宮本常一のレビュー一覧
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1964年(昭和39年)東京オリンピックの年に書き下ろされて1975年に改訂されたものを底本に文庫化。
日本の都会はどうやってできていったのか、都会の暮らしはどうやってなったのかということを、村ができて、そこではどんな暮らしが営まれていたか、そして村が町になっていって、と、この順ではないけれど自身が調査に入った村での聞き取りなどをもとに書かれている。
日本人の生きてきた様がとても興味深い。
大分県杵築市の納屋部落、世間的な秩序の外に立ち生き生きと暮らしていた漁師の話とか。
「賎民のムラ」での職業とムラの作られ方が分かりやすい。「生業の推移」も読みたいと思う。
国勢調査が始まったのは大正9 -
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「塩の道」「日本人と食べもの」「暮らしの形と美」
文献だけでなくフィールドワークで得た情報が、リアルに立ち上がってくる。
塩は必要不可欠なものだから、山の民は灰(麻を白くする)と交換したとか、牛を使って運ぶと道草を餌にできるし、ついでに向こうで牛も売れる(馬は管理が厳しかった)とか、当時の生活が垣間見れておもしろい。
また、塩の摂取の仕方も現実的で興味深かった。塩イワシは必ず焼く(煮たら塩が散る)し貴重品だから四日かけて食べる、わざとニガリのある悪い塩を買って分離させ豆腐作りに使う、塩が不足すると新陳代謝が悪くなって吹き出物が出たり目が悪くなる、等々。
動物も塩を欲するから、野宿をする場合は -
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日本の都市や農村で、何が変わり何が残っているのかについての重要な示唆が詰まった一冊。本書が書かれたのは戦後、都市人口が急激に膨張した時代であり、そこでは必然的に都市と農村のせめぎ合いが強く意識されたことだろう。農村コミュニティが急速に解体し都市化が進む一方で、農村国家としてのアイデンティティが喪われるかと思いきや、農村出身の都市居住者により辛うじて受け継がれる様々な風習に、著者は頼もしさと弱々しさを同時に感じていたことだろう。世に出て半世紀が経過する本書だが、今読んでも驚くほど違和感を感じる部分が少ない。変わったつもりでも変わらない部分の大きさに改めて驚かされる。
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とてもよかった。宮本常一の本を読んだのは3冊目だが、一番心をつかまれた。山とか森とかについて書いているから、だろうか。
50年前の本で、「山に生きた」ではなく「山に生きる」と銘打つことができる時代であったことにジェラシーも感じさえするが、いやはやそうだとしても見事な見取り図である。
そしてまた俺自身が、各地の森や川に触れてきて実感できることも増えているからというのもあるのだろう。
塩の道としての川、信仰対象としての山…。
木曽の木材が姫路城再建や(墨俣であげるのを経て)南禅寺建立にも使われたということ。
サンカや木地屋が美濃山中にもいたということ、近江方面も含めて山沿いに回遊していたというこ -
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この本は町における、村における「ふるさと」を題材にしており、地方や村やコミュニティに関心のある人には必読と思われる。
中盤以降の村の話は、身近に感じつつ読後は複雑な心境になった。
・人口が増えたことにより土地でまかなえる人数に余裕がなくなるため次男三男は明治以降では町へ出て行き、町の成立がそういった村の出身者の集まりであったこと。
・島に一戸だけしかない暮らしをする家族の事例をもとに、人は群れて住まざるを得ないこと。
・村は一種の共同事業体であり、共同作業を通じてまとまる地域における「講」「村八分」といったことは、いわばそれ自体で国家介入なしの社会保障制度であったこと。
・そしてそれが同業者 -
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時代は循環しながら発展していくと言われるもので、高度経済成長時期を過ぎ、人口の減退期にある日本では、自然農やマクロビオテックといった動きが、昔ながらの地方の田舎の暮らしをモチーフとしたイメージ作りとともに、一部で力強いムーブメントとなっている。心理的な側面として、現代社会に対して多くの人が食や経済やらに関して、不安・生き難さを感じているのではないかと想像する。
チャールズ・アイゼンシュタインは「聖なる経済学」の中で、人々に分離感やエゴ意識が高まり、疲弊していく社会を救う考え方として、贈与経済の有効性を述べている。これによればマネー経済は領域を縮小させることになるのだが、それはかつて日本で行わ -
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宮本常一の民俗史作品を読んでから、庶民の文化史に関する本を読んでみようと思って探してたら行き当たったのがこのシリーズ。あとがきが大月隆寛、昔、ナンシー関と「クレア」で対談の連載をしていた民俗学者だ。
本作は、シリーズのまとめ的な作品集。だから、いろんな時代、階層、職種にまたがった包括的な「圧制と生活苦にあえぐ庶民」の姿を描いている。
日本の民衆の、なんと貧しいこと・・・貧しいのは普通のことだったのだが、その貧しさもいろいろなのだが、食うためにはそのとき、その場で必要なことはなんでもやる、生き延びるために耐え忍んだという表現がふさわしい。ときには強奪、子殺し、堕胎、捨て子、口減らしのための売り子 -
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江戸時代以前は、藩や国の単位で往来が制限されていた、、というのは武家社会の話で、農民や商人といった一般層はかなり自由に行き来していました。街道とは別に赤線と呼ばれる山間の道を通って、博労や女衒といった人身売買も盛んに行なわれていました。
人身売買というと物騒な雰囲気ですが、戸籍制度が整備される以前には丁稚奉公や養子縁組といった形で子どもにより良い暮らしをさせる選択肢は普通にありました。
たとえば富山の薬売りは有名ですが、それは日本海沿岸で塩づくりをしていた製塩業が、瀬戸内海などでの効率的な入浜との競争に負けて下火になっていったところに浄土真宗の毒消しの製法が広まり、手の余った若い娘が売り歩 -