歌を歌いながら田植えをして観音様と呼ばれた農婦の話。下世話でおもしろい。
■土佐源氏
盲目で80歳過ぎのヤクザな翁の話。ばくろうというちょっと悪い牛をいい牛にとりかえる仕事をして、社会コミュニティに属せず、貧しくもフリーな立場だった。あちこちの女性に親切にして手を出した話など、下衆す -
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ネタバレ
道ばたに倒れ伏すものは数かぎりなく、はじめのうちこそ死体を埋めていたが、まもなくだれ一人としてかえりみるものはなくなった。いたるところに犬やカラスがむらがって、死体を食いちらす光景がながめられた。
この飢饉のときといえども人間が家畜に近かったのではなく、家畜が人間に近かったのである。
飢えの記録 より
明治十二年九月十三日埼玉県北足立郡中尾村の農民はコレラ流行防衛のために、県が避病院に患者を隔離しようとしたのに対し、村民は患者の生肝をとるのだと誤解しこれを妨害した。
新潟県西蒲原郡では消毒薬をまくのを毒薬を撒布すると誤解して暴動を起こしている。
そこには、無知の暗黒と、じぶんた -
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バードの『日本奥地紀行』を、つっかえながら、しかしもう半年以上、読み終えられず。
今、青森あたりを、バードとともにうろうろしている(苦笑)。
いや、読みはじめたら面白いと思うところもあるのだが、なかなか手が伸びない。
これを打開するには、優れた先達あれ、と思い、本書を手にする。
この本を読むと、バードの紀行文のどこを面白がっていいか、とてもよくわかる。
自分だけでは、「へ~、当時はそうだったんだ」で終わってしまう。
それが、博識の宮本さんから、次々と関連情報が示されるので、バードの記述が立体的に見えてくる。
例えば。
バードが宿屋で障子に穴をあけて覗かれることに閉口する記述は有名だ。
彼女 -
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宮本民俗学なるものを一度くらい読んでみようと思って。話し口調で説明もわかりやすく、たいへん読みやすかった。
塩水をそのまま煮詰める方法から揚浜式へ、石釜方式へ。
山から材木を流してそれを海に行って焼く。材木と塩の物々交換。麻をさらすための軽い灰を売って塩を焼く。牛で塩を運ぶ。細い道の道草を食わせる。人の背で運ぶ、塩魚を売る。
米の伝来、騎馬民族、壺の発達、畳の発明、一つ一つの営みを合理的に限られた中でやっていくことに、文化の繋がりや社会制度が見えてきて面白い。
民俗学に詳しくないからこの見解がどこまで正しいのかわからないけど。
P200
それは、そこにいる人たちのたんなる美意識というよりも -
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2014.9記。
生きるために欠かせない「塩」と、人々はどう関わり合ってきたか。
著者はまず、「八百万の神」を祀る習俗の日本において「塩」そのものを祭った神社がない、という事実に着眼して筆を起こす。
容易に塩を得ることのできなかった古い時代。山奥の人は薪を川に流す、川下の人はそれを拾って海水を茹で、塩に変える、それを山奥に返す。まさしく、流通経済が塩を媒介として育っていた。昭和初期くらいまでは薪のことを「塩木」と呼ぶ地域があったという。
また、人々は山中で立小便をすることを厳しく戒めた。理由は、狼が塩をなめに来るため。以前読んだ「イマドキの野生動物」という本の中で、現代でも、野生のシカが -
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最晩年の講演3編を収録。語り口からして良いです。
「塩の道」
製塩法や塩の交易の移りかわり。
日本では塩は基本的に海水から作る(外国では塩井、岩塩の利用も多い)。単純に海水を煮詰める方法から、揚浜・入浜といった効率的な生産方法がおこり、瀬戸内などで大量生産されるようになる。原始的な少量生産をしていたころは本格的な塩の交易はなかったと考えられるが、集中生産されるようになると塩の道をたどって交易されるようになる。運搬については牛の果たした役割が強調される。馬と違って、細い山道もこなし、道草を食いながら移動できるので活躍した。塩を運んでいった先で牛を売って人間だけ帰るなんてことも。険しい山道は人間