松本創のレビュー一覧
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ネタバレタイトルの通り、福知山線の脱線事故後のルポルタージュです。特筆する点は、一つに遺族の一人、淺野弥三一氏の側からの視点で書かれていること、その淺野氏がJR西日本に対する責任追及よりも、JR西日本と一緒に今回の事故を検証して再発防止に繋げていけないかを模索した点です。紆余曲折ありながらも、最終的には、JR西日本、遺族側、第三者機関が同じテーブルについて、話し合いが行われることになりました。可能な限り冷静に客観的なデータに基づいて議論していく姿勢に感銘を受けました。また同時に「遺族の責務」という言葉が重くのしかかってきました。
リスクアセスメントの考え方によれば、ヒューマンエラー、今回の件で言えば、運転士のスピード超過がカーブを曲がり切れず脱線に至ったわけですが、それは「原因」ではなく「結果」とします。もっと大きな視点に立って組織風土や環境要因など様々なファクターが複雑に絡み合って、今回の「結果」が生じたのだと。日本は昔から個人にその責を負わせる風潮があるようです。もちろんヒューマンエラーが主要因かもしれませんが、現代社会では事件・事故が大きくなればなるほど、その原因は複雑化します。個人に「原因」を集中させることは、ともすれば、複雑化した原因解明を遠ざけてしまう可能性があります。
淺野氏は事故で妻と妹を同時に亡くしました。遺族としての辛い気持ちや葛藤も抱えながら、一方で氏のエンジニアとしてのプライドをもって事故の本質を詳らかにしようと、何度もJR西日本と交渉を重ねます。その姿勢はJR西日本を糾弾するのではなく、問題をオープンにして、一緒に考えていこうという非常に成熟した発想に思えました。
3者で開催された「課題検討会」のオブザーバーであった柳田邦男氏がその報告書に寄せた一文があります。
「私はこの社会に人間性の豊かさを取り戻すには、被害者(1人称の立場)や社会的弱者(同)とその家族(2人称の立場)
に寄り添う視点が必要だと感じる。『これが自分の親、連れ合い、子どもであったら」と考える姿勢である。もちろん、専門家や組織の立場(3人称の立場)に求められる客観性、社会性の視点は失ってはならない。そういう客観的な視点を維持しつつも、被害者・加害者に寄り添う対応を探るのを、私は『2.5人称の視点』と名づけている。課題検討会におけるJR西日本の遺族たちに対する応答の仕方に、私は『2.5人称の視点』に近づこうとしている姿勢を感じた」
柳田邦男氏の『犠牲(サクリファイス)ーわが息子・脳死の11日(文春文庫)』の中では1人称、2人称、3人称の死について述べられていました。相反する発想や価値観、立場を自らのうちに留めて、決して安易な結論に流されないよう、その葛藤に身を置く姿勢と解釈しています。それが、本質に近づける手段のように思えます。
著者は元神戸新聞の記者で、現在はフリーランスです。文書構成もさることながら、非常に読みやすく、その文章力についつい引き込まれていった部分も否定できません。秀逸なルポルタージュには間違いありませんが、史実を元にしたドラマのような感動も覚えました。 -
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★鉄道の安全担保、儲からない先に★冒頭では、事故の前から知っていた遺族のいわば一員として事故に向き合い、徐々にJR西日本の経営へと視点を変える。井出元社長にも取材し、事故後の社長選任を巡る思惑も読ませる。取材の幅が広いのに感嘆した。この本は大阪に暮らす前に読んでおくべきだった。
後書きを読んではっきりしたが、著者は遺族の遺族の一人である浅野氏のスタンスに立っているとはっきり記したのはフェアと言える。鉄道の安全担保としてヒトではなく仕組みを重視すべきという浅野氏の主張に沿い、彼の活動がJR西日本を変えていったとする流れに違和感はない。JR西のこの事故への現在の対応の背景がよく分かった。
2005年の福知山線の事故に限らず、稼げない鉄道でどう安全を維持するのか、JRに通底する課題だろう。JR北海道の2011〜13年の事故とデータ改竄、2024年のJR九州の高速船の浸水隠しも根は同じだ。
ただひとつ気になったのは、遺族の浅野氏と山崎元社長を「技術屋」でくくり、井出氏らJR官僚との違いを描いている点だ。都市計画コンサルタントである浅野氏はまちづくりのルールと技法を生かす点では技術に基づくが、強みは「やられる側」に立つ交渉力だろう。ファクトに基づく冷静な議論、という側面を技術者に期待するのだろうが、文系ライターの安易なカテゴライズに感じた。
