伊藤之雄のレビュー一覧
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①原敬の特徴として、幅広い知見、経験を挙げることができる。
若い時にフランス、中国、朝鮮に駐在した豊かな海外経験、新聞社(含む経営)での勤務、古河鉱業への経営としての参画。今の政治家と比べても、特筆できる多面的なキャリアを持つ。
特に民間企業での経験が活かされていることは、政治家になってからも公利の中にあっての民活を意識していたことからも分かるし、政策に実効性が伴っていたのだと思う。
また、新聞社での勤務経験は、大正デモクラシーの中で政治家としても武器として使えたのであろう。(大隈重信の人気も早稲田閥を中心とした新聞社の力が大きかった)
②日本の近代化にあって、実力社会が活きていた。
藩閥政治の中でも、非藩閥の原敬が首相にまでなれたのは、同じように実力でその地位を築いた陸奥宗光の背中を見てきたからだろう。原敬が陸奥を尊敬していたことの理由がよく分かる。なお、陸奥が外務大臣の時に原敬と組んで外交官になるための試験制度を作り、実力主義を徹底させたことは有名な話。当時、弱小な日本が外交面で秀でていた理由はここに原点がある。
③原敬(内閣)の外交政策はアメリカ重視。
第一次世界大戦後、アメリカと日本の台頭が顕著となり、お互いに対立してくる。
そのような環境の変化の中で、原はアメリカとの関係を第一にしていた。
歴史にIFが許されるのであれば、原敬が暗殺されなければ、太平洋戦争も避けられたかもしれない。
また、日中親善を考えていた。
端的に言うと、世の中の大きな潮流を自らが確りと理解していた、ということ。
(なお、原敬は政治活動の狭間で約6カ月の外遊を行っており、特にアメリカに注目し長く滞在した模様)
最後に原内閣の特徴として、政党内閣が軍と宮中の統制を果たしていた、ということを挙げたい。
言い換えると、彼の暗殺により、政党内閣のその可能性が失われ、暗黒の昭和時代に入ってしまう。
以下抜粋~
原は、立憲政治家としては一番格好のついた人のようにみえますね。
外の人に比べてみれば、政治ということを除いて人生の意義に徹していた。言葉を換えて言えば、人生に対する一つの哲学を持っている。そこに徹底していた。
政治は人生のすべてではないのだ。
人生の中の一部のもので、かなり人間が興味を持つものである。
だから人生によく徹底した眼で見て政治をやっているのだから、原敬の身体自身が政治ではない。だからあの人の政治はゆとりがある。人生に対する一つの哲学を持っている。それで政治をやっている。
それで見方に依っては垢抜けをしている。 -
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日本で初めて本格的な政党内閣を組織し、「平民宰相」と呼ばれた原敬の「泥臭い利益誘導政治家」というイメージを払拭し、実証的にその実像を描こうとしている。
著者には、既に『原敬―外交と政治の理想』という大部の評伝があるが、本書はそれを簡潔にまとめるというだけではなく、新たな視点も含めて論じられている。
それは第一に、原が、木戸孝允・大久保利通・岩倉具視・伊藤博文・明治天皇らが協力して達成した明治維新と近代国家形成を受け継ぎ、「イギリス風の立憲国家をつくる」という、その究極の目的を実現すべく尽力したという点である。
第二に、原が第一次世界大戦中から大戦終了後に形成される、アメリカの台頭による新しい国際秩序をほぼ正しく予測し、それに適応する構想を展開させ、原内閣で本格的に実施し始めるという点である。
第三に、原が「公利」という現代の公共性につながる考えを、青年期に学んだことを踏まえ、原が障害にわたって国家と国民のあるべき関係をどうとらえていたか、という原の思想を系統的に考えるという点である。
第四に、原の成長過程で、原の思想や行動に大きな影響を及ぼした母リツ、中江兆民、陸奥宗光、伊藤博文といった人との関わりと、その特色を、さらに明確に示すという点である。
ところどころ原に対する好意的に過ぎると思えるような解釈も散見されたが、原が公共性に対する意識を強く持った、現実に立脚した長期的ビジョンをもった政治家であるということはよく理解できた。特に、普選運動に安易に同調せず、漸進的な改革を目指したところに、原のリアリズムを感じた。 -
