千葉聡のレビュー一覧

  • ダーウィンの呪い

    Posted by ブクログ

    「進歩せよ」を意味する「進化せよ」。
    「生き残りたければ、努力して闘いに勝て」を意味する「生存競争と適者生存」。
    んで、「これは自然の事実から導かれた人間社会をも支配する規範だから文句言うても無駄」を意味する「ダーウィンが言うとるさかい」。
    この三つの呪い。

    ダーウィン、言うてへんねんけどと。

    そもそも、ダーウィンが言うてても、それが真実かどうかは別の話やし、実際、ダーウィン自体もちょっぴし揺らいでるところもあったみたいやのに、「優生学」的なものを取り巻く社会の要請に、「科学」からお墨付きを与えると言う、正直トンデモ科学的なお札にされたみたい。
    当時は、DNAも発見されてなかったし、獲得形質が受け継がれるような認識もあったらしいし。
    なんというか、オカルトのベースにユングが使われるようなところもあったわけか。

    本の大半は、ダーウィンを枕に、社会と優生学の関わり合いの歴史を綴っている。
    実のところナチスのやってることを理想と賛美してた方々と、その結果でこれはあかんねやとやっと気がついた人々。

    科学的事実を、価値や倫理に置き換えてはダメ。

    だが、社会はそれを道具にすることができる。
    その通りやなあ。

    じゃあこの先どうするかって話になってから途端に描きっぷりがウザくなってくる。道徳とか価値とか語ってるわけだ。

    余計。

    0
    2024年03月04日
  • 短歌部,ただいま部員募集中!

    Posted by ブクログ

    若い歌人の小島なお、高校教師でもあるちばさと、お二人による中学生くらいを念頭にした短歌入門書。年齢に関係なく、エッセイとしても心地よく読める。

    0
    2024年03月03日
  • ダーウィンの呪い

    Posted by ブクログ

    ダーウィンの提唱した「進化論」。
    種の起源を紐解いたその意味と、現在利用される際の意味との違いを歴史の変遷や後世の学者の理論等を解説しながら説明している本。

    生物学的な「進化」の意味:一定方向への変化を意味しない。つまり、発展・進歩・退化、すべてが「進化」である。

    しかし、ダーウィンは生物学者としては進化を「方向性のないもの」として、社会哲学者としては「進歩」として説明した。このダーウィン自身が「進化」の用語の利用時に揺らぎがあったことが後世の進化論の理解をゆがめることとなった。

    0
    2024年01月31日
  • 招かれた天敵――生物多様性が生んだ夢と罠

    Posted by ブクログ

    【感想】
    外来種による環境破壊は、今や気候変動と同レベルの喫緊的課題となっている。人間活動によって地域に侵入した外来種は3万7千種以上にのぼり、毎年200種のペースで増え続けている。2019年における世界全体の被害額は4,230億ドル(約60兆円)以上であり、10年ごとに4倍というペースで急増している。
    とはいうものの、国を超えて広がりを見せ、ほぼ土着してしまったといえるほどの外来生物群を、いったいどのようにすれば駆除できるというのか。薬剤の散布や遺伝子改変による絶滅は、いずれも「環境に人為的な工作を加える」という点で不安が残る。
    では、駆除を自然のなりゆきに任せる――「被食者と捕食者」という生態系の原理に根差した手法を取れば、果たして上手くいくだろうか?

    本書『招かれた天敵』は、外来種の駆除にあたって導入された「生物的防除」の功罪を綴る一冊だ。
    生物的防除とは、有害生物に対して、「外来の天敵生物を意図的に導入して、害虫が侵入した地域に恒久的に定着させ、長期的に害虫を防除する手法」のことである。一見すると、生態系そのもののバランスに任せたエコロジカルな手法だ。
    もともと生物的防除が流行に至ったきっかけは、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の影響だった。カーソンは、生態系は「複雑で、精緻で、緊密に結びつけられた生物と生物の関係」で維持され、「つねに動的に、調整されている状態」を作り出すとし、これを「自然のバランス」と呼んだ。そして農薬の数、種類、破壊力が増すにつれて、自然のバランスが破壊されてしまったと述べる。それがDDTをはじめとした化学的防除法に対する向かい風となり、同時に、自然そのもののレジリエンスを活かした生物的防除法の導入が世界中で進められるようになった、といういきさつである(実際は、カーソンは殺虫剤・農薬の「過剰使用」について警句を述べただけであり、適量の使用なら否定していない)。

    しかしながら、特定の生物を原産地から輸入し野に話すというのは、いくらそれが有害生物の繁殖を防ぐためとはいえ、危険な取り組みである。実際本書では、導入にあたっての成功例と、導入の結果化学物質の散布以上に環境を破壊しつくしてしまった「天敵」の例が語られる。

