宮本常一のレビュー一覧
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「みんなの民俗学」を読んでからまた民俗学づいている。
民俗学の本、読んでるととても楽しい。なにか知識として身についている気は特にしないが、きっともっと大事な何かが身についているはず!
民俗学って、「普段の生活」が時間が経つと「学問になる」というのが面白いと思っている。いっそのこと、今この瞬間が既に民俗学の対象になりうるわけだし。
この本は江戸から昭和あたりの人々の暮らしー農民、出稼ぎ、行商、丁稚奉公、女性の仕事など、なんかよく見るテーマから、物乞い、被差別職業、人身売買など、おおっぴらに語られなさそうなものも研究対象の一つとして平等に紹介しているのがとても良い。
ただ、それぞれ一つのテーマを別々に紹介していくというより、「すべてが繋がっている」ように説明してくれるので理解しやすい。
あとは昔は良かったみたいな風潮あるが、昔のクソなところは本当にクソというのはちゃんと理解しておかなきゃとはやはり思う。昔はなにより人の命が軽すぎた。
また、日本の古い言葉は漢字の読みも含め、今の観点から見直すととてもエモいので覚えていきたい。
かもじ: カツラ
販女 (ひさぎめ): 魚売りのこと
杣 (そま):古代から中世にかけて律令国家や貴族・寺社などのいわゆる権門勢家が、造都や建立など大規模な建設用材を必要とする事業に際して、その用材の伐採地として設置した山林のこと
オーレン:黄連という生薬?
塩飽諸島 )しあく) 香川県
雑喉場 (ざこば) 大阪
水分 (みくまり)
特牛 (とつこい) -
Posted by ブクログ
1964年(昭和39年)東京オリンピックの年に書き下ろされて1975年に改訂されたものを底本に文庫化。
日本の都会はどうやってできていったのか、都会の暮らしはどうやってなったのかということを、村ができて、そこではどんな暮らしが営まれていたか、そして村が町になっていって、と、この順ではないけれど自身が調査に入った村での聞き取りなどをもとに書かれている。
日本人の生きてきた様がとても興味深い。
大分県杵築市の納屋部落、世間的な秩序の外に立ち生き生きと暮らしていた漁師の話とか。
「賎民のムラ」での職業とムラの作られ方が分かりやすい。「生業の推移」も読みたいと思う。
国勢調査が始まったのは大正9年なのか。 -
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「塩の道」「日本人と食べもの」「暮らしの形と美」
文献だけでなくフィールドワークで得た情報が、リアルに立ち上がってくる。
塩は必要不可欠なものだから、山の民は灰(麻を白くする)と交換したとか、牛を使って運ぶと道草を餌にできるし、ついでに向こうで牛も売れる(馬は管理が厳しかった)とか、当時の生活が垣間見れておもしろい。
また、塩の摂取の仕方も現実的で興味深かった。塩イワシは必ず焼く(煮たら塩が散る)し貴重品だから四日かけて食べる、わざとニガリのある悪い塩を買って分離させ豆腐作りに使う、塩が不足すると新陳代謝が悪くなって吹き出物が出たり目が悪くなる、等々。
動物も塩を欲するから、野宿をする場合は必ず火をたく(そうしないと翌朝牛が獣に喰われている)、小便を壺にためたり立ち小便をするとオオカミが舐めに来るから駄目、という話に驚いた。
わらじは消耗品で三日に1つ破れるから一年に百足は作らなければならない、ということさえ実感としてわかなくなってしまった今、こういう生活に密着した記録は非常に貴重なものだと感じた。 -
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日本の都市や農村で、何が変わり何が残っているのかについての重要な示唆が詰まった一冊。本書が書かれたのは戦後、都市人口が急激に膨張した時代であり、そこでは必然的に都市と農村のせめぎ合いが強く意識されたことだろう。農村コミュニティが急速に解体し都市化が進む一方で、農村国家としてのアイデンティティが喪われるかと思いきや、農村出身の都市居住者により辛うじて受け継がれる様々な風習に、著者は頼もしさと弱々しさを同時に感じていたことだろう。世に出て半世紀が経過する本書だが、今読んでも驚くほど違和感を感じる部分が少ない。変わったつもりでも変わらない部分の大きさに改めて驚かされる。