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本書を読むと、1900年代前半の日本は財政問題を含めて綱渡りのような実に危ない橋を渡っていたことを痛感する。その打開策として大隈重信は「イギリス流の政権交代可能な二大政党制を日本に導入すること」を目指したのだろう。
薩長閥ではない大隈重信は、その為に相当な無理を重ねていることが本書で詳細に紹介される。人間的迫力、胆力、政治技術、精神力。皆相当なものだが、私たちは「政党政治」がこの後に死に絶えて昭和の大破綻に進んだことを知っている。結果をみると大隈重信は失敗した政治家なのだろうとも思った。
いまだに日中関係に影を落とす「対華21ヶ条の要求」の詳細も興味深い。「加藤高明」が戦犯か。後継者と引き立てた大隈重信の責任は免れない。
当時の多くの政党の混乱をみると現在の立憲民主党を巡る風景と変わらないとも思った。本書を読むと、イギリス風の二大政党制の確立は日本の土壌では難しいのではないかと考えてしまった。
過去の日本の研究の深化は、戦前日本を総括する時期が来つつあることを感じる。本書を高く評価したい。 -
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本書は、明治の政治史を専門家以外にも読みやすく書くという難事に成功した本だと思った。
何が争点だったのか今ひとつ理解できなかった「明治14年の政変」についても、まるで政治ドラマを見るようにワクワクドキドキしながら読んだ。
面白いと思いながら読み進めると自然に当時の政治状況が把握できるようになる。
いやいや「大隈重信」とは政治が「志し」と「権力獲得」の二つを併せ持つという本質をよく理解している「大政治家」ではないか。
下巻では、現在の日中関係にいまだに棘のように刺さっている悪名高き「対華21ヶ条の要求」が当然出て来るだろう。読むのが楽しみである。 -
Posted by ブクログ
本書は実に興味深い本である。
明治において我が国は、西欧の科学技術のみならず政治システムを大胆に導入した。異文化の土壌に「立憲体制」を移植し機能させるために我が国の支配エリートが作り上げたものが「インフォーマルな元老」であったというのが本書の考察である。
しかし、日本の歴史は「立憲体制」を補完する「元老政治」が明治大正には機能したものの、昭和には破綻し「軍部独裁体制」に変質してしまったことをも教えている。
「元老政治」が最終的な目標としたものが本書で主張するように「政権交代可能な二大政党政治」であり、日本の昭和戦前期までの経過がそれが失敗した歴史であるとするならば、2012年の民主党政権の崩壊はもっと長い文脈でみる必要があるとも思えてくる。
すなわち、日本においては明治期に導入された「立憲体制」は未だに咀嚼されていないのではないのかという疑問である。
本書は読者にそのような想像の翼を広げさせてくれる良書であると思えた。 -
Posted by ブクログ
膨大な犠牲者を出した泥沼の戦争・・・
そして焼け野原からの復興と繁栄・・・
日本の歴史上、昭和の激動っぷりはハンパない・・・
ハンパない激動期の日本を現人神として、そして象徴天皇として歩まれた昭和天皇・・・
その昭和天皇の伝記、評伝・・・
昭和天皇には歴代「最高の天皇」という評価がある一方で、戦争責任を逃れた「率直ならざる人物」であるという評価もある・・・
いったい、どうなの?
2001年にピューリッツァー賞を受賞したハーバード・ビックスら昭和天皇を批判する側の意見としては・・・
天皇は戦前において立憲君主じゃなくて、絶大な政治権力を持った君主として戦争責任があったのに、側近と共謀してそれを隠した「率直ならざる人物」だ、と論じる・・・
政治関与ができて影響を及ぼせたなら、戦争を防げなかったことに対して、あるいは早く戦争を終結させず犠牲を増加させたことについて、責任がある、というもの・・・
ふむ・・・
確かに・・・
そういえば・・・
明治憲法で天皇は神聖にして侵すべからず、というのがありましたね・・・
そうそう、現人神でしょ?
みんな天皇の言うこと思うことには従ったんだよね?
っつーことは何だって好き勝手にできたわけだよね?
そうだとしたら、確かに責任あったよね?
と、思っちゃうところだけど・・・
明治以降の天皇制について詳しい著者によるこの本を読むと・・・
実はそんなことはなかったということが分かる・・・
戦前において、現人神と、神聖にして侵すべからずと、されていた昭和天皇・・・
絶大な政治権力を持ち、何の制約もなく自由に様々な意思決定や行動ができた・・・
わけではない!