    例えば、オーストラリアのクイーンズランド州で行われた、ウチワサボテンの導入について。中南米原産のウチワサボテンは、オーストラリアのクイーンズランド州を中心に大繁殖し、深刻な問題になっていた。そこで政府はウチワサボテンに寄生する、同じ中南米原産のセイロニカスとカクトブラスティスを放飼し、見事ウチワサボテンを駆逐することに成功した。
    この成功を受けて、カリブ海沿岸でも同様のやり方が取り入れられた。しかし、ウチワサボテンは中南米原産であり、オーストラリアと違って「在来種」である。その違いを検討せずカクトブラスティスを放した結果、大変なことが起こってしまった。フロリダ州のいくつかの地域では、95%のウチワサボテン類が破壊され、フロリダの固有種が絶滅の危機に陥った。ある保護区では、カクトブラスティスがウチワサボテン類をほぼ完全に破壊したため、それに餌や棲み場所を依存していた陸ガメの一種が危機に瀕した。テキサス州ではウチワサボテンを「テキサスの植物」として地域を代表する植物に選んでいるが、それが「天敵」の影響により、壊滅の危機にさらされてしまったのだ。

    では、失敗の原因は何だったのだろうか。それは自然環境が想像以上に複雑であったこと、加えて現地の生態系に与える影響が調査不足であったことだ。
    トライオンは防除を成功させるために必要な措置として、10項目からなる指針を提案している。
    指針ではまず、国内外の専門家による事業実施体制を構築すること、そして天敵候補の土着地ないし帰化している国に専門家を派遣し、現況を調査することが必要だとしている。ほかに重要な点として、天敵が宿主とする植物の種類を確認すること、それから天敵導入の際、誤って寄生虫など随伴生物が混入し逃亡するのを防ぐことが必要だと指摘する。そのためには、事前に導入候補に、どのような寄生虫、捕食者、病原体があるかを調べる必要があるという。
    輸入した天敵の検疫と繁殖試験をおこなうための検疫施設の設置も提案している。また天敵導入後にはモニタリングを実施し、個体数の変動や導入先のさまざまな土着生物との関係を評価するよう提案している。
    加えて、天敵を導入する前に、天敵の食性や生活史、非標的種への影響やほかの生物との関係、導入にともなうリスクなどを、野外調査と実験で調べておくこと、しっかり検疫をおこなうこと、そして導入後は事後モニタリングをおこなうことが必要だと述べている。

    こうしたトライオンの指摘を見ると、生物的防除は非常に労力と金がかかり、かつ運の要素が強いメソッドである、ということが伺える。相手は化学物質ではなく生き物だ。その生態を知らなければ、結果として導入前より被害が悪化する可能性も考えられる。環境に優しく被害もない「万能な防除技術」は、夢のまた夢であるということが分かるだろう。

    ――環境に関わる新しい技術は、失敗を積み重ねつつ、少しずつ改善され、多様化して、より安全で効果的なものへと発展していく。そうして既知のリスクは低減していく。しかし未知のリスクは、ほぼ永遠に残り続けるだろう。したがって、一切のリスクがなく、コストもかからず、どの環境でも機能する――そんな万能の害虫防除技術が使える日が来ることは、今後もなさそうである。
    夢の天敵など実在しないし、実現することもないだろう。それは理想の彼方に目標としてのみ、存在しうるものなのである。
    ―――――――――――――――――――――――
    以上が本書のおおまかなまとめである。
    超専門的で内容は重厚なのだが、物語のような構成をしているため、とても楽しく読むことができた。生物学的視点以外にも、米国農務省のマーラット夫妻の日本への新婚旅行の話や、外来生物駆除の背景に潜む政治的イデオロギーについての考察など、思わぬ方面からさまざまなテーマが投げかけられる。変化に富み、驚きに満ちた一冊だ。
    また、最終章では、筆者自身が挑んだ防除――父島の「ニューギニアヤリガタリクウズムシ」の防除の取り組みに失敗したこと――について描かれる。実は本書の目的は、外来生物導入の成功事例と失敗事例の数々を提示し、「父島で自然と人間の調和を実現するために、生物的防除を選択肢に入れるべきか」を、「読者のみなさんも考えてみてくれ」と問題提起することにあったのだ。つまり読者は、小笠原の世界自然遺産を守るという筆者の“夢”の実現のため、天敵を使うことの是非を考えるプロセスに、知らず知らずのうちに参加させられていたのだ。読者に知識を植え付け、本全体を一つの問題提起とする。この構成が何とも見事だった。

    本書を読んだ後、果たしてあなたはどちらの道を選ぶだろうか。天敵の導入か、化学物質の散布か、それとも他に代わる何かか。万能な防除方法などこの世にない。であるならば、きっと、読者の数だけ答えはあるはずなのだ。

    ――今の時点で正解があるわけではないし、より適切な答えが導けたわけでもない。するかしないか、という二者択一の答えとは限らないし、読者の数だけ答えはあるかもしれない。だが答えそのものと同じく大切なのは、答えを出すに至るプロセスである。仮に失敗しても、何を考え、どんな可能性を想定して、その判断に至ったのか、十分な検討の過程がある失敗なら、未来に貢献できるだろう。

