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仕事、結婚、男、子ども……私はすべて手に入れたい。欲張りだと謗られても――。1960年代、出版社で出会った三人の女。ライターの登紀子は、時代を牽引する雑誌で活躍。イラストレーターの妙子は、才能を見出され若くして売れっ子に。そして編集雑務の鈴子は、結婚を機に専業主婦となる。変わりゆく時代の中で、彼女たちが得たもの、失ったもの、そして未来につなぐものとは。渾身の長編小説。(解説・梯久美子)
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Posted by ブクログ
女性なあなたは、次の質問にどのように答えるでしょうか? “仕事、結婚、男、子ども。すべて求めるのは罪ですか” 1980年代には世帯全体の6割以上を占めていたのが昨今3割を切ったという『専業主婦』。1972年にピークを迎えた後、減少の一歩を辿る婚姻件数。そして、1982年以降44年連続で減少し続...続きを読むけている子どもの数。 時代によって求めるものも変化してきていることがわかります。しかし、間違いなく言えるのは『東京オリンピックが開催された年。東海道新幹線が開通した年』でもある『一九六四年』という時代に、上記したすべてを求めることは女性にとって高いハードルであったという事実です。”罪”であるかどうかは別として、いずれかを選び、いずれかを切り捨てて生きてきた当時の女性たち。そんな彼女たちはその先にどんな未来を手にしたのでしょうか? さてここに、『仕事、結婚、子ども』という選択の先にその先の人生を生きていく三人の女性たちの人生を描く物語があります。『一九六四年』に運命の出会いを果たした女性たちのその後を描くこの作品。長い人生には、さまざまなことが起こることを改めて思うこの作品。そして、それは”変わりゆく時代の中で、彼女たちが得たもの、失ったもの”の意味を噛み締める大河小説な物語です。 『今日もまた生きたまま目が覚めたか』と、『瞼を開けた瞬間に昨日の朝と同じことを思』うのは宮野鈴子(みやの すずこ)、七十二歳。『五年前に夫が亡くなり、この1LDKのマンションに引っ越してきた』鈴子は、『あと十年くらい』と『自分の残り時間に見当をつけてい』ます。そんな朝、携帯が突然鳴ります。『あのね、亡くなったのよ朔さん。おとといの夜』、『イラストレーターの早川朔(はやかわ さく)よ。あなた親しかったでしょう』と言う電話の主は『亡くなったら連絡してほしい、というリストにあなたと登紀子(ときこ)さんの名前があったの。だけど、私、登紀子さんの連絡先が分からなくて。あなたから連絡してもらえないかしら…』と続けます。『妙子さんが…』と思う中に『早川朔と本名の藤田妙子というふたつの名前は頭のなかですぐに結ばれた』という鈴子は、妙子のことを思います。『六〇年代、七〇年代、八〇年代、九〇年代と、常に一線にいた人』という妙子は、『若い時分は「彗星のようにデビューした女性イラストレーター」という言葉』と共にあったものの、『月日が過ぎるにつれ、その言葉は「怖い人」「トラブルメーカー」に変わ』り、それは『会社をやめ家庭に閉じこもっていた鈴子の耳にも』届いていました。電話を終えた鈴子は、『市ヶ谷に』暮らす『今七十九歳の登紀子』に電話をかけます。『何年かぶりに』聞く『しゃがれた声』の登紀子に『早川朔が亡くなったこと、今日の午後、数時間ならお顔を見られる』ことを伝える鈴子は、『あのときのお金だってまだ…』と『三年ほど前』に会った時のことを思います。『少し用立てて下さらないかしら…』と切り出した登紀子。『祖母も母も物書き』で『フリーライターの先駆け的存在として、鈴子が勤務していた会社の仕事を多く請け負っていた』登紀子は『あのこれ、ほんの少しですけど』と鈴子が差し出した封筒を『ありがとう。助かるわ』と受け取ると、『すぐさま店を出て行』きました。そんな時のことを振り返る鈴子は『結婚を機に会社をやめた』とき、『専業主婦なんて夫に寄りかかった生活、どこがおもしろいのかしら…』と、登紀子に言われたことを思い出します。一方で、『そもそも今日は、近くに住む娘の満奈実のマンションに行く日だ』と思い出した鈴子は、孫の奈帆のことを思い浮かべます。