宮本常一のレビュー一覧
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宮本さんの故郷、山口県周防大島の昔話を聞き書きしたもの。
単純にお話として読んで楽しい。
屋根に這わせたかぼちゃが大きく育って、家をつぶしてしまう奇想天外な話もあれば、どこかで聞いたようなものもある。
シンデレラを思わせる話もあった。
義妹はヒロインをいじめないとか、ヒロインが落としていくものがガラスの靴ではなくて、対のかんざしだとかいう点で違う。
でも、それが面白い。
宮本さんの祖父母の世代から聞いたとなると、幕末から明治生まれの人たちが楽しんできた話、ということになるのだろう。
日本のシンデレラは、ヨーロッパのシンデレラが伝わってできたのか、全く無関係に生まれたのか…いろいろな想像を -
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宮本常一は相変わらず、とにかく平易で読みやすい。この本は民間のさまざまな「職業」にスポットライトを当てており、中身も興味深く、宮本民俗学の中でも特に面白い一冊と言えるのではないだろうか。
宮本常一や柳田国男を読んでいて気になるのは、「昔は○○だった」と書かれているとき、その「昔」とはどのくらい昔のことを指しているのだろう、ということだった。
私の推測ではほとんどの場合、「昔」と呼ばれているのはせいぜい江戸時代なのではないか。ただ、農業に関しては、農機具や生活状況は室町時代からほとんど変わっていない、と何かの本で読んだことがある。
民俗学はこのように、しばしば正確な「とき」を明記しない場合がある -
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かつての日本の山は資源であり里であり、そこに様々な人々と生計、歴史があった。サンカ、木地屋、マタギ、炭焼きなど、失われようとしているが、確かに今の我々の生活の中にも受け継がれているものがある。
奥多摩の方の山に入ったとき、かつて炭焼きなどで栄えた廃村の後を見て、何とも言えない感慨深さがあった。実際にここで林業が盛んだった頃の話をおじいさんに聞くと、当時の村の様子を生き生きと語ってくれた。日本の山には昔から元気な人々と暮らしがあった。
本書の最後の稿「山と人間」において、宮本常一氏の試論がされており、非常に興味深い。かつての山の人々が如何に活気があり、また荒々しかったか。また、武士の習俗が狩 -
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周防大島の昔話を集めた本。
134の昔話がある。
往来のあった伊予や土佐から持ち込んだ話や、
岩国が舞台の話が入っている。
今まで昔話というと時代も人物も、歴史から独立して想像していたけど、
「岩国様」と呼ばれる殿様が出てきたり、
具体的な地名が登場したりするので、
昔話の背景にうっすらと歴史を感じることができた。
聴きとったものを収録してあるので、昔話が方言で語られる。
出てくる魚や動物の台詞も方言で語られるのが面白い。
魚が「亀がえかろうて、亀は海も泳ぐし、陸も歩くけえ」などというので、
愛着がわいた。
「いち」という題名の大蛇の話が一番好きだった。 -
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柳田国男や折口信夫はそれぞれに独特な、文学的な語り口で、晦渋なところがある。日本民俗学の古典的著者としては、この宮本常一がいちばん易しく、すっと入っていけるのではないだろうか。
巻末の解説に明記されていないが、ここに収められた3編とも、講演の記録と思われ、いっそう平易な文章が読める。
柔軟な思考で、さまざまな観点から庶民の文化現象のルーツをさぐっていく手法は、歴史学とはときに交わるようでいて、軌を一にしない。この「庶民」へのまなざしはウェットでもドライでもないが、たぶん優しいものだろう。
「われわれの目の見えないところで大きな生産と文化の波が、そのような形で揺れ動き、その上層に、記録に残ってい -
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宮本常一という
民衆の生活に根ざした視点で
研究を続けた民俗学者の本。
この本には
『塩の道』『日本人と食べ物』『暮らしの形と美』
という3本の著作が入っている。
なかでも表題の『塩の道』がおもしろかった。
塩は神に祭られた例がない。という導入。
米やほかの作物は神棚に祭られるが
塩はないという。
それだけ生活に近すぎた。
そして、塩を手にするために
道ができていったという話。
塩は日本では海の水から作られたため
山の集落では塩を得るための
いろいろな努力をしていた。
塩を作るには薪がいる。
木を切って川の河口まで流して
その代償に河口でできた塩を入手して
山へ帰っていく。
そのための道ができ -
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50近くで他界した叔父の毅彦も「宮本常一のように生きたい」と言っていたと聞いていて、常に気になる存在である宮本常一。『塩の道』や『忘れられた日本人』に感銘を受けるも、まだまだ叔父のような生き方には至らず。
この本を読んでみて、最近、南の島にも行ったりしてるので、海や半島からの文化(つまり人と生活様式)の流れが、読後には相当気になりはじめました。日本語の形成過程や地名などの由来、居住形態などの考察も含め、興味深く惹き付けられます。
さらに、宮本氏の師である渋沢敬三の言葉にやられました。
『(略)…渋沢先生のいう「物をして語らしめる」ということは物の中に含まれている意志を読みとる力がないと読み -
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-こうした貧農の家の日常茶飯事についてかかれた書物というものはほとんどなくて、やっと近頃になって「物いわぬ農民」や「民話を生む人々」のような書物がではじめたにすぎないが、いままで農村について書かれたものは、上層部の現象や下層の中の特異例に関するものが多かった。そして読む方の側は初めから矛盾や悲壮感がでていないと承知しなかったものである(「私の祖父」)
-村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上ではむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものをもった人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人々は頑固だと言