    ――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 生物的防除の始まり
    『沈黙の春』でカーソンが最も多くの実例をあげて紹介した「もうひとつの道」は、有害生物を減らしてくれる捕食者や寄生虫などを増やすという、古くから知られてきた防除法――「生物的防除」であった。有害生物の大発生が、「自然のバランス」が崩れていることを意味するなら、それを抑える「自然のバランス」を回復させればよいという考え方だ。
    駆除対象の有害生物に特異的に感染する細菌やウイルスを散布し、病気を流行させて退治するやり方も、そのひとつだ。さらにカーソンは、有害生物の防除を目的として外国から輸入された天敵が、素晴らしい成績を収めていることを強調している。これは「伝統的生物的防除」であり、「外来の天敵生物を意図的に導入して、害虫が侵入した地域に恒久的に定着させ、長期的に害虫を防除する手法」である。

    有害生物が世界で爆発的に増え始めたのは、19世紀以降である。これは世界各地で外来生物(外来種)本来の生息地(進化の歴史の結果としての生息地)から、人間によって直接または間接的に別の土地に持ち込まれた動植物が急増し始めた時代と一致する。外来生物は貿易や帝国主義によって世界がグローバル化したタイミングで急激に増加しており、外来生物の導入の背景には、19世紀欧米社会に広がっていた自然に対する歴史観と価値観――外来生物と在来生物を区別しない手つかずの生態系を美とするロマン主義――がある。

    伝統的な生物的防除は、外来生物も、その原産地では捕食者や寄生者によって増殖が抑えられているという考えに基づいて始まった。それぞれの地域で独自に繰り広げられてきた生物間の攻防と共進化により、どの種にもそれを特に狙う天敵が進化するからである。これに対して、人間によって持ち込まれた先の環境には、そうした天敵がいない。そのため、抑えを失った外来生物は一気に増えて、農作物や環境に悪影響や被害を及ぼす有害生物になる。

    それなら、有害な外来生物を減らすには、同じ外来生物で、原産地においてその増殖を抑えていた天敵を利用すればよい。安全で、コストもかからず、環境に良く、効き目は永続的だと思われる――さて、実際はどうなのか。


    2 外来生物は悪なのか?
    1990年代以降、遺伝子・種・生態系の多様さや豊かさを表す「生物多様性」という概念が確立すると、その主要な脅威のひとつに外来生物が挙げられるようになった。
    しかし、一部の生態学者や保全生物学者は、外来生物の「害」が過剰に意識されており、それがさらに移民などへの差別意識を助長する危険性があると主張する。

    彼ら懐疑論者が指摘する「過剰な害の意識」の例として、代表的なものが二つある。
    ひとつ目は、外来というだけで根拠なく有害とされていることだ。たとえば人間生活とは直接関係のない自然の在来生物に対して負の影響を及ぼすだけの外来生物も有害と見なされ、駆除対象になることである。これについて懐疑論者は、人間にとっての有害さが自明でなく、在来・純血を尊いとするイデオロギーや、外来という属性への嫌悪感を反映したもので、外国人や移民への差別と同質のものだ、という。またそのため、外来生物が生み出す可能性のある、人間にとって好ましい機能が無視されているという。
    この懐疑論者の批判に対して、外来生物対策に取り組む保全生物学者は、外来生物とは、本来の生息地から人為的に移された生物のことで、外国から来た生物の意味ではなく、したがって外来生物対策は外国人差別とは無関係だと反論する。また在来生物を守る外来生物対策は、生物多様性を守る取り組みなのだと説明する。彼らは外来生物そのものと対抗しているわけではなく、生態系や集団や遺伝的な多様性を脅かす外来生物にのみ対抗しており、「過剰な害の意識」という批判は誤解だというのである。

    保全生物学者が大前提とする目標は、あらゆる生物的な多様性の損失を最小化することだ。しかし古ぼけた民家に大きな価値を見る人もいれば、それを洋風建築に建て替えたいと願う人もいるように、その目標は社会的な利害関係とは必ずしも一致しない。歴史的な価値はあるが、人間生活に有害な在来生物もいる。また希少種の脅威となる外来生物が、一方で農業資源としての価値やほかの好ましい生態系サービスを提供する場合もある。したがって価値のすり合わせや、社会的合意が必要になる。

    本来は、外来か在来かという二項対立で、それらの価値を判断すべきではない。温暖化の進行で、外来・在来の区別も曖昧になりつつある。外来生物でも、原産地で絶滅した種が、移入先で辛うじて存続している場合には、保全対象となる。じつは一定以上の歴史を備えた外来生物—――たとえば北米のユーカリや、英国のスイセンなどは、人文史と結びついた歴史的価値をもち、保全対象となりうる。
    外来生物だけが有害生物になるわけではないことは、あらためて強調しておきたい。環境改変によって、在来生物が“侵略的”になる場合がある。逆に、外来生物が餌や棲み場所を在来の希少種に提供して、絶滅を防ぎ、生物多様性の維持に貢献する場合もある。外来生物が形成する生態系が新たな価値や機能をもつこともあるだろう。それゆえ外来生物にどう対応するかは、状況に応じて、そのメリットとリスクの兼ね合いで個別に判断する必要がある。