『おばあちゃんが働いていた会社に入りたい、雑誌や本を作る仕事がしたい』と就職活動を始めた奈帆から言われた鈴子。かつての『潮汐(ちょうせき)出版』、『ログストアとカタカナ』に社名が変わった会社に『一般事務』、『もっと細かく言うなら雑用係』として勤めていた鈴子が、『編集のようなことをしていた』と『勝手に理解して』いる奈帆は、祖母と同じ会社に入ろうと目指したものの『入社は叶』いませんでした。『同じような出版社』を受け続け『実用書や自己啓発書を多く手がける中堅の出版社に就職を決めた』奈帆。しかし、その会社は『業界では有名な』『ブラック企業』と噂されており、早々に『とうとう起きられなくな』り、『鬱』と診断されてしまった奈帆。ある出来事の先、そんな奈帆に『少しくらい休んでもいいじゃない』、『おばあちゃん、明日から奈帆の面倒をみるわ』と深く関わるようになった鈴子。『何、今日、お葬式?』と『喪服姿の鈴子を見て奈帆』に訊かれ、『おばあちゃんの知人なのよ。イラストレーターの早川朔って、奈帆、知ってる?』と答える鈴子。『ログストアの就職試験のとき、その人の名前出てきたよ。ずっと昔、「潮汐ライズ」の表紙を描いていた人でしょう』と返す奈帆に『今朝、電話があって。杉並なんだけど、奈帆、いっしょに行ってくれないかしら』と訊く鈴子。『えっ』と戸惑いを見せたものの『私もそろそろ、外出のリハビリしたいと思ってた』と言う奈帆と共に鈴子は斎場へと向かいます。そして、『まわりを見回しても見知った顔はない』という斎場に着いた鈴子は、『銀髪を顎のあたりのボブに揃えた一人の老女』の姿を目にします。『佐竹さん。宮野です。宮野鈴子です』と登紀子に挨拶する鈴子。式が始まり登紀子から少し離れた場所に腰を下ろした二人。『佐竹登紀子さんよ。有名なフリーライターの』と言う鈴子に『えっ。佐竹登紀子ってまだ生きているの!?』と、『思いもかけず大き』な声を出した奈帆は『おばあちゃんの知り合いなの?』と訊きます。そんな時『棺の中に花を入れてあげてください』と係の人から言われ棺へと向かった鈴子は、『棺を囲んでいるのは三十人にも満たない人たちだ。これが早川朔の最後だろうか』、『あまりにも寂しくはないだろうか』と胸をつかれます。そして、棺は閉じられ、テーブル席へと案内され二人の斜め前に登紀子が座り、『何を話せばいいのか』、『生活保護をもらっている、という噂』のことも思う鈴子。そんな時、『あの、フリーライターになるにはどうしたらいいんでしょうか?』と『思いつめたような顔で登紀子に』話しかける奈帆。『いったいこの孫は何を言い出すのか』と思う鈴子の一方で『これからの時代、フリーライターはやめておいたほうがいいんじゃないかしら…』と『少ししゃがれたような』声で返す登紀子は、『そのとき働ける人が働く。だけど、その代わりはいくらだっている…』と続けます。『あの、そういう、佐竹さんのお話を聞かせていただくわけにはいかないでしょうか。皆さんが働いていた時代のこと、私、知りたいんです』と言う奈帆。そんな奈帆に『ほんとうに興味があるのならいらっしゃい。あなたが話を聞きたいのなら』と語る登紀子。そんな場から一週間後、『鈴子と奈帆』は『市ヶ谷に住む登紀子を訪ね』ます。『ほんとうに来たのね。どうぞ』と迎え入れられた二人。『そうして登紀子の長い話』が語られていく物語が始まりました。 “仕事、結婚、男、子ども…私はすべて手に入れたい。欲張りだと謗られても ー。1960年代、出版社で出会った三人の女。ライターの登紀子は、時代を牽引する雑誌で活躍。イラストレーターの妙子は、才能を見出され若くして売れっ子に。そして編集雑務の鈴子は、結婚を機に専業主婦となる。変わりゆく時代の中で、彼女たちが得たもの、失ったもの、そして未来につなぐものとは”と内容紹介にうたわれるこの作品。第161回直木賞の候補作となったこの作品は兎にも角にも文庫本576ページという圧倒的な物量にまず度肝を抜かれるところから始まります。人によって読書のスタイルは千差万別だと思いますが、私は文庫本600ページまでは一日で読み切ることを基本としています。異常気象が普通になった2025年の暑い暑い夏にあっては下手に外出するよりも室内で大人しく読書するのが吉だとは思います。