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出世の野心を抱いてパリで法学を学ぶ貧乏貴族の子弟ラスティニャックは、場末の下宿屋に身を寄せながら、親戚の伝を辿り、なんとか社交界に潜り込む。そこで目にした令夫人は、実は同じ下宿に住むみすぼらしいゴリオ爺さんの娘だというのだが……。バルザックが描く壮大な小説絵巻《人間喜劇》の代表作を、鮮烈な新訳で。(解説・宮下志朗)
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Posted by ブクログ
読書会に参加しました。みなさまありがとうございました(^o^)! ゴリオ爺さんは高校の時に課題で無理矢理読んで全く理解できずに目で追っただけでした(-_-;) その後私も読書も積み重ね、年齢も積み重ねたからか、光文社の新訳のおかげか、読み返したらとてもわかりやすく面白く楽しく読めました。 時代...続きを読むはナポレオン1世がワーテルローで敗北し(1815年)王政復古したころ。そこで、王政の元の貴族、元々のブルジョワ、産業革命に乗っかった資産家(ゴリオ爺さんとか)たちが時代を読みながら上昇したり破産したりしている。 冒頭で1819年のパリ下町の安っぽい下宿屋ヴォケール館と、その住人が紹介される。 ここまできちんと状況を説明してくれると非常にわかりやすい。この部屋や台所のこびりついたような薄汚さ、安っぽいものを積み重ねた感じがよくわかります。彼らはそれなりに仲良く付き合っていて、誰か(だいたいゴリオ爺さん)をからかったり、言葉遊びをしたり、それぞれが自分の近況を話すので、場末感はあるけれどもお互いをよく知っている。 人物メモ:下宿屋ヴォケール館住人 ・ヴォケール夫人:夫が遺したこの館で下宿屋を営んでいる。 ・クチュール夫人:軍人の未亡人 ・ヴィクトリーヌ・タイユフェール嬢:父は母を放り出して娘も認知しなかったのでかなり不安定な立場。クチュール夫人が母親代わりで面倒を見ている。夫人の影響で熱心なクリスチャン。 ・ポアレ老人 ・ミショノー老嬢:年配の未婚女性 ・ゴリオ爺さん:元小麦粉業者。元金持ちだがいまでは寂しい生活。 ・ヴォートラン:自称元仲買人。40歳くらい。 ・ウジェーヌ・ド・ラスティニャック:田舎小貴族で今はパリの貧乏学生。社交界で華々しく立ち回りたい。 ・ビアンション:ヴォケール館に食事にだけ通ってくる医学生。ラスティニャックの友人。(いいヤツ) 上流階級に憧れるラスティニャックは、従姉妹で社交界の花形ボーセアン子爵夫人をツテに社交界に乗り込もうとする。最初は社交界のお約束をことごとく読み間違えるラスティニャックに、ボーセアン子爵夫人は教えを与える。 これがもう、見栄を張りお互いの足を引っ張り合い、そんな相手とうまく立ち回らなければ生き残れないわよ!というサバイバル術(^_^;) <あなたがたは、こちらが傷つくと知っていて傷つけてくる連中と付き合い続けるのです。そしてそうした相手に畏敬の念を抱くのです。それとは逆に、自分が相手をどれほど深く傷つけているかも知らずに他人を傷つける人間は、愚か者、立ち回りの下手な粗忽者と見做され、誰からも馬鹿にされるのです。(P132)> <社交界は腐っているし、意地悪です。(中略)不幸がこちらにやってくるとなると、必ず待ってましたと友人が現れて、伝えにやってきて、短刀の柄を見せびらかしながら、その刃でこちらの心臓をえぐろうとするのです。嘲りや愚弄はもう始まっているのです。ああ!自分を守らなくては。(P142)> 今まで上流階級の小説をいくつか読んだけれど、この金言を事前に知っていたらそれらの本で書かれていた社交界ももっと想像しやすかったかもしれない。今後読むときには背景をこれで想像しよう。 ラスティニャックはあるパーティーでレストー伯爵夫人に眼を引かれた。そしてなんとこの上流貴族御婦人が、自分の安宿で隣室のゴリオ爺さんの娘だということを知る。 