    懐疑論者が挙げる「過剰な害の意識」のふたつ目は、有害さが判明している外来生物だけでなく、まだ有害かどうかわかっていない外来生物まで、検疫対象になったりすることである。
    これに対して保全生物学者は、おもに不確実性の存在と、リスク管理の面から反論する場合が多い。外来生物は一般に在来生物より強い効果を生態系に及ぼす。たとえば、定着した外来生物は、在来生物より40倍も高い確率で有害性を示すとされる。また在来の餌生物に対して、外来の捕食者が与える影響は、在来の捕食者が与える影響の約2.5倍に達するという研究がある。
    生態学者のダニエル・シムバロフは、この問題について次のように述べている。
    「何年もの間、無害な状態を保っていた外来生物が、その後広がって有害なものに変化する例は多い。非常に有害な外来生物でも、当初はその危険性を認識できないものだ。だから外来生物が有害かどうかわかるまで待つ前に、駆除しやすい初期の段階で根絶するべきなのである」


    3 ウチワサボテン
    18世紀末以降に持ち込まれた中南米原産のウチワサボテンは、オーストラリアのクイーンズランド州を中心に大繁殖し、広大な土地にはびこって人も家畜も追い出され、深刻な問題になっていた。燃やす、皆伐するなどの方法で対処してもまったく手に負えず、拡大を阻止する対策が求められていた。
    サボテン類だけを加害する天敵の導入なら、オーストラリアには在来のサボテン類はないし、農産物としても対象外なので、在来の自然林や農業に影響を及ぼすリスクも低いだろう。そうした天敵として目を付けたのは、ウチワサボテンに寄生する中南米原産のカイガラムシの仲間――セイロニカスであった。

    1914年7月、対策の指揮を執るホワイトは、クイーンズランド州北部のタンシウチワ群生地に2か所の試験区を設置し、セイロニカスの導入試験を始めた。各試験区には約7m四方、高さ約4mの麻布製の巨大なテントが設置され、内側のタンシウチワ群落を完全に覆って外部から隔離した。そしてテント内のタンシウチワに、25匹のセイロニカスが放飼された。
    試験開始3か月後、両試験区ともセイロニカスは順調に繁殖し、タンシウチワの株がいくつか枯れ始めた。4か月後、大型株も枯れ始め、翌月ついにどちらの試験区でもタンシウチワの株すべてが枯死した。ホワイトは天敵の驚くべき威力を、こう報告書に記している――「実験の結果は満足できるものだった。……発芽したタンシウチワは一例もなく、完全に破壊されたと思われる」
    この結果を受けて、タンシウチワが多いクイーンズランド州北部を中心にセイロニカスが導入された。
    繁殖させた多数のセイロニカスが協力者に配られ、放飼された。その結果タンシウチワの群生は、瞬く間にクイーンズランド州から姿を消していった。ひとつの種を対象にしたものとはいえ、これまでまったくなすすべがなかったウチワサボテンの攻勢に対して、初めて効果的な一撃を与えることができたのである。

    その後、第一次世界対戦で一時的に計画が中断する。終戦後、再びウチワサボテンの壊滅を目指すべく、アルゼンチンで見つかったサボテン破壊魔――蛾のカクトブラスティスが導入された。CPPBの委員長に就任したドッドの指揮の下、1926年から1927年にかけて1千万個の卵が、土地所有者を中心とした協力者に配布され、ウチワサボテンの群生地か所に放飼された。野に放たれたカクトプラスティスは期待通り、凄まじい破壊力を発揮した。赤い幼虫の大群が緑の群れに襲い掛かり、文字通り粉砕したのである。
    各地でウチワサボテンの崩壊が起こり始めた。それまで数十㎞にわたって、びっしりとウチワサボテンが繁茂していた群生地が、2年後にはほとんど消え失せ、腐った塊だけになった。
    1928年から1930年にかけてさらに30億個の卵が協力者に配布された。繁殖施設は工場のようだった。生産された卵の入った箱を7台のトラックと100人の従業員が州全体に配って回った。ひとつの箱の中には計10万個の卵と、協力者に正しい卵塊の設置法を伝えるための説明書が入っていた。
    カクトブラスティスの猛攻撃はさらに激しさを増し、1933年にはクイーンズランド州最大の群生地が消滅した。この年までに、クイーンズランド州で80%、ニューサウスウェールズ州で50~60%のウチワサボテンが消滅した。

    そしてここで異変が起きた。あまりにも急にウチワサボテンが減ったため、カクトブラスティスは餌を使い果たしたのだ。幼虫が大量に餓死して、個体数が激減してしまった。その結果、ウチワサボテンは息を吹き返し、増加に転じた。
    だがカクトブラスティスは、餌の増加にすぐ反応し、1年後には繁殖力を回復、一気に数を増した。そして起き上がったウチワサボテンにふたたび襲い掛かって、叩きのめしたのである。
    カクトブラスティスの容赦ない攻撃を受けて、大半の地域でウチワサボテンは死滅したが、乾燥地帯北部の高温地域は、カクトブラスティスが苦手とする環境だったため、ウチワサボテンが受けたダメージは小さかった。そこでここには、コチニール野生種・オプンティアエが放たれた。飼育下でチューンアップされたオプンティアエは、生き残ったウチワサボテンを虱潰しに潰して、とどめを刺した。
    夢の天敵は、無敵を誇ったウチワサボテンの95%を死滅させた。かつて人を一切寄せつけなかった群生地は、耕作地や牧場、住居など人の暮らしの場に姿を変えた。1937年、駆除事業の成功を確認したCPPBは役目を終え、解散した。