しかし、それにしてもこの物量の作品を手に取るまでには相当な逡巡がありました。出版社の事情にもよるのだとは思いますが、この分量の作品はせめて上巻・下巻にしていただきたい、そんな恨みつらみを抱きながらも無事一日で読破しました。 そんなこの作品には内容紹介にある通り三人の女性が登場します。またそれぞれの女性たちの物語はそれぞれの女性たちだけでなく両親や子供、孫世代まで描かれているのが特徴です。2019年3月19日に単行本として刊行されたこの作品。上記ダイジェストでご紹介した場面は2018〜2019年頃のことと考えて良いと思います。一方で、物語は、その時代に70代となった三人の女性たちの若き日を鮮やかに描き出していくという大河小説的な作りになっているのが特徴です。まずは、印象に強く残る三つの時代の表現を抜き出してみましょう。まず一つ目です。 『東京オリンピックが開催された年。東海道新幹線が開通した年…今ではもはや老朽化すら叫ばれているものが、高度経済成長とともに続々と建てられた年』。 そんな表現と共に描かれるのが『一九六四年』です。『VANやJUNといったファッションメーカーが売り出し始めた』という時代の中で物語は女性たち三人が運命の出会いを果たす場面が描かれていきます。『オリンピックを控えて、町にいる野良犬は捕獲されている』といったことがさりげなく描写されてもいく物語は世の中が大きく移り変わっていく様を見事に描いていきます。 『一位がド・ゴール大統領、二位が三島さん、三位がホー・チ・ミンかあ』 次に二つ目ですが、これはなんでしょうか?はい、『世界一ダンディな男性を読者投票で決める「ミスター洒落男」という記事』を話題にする編集部の面々という『一九六八年』を描く場面です。 『四位がジョン・レノン。五位は世界初の心臓移植手術に成功したバーナード博士、六位が松下電器産業会長の松下幸之助。七位は中国の最高指導者、毛沢東、八位は参議院選挙にトップ当選した石原慎太郎…』 そんな風に挙げられていく面々を思うだけでそこにその時代が浮かび上がってもきます。『日本だけでなく、世界で学生を中心とした政治運動が高まった年』という『一九六八年』。戦後の歴史の中でもやはり特別な時代なのだと思います。 『今朝、昭和天皇が亡くなり、皇太子が天皇に即位した。午後になって官房長官が記者会見で見せた台紙には、墨文字で「平成」と書かれていた。妙に気の抜けた新元号の響きに、登紀子は何の感慨も抱かなかった』。 最後に三つ目は『一九八九年』です。物語では、『自分なりに元号が変わるという時代の節目に何かをしたくて…』という思いを抱く登紀子の姿も描かれていきます。一方でその背景にある時代は、 『一万円札振りかざしてタクシー停める…もっと猛者になると、一万円札にライターで火をつけて停める編集者もいる』 そんな風に描写されるのは、”バブル景気”に浮かれる世の中です。今の時代からはお伽話とも言える時代の描写ですが、一方でそのような時代を主人公たちは確かに生きてきたことが物語では描かれていきます。私はこのように複数の時代を一冊の中に描いていく大河小説が大好きです。その視点からもこの作品のさまざまな時代描写にはとても魅せられました。 さて、そんなこの作品は内容紹介にある通り、”1960年代、出版社で出会った三人の女”の姿を描いていきます。では、そんな三人をご紹介しておきましょう。 ● 物語の三人の女性たち ・宮野鈴子: 72歳、『潮汐出版』に一般事務として就職 → 結婚を機に退職 ・早川朔(藤田妙子): 76歳、フリーライターとして『潮汐ライズ』に記事を書く ・佐竹登紀子: 79歳、『潮汐ライズ』専属の『イラストレーター』として表紙を描く 年齢は物語冒頭の時点のものです。物語冒頭で早川朔の訃報の連絡を鈴子が受けていますが、物語では、そんな彼女たちのそこまでに至る人生を振り返るかのごとく描かれていきます。そして、その起点となるのが、鈴子の孫・奈帆の存在です。かつて『潮汐出版』で鈴子が働いていたことを知る奈帆は就職試験を受けるも不合格、結果的に就職した『中堅の出版社』は『ブラック企業』として有名であり、彼女は早々に『鬱』と診断され休職を余儀なくされてしまいます。