それにしても神戸新聞OBから西岡研介に続きJR問題を掘り起こすライターが出ているのが興味深い。筆者は事故発生時から取材していたのかと思ったら、当時は内勤の記者だったとは。 -
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この本を読むと、絶対行きたくなくなるか、興味を持って行きたくなるか、どちらかだろう。
私は前者。
確かにここ5〜10年の間に、世界は大きく動いてしまった。
万博誘致を考える段階では、まだ経済成長に夢を託す気持ちも分からないでもないが、それでも上に立つものは未来を見据えて、行動して欲しいと思ってしまう。
地盤の脆弱な夢洲に決まってしまったこと、広告代理店やアンバサダーの撤退など、散々な内容ではあるが、そもそもなんのために万博を誘致するか、というところが一番頭の痛くなる話だった。
もしかすると為政者や権力者は、自分の夢や、利益や、力の誇示のために行動している人が、結構な数でいるのかもしれない。
哀しいかな、昨今の世界情勢を見ても、その考えは強くなる。 -
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いよいよ今年の春に大阪・関西万博の開催が開催される。
このレビューを書いてる段階でもう残り2ヶ月なのだが、未だに連日問題が浮上する。
最近も入場券の売れ行きの悪さから「並ばない万博」という理想を降ろさざるを得ない当日券の導入や、テーマ事業プロデューサーとして名を連ねている著名人が「万博はコスパ悪い」発言をしたり、と言った問題が出てきている。
本当にこのままいって大丈夫か? と思い続けたままもう後戻りできないところまで来てしまった。
本書は大阪・関西万博がなぜ失敗したのか(まだ開催されてもいない万博を失敗というのは反発も大きいだろうし、実際そこを批判されているが)を5人の論者が5つの視点から語っていく。
正直、本書で記される問題の殆どが、回避できそうな問題を無理に通したがために失敗に向かっていってるように思える。その様と、本書のタイトルにも題されている「失敗の本質」というタイトルからも、かつてのインパール作戦を思い起こしてしまう。
もうここまできたら更なる大きな問題が出ないことを祈るばかりである。 -
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第1章 維新「政官一体」体制が覆い隠すリスク―万博と政治 木下功
第2章 都市の孤島「夢洲」という悪夢の選択―万博と建築 森山高至
第3章 「電通・吉本」依存が招いた混乱と迷走―万博とメディア 西岡研介
第4章 検証「経済効果3兆円」の実態と問題点―万博と経済 吉弘憲介
第5章 大阪の「成功体験」と「失敗の記憶」―万博と都市 松本創
上記の通り5人の識者が、チケット販売が予定通り進まない大阪万博の失敗の原因を語っている。
いろいろ書いてあるが、、
・東京五輪汚職で広告代理店の腰が引けたこと
・自民と維新の確執で、自民べったりの電通が動かないこと
(もともと維新は自由民主党の若手グループが反旗を翻して作った)
・五輪招致に失敗して夢洲を使いたかったが、そこに無理があったこと
(2025万博を提唱していた堺屋太一氏は1970と同じ場所での開催をと言っていた)
・そもそも総花的な万博の意義、役割はおわったということ
てなところだろうか。
日本酒飲み仲間は自営業の合間を縫って万博に行くという。まあ話のネタにはなろう。
私は行きたいと思わないなあ。ラン旅優先だからだけど。 -
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ネタバレJR西日本の福知山線脱線事故。
平成17(2005)年4月25日のこの事故を知らない人も多いだろう。
けれど私は今でも覚えている。
テレビで見た、マンションに激突して大破した列車を。
どうやったら線路を走る電車がマンションに激突できるのか、どうしても理解できなかった。
これは、妻と妹をこの事故で亡くし娘も重症を負った、淺野弥三一(やさかず)氏の、被害者感情をひとまず横に置いて、事故の原因を究明し、再発防止策をJR西日本と考えていくまでの闘いの記録である。
もともと淺野氏は都市開発・都市計画を生業としていたのだけれど、その時に軸足は計画をする側ではなく生活する人の側に置くことを決めていたのだという。
だから雲仙普賢岳の噴火の際や阪神淡路大震災など多くの災害復興にもかかわってきた。
そんな淺野氏が、今度は当事者として、JR西日本に事故原因を究明し、再発防止を促すのは遺族の責務だと思った。
なんと強い人なのか。
JR西日本はあくまで運転士個人のミスであるとの見解を崩さなかった。