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とてもよかった。宮本常一の本を読んだのは3冊目だが、一番心をつかまれた。山とか森とかについて書いているから、だろうか。
50年前の本で、「山に生きた」ではなく「山に生きる」と銘打つことができる時代であったことにジェラシーも感じさえするが、いやはやそうだとしても見事な見取り図である。
そしてまた俺自身が、各地の森や川に触れてきて実感できることも増えているからというのもあるのだろう。
塩の道としての川、信仰対象としての山…。
木曽の木材が姫路城再建や(墨俣であげるのを経て)南禅寺建立にも使われたということ。
サンカや木地屋が美濃山中にもいたということ、近江方面も含めて山沿いに回遊していたということ。
鍛冶屋や鉄山師や炭焼きのこと。多種多様な職が山(森)にはいて、でも次第に里におりてきたということ(特に、ダムによる水没や災害の影響により、しかも映ってきたあとはそれなりに新天地を気に入っていたりもする。。。)
いずれ、山や森の暮らしも、単に林業とか木こりとかひとくくりにしてはいけない、と思った。また岐阜近辺も古くから様々に、山や森に根差してきたのだな、いろんな山の生き方があったのだな、と知った。
特に、木地屋の話を最近きいたり、鍛冶屋体験をしたりしたのも効いている。鍛冶屋に関していえば、木炭をとても多く使うということ(発見)とか、あるいは小屋の素朴さとか、ふいごの便利さとかの実感も、今にして思えば収穫。又、森を転々としながらろくろ等を使ってお椀等の製作にあたり、各地で小屋を建てていた木地屋のことも、興味が出てきた。本と体験とは、車の両輪であるよなぁ。 -
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この本は町における、村における「ふるさと」を題材にしており、地方や村やコミュニティに関心のある人には必読と思われる。
中盤以降の村の話は、身近に感じつつ読後は複雑な心境になった。
・人口が増えたことにより土地でまかなえる人数に余裕がなくなるため次男三男は明治以降では町へ出て行き、町の成立がそういった村の出身者の集まりであったこと。
・島に一戸だけしかない暮らしをする家族の事例をもとに、人は群れて住まざるを得ないこと。
・村は一種の共同事業体であり、共同作業を通じてまとまる地域における「講」「村八分」といったことは、いわばそれ自体で国家介入なしの社会保障制度であったこと。
・そしてそれが同業者以外の流入や農地解放により共同体が崩れていく過程を説明している。つまりそれは地域に親方がいなくなること、仲間が没落するのを赦すことにつながっていくのだが、増える子に土地を分けるためには没落者が必要なのだ。
明治以降人口が急増した日本のキャッチフレーズ「立身出世」は、村を憂いなく出て行く動きにつながっているが、若者がこういった苦難の道を選ぶのも、村にとどまっては将来がまずしい百姓の一生である場合が多かったとし、一方で、昭和の高度成長期の社宅に住む婦人が新聞に投稿した一文の紹介では、それは村以上に窮屈なコミュニティなのだと。
人口動態と村の習慣がどのくらい残っているかを比較したり、様々な暮らしの現場を見続けた著者の深いまなざしを通して、複眼的に時代を見ることに役立つ。
時代は常に過渡期だ。仮に周回遅れで最先端となることがあっても、そのまた先は変わってくる。過去の著作に目を通そう。 -
