読書会に参加しました。みなさまありがとうございました(^o^)!
ゴリオ爺さんは高校の時に課題で無理矢理読んで全く理解できずに目で追っただけでした(-_-;)
その後私も読書も積み重ね、年齢も積み重ねたからか、光文社の新訳のおかげか、読み返したらとてもわかりやすく面白く楽しく読めました。
時代はナポレオン1世がワーテルローで敗北し(1815年)王政復古したころ。そこで、王政の元の貴族、元々のブルジョワ、産業革命に乗っかった資産家(ゴリオ爺さんとか)たちが時代を読みながら上昇したり破産したりしている。
冒頭で1819年のパリ下町の安っぽい下宿屋ヴォケール館と、その住人が紹介される。
ここ...続きを読む まできちんと状況を説明してくれると非常にわかりやすい。この部屋や台所のこびりついたような薄汚さ、安っぽいものを積み重ねた感じがよくわかります。彼らはそれなりに仲良く付き合っていて、誰か(だいたいゴリオ爺さん)をからかったり、言葉遊びをしたり、それぞれが自分の近況を話すので、場末感はあるけれどもお互いをよく知っている。
人物メモ:下宿屋ヴォケール館住人
・ヴォケール夫人:夫が遺したこの館で下宿屋を営んでいる。
・クチュール夫人:軍人の未亡人
・ヴィクトリーヌ・タイユフェール嬢:父は母を放り出して娘も認知しなかったのでかなり不安定な立場。クチュール夫人が母親代わりで面倒を見ている。夫人の影響で熱心なクリスチャン。
・ポアレ老人
・ミショノー老嬢:年配の未婚女性
・ゴリオ爺さん:元小麦粉業者。元金持ちだがいまでは寂しい生活。
・ヴォートラン:自称元仲買人。40歳くらい。
・ウジェーヌ・ド・ラスティニャック:田舎小貴族で今はパリの貧乏学生。社交界で華々しく立ち回りたい。
・ビアンション:ヴォケール館に食事にだけ通ってくる医学生。ラスティニャックの友人。(いいヤツ)
上流階級に憧れるラスティニャックは、従姉妹で社交界の花形ボーセアン子爵夫人をツテに社交界に乗り込もうとする。最初は社交界のお約束をことごとく読み間違えるラスティニャックに、ボーセアン子爵夫人は教えを与える。
これがもう、見栄を張りお互いの足を引っ張り合い、そんな相手とうまく立ち回らなければ生き残れないわよ!というサバイバル術(^_^;)
<あなたがたは、こちらが傷つくと知っていて傷つけてくる連中と付き合い続けるのです。そしてそうした相手に畏敬の念を抱くのです。それとは逆に、自分が相手をどれほど深く傷つけているかも知らずに他人を傷つける人間は、愚か者、立ち回りの下手な粗忽者と見做され、誰からも馬鹿にされるのです。(P132)>
<社交界は腐っているし、意地悪です。(中略)不幸がこちらにやってくるとなると、必ず待ってましたと友人が現れて、伝えにやってきて、短刀の柄を見せびらかしながら、その刃でこちらの心臓をえぐろうとするのです。嘲りや愚弄はもう始まっているのです。ああ!自分を守らなくては。(P142)>
今まで上流階級の小説をいくつか読んだけれど、この金言を事前に知っていたらそれらの本で書かれていた社交界ももっと想像しやすかったかもしれない。今後読むときには背景をこれで想像しよう。
ラスティニャックはあるパーティーでレストー伯爵夫人に眼を引かれた。そしてなんとこの上流貴族御婦人が、自分の安宿で隣室のゴリオ爺さんの娘だということを知る。
ゴリオ爺さんはものすごい大金持ちになったが、その全財産を二人の娘の結婚と、贅沢な散在に注ぎ込んでいるのだ。
ゴリオ爺さんはラスティニャックに、どれほど二人の娘が素晴らしいか!どれほど二人の娘を愛しているか!どれほど二人の娘の幸せを願いそのためなら自分の命などまったく惜しくはないかを夢見るような目で語る!