ゴリオ爺さんはものすごい大金持ちになったが、その全財産を二人の娘の結婚と、贅沢な散在に注ぎ込んでいるのだ。 ゴリオ爺さんはラスティニャックに、どれほど二人の娘が素晴らしいか!どれほど二人の娘を愛しているか!どれほど二人の娘の幸せを願いそのためなら自分の命などまったく惜しくはないかを夢見るような目で語る! しかし二人の娘とその夫たちは、ゴリオ爺さんに「金だけよこせ。あんたはみっともないから消えろ」という態度を取り続けているのだ。 人物メモ:上流階級 ・ボーセアン子爵夫人:ラスティニャックの従姉妹で社交界の花形。実は愛人に捨てられる寸前。 ・ランジェ公爵夫人:ボーセアン子爵夫人の友人。かなり辛辣で子爵夫人を傷つける言葉を投げつける。しかしそれが上流階級の友人づきあいらしい。 ・アナスタジー・ド・レストー伯爵夫人:ゴリオ爺さんの姉娘。地位と名誉が欲しいので貴族と結婚。 ・デルフィーヌ・ド・ニュッシンゲン男爵夫人:ゴリオ爺さんの妹娘。夫はドイツ系銀行家。金が欲しいので銀行家と結婚。 ラスティニャックは上流階級で伸し上がろうとする。 まずはボーセアン夫人のアドバイスに従い、ニュッシンゲン夫人に近づき、その過程で貧しい実家から彼らにしたら大金の送金を頼み装束を整えるのに使い果たす。その後も、賭博に勝ったり負けたり、破産仕掛けたり、持ち直したり、まあパリで成功しようとして堕落する青年の道筋をたどっていきます。 そんなラスティニャックに目を付けたのが、同じヴォケール下宿に住む怪しげな男ヴォートラン。彼はラスティニャックにある駆け引きを持ちかける。「ヴォケール下宿のかわいそうなヴィクトリーヌを誘惑して結婚しろ。俺が仲間に頼んでヴィクトリーヌの兄を殺してやる。さすがにヴィクトリーヌは父親に認知されてものすごい大金を相続する。その金の家一部だけ手間賃でよこしてくれよ」 実はヴォートランは犯罪者の親玉で刑務所から脱獄したので「トロンプ・ラ・モール(死から逃れた男)」と呼ばれていたのだ! その後で彼が密告され、逮捕される一連の騒動がありますが、ヴォートランはかなりふてぶてしい態度を崩さなかったのでおそらくまた脱獄するんでしょう。 パリを裏も表も知るヴォートランは「パリの社交界は、ヨーロッパの他のお堅い貴族社会が迎え入れないような金儲けが上手いやつを歓迎する。」(P201あたり)だとか言ってます。 ラスティニャックはゴリオ爺さんからは「自分と、愛する二人の娘を繋ぐ絆」として大変な好意を得ていた。ついには妹娘ニュッシンゲン男爵夫人の愛人にもなる。 ラスティニャックはあまりにも冷たい二人の娘と、そんな娘にあまりにも献身的なゴリオ爺さんを見て、野心と、良心とに揺れる。 <ゴリオ爺さんは神々しかった。ウジェーヌ(※ラスティニャックのこと)はこの男が、燃え盛る親の情念によって、かつてなくきらきらと輝くのを見た、感情というものに人を生き生きさせる力があるのは、注目に値する事象である。いかに愚鈍な人間であっても、激しい本物の愛情を語り始めた途端に、独特の雰囲気を放つようになる。(中略)言葉は稚拙でも精神が雄弁になるのだ、だから彼はまるで輝かしい世界で生きているように見える。このとき老人の声や身振りのうちには、とりわけ名優に見られる伝達力があった。まったくもって、我々の持つ美しい愛情というものは、医師の生み出す詩ではなかろうか(P241)> この時期のラスティニャックについて<不正の側に傾いている自分を良心の鏡に照らしてみるという、大人になればできることが若者にはできない、その二つの年代の間に横たわっている違いは、ひとえにそればかりだ。(P211)>とバルザック大先生は書くけれど、大人だってかなり不正するような気がします(^_^;) しかしラスティニャックの心は野心を持ちながらも、清廉であることを保った。ゴリオ爺さんのあまりにも無心の愛情に、ラスティニャックも彼を助けようとする。 しかしねー、この二人の娘、ラスティニャックがボーセアン子爵夫人に忠告された金づる女そのものなのである(^。^;) この二人の娘の愛人は「計算高く冷徹になれば出世する。