    しかし、この鮮やかな成功を受けて、カリブ海沿岸で同じやり方が取り入れられた結果、大災害が起こった。周辺の島に自生するウチワサボテン類は、すべて在来種だったにもかかわらず、同じようにカクトブラスティスを放飼してしまったのだ。

    カクトブラスティスは、観賞用サボテンに紛れて輸送されるなどして、プエルトリコやジャマイカ、ドミニカ、米領ヴァージン諸島などカリブ海の島々に運ばれ、定着した。1974年には米国フロリダ州に向き合うキューバに現れた。そして1989年、フロリダ半島南端のフロリダキーズで、自生するセンニンサボテン上に、カクトブラスティスの赤い幼虫が発見された。
    その後、カクトプラスティスは瞬く間にフロリダ州をメキシコ湾沿いに広がり、米国在来のウチワサボテン類を攻撃し始めたのである。フロリダ州のいくつかの地域では、95%のウチワサボテン類が破壊され、フロリダの固有種が絶滅の危機に陥った。ある保護区では、カクトブラスティスがウチワサボテン類をほぼ完全に破壊したため、それに餌や棲み場所を依存していた陸ガメの一種が危機に瀕した。
    米国本土に上陸したカクトブラスティスは、ウチワサボテン群落を次々に破壊しながら生息域を西に拡大し、2008年にミシシッピ州、2009年にはルイジアナ州まで広がった。農務省による拡散防止の努力も及ばず、2017年にはテキサス州南東部に達した。
    米国南西部の乾燥地では、ウチワサボテン類はユニークな生態系を維持する重要な植物である。鳥類や小型哺乳類、爬虫類、昆虫など多様な動物の餌や棲みかとなり、土壌を支えて他の植物を維持し、土地の浸食を防ぐ役目を果たしている。また米国南西部では、ウチワサボテン類がさまざまな用途に利用されている。干ばつ時には家畜の食糧になり、イチジクウチワのように果実を収穫するため栽培される種もある。観賞用の種は、米国南西部の園芸業者の収入源であり、アリゾナ州だけで年1400万ドルもの利益をもたらしている。特にウチワサボテン類が豊富に自生するテキサス州では、1995年にウチワサボテンを「テキサスの植物」に選び、地域を代表する植物として大切にしている。それが壊滅の危機にさらされてしまったのだ。


    4 オオヒキガエル
    ウチワサボテンの壊滅に成功したオーストラリア政府とクイーンズランド州は、続いてサトウキビを食料とするグレイバックを駆除するべく、その天敵であるオオヒキガエルの導入を検討する。

    ウチワサボテン防除事業に携わっていたマンゴメリにヒキガエル導入案について意見を求めたところ、マンゴメリはあっさり否定した。幼虫は地中にいるのでオオヒキガエルには捕食できず、成虫は夜間の活動時間と場所から見て、「捕食できる機会が少ないので、オオヒキガエルでは制御できない」というのがその理由だ。しかも在来のカエルがこれらの昆虫を捕食しているにもかかわらず、ほとんど昆虫に影響を与えていないことを指摘し、「オオヒキガエルを導入する前に、まず在来のカエルの生態を研究すべきであろう」と主張している。マンゴメリは、在来種であるグレイバックの駆除に、伝統的生物的防除の考えは使えないことを、正しく認識していた。

    しかし結果として、保健省は1936年にオオヒキガエル放飼を全面的に解禁し、BSESはその後3年間、オオヒキガエルの養殖を続け、何千匹ものカエルをクイーンズランド州北部のサトウキビ農場に配布した。
    オオヒキガエルはどの場所でも驚くべき勢いで繁殖し、サトウキビ農場はたちまちオオヒキガエルでいっぱいになった。ところがグレイバックはいっこうに減る気配がなく、時に大発生し、サトウキビ農場主や製糖会社の悩みはいっこうに解消されなかった。1940年、BSESは、農場に棲むグレイバックのうち、オオヒキガエルに捕食されるのはごく一部でしかないことを報告書で認めた。皮肉なことに、マンゴメリの最初の判断は、まったく正しかったのだ。
    オオヒキガエルは農場からあふれ出して、森から牧場、人家の周りまで、あらゆるところに棲み着くようになった。そのため犬がオオヒキガエルに噛みついて、中毒死する事件が相次ぐようになった。また巣箱のミツバチを襲い、養蜂業に被害を与えた。
    増殖して増えすぎたオオヒキガエルは群をなして南下を始めた。
    1949年には、ブリスペン市街にオオヒキガエルの大群が到達した。市当局は、北から洪水のように押し寄せてくる大群の駆除を、早くから連邦首相に要請していたが、手遅れだった。群れに飲み込まれた市内はどこもかしこも、ひょこひょこ跳ねる、じっと躍る、そんなカエルたちで溢れかえり、道路は至るところ、踏みつぶされたカエルの死体が張り付いていた。
    生息範囲は年々拡大を続け、1970年代末には生息域南側の前線がニューサウスウェールズ州に達した。そして現在では、北側の前線が西オーストラリア州まで到達し、オーストラリア北西部の100万平方㎞以上の地域に定着している。