しかし二人の娘とその夫たちは、ゴリオ爺さんに「金だけよこせ。あんたはみっともないから消えろ」という態度を取り続けているのだ。
人物メモ:上流階級
・ボーセアン子爵夫人:ラスティニャックの従姉妹で社交界の花形。実は愛人に捨てられる寸前。
・ランジェ公爵夫人:ボーセアン子爵夫人の友人。かなり辛辣で子爵夫人を傷つける言葉を投げつける。しかしそれが上流階級の友人づきあいらしい。
・アナスタジー・ド・レストー伯爵夫人:ゴリオ爺さんの姉娘。地位と名誉が欲しいので貴族と結婚。
・デルフィーヌ・ド・ニュッシンゲン男爵夫人:ゴリオ爺さんの妹娘。夫はドイツ系銀行家。金が欲しいので銀行家と結婚。
ラスティニャックは上流階級で伸し上がろうとする。
まずはボーセアン夫人のアドバイスに従い、ニュッシンゲン夫人に近づき、その過程で貧しい実家から彼らにしたら大金の送金を頼み装束を整えるのに使い果たす。その後も、賭博に勝ったり負けたり、破産仕掛けたり、持ち直したり、まあパリで成功しようとして堕落する青年の道筋をたどっていきます。
そんなラスティニャックに目を付けたのが、同じヴォケール下宿に住む怪しげな男ヴォートラン。彼はラスティニャックにある駆け引きを持ちかける。「ヴォケール下宿のかわいそうなヴィクトリーヌを誘惑して結婚しろ。俺が仲間に頼んでヴィクトリーヌの兄を殺してやる。さすがにヴィクトリーヌは父親に認知されてものすごい大金を相続する。その金の家一部だけ手間賃でよこしてくれよ」
実はヴォートランは犯罪者の親玉で刑務所から脱獄したので「トロンプ・ラ・モール(死から逃れた男)」と呼ばれていたのだ!
その後で彼が密告され、逮捕される一連の騒動がありますが、ヴォートランはかなりふてぶてしい態度を崩さなかったのでおそらくまた脱獄するんでしょう。
パリを裏も表も知るヴォートランは「パリの社交界は、ヨーロッパの他のお堅い貴族社会が迎え入れないような金儲けが上手いやつを歓迎する。」(P201あたり)だとか言ってます。
ラスティニャックはゴリオ爺さんからは「自分と、愛する二人の娘を繋ぐ絆」として大変な好意を得ていた。ついには妹娘ニュッシンゲン男爵夫人の愛人にもなる。
ラスティニャックはあまりにも冷たい二人の娘と、そんな娘にあまりにも献身的なゴリオ爺さんを見て、野心と、良心とに揺れる。
<ゴリオ爺さんは神々しかった。ウジェーヌ(※ラスティニャックのこと)はこの男が、燃え盛る親の情念によって、かつてなくきらきらと輝くのを見た、感情というものに人を生き生きさせる力があるのは、注目に値する事象である。いかに愚鈍な人間であっても、激しい本物の愛情を語り始めた途端に、独特の雰囲気を放つようになる。(中略)言葉は稚拙でも精神が雄弁になるのだ、だから彼はまるで輝かしい世界で生きているように見える。このとき老人の声や身振りのうちには、とりわけ名優に見られる伝達力があった。まったくもって、我々の持つ美しい愛情というものは、医師の生み出す詩ではなかろうか(P241)>
この時期のラスティニャックについて<不正の側に傾いている自分を良心の鏡に照らしてみるという、大人になればできることが若者にはできない、その二つの年代の間に横たわっている違いは、ひとえにそればかりだ。(P211)>とバルザック大先生は書くけれど、大人だってかなり不正するような気がします(^_^;)
しかしラスティニャックの心は野心を持ちながらも、清廉であることを保った。ゴリオ爺さんのあまりにも無心の愛情に、ラスティニャックも彼を助けようとする。
しかしねー、この二人の娘、ラスティニャックがボーセアン子爵夫人に忠告された金づる女そのものなのである(^。^;)
この二人の娘の愛人は「計算高く冷徹になれば出世する。相手を殴る時は容赦なく殴れ、相手が使えなくなったらさっさと交換しなさい。出世を手助けする金持ちで上等な女性に取り入りなさい。相手に本物の愛情をもってしまったら隠しなさい。社交界では死刑執行人でなくなった途端、被害者になります。最初から相手に心を開かず、世の中を疑ってかかりなさい」という社交界の基本に則って彼女たちから有り金と名誉を全て奪っていきます。
なんかもうねえ、読んでいてあまりにも二人の娘と、ゴリオ爺さんがカモで読んでいて辛くなってきたわ。
二人の娘がこんなになっちゃったのも、ゴリオ爺さんが必要以上の大金で解決してきた、教育を全くしなかった、処世術を全く教えなかった(自分も知らない)、自分を奴隷のように扱わせた、お金の大切さも友達の大切さも教えなかったからだよなあ(-_-;)
ゴリオ爺さんの二人の娘は、それぞれの愛人と、夫と、自分の贅沢に、個人の資産をなくしてしまう。ゴリオ爺さんは心労のあまり倒れるが、親身に付き添うのはラスティニャックと医学生ビアンション(彼はいいヤツ)だけで二人の娘は見舞いにも来ない。