さっきの神聖にして侵すべからずにしたって、これは天皇が法律上や政治上の責任を問われないというものであって、自由に何でもできますよ、ってものではない・・・
明治天皇以来の日本なりの立憲君主制がしっかり昭和天皇に受け継がれていた・・・
明治憲法で・・・
天皇は帝国議会の協賛によって立法を行う・・・
すべての法律は帝国議会の協賛を経なくてはならない・・・
毎年の予算は帝国議会の協賛を経ることが必要・・・
帝国議会は毎年召集する等、議会が天皇の行為を制約したし、同じように国務大臣も天皇の行為を制約していた・・・
司法に関しても、恣意的に介入する余地はほとんどなかったそう・・・
その上、というか特に天皇の意思決定に制約をかけたのが軍部大臣現役武官制だったみたい・・・
何故かと言うと・・・
天皇は首相や閣僚を辞任させることができる・・・
けど、その後任を埋めることができる保証がなかったので、最重要の陸海軍大臣の後任者が得られないと内閣が成立したり、存続できない・・・
結果、軍関係閣僚を罷免した天皇の政治責任が言外に問われることになり、たちまち窮地に陥ってしまう・・・
昭和天皇には秩父宮や高松宮といった弟もいたし、他の皇族もいた・・・
昭和天皇の権威が失墜し、この天皇は(軍部や右翼など)自分たちにとって不都合である、ということになれば、廃位して都合のイイ他の皇族を天皇に、という恐れがあった・・・
天皇にとって不満な政策であっても、その政策をOKしないために内閣が倒れる恐れがある場合、事実上拒否できなくなってしまう・・・
これですね・・・
これが天皇へ大幅な制約をかけた・・・
これが英米との戦争を何としても避けたかった昭和天皇を非常に苦しめ悩ませたことがわかる・・・
『天皇が人脈形成に失敗して各集団(主に軍部や右翼)からの信頼が弱い場合、天皇の政治権力は限定的となる。それに加え天皇の意向と同様の考えを持って国家をリードする有力政治家もいないと、天皇は、倒閣や明治憲法運用上の慣行を破ることを恐れるあまり、意に反した事態の展開を事実上傍観うすることにもなる。』
若くして即位した昭和天皇は、張作霖爆殺事件の処理や、ロンドン海軍軍縮条約問題、満州事変での朝鮮軍の独断越境への対応を誤り、軍部への威信を確立することができなかった・・・
元老も(高齢の西園寺公望を残して)いなくなり、宮中側近として頼れたのは経験値が不足気味の牧野伸顕や木戸幸一くらい・・・
結果、満州事変から太平洋戦争開戦まで意に反していながら軍部の強硬姿勢を止められず、ズルズルと行ってしまった・・・
こういう背景があったことを批判派は語っていない、というか見逃している・・・
ボクもこういう事情があったとは、そんなに知らなかったです・・・
今回この本で学べました・・・
著者も言っておりますけど・・・
『歴史の中で生きる人々は、その時代その時代の課題を抱えている。現代に生きる私たちが歴史から学ぶことができるとすれば、過去の人々がその時代の課題とどのように取り組んできたのかということを、その時代の制約に配慮しながら考えることを通してである。』
この観点がホントに大事ですね・・・
昭和天皇の生涯について・・・
なぜ日本が無謀な戦争に突入していったのか・・・
昭和天皇は望んでいなかったと言われていたのに何故その流れを止められなかったのか・・・
非常に面白かったし、ボクには新鮮でした・・・
参考文献も豊富で、ちゃんと結構な一次資料に寄っているようなので信頼性が高いかなぁと思うし・・・
これはオススメ・・・ -
Posted by ブクログ
歴代天皇の中でも最長在位、最高齢を誇る昭和天皇。物心ついた
頃から私にとっては「優しそうなおじいちゃま」だった昭和天皇
なのだが、崩御後に出版された様々な昭和天皇関連書籍を読む
うちに「この人を知らなければ自分が生まれ、育った時代を
理解することが出来ないのではないか」と思った。
多くの関連書籍があり、そのうちのいくつかは読んでいるのだ
が、宮内庁が編纂した『昭和天皇実録』が今月から一般刊行
されるのを前に「おさらい」として本書を読んだ。
本書は可もなく不可もなく…というところだろうか。公開されて
いる資料、既刊の出版物等、多くの資料を読み込んで書かれている
ので巻末の参考文献を見ると既に読んでいるものも少なくなかった。
ただ、89年の生涯を追うには少々駆け足だったかなと感じる。
読みようによっては既刊刊行物からの切り張りと取れないこと
もない。
大正天皇の崩御により若くして即位した昭和天皇が多くの迷い
や悩みを抱えながらもイギリス流の立憲君主であろうと務めた
姿は、やはり持って生まれた生真面目さの所以なのだろう。
その生真面目さは2.26事件の際には激情となって発露された
のではないか。一部の青年将校たちの暴走により重臣たちが
襲われた事件に対しての怒りの激しさは、当の青年将校たち
も考えてもみなかったことだろう。
崩御の約5か月前の8月15日。既に病の為に皇太子であった
今上天皇が名代として公務を務めていた。だが、この日だけ
は静養先の那須御用邸からヘリで東京に戻り、式典会場に
臨席された昭和天皇の姿に先の大戦で犠牲になった人々へ
の祈りへの執念を見た記憶が残っている。
何で読んだか忘れたのだが、内容だけは覚えている昭和天皇の
エピソードがある。病の床に就いた昭和天皇が見舞いに訪れた
香淳皇后の手を握り「良宮(ながみや。香淳皇后のお名前は
良子と書いて「ながこ」様)、元気でね」と語りかけという。
周囲が決めたご結婚だったが、晩年まで仲の良いご夫妻だった
という。早い時期から高齢者特有の症状を呈していらした香淳
皇后を残して行くご心配もあったのだろうなと思う。
どこに軸足を置いて描くかでまるっきり人物像が異なる昭和
天皇。本書はなるべく俯瞰して描こうとしているようだが、
注釈を読んでいるとどうもアメリカ寄りの視点のような気が
してならない。