そんな中、祖母と早川朔の葬儀に出席した際に登紀子と運命の出会いを果たした奈帆はこんなお願いをします。 『佐竹さんのお話を聞かせていただくわけにはいかないでしょうか。皆さんが働いていた時代のこと、私、知りたいんです』。 祖母の鈴子も驚くこの申し出を受けた登紀子。物語は、登紀子の家に通い始めた奈帆の姿を描いていきます。そして、物語のど真ん中に描かれていくのが、そんな登紀子が奈帆に語った物語、これがこの作品の大まかな構成です。文庫本576ページという圧倒的な物量の中で物語はそこにさまざまなものを描いていきますが、その中心は次の二つの物語でしょうか。 ・三人の女性たちそれぞれが『一九六四年』に出会うまでの生い立ちを見る物語 ・三人の女性たちそれぞれの『一九六四年』から先の栄枯盛衰を見る人生の物語 上記した通り、三人の女性たちは『一九六四年』に刊行された『潮汐出版』の『潮汐ライズ』という雑誌の創刊で運命の出会いを果たしました。『フリーライター』、『イラストレーター』、そして『一般事務』と立場の違いはありますが、この出会いは三人の女性たちそれぞれのその後の人生に影響を与えていきます。その一方で気になるのは、この雑誌社や雑誌、登場人物たちにはモデルとなるものがあるのではないかということです。解説ではぼかされていますが、巻末の〈参考図書〉やWebで調べたところをまとめるとこのようになるようです。 ● 「トリニティ」がモデルとしたと思われるもの ・『潮汐出版』→ “平凡社” ・男性向け雑誌『潮汐ライズ』→ 「平凡パンチ」 ・女性向け雑誌『ミヨンヌ』→ 「an・an」 ・登紀子 → “三宅菊子さん” ・妙子 → “大橋歩さん” もう少し本物に似た名前でも良かったように思いますが、作品冒頭に”実在の人物や雑誌などから着想を得ましたが、本書はフィクションです”という記載を入れられていることを踏まえると全く異なる命名はそれはそれなのだと思います。ただし、「平凡パンチ」や「an・an」の往事をご存知の方にはこの情報によって一気に物語が奥深さを増すのではないかと思いました。 物語には三者三様の人生を描く中に書名の「トリニティ」=『三重、三組、三つの部分』という意味合いが浮かび上がります。 『あの日、女にとって、父、子、聖霊の三つはなんだろうと思った。男、結婚、仕事。仕事、結婚、子どもだろうか』。 詳細には触れませんが、『専業主婦』という人生を選んだ鈴子など、登紀子、そして妙子のうちの二人は、これらの三つは得られない人生を送ります。三つを手に入れたのは一人のみです。そんな当時の女性たちの生き方に作者の窪美澄さんはこんなことをおっしゃいます。 “女性にとってかけがえのないものは、一つに限らないと思うんです。全部ほしいと思うことが、無意識に抑圧されてきたんだろうなと。それでも女性たちは悩みながら働き続け、切磋琢磨して生きてきたよ、と特に若い人に伝えられれば” 物語は、彼女たちそれぞれの選択を描きつつも、その先にそれぞれ続く山あり谷ありな人生をある意味残酷なまでに鮮やかに描いてもいきます。 『人間、幸せな時期ってそんなに長くは続かないわね』。 そんな言葉を強く実感する物語がこの作品には描かれていきます。三人が出会った『一九六四年』は間違いなく三人にとっての『幸せな時期』であったことに違いはありません。それぞれが、この先にどんな人生を歩むのか、その時点ではなかなか見通すことなどできません。しかし、『幸せな時期』があればその正反対とも言える時代は必ず訪れてしまうのです。 『女だって自由に生きていいのよ』 そんな風に鈴子に語った登紀子。一方の妙子は破竹の勢いで仕事に邁進していきます。60年代〜バブルの時期と言えば、この国では圧倒的に男性社会です。女性が活躍するには他を圧倒するような秀でた能力が求められました。そんな時代を生き抜いていく登紀子と妙子。そこには、女性が活躍していく未来が暗示されてもいきます。 『これからは女の時代だ。女が主体的に生きて活躍する時代だ。世の中は確実にいい方向に向かっている。光の当たっている場所だけを見れば、世の中は光に満ちあふれている』。 そんな二人の一方で『専業主婦』という道を選んだ鈴子。物語を読んでいくと鈴子の影が薄いのは一目瞭然です。 『確かに登紀子や早川朔に比べれば、鈴子の半生は平坦とも言える。