それこそ何年も。
しかし、人的ミスは結果でありそのミスを引き起こしてしまった原因こそが問題なのだということを、遺族たちのネットワークグループの要求だけではなく、各国の事故検証なども踏まえたうえで対応を変えていく。
聞く耳を持とうとしていく。
分割民営からのJR西日本は、利益追求、効率重視路線のうえ、会社に君臨するひとりの存在があり、ある意味独裁状態だった社は、ものをいうことのできない風通しの悪い職場だった。
井手正敬という発足時の副社長(事故当時は会長)、ゆるぎない権力者が頑なにヒューマンエラーを口にすれば、それが遺族の心を逆なでしようとも、社を挙げてその路線に進むしかなかった。
そんな中、多分尻拭いさせるつもりで、JR西としては初めての技術者出身の社長が現れる。
山崎正夫は遺族と直接話をすることで、会社の膿を出し、エラー防止のシステムを構築する方に舵を切る。
人事も経営も知らない、右腕もいない山崎は、結局途中で社長の座を追われるような失態を犯してしまうが、彼の残した方針を基に、少しずつ会社と遺族が対話をしていく様は胸が熱くなる。
組織は違えど私自身、個人で話すといい人なのに組織を守るためには冷酷な振る舞いをする人たちを身近に何人も見ている。
だからこの山崎氏の行動や、そのあとに続いた人たちはすばらしいと思う。
結果、ある程度の安全対策は行われたのだけれど。
安全ではない列車に乗りたい人なんていないのだから、経営する立場としても安全は重要だ。
が、当たり前になってしまった安全には、注意を払われないことが往々にしてある。
社員一人一人の維持していく努力なしに安全はない、ということが忘れられてしまいがちだ。
最後に書かれた新幹線の異音・異臭事件がそれを物語る。
1951年の列車火災事故。ドアが開かず乗客が脱出できなかったため100人以上の死者を出す。→非常ドアコックの設置が義務化
1962年、脱線多重衝突事故により死者160人、負傷者296人を出す大惨事→ATS(自動列車停止装置)の設置
2001年ホームから転落した人を救助しようと2人が飛びありたところに電車が侵入し、3人死亡→ホームドアの設置
当たり前のように設置されている安全のための設備も、こうした事故がきっかけになっている。
起こしてはいけない事故ではあるが、起きてしまったらそれを二度と起こさないようにするのが起こした側の義務だ。
それは、個人に責任を転嫁して厳罰を与える、ということでは決してない。
そんなことをしても事故はなくならないということを訴え続けた淺野氏をはじめとする人々の胸の内を思うと、頭が下がる。 -
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地方の新聞社・テレビ局によって、ここ数年で話題性のあった地方発の報道、ドキュメンタリーの担当者を取り上げたルポルタージュ。東京にいると全国紙やキー局が報道の中心と思い込んでしまいがちだが、地方にこそジャーナリズムの真髄と魂が気を吐いているということが伝わってきた。大手マスコミの地方支社の記者たちが中央に戻るための腰掛けになっていることや、特ダネを掴むためにセンセーショナルな仕掛合戦になっている背景もあり、地方メディアによる地域に目を向け耳を傾ける姿勢、凡事徹底で入念にファクトチェックを重ねることで大手メディアに"逆襲"し得るのだという筆者の想いを感じた。
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「ニュース砂漠」という言葉をきいたことがあります。アメリカの全3143郡のうち、新聞がないか、週刊の新聞が1紙しかない地域が半分を超えたという現象のことです。それはジャーナリズムという草の根の生えないニュースの砂漠地帯。日本はまだまだ地方紙が頑張っているのでしょうが、デジタルメディアの成長で、経営が厳しくなっているのは事実。アメリカと同じ道を歩んでいるかもしれません。そんな中、地方紙、地方局の踏ん張りのアンソロジーがこの新書です。本書にも登場する秋田魁新聞のイージスアショア計画についてのスクープは、新聞協会賞も受賞しましたし、NHKの番組にもなってました。「地方紙は死ねない」とのタイトルでした。「死なない」ではなく「死ねない」というところに地方メディアのギリギリ感を感じてしまいました。だからこそ,この本とかNHKの番組化とかで、ニュースが地産地消だけでなく、全国という市場で価値を持つビジネスモデルが必要になってくるのだと思います。どんなに大義があっても、消えていくのはJRの路線で経験済みです。本書の題名にある「地方メディアの逆襲」の「逆襲」が本当になるのは、グーグルニュースショーケースだよりじゃ、ないはず。