ギリギリで駆けつけた姉娘レストー伯爵夫人は、ついに彼女の所有する不動産も夫に取り上げられたことを告げる。
それに対してかつては社交界の花形で、サロンに招かれることがステータスとなっていたボーセアン子爵夫人はお見事だった。
彼女も愛人に捨てられ、社交界の笑いものになった。人々はボーセアン子爵夫人のパーティに詰めかける。捨てられた女がどんな態度を取るかを見物に行くためだ。子爵夫人は毅然と女主人として務めて、陰ながら称賛される。
だがその翌朝の早朝、パリの全てを捨てて田舎の地所に引きこもることにした。悪友ランジェ公爵夫人も涙ながらに送る。夫のボーセアン子爵も「田舎になんか行かないで、このまま自分と一緒にパリで暮らせばいいじゃないか」という。
この夫婦は政略結婚だけど社交界で渡っていくための同等の相手としていたんですね。
<たしかにパリの女性はしばしば嘘つきで見栄っ張りで自己中心的で浮気で冷淡かもしれないが、本当に誰かを愛するときには、間違いなく世界中のどこの女性よりその情熱に溺れるのである、彼女らは卑小でありながら精一杯成長し、ついには驚嘆すべきものになるのである。(P442)>
<大貴族であっても人間の心の法の外に置かれているわけではない。(P468)>
ゴリオ爺さんが死んでも下宿屋ヴォケール館に食事に集まる人達は「そんなことどうだっていいじゃん」と日常送る。
ゴリオ爺さんは二人の娘の不幸を嘆き息絶え、葬儀はラスティニャック、ビアンションが行い、参列したのはヴォケール館下男のクリストフ、少しのお金で雇われた者たちだけだった。
二人の娘と夫たちの冷たさにビアンションが「墓石には『レストー伯爵夫人とニュッシンゲン男爵夫人の父ここに眠る。葬儀費用を出したのは二人の貧乏学生』って彫ってやれ!」というのが良いコメント・笑
とにかく処世術を全く持たないゴリオ爺さんと娘たちがバカすぎて呆れながら読んでいたのだが、ラストは良かったなあ。
今までラスティニャックは色々なものを見た。
田舎の下級貴族、パリの社交界、パリ下層階級、ゴリオ爺さんと娘たち、長男の自分に全てを差し出す母や妹、貧民から資産家となったヴィクトリーヌ(彼女も処世術を教わっていないので財産巻き上げられる気しかしない…(-_-;)、去ってゆくボーセアン夫人、堂々と悪を進むヴォートラン、身の丈で生きようとするビアンション。
自分も堕落と誠意との間で揺れた。
これからどうするのか。人間の醜さにうんざりしたのか?
いや、彼はゴリオ爺さんを埋葬した墓地から夕暮れのパリを見下ろす。彼はこれからニュシンゲン男爵夫人のところへ晩餐に行く彼は、パリに向かって宣言する。
「今度は俺が相手だ!」
おお、なんかすっきりした!
ラスティニャックは揺れて、良心も保ち、そして社交界で伸し上がる野心を確立させた。誠実はゴリオ爺さんは亡くなった。それならまず娘婿で資産家(ゴリオ爺さんから取り上げた資産含む)の銀行家ニュッシンゲン男爵を足がかりにするのだろう。
彼が今後人を利用しのし上がるだろうけれど、昔はゴリオ爺さんを見て人の誠実さ・人間の徳のようなものを感じたことは覚えておいてほしいなあ。
❐読書会
・自分ではできないことを自分の身代わりを立てて参加しようとしている。ゴリオ爺さん⇒娘を上流社会に。ヴォートラン⇒ラスティニャックを上流社会に。
・金額がわからない。
・愛情が過多すぎる。
・金持ちでも、貧乏でも不幸。誰が幸せだったのだろう。
・真剣になり不幸になる様子が面白い。
・貴族社会の何も作らない虚しさを感じる。
・ラスティニャックは今後悪に進むのだろう。ゴリオ爺さんの持っていた善意を忘れないのか、それともゴリオ爺さんが死んだことによって完全に悪に振り切るのか・笑
・ヴォートランについて。
⇒人の動かし方がお見事だ。逮捕されたときもヴォケール館の人々の心を掴んでいた。そこでヴォートランのような犯罪者よりも密告屋のほうが悪いという空気にしてしまった。その後ゴリオ爺さんが死んだ時には館の人たちは無関心だったのであれはもうヴォートランの人間掌握術。
⇒バルザックの一種の理想なのかと思った。
⇒ヴォートランは貧乏人からは金を取らない。彼なりの美学がある。
・ゴリオ爺さんについて。
⇒解説にあった「ゴリオ爺さんがエゴイストで娘は被害者」はその通りだと思う。娘にそんな躾をしたのはゴリオ爺さんなので、金がなくなったらゴリオ爺さんに優しくする必要はない。
⇒そうはいっても、さすがに娘は周りを見て気がつく分別は身に付けないと。
⇒終盤のゴリオ爺さんはもう認知症のようでもあるけれど、死の間際のゴリオ爺さんの譫言に見せる本音が、正気と娘に対する狂気のような妄執の揺れが見えて良かった。
⇒ゴリオ爺さんは趣味をやり尽くしたんだから幸せなんじゃないの。