宮本常一のレビュー一覧
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親父の本棚から持ってきた本。
「塩の道」「日本人と食べ物」「暮らしの形と美」の3作が収録されています。
いずれも日本人の生活レベルの文化を読み解くお話。
・塩の生産法と販売ルート
塩の生産方法の伝播と販売ルートに関する丁寧な記述が面白い。
塩は生活に欠かせないもの。今では手に入れる苦労なんてほとんどなく、著者曰く「意識することもない」が、歴史上塩を生産し、手に入れることには多くの工夫と労力が割かれてきた。とんでもなく足を使ったであろう渾身の研究ですね。
・戦乱と食料生産
食料を生産する人口と、戦う人口はまったく区別されてきたのが日本の歴史。
戦国時代にあっても民衆はなるべく戦乱に巻き込まれないようにすることが重要事であり、
ゲリラ戦は一般的ではなかった。
⇒自然の植物食料が非常に豊富だったこととはどういう関係があるのか?
・「軟文化」と「硬文化」
日本は軟らかい物質を巧みに利用する軟文化であった。とくに生活を支えていたのが「わら」
草鞋をはじめとしたわら文化は日本の大きな特色。3日に1回は履きつぶしてしまう草鞋は非常に大量に必要になるものであり、子ども時代からわら細工を覚える必要があった。また、この軟文化の特色は刃物をほとんど使わずに多くのものを作ること。わらだけでなく竹細工も同じ。これを各家庭、個人それぞれが身に付けることが生活上必要だったことは日本人の器用さの背景にあった。
⇒他の日本的文化の発現にもこうした生活上の必要の説明が多くあると良かった。
・日本家屋と畳文化
まっすぐな木を使用する住宅だったからこそふすまによって、間取りを自由に変更できる形式が発達した。また、畳も部屋を自由に使える空間にした。
民俗学の本、だけどそれほど小難しいことが書いてあるわけではないです。
日本の歴史読み物として非常に面白い本です。 -
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宮本さんの故郷、山口県周防大島の昔話を聞き書きしたもの。
単純にお話として読んで楽しい。
屋根に這わせたかぼちゃが大きく育って、家をつぶしてしまう奇想天外な話もあれば、どこかで聞いたようなものもある。
シンデレラを思わせる話もあった。
義妹はヒロインをいじめないとか、ヒロインが落としていくものがガラスの靴ではなくて、対のかんざしだとかいう点で違う。
でも、それが面白い。
宮本さんの祖父母の世代から聞いたとなると、幕末から明治生まれの人たちが楽しんできた話、ということになるのだろう。
日本のシンデレラは、ヨーロッパのシンデレラが伝わってできたのか、全く無関係に生まれたのか…いろいろな想像をかきたてられる。 -
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宮本常一は相変わらず、とにかく平易で読みやすい。この本は民間のさまざまな「職業」にスポットライトを当てており、中身も興味深く、宮本民俗学の中でも特に面白い一冊と言えるのではないだろうか。
宮本常一や柳田国男を読んでいて気になるのは、「昔は○○だった」と書かれているとき、その「昔」とはどのくらい昔のことを指しているのだろう、ということだった。
私の推測ではほとんどの場合、「昔」と呼ばれているのはせいぜい江戸時代なのではないか。ただ、農業に関しては、農機具や生活状況は室町時代からほとんど変わっていない、と何かの本で読んだことがある。
民俗学はこのように、しばしば正確な「とき」を明記しない場合があるが、かといって民俗学者は歴史を知らないなんてことは全くなくて、実に様々な史料を手にしているはずだ。
山口昌男さん辺りを参考にすると、おそらく、こういうことだろう。
近代西欧を支配してきた<直線的な歴史観>に対して、近代化以前の日本民俗の宇宙は<円環的な時間>の世界であり、営々とつむがれてきた<庶民>が住まってきたのは、たとえばヘーゲル的な進歩史観とは全く隔絶した空間なのである。
そこには終わりも始まりもなく、人々は喜怒哀楽、生老病死を無限に繰り返しては後代へとバトンタッチしていく。
これはきっと、南方熊楠の<森の生活>に通じるものがあるのだろう。
本書によると、近代的な意味での貨幣経済体制が本格的に動き始めたのもやっと江戸時代である。ただし網野善彦さんあたりはそうは見ていないので、考え方によるところだろう。
貨幣経済が本格的に僻地の<ムラ>にまで届いたのは、きっと江戸時代後期から明治にかけてのことだろう。
その頃、私たちの生活圏は<円環する時間>を永遠に失ってしまったのである。 -