ドラマチックなことが起こったわけでもない』。 登紀子に話を聞けば聞くほどそんなことを思う奈帆。しかし、そんな奈帆はその背景にある事実に思い至ります。 『高度経済成長を裏で支えていたのは、鈴子のような生活を支える女たちだ。援護射撃のように男を支え、彼女たちもまた、登紀子や早川朔と同じように、時代と闘っていたはずだ』。 昨今、『専業主婦』という言葉がどんどん過去になっていく状況があります。一方で、あの時代、この国が世界の頂点へと向かって駆け上がっていく背景には、その裏に女性の姿があったことがわかります。そんな物語は、破竹の勢いで世の中を駆けていく登紀子と妙子の姿を鮮やかに描いていきます。その痛快とも言える物語は間違いなく興味深く、作品は後半にいくに従ってどんどん面白さを増していきます。そして、そこに気づくことがあります。それこそが、上記したこの作品の構成です。この作品は、作品冒頭に早川朔(妙子)の死と、共に年老いた登紀子と鈴子の姿を描いていきます。栄枯盛衰の果てに人の定めとして、やがて死へと向かって歩みを進めていくかつての時代の主人公たち。それに対して物語は、そんな彼女たちの人生を直接本人たちから聞き、文章にまとめていく奈帆に焦点を当てていきます。 『奈帆は変わりたかった。ほんの少しでいいから強くなりたかった。ほんの一歩前に進みたかった』。 『ブラック企業』へと就職したばかりに病気休職を余儀なくされた奈帆。しかし、奈帆の人生はまだまだ始まったばかりです。『一九六四年』という時代に出会った三人の女性たちの人生を思う奈帆。文庫本576ページという圧倒的な物量の物語が描く女性たちの生き方を滔々と描くこの作品には、それぞれの女性たちが何を選び、何を選ばなかったのか、そしてその先にどのような人生が待っていたのか、そんな人の生き方を思う物語が描かれていました。 『ライターとして、エッセイストとして書き続けた登紀子と、華やかにデビューし、常に第一線でイラストを描き続けた早川朔、さらにひとりの生活者として家族を支え続けた鈴子にも話を聞くことで、自分が知らなかった時代を生きた女たちの人生が見えてくるはずだ』。 そんな思いの先に、登紀子の住まいへと足繁く通うようになった奈帆。この作品にはそんな奈帆が、登紀子や鈴子から彼女たちが生きてきた人生の物語を聞く先に浮かび上がる人の生き方を見る物語が描かれていました。60年代からバブル期の空気感がリアルなまでに描写されていくこの作品。人の人生の栄枯盛衰を改めて思うこの作品。 窪美澄さんの最高傑作とされるこの作品。滔々と流れる大河のような物語が醸し出す深い読後感が待つ素晴らしい作品でした。
1960年代、一つの雑誌を通して出会った3人の女たち。ライター、イラストレーター、編集雑務。女性が働き続けるということが、今以上に難しく大変だった時代。3人それぞれの選択と、それからの人生。多くの犠牲を払いながら、自分の選んだ道を突き進んでいく。私が生きている「今」は、先人たちが切り拓いてくれた「未...続きを読む来」だ。そしてまた私も精一杯生き、「未来」へと繋いでいこう。そんなことを思わせてくれる小説だった。
ギュンギュンに胸が締め付けられた。 何かを得て何かを失うと言う事がしっかりと伝わった。 人生に強烈な輝きを発する瞬間があって、ことあるごとにそこに立ち返る、良いんだか悪いんだか。 でもそんな思い出があるから乗り越えられる今がある。 もうやっぱり窪美澄さんは大好きです。
いつの時代も隣の芝は青いのかもしれない。 仕事、結婚、子ども、お金、やりがい、幸福度…。どれをどれだけ選んだとしても、その人の人生。周りがとやかく言うことではないけれど、隣の芝を覗いてみては口を出す。そして、自分も自信がないから隣を覗いてしまう。勝手に覗いておいて、「これでいいのかな。」と不安にな...続きを読むることさえある。 子どもを望まなければ、なにか欠陥があるのではないか、と思われてしまうこともある今の世の中だけど、自分が良いと思ったものを信じて、大切にして、育てていきたい。