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時代は循環しながら発展していくと言われるもので、高度経済成長時期を過ぎ、人口の減退期にある日本では、自然農やマクロビオテックといった動きが、昔ながらの地方の田舎の暮らしをモチーフとしたイメージ作りとともに、一部で力強いムーブメントとなっている。心理的な側面として、現代社会に対して多くの人が食や経済やらに関して、不安・生き難さを感じているのではないかと想像する。
チャールズ・アイゼンシュタインは「聖なる経済学」の中で、人々に分離感やエゴ意識が高まり、疲弊していく社会を救う考え方として、贈与経済の有効性を述べている。これによればマネー経済は領域を縮小させることになるのだが、それはかつて日本で行われていた暮らしに近いものがありそうに思える。
また、オーストラリアで生まれた持続的な農業を主とした暮らしを実践するパーマカルチャーは、しばしば、日本の江戸期に見られる循環型の社会と比べられる。
この本では、中世・江戸期・昭和30年頃までの日本における経済と暮らしを「生業の推移」としてまとめられている。1965年刊。かつての日本の暮らしを再確認したいと思って手にした。
結果を言うと、明治初期の人口3500万くらいだと、うまく自給できるところも7割くらいあるが、その他3割は物々交換やマネーを介した交換経済が中心であったこと。それも安定的なものではなく凶作も起きるし、出稼ぎや人身売買などもあるし、人が食べていくためには生業も固定的ではなく、いろんな変遷があったことが分かる。江戸時代万歳といった簡単な話ではない。
今の時代は確かにマネーでいろんなものが代替できて、職の自由もあるのだけれど、かえってマネーに縛られることが多くなり、貧富の格差に対する感覚も以前に比べ広がっているとされている。人件費よりも安い化石燃料で機械化され、出荷時期をずらしたことが付加価値とされる今の農業がいつまで成立するものか。
これからの社会のあり方がどう変わっていくのか深く考えさせられる。
一文だけ理想的な自給社会像の例を紹介しておく。
【鹿児島県大島郡十島村宝島】鍋釜鍬鎌のような金具類、材木以外は自給できた。砂糖、塩、タバコ、イモ焼酎、バショウ繊維、生糸、船などは自給した。造船や鍛冶の仕事は技術を持った人が行い、頼んだ人はその間、船大工や鍛冶屋の畑仕事をするという労働交換であった。
島内では金銭は必要なく、島で生産できないものを購入するために砂糖やカツオブシを鹿児島まで行って売った。財産も平均して他人の生活をうらやましがることもなければ、その世界はまさに天国であるといっていい。古い時代にはこのような集落が本土にも広く分布していたと思う。
・・・まるで、「懐かしい未来」のラダックだ。 -
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宮本常一の民俗史作品を読んでから、庶民の文化史に関する本を読んでみようと思って探してたら行き当たったのがこのシリーズ。あとがきが大月隆寛、昔、ナンシー関と「クレア」で対談の連載をしていた民俗学者だ。
本作は、シリーズのまとめ的な作品集。だから、いろんな時代、階層、職種にまたがった包括的な「圧制と生活苦にあえぐ庶民」の姿を描いている。
日本の民衆の、なんと貧しいこと・・・貧しいのは普通のことだったのだが、その貧しさもいろいろなのだが、食うためにはそのとき、その場で必要なことはなんでもやる、生き延びるために耐え忍んだという表現がふさわしい。ときには強奪、子殺し、堕胎、捨て子、口減らしのための売り子まで、とにかく生き延びることが最優先だった。自由も利かない、選択肢なんてないような生活だ。これがたった60年位前までの日本人の大多数だった。
いま読んでる途中だが、面白そうな章から読んでいる。女性に関する章と、子殺しに関する章を読んだ。
明治から戦後すぐくらいまでの生活の話だけれど、まあ、昔の女はよく働いたこと・・・身分制度でがんじがらめになってたのは男も女も同じだが、女の場合は男よりもさらに格が下だったので、庶民の生活はほとんど奴隷と同じである。
明治の機織の女工、紡績工場の女工(これはシリーズのほかの本に詳しい)、炭鉱、百姓、芸妓と遊女・・・小さいころから女の生きる先は限られていて、それこそ物心ついてから死ぬまで一生懸命働いた。