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かつての日本の山は資源であり里であり、そこに様々な人々と生計、歴史があった。サンカ、木地屋、マタギ、炭焼きなど、失われようとしているが、確かに今の我々の生活の中にも受け継がれているものがある。
奥多摩の方の山に入ったとき、かつて炭焼きなどで栄えた廃村の後を見て、何とも言えない感慨深さがあった。実際にここで林業が盛んだった頃の話をおじいさんに聞くと、当時の村の様子を生き生きと語ってくれた。日本の山には昔から元気な人々と暮らしがあった。
本書の最後の稿「山と人間」において、宮本常一氏の試論がされており、非常に興味深い。かつての山の人々が如何に活気があり、また荒々しかったか。また、武士の習俗が狩猟焼畑社会を発端としているのではないかと、日本文化形成論にも至っている。日本人の文化的ルーツは山から来ているのではないか、こんな視点で山を見てみると、また違った面白さがある。 -
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周防大島の昔話を集めた本。
134の昔話がある。
往来のあった伊予や土佐から持ち込んだ話や、
岩国が舞台の話が入っている。
今まで昔話というと時代も人物も、歴史から独立して想像していたけど、
「岩国様」と呼ばれる殿様が出てきたり、
具体的な地名が登場したりするので、
昔話の背景にうっすらと歴史を感じることができた。
聴きとったものを収録してあるので、昔話が方言で語られる。
出てくる魚や動物の台詞も方言で語られるのが面白い。
魚が「亀がえかろうて、亀は海も泳ぐし、陸も歩くけえ」などというので、
愛着がわいた。
「いち」という題名の大蛇の話が一番好きだった。 -
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柳田国男や折口信夫はそれぞれに独特な、文学的な語り口で、晦渋なところがある。日本民俗学の古典的著者としては、この宮本常一がいちばん易しく、すっと入っていけるのではないだろうか。
巻末の解説に明記されていないが、ここに収められた3編とも、講演の記録と思われ、いっそう平易な文章が読める。
柔軟な思考で、さまざまな観点から庶民の文化現象のルーツをさぐっていく手法は、歴史学とはときに交わるようでいて、軌を一にしない。この「庶民」へのまなざしはウェットでもドライでもないが、たぶん優しいものだろう。
「われわれの目の見えないところで大きな生産と文化の波が、そのような形で揺れ動き、その上層に、記録に残っている今日の歴史があるというわけです。これはとりもなおさず、じつは国民のわれわれが国全体を支えていたのだということをご記憶いただきたいのです。」(P60)
しかしここでいう「われわれ」とは誰なのか?と問い始めると難問に突き当たってしまう。「庶民」とは誰なのか? それらのゲシュタルトは、実在する個々の(無数の)個体をいかに包括し、あるいは捨象しているのか?・・・しかしこういう難問はとりあえず後回しにしておこう。
最近はグローバル化によって世界中どの国も同じなどと言う人が増えた。しかしそれはたぶん表面の一角にすぎない。日本は今でも、民俗学的に描かれるところの古き日本の遺伝を引いている。たぶん300年後も、日本は日本であるだろう、と思っている。
ヴィム・ヴェンダースの「東京画」という映画で、監督は小津安二郎への畏敬の念を抱き、小津映画における東京は、現在(1980年代)も何らかの形で残っているのか? と問いかけた。その回答は、映画の中では明確にコメントされていなかったが、私は小津映画に映し出されたものも、現在の日本に残っていると考えている。姿形はかわっていても、それは通時的に、どこかでつながっている。
この「つながり」の線を発見してゆく旅、それが民俗学の本を読む際の興奮を呼び覚ます。 -
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宮本常一という
民衆の生活に根ざした視点で
研究を続けた民俗学者の本。
この本には
『塩の道』『日本人と食べ物』『暮らしの形と美』
という3本の著作が入っている。
なかでも表題の『塩の道』がおもしろかった。
塩は神に祭られた例がない。という導入。
米やほかの作物は神棚に祭られるが
塩はないという。
それだけ生活に近すぎた。
そして、塩を手にするために
道ができていったという話。
塩は日本では海の水から作られたため
山の集落では塩を得るための
いろいろな努力をしていた。
塩を作るには薪がいる。
木を切って川の河口まで流して
その代償に河口でできた塩を入手して
山へ帰っていく。
そのための道ができる。
なかなかに含蓄のある話が書かれている。
これらは民衆に分け入って
実際に聞いていったもの。
書物に残らない民衆の歴史が
ここにある。