最初は奈帆の祖母、母、奈帆自身の3世代の話かと思ったがそうではなく、祖母の鈴子、同時代にイラストレーターとして一世を風靡した妙子、作家の登紀子の3人の女性の人生の壮大な物語。奈帆の登紀子へのインタビューからどんどん引き込まれていった。それぞれに仕事、結婚、子ども、親…について様々に悩み、人によっては...続きを読む最期は寂しい終わり方もあったけど、それも含めて誰にでも起こり得る出来事や悩みがあり、時代は違えど共感し、考えさせられた。男性はわからないけど女性なら妙子たち3人の誰かに共感できる部分があるのではないかと思う。
仕事、結婚、男、子ども…いつの時代であっても、女性にとってこの4つをすべて満足ゆくレベルで満たすことは難しい。 改めてそう考えさせられた一冊。 仕事ができるからとて、そこに注力することは本当に幸せなのか。仕事を切り捨て家庭に注力することが本当に満足ゆく生活になるのか。仕事と家庭を両立させることは可...続きを読む能なのか。 いま女性平等が叫ばれている中、女性が仕事を男性並みにできるようになったからとて、昔より幸せが増えたとは考えにくい。昔から状況は何も変わってないから。 いつになってら私たち女性は、全てを満足に熟るようにのか。それは永遠に不可能なんだろうか。 …何度か読み直し、考え直したいと思った。
結婚しても仕事を続けるって今は普通(というよりもそうしないと生活できない)だが、昔は「寿退社」なるものが当たり前だった。本作は、そんな時代にある雑誌の編集部で出会った3人の女性の物語。フリーのライターとイラストレーターと後に専業主婦となる雑用の女性社員という組み合わせがどう絡んでいくのか。この流れが...続きを読むとても自然だった。そして3人が一緒に見に行った新宿騒乱。その臨場感がいい。 他にも時代時代の出来事が絡んでくるのが妙にリアルだった。窪美澄さんは実際にあった出来事と絡めた物語を描くのが本当に上手だ。 3人のうち2人がたどる人生の最後はとても幸せとは思えない。でも、だからどうだっていうのか。自分たちがやりたいようにやって生き抜いた人生。それが次の世代を作ったとも言える。それだけでも十分に意味のある人生だったはずだ。 結婚しても出産しても、仕事を続けて自分のしたいことをしようとする女性は増えていると思う。でもそれって社会が成熟しただけじゃなくて、男の給料だけでは生活できなくなってるという後ろ向きな意味合いもあるのが悲しい。 そんなやや小難しいことを考えてしまったが、単純に物語として面白い小説だった。窪美澄さんの懐がどんどん深くなっている。これからも読んでいきたい作家だ。
努力して才能を開花させた2人の女。共に伴侶がいる。1人は夫との生活を築くために働き、もう1人は子供も母親も養うために身を削る。それでも、夫や子供には疎まれる。一方、専業主婦として家族を支えている女。夫が働いて生活費を稼いでいる。それが臆して遠慮がちに日々を送る。稼ぐ/支えるどっちの立場だろうが当人が...続きを読むどちらかに大きく振れてしまうと噛み合わなくなってしまうのか。どちらが稼ごうが有名になろうが気にすることなく支え合って行くことは難しいのか?お互いを思うあまりの結果が幸せで無いのは何とも言いようがない。次の世代がそれを反面教師にして人生を楽しむべし。
女性3人の生き様を丁寧に描いた作品。 1960年代、女は家庭で生きることが普通とされていた時代に、登紀子と妙子は仕事に恋に一生懸命生きる。女性の仕事と家庭の両立は難しい時代ですが、そんな中で必死にもがきながら、いばらの道を歩く2人がとても頼もしく感じました。この小説を読む現代の女性に対して、勇気を与...続きを読むえる作品となっています。 窪美澄さんて男女の関係性を描くのが本当にお上手だなぁと思います。愛情の中に感じる違和感や寂しさそんなものをすごく丁寧に扱っていらっしゃる。そのリアルさに途中で物語から脱線することなくすぅーと読めてしまいます。
序盤はやや冗長に感じましたが、登場人物それぞれが選び、それを振り返り、必死になってゆく中盤以降はテンポよく楽しむことができました。 思ってもみない方向から打ち付けられる展開や心理描写はほとんどありませんが、順当に面白かったです。 登紀子さんが、新しい夫婦の形を実践しているつもりだった、と気が付いてし...続きを読むまうところが印象に残っています。
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