    クイーンズランド州へのオオヒキガエル導入がサトウキビの害虫防除に与えた効果について、現在では詳細な解析がなされている。結論は、オオヒキガエルの導入は砂糖生産量の増加に、ほとんど寄与しなかったというものだ。オオヒキガエルは一部のサトウキビ害虫を捕食して減らしたものの、害虫を捕食するアリ類を食べたり、害虫の有力な捕食者であるオオトカゲ類を中毒死させたりして、害虫を増やしてしまい、結果として効果が相殺されてしまったのである。

    オオヒキガエル導入は目的が果たせなかっただけでなく、それをしなければ起きなかったはずの問題も引き起こしている。
    特に問題なのは、オオヒキガエルの侵入によって生態系が崩れつつあることだ。たとえば西オーストラリア州でおこなわれた調査では、オオヒキガエルの侵入後5年間で、それを捕食したことによる中毒死のため、2種のオオトカゲ類の個体数が約半分まで減った。一方、オオトカゲ類の餌となるクリムゾンフィンチの繁殖成功率は1.6倍に増加した。オオヒキガエルが、生態系の最上位の捕食者を減らした効果が、その餌である下位の捕食者に波及しているのである。この影響はさらにその餌や別の捕食者に波及するので、そこで強い競争が働いたり、捕食圧が高まったりするなど、生態系はいっそう不安定化する。
    オオヒキガエルを捕食する在来種のうち一部の種は、中毒を避ける性質を獲得した。たとえばオオヒキガエルと共存して世代を経たヘビの一種は、オオヒキガエルを餌として避けるようになり、また頭が小さくなって、誤食の危険性も低くなった。一方、オオヒキガエルも侵入後、新しい環境で急速に進化が起きている。たとえば幼生が共食いする習性が強まったほか、運動能力が向上して、長距離移動に有利な性質を獲得した。その結果、ますます侵入速度が上がっているという。

    かくして、もともと有害生物を駆除するためにオーストラリアに持ち込まれたはずのオオヒキガエルは、自らが有害生物となって駆除対象となった。


    5 自然のバランス
    ハワードは、生態学上の非常に重要な概念である「密度依存」――単位面積あたりの個体数(個体密度)が増加すると、死亡率も上昇すること―——の概念を導いた。たとえば個体密度が高いほど、それを餌とする捕食者や寄生者が増えるため死亡率は上昇する。また個体密度が高いほど競争も高まるので、やはり死亡率は上がる。したがって自然界では、個体数が増えすぎると、逆に個体数を減らす方向にフィードバック機構が働く、と考えたのである。
    ハワードはこの生物学的なプロセスによる密度依存の死亡を、天敵が害虫の個体数を調節する「自然のバランス」と見なした。そして個体密度とは無関係に起こる、気温、干ばつなど物理的要因による死亡と区別した。これは生物的防除に理論的な基盤を与える重要な着想であった。

    スミスはハワードの密度依存の考えを取り入れ、密度依存の死亡が個体数の増加を抑える効果を「環境抵抗」と呼んだ。ある生物種の潜在的な繁殖能力が通常、ほぼ一定であると考えると、その種の個体数の変動は、食料供給、病気、寄生、捕食などで生じる「環境抵抗」の変動に大きく左右される。
    スミスの想定は次のようなものだ――自然界では面積あたりの集団の個体数が増えると、競争により餌が不足したり、捕食者や寄生者など天敵が増加したりして死亡率が上昇し、個体数が減る。密度非依存の死亡が無視できるとき、最終的に集団の個体数は、繁殖による増加率(寿命による死亡を差し引いた増加率)と天敵や競争の効果による減少率がほぼ等しい「平衡状態」になる。自然界ではこの増減のバランスにより、草食昆虫の個体数はごく少ないレベルに抑えられているだろう。
    これに対して、単一作物の農場のように、餌が豊富にあり、捕食者や寄生者という天敵がいない場合は、密度依存的な調節が働かず、集団個体は爆発的に増える――これが農場で昆虫が害虫化する理由というわけである。生物的防除が目指すのは、自然界で達成される平衡状態のように、草食昆虫の個体数が持続的に抑制されている状態ということになる。

    しかし現在では、この「自然のバランス」を科学の文脈で用いることはほとんどない。理由の1つは、自然の群集とはダイナミックで、絶えず攪乱にさらされ、混沌としたものだ、という認識が広がったためである。もうひとつの理由は、その定義の曖昧さゆえに、密度依存の調節のような集団レベルのバランスが、エネルギー循環や湿地の保水機能のような生態系レベルのバランスと混同され、誤解を招くからである。これらは異なる現象であり、プロセスも違う。こうした異なるレベルで共通に働く「自然のバランス」は存在しない。また、地球のあらゆる生物を互いに緊密に結びつけ、つねに均衡を維持するような自己調節機構、という意味での「自然のバランス」も、存在していないのである。

    生物の個体数を制御する仕組みは、競争、捕食、寄生による個体数の制限だけではない。自然界ではそれが働く場合と、働かない場合がある。これらの制御が部分的には働くのに、全体としては働かないことがあるし、その逆もある。個体の移住が頻繁な場合には、局所集団が不安定で絶滅しても、すぐ局所集団が再生するため、集団全体(メタ集団)は絶滅せずに維持されている場合もある。
    多くの生物集団の状態やそれが示す変動には、生物間の相互作用に加え、気温や降雨などさまざまな
    環境要因や偶然の要素が複合的に作用しているというのが、現段階の理解であろう。