百姓のばあさんの回顧などは宮本常一の書いたものだと思うが(本には書き手の名前が書いてない)、苦労をいたわるような視線はとても優しい。百姓のばあさんの記述に、「人の情で4人の子を育てた。人の悪口はいわない、悪さをすれば情をかけてもらえない」というくだりがあって、尤もなことだと思った(P402)。
自分の作ったものに余剰があるとき、いや余剰が無くても、困った人があったらできる限りのことはする、そして人の悪口を言わず、何事にも感謝する。そうしないといざとなったときに誰も助けてくれないのだ。現実的な処世の術である。そのためには、がんばって働かねばならない。人の何倍も一生懸命やるのだ。
また、このおばあさんは「自然が助けてくれた」とも言う。戦前戦後の食糧難も、森に入って栗を拾って草の根を掘って乗り切った苦労。自然に対する謙虚な感謝の気持ちが、美しいなと思った。
こういう日本の庶民の姿勢は、とにかく、奢ることなく、謙虚に、人を助けつつ自分が困ったときには助けてもらう、そういう助け合いの精神が根底にある。人の子供でも、縁があったら助けてあげるのだ。自然にある神を敬い、謙虚に生きる。
伝えるべきは、日本文化のなかでは否定されてきた泥くさい精神ではあるが、自然を拝み、苦しさに耐えて黙々、粛々と自分のできることをやっていく民衆の美しさではないかと改めて思うのだ。
こう書くと、美化しているような感じもするけれど、決してそうではなくて、日本人が誇りにするべきはこういう精神だと思う。残念ながら、こんな共助の精神は、ほぼ死滅状態なんだろうけれど・・・
また、明治までずっと子殺しや堕胎がとても一般的だったことも驚いた。でも、日本ではいまも子供は親の所有物のように考えられているから、昔の延長線上にあるのかなと思うと納得である。間引きは、自分で産んだ子を殺したり産婆が殺したり、いろいろだったようだが、4人も子供を産んだ自分としては、親はつらかっただろうなと思う。10ヶ月もお腹で育て、産む時だって死と隣りあわせで産むのに、生まれたらすぐに息の根を止めるんだから・・・考えると暗黒の時代のように思えるが、これがたった百年前のことなんだから・・・日本のどこが近代国家??という感じである。
ここまでひどい貧困状態が書かれている本なのだが、唯一の希望があるとすれば、人間、相当の限界でも生きていけるのかな、と思えることだ。将来、食べ物にも事欠くような状態になったらどうするか、サバイバルについて考えることができる。いいのか悪いのかわからんが。
あとは、国なんて頼りにしちゃいけないな、ってこと。何かあったら、普通の人は、徹底的に骨までしゃぶられます。西洋的な国民国家の概念は、たぶん日本は外面だけで、中身は違うと思う。
昨年からの原発関係の対応を見るだけでも、私はこの点だけは確信している。 -
Posted by ブクログ
江戸時代以前は、藩や国の単位で往来が制限されていた、、というのは武家社会の話で、農民や商人といった一般層はかなり自由に行き来していました。街道とは別に赤線と呼ばれる山間の道を通って、博労や女衒といった人身売買も盛んに行なわれていました。
人身売買というと物騒な雰囲気ですが、戸籍制度が整備される以前には丁稚奉公や養子縁組といった形で子どもにより良い暮らしをさせる選択肢は普通にありました。
たとえば富山の薬売りは有名ですが、それは日本海沿岸で塩づくりをしていた製塩業が、瀬戸内海などでの効率的な入浜との競争に負けて下火になっていったところに浄土真宗の毒消しの製法が広まり、手の余った若い娘が売り歩くようになったのが起源と言われています。
このように労働力の伝播に従って、文化や習慣、そして生業もバリエーションが増えていきます。上流から下流に行くに従って分業制が生まれたり、専業者の村ができたりといった形で専門職がつくられていき、技術が高度化していったのです。
民俗とはこのように、人々の交流と時代の要請に従って移り変わっていくものなのでしょう。まさしく生き物のような生業の変遷を、もっと追いかけていきたいものです。