    したがって、害虫の被害を防ぐ手法として伝統的生物的防除が効果的な場合がある一方で、それだけでは害虫を抑えられない場合もあると考えなければならない。


    6 「夢の天敵」という幻想
    『沈黙の春』以来、化学的防除に対する批判の高まりから、世界的に生物的防除が盛んになった。
    ただし、外来天敵による害虫防除の成功率自体は、必ずしも向上しなかった。たとえば1990年以降に導入された天敵昆虫の場合でさえ、定着に成功したものは約半分であり、有害生物の駆除にまで至ったのは10%に過ぎない。導入した天敵が定着した場合の8割は、有害生物を減らせなかった。それでも1960年代以降の伝統的生物防除は、「環境への配慮」や「自然に優しい」をスローガンとして掲げるようになり、社会も地球環境を害する化学農薬に代わる安全な手法として歓迎した。
    その後、外来天敵が生態系に与えた破壊的影響の事例が広く認識されるようになると、2000年以降、生物的防除はそれまでの5分の1に急落した。

    現在の伝統的生物防除は、天敵による害虫の制御を回復させたり、取り戻したりしよう、とは考えなくなった。
    自然の働きを取り戻すのではなく、さまざまな環境要因と、それらの変動と、導入した天敵で、害虫を低密度に抑えたり絶滅させたりする関係を、人為的な操作により、新しく創り出すのである。放出された天敵が非標的種を攻撃しないよう注意深くコントロールすれば、生態系を構成する在来種に影響を与えることなく外来種だけ攻撃でき、生物多様性の保全のための手段となりうる。そういう「保全生物学の手法」のひとつとして注目され始めたのだ。

    しかし、想定される非標的種すべてを対象とした試験で、防除に使う天敵の安全性が確認されたとしても、それは野生下での天敵の安全性を確実に保証するものではない。野外に導入された後に、天敵の攻撃対象が試験結果の予測と変わることがあるからだ。
    そもそも多くの生態系では、まだ種構成や遺伝的多様性の全体像が不明で、複雑な種間相互作用の実態も理解できていないのに、非標的種に与える影響を適切に評価し、安全性を予測することができるのか、という問題もある。クリスチャンセンらは、「潜在的ないし間接的な非標的種への影響を評価したり、生態系レベルの変数を評価したりする生物的防除の取り組みは少なく、大半は天敵導入の潜在的な環境影響を評価するための設計が不十分である」と指摘している。
    たとえ短期的な安全性は予測できても、数十年先のリスクを評価するのは容易でない。仮に危険を予測できたとしても、時とともに成功が危険のありかを人々に忘れさせる。生物的防除と化学的防除、いずれの歴史も未来の危険に対処することの難しさを物語っている。

    結局のところ、いかなる状況でも害虫駆除に威力を発揮し、かつ環境にも人体にも一切のリスクのない防除法など、存在していないのである。

    0
    2024年01月24日
  • ダーウィンの呪い

    Posted by ブクログ

     題名に惹かれて、夢中で読んでみた。ダーウィンの言葉として「最も強いものが生き残るのではない。最も賢いものが生き残るのでもない。唯一生き残るのは変化できるものである」が有名であるが、「種の起源」にこのようなことは一言も書いてないと言うのは驚きである。
     反対にダーウィンは「進化の普遍法則とは、最も強いものを生き残らせ、最も弱い者を死なせることだ」と言っていると言うのだから驚きだ。
     「適者」という言葉が、出生率と生存率が高いという生物学的意味ではなく、弱い者が排除され強いものが生き残るという日常用語的に解釈されてしまうことからダーウィンの言葉は不正確に伝えられてしまうのだ。
     世界がそのように理解され、人間社会の発展も進化論的に解釈されてしまうのだが…

    一度目を通しておいた方がよろしい本ではあるが、期待したほど…でした。

    0
    2023年12月13日
  • 短歌部,ただいま部員募集中!

    Posted by ブクログ

    たった31文字で沢山の情報を残しておけるとか
    心情とか情景、口に出せない悩みや苦しみも短歌に託して詠んでみようとゆうことで短歌部に入部してみたんですけど・・
    中学生向きの入門書かと思ってましたが
    どちらかとゆうと、今持ってる悩み、劣等感、人と違うことで沈んだり、マイノリティな人に向けて、そんな気持ちに寄り添って、そのままでいいんだよって言ってくれる啓発本のようでした。

    それにしても凄いと思うことは31文字の短歌の解釈がその何十倍かの文字を使ってなされてること。解釈がないとなるほどと思えないイメージ力の低さ、なんとゆうか、で、どうしたのって感じで、あれどうなってるのでしょうね。
    短歌じっーとみつめてても膨らんでこないのに

    熱湯かけると3分で膨れあがるフリーズドライなら簡単に調理できるのに、私はそのお湯を持ってないので味わえない。うーむ、結構難しい

    入部するとタンカをきってみたものの夜ごと離れる月と金星

    0
    2023年05月27日
  • 短歌部,ただいま部員募集中!

    Posted by ブクログ

    文字が少ないから触れやすく思えるんだけど、裏の意味とか考えると、実は難しいと感じる部分が増えてくる。そんな奥深い文学だと思うけど、でも気になるって人への入門編。

    0
    2022年12月02日
  • 進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語

    Posted by ブクログ

    「誰もが知っているダーウィンの名言は、進化論の誤解から生じた!」との著者の記事(講談社HP)に興味を持って本書を手に取ってみた。この名言に関するエピソードにフォーカスした内容ではなかったが、進化学者のエッセイとして面白かった。

    ちなみに、HPの記事の方によれば、「この世に生き残る生物は、激しい変化にいち早く対応できたもの」との言葉はダーウィンの言葉ではなく、彼の考えとも異なっており、これは1960年代に米国の経営学者レオン・メギンソンがダーウィンの考えを独自に解釈して論文中に記した言葉であったとのこと。

    むしろ最近のゲノム科学や理論研究が示した答えによれば、常に変化する環境に速やかに適応できる生物の性質があるとすれば、集団レベルであれば、多様でかつ現在の環境下では生存率の向上にあまり貢献していない“今は役に立たない”遺伝的変異を多くもつことであり、個体レベルなら、ゲノム中に同じ遺伝子が重複してできた重複遺伝子を数多く含むこと、複雑で余剰の多い遺伝子制御ネットワークをもつことであるとのことだった。

    0
    2022年02月26日
  • 進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語

    Posted by ブクログ

    【中身より語りがいい】
    進化についてはほとんど頭に入ってきませんでした(笑)
    が、例えがうまく表現がおもしろく、熱量が伝わりました。

    人に伝える文章という意味で勉強になりました。

    0
    2020年05月06日
  • 歌うカタツムリ 進化とらせんの物語

    Posted by ブクログ

    ちっぽけなカタツムリの殻の色や形にも人間の解けない謎がある。それを探求する人間たちとハワイや日本、カリブ海、ヨーロッパ、いろいろな場所でさざめくカタツムリたちの進化の歌声が作り出す、カタツムリの殻のような理論の進歩。その歌声がかんたんに消えてしまうものであることも一つのテーマであろう。

    0
    2019年05月07日
  • 今日の放課後、短歌部へ!

    Posted by ブクログ

    前作に続いて、ちばさと先生の「青春短歌エッセイ」。勤務先が中学校から高校に変わっている。読んでいて、中学生と高校生の「大人度」の違いに気づかされた。

    0
    2018年12月13日
  • 歌うカタツムリ 進化とらせんの物語

    Posted by ブクログ

    麻雀は進化のようなもの。カタツムリはどんな麻雀を勝ち抜いてきたのだろうか。上がり手をもとに、経過を想像する人たちの論争。
    --------
    進化というのは麻雀のようなものだ、という表記があった(正確には方向が違っていて、麻雀が進化のようなもの、ということ)。

    局の開始時には、さまざまな可能性があるが、局が進み、選択の連続で、その可能性は狭まってくる。さらに進むと、対戦相手に振り込んだり、というリスクも出てくる。伸るか反るか、そんな選択をしなければいけないし、偶然ひいた牌によって大きく変わることもある。

    カタツムリも、貝のくせして陸上に登る、という選択をした。殻がついてくる人生のなか、彼らはその殻をいろいろ変化させていった。

    だが、その変化(進化)は、遺伝的浮動によってランダムに起こるという人もいれば、自然選択によって起こるという人もいる。本書は、カタツムリの進化に没入した複数の研究者たちの格闘の物語である。

    岩波科学ライブラリーの生き物シリーズは、突き抜けた著者が出てくることが多い。本書にも期待したのだが、前述のように複数の研究者たちの足取りをたどるので、誰か一人突き抜けた、という印象にはなりがたい。それでも、その中で印象深かったのがエドワード・モースだ。彼が貝の研究者ということは知っていたが、日本にはその研究対象がたくさんあるから、という割とベタな理由で来日していたのだ。

    同種とされるカタツムリでも、右巻きと左巻きとでは交尾が出来ないのだそうだ。恋矢というスゴイ名前のアレをお互いの身体に出し入れするのだけど、右巻きと左巻きではどうにも体位があわないらしい。なんだかなあ。

    カタツムリの話題は『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』にあったなあ。でも鳥に襲われること自体は進化のきっかけにはなっていないらしい。

    進化は山登りにも例えられている。麻雀も登山も少ししかしなかった僕は進化しない、わけではないだろうけど、ちょっとブルーになった。なるのがおかしいんだけど。けっこう読むのに時間がかかってしまった

    0
    2022年06月01日
  • 歌うカタツムリ 進化とらせんの物語

    000

    そこが知りたい

    岩波さんはプラウザが気に入らなくて、筒井さんのただの教授も読めないし、
    本作品も読めないし、井伏鱒二翻訳のドリトル先生も読めないしで、プラウザを嫌う理由を何処かで説明して欲しいのですが、
    作品の内容に関係なく、プラウザを嫌がる理由が知りたい。

    0
    2025年04月15日