相手を殴る時は容赦なく殴れ、相手が使えなくなったらさっさと交換しなさい。出世を手助けする金持ちで上等な女性に取り入りなさい。相手に本物の愛情をもってしまったら隠しなさい。社交界では死刑執行人でなくなった途端、被害者になります。最初から相手に心を開かず、世の中を疑ってかかりなさい」という社交界の基本に則って彼女たちから有り金と名誉を全て奪っていきます。 なんかもうねえ、読んでいてあまりにも二人の娘と、ゴリオ爺さんがカモで読んでいて辛くなってきたわ。 二人の娘がこんなになっちゃったのも、ゴリオ爺さんが必要以上の大金で解決してきた、教育を全くしなかった、処世術を全く教えなかった(自分も知らない)、自分を奴隷のように扱わせた、お金の大切さも友達の大切さも教えなかったからだよなあ(-_-;) ゴリオ爺さんの二人の娘は、それぞれの愛人と、夫と、自分の贅沢に、個人の資産をなくしてしまう。ゴリオ爺さんは心労のあまり倒れるが、親身に付き添うのはラスティニャックと医学生ビアンション(彼はいいヤツ)だけで二人の娘は見舞いにも来ない。 ギリギリで駆けつけた姉娘レストー伯爵夫人は、ついに彼女の所有する不動産も夫に取り上げられたことを告げる。 それに対してかつては社交界の花形で、サロンに招かれることがステータスとなっていたボーセアン子爵夫人はお見事だった。 彼女も愛人に捨てられ、社交界の笑いものになった。人々はボーセアン子爵夫人のパーティに詰めかける。捨てられた女がどんな態度を取るかを見物に行くためだ。子爵夫人は毅然と女主人として務めて、陰ながら称賛される。 だがその翌朝の早朝、パリの全てを捨てて田舎の地所に引きこもることにした。悪友ランジェ公爵夫人も涙ながらに送る。夫のボーセアン子爵も「田舎になんか行かないで、このまま自分と一緒にパリで暮らせばいいじゃないか」という。 この夫婦は政略結婚だけど社交界で渡っていくための同等の相手としていたんですね。 <たしかにパリの女性はしばしば嘘つきで見栄っ張りで自己中心的で浮気で冷淡かもしれないが、本当に誰かを愛するときには、間違いなく世界中のどこの女性よりその情熱に溺れるのである、彼女らは卑小でありながら精一杯成長し、ついには驚嘆すべきものになるのである。(P442)> <大貴族であっても人間の心の法の外に置かれているわけではない。(P468)> ゴリオ爺さんが死んでも下宿屋ヴォケール館に食事に集まる人達は「そんなことどうだっていいじゃん」と日常送る。 ゴリオ爺さんは二人の娘の不幸を嘆き息絶え、葬儀はラスティニャック、ビアンションが行い、参列したのはヴォケール館下男のクリストフ、少しのお金で雇われた者たちだけだった。 二人の娘と夫たちの冷たさにビアンションが「墓石には『レストー伯爵夫人とニュッシンゲン男爵夫人の父ここに眠る。葬儀費用を出したのは二人の貧乏学生』って彫ってやれ!」というのが良いコメント・笑 とにかく処世術を全く持たないゴリオ爺さんと娘たちがバカすぎて呆れながら読んでいたのだが、ラストは良かったなあ。 今までラスティニャックは色々なものを見た。 田舎の下級貴族、パリの社交界、パリ下層階級、ゴリオ爺さんと娘たち、長男の自分に全てを差し出す母や妹、貧民から資産家となったヴィクトリーヌ(彼女も処世術を教わっていないので財産巻き上げられる気しかしない…(-_-;)、去ってゆくボーセアン夫人、堂々と悪を進むヴォートラン、身の丈で生きようとするビアンション。 自分も堕落と誠意との間で揺れた。 これからどうするのか。人間の醜さにうんざりしたのか? いや、彼はゴリオ爺さんを埋葬した墓地から夕暮れのパリを見下ろす。彼はこれからニュシンゲン男爵夫人のところへ晩餐に行く彼は、パリに向かって宣言する。 「今度は俺が相手だ!」 おお、なんかすっきりした! ラスティニャックは揺れて、良心も保ち、そして社交界で伸し上がる野心を確立させた。誠実はゴリオ爺さんは亡くなった。それならまず娘婿で資産家(ゴリオ爺さんから取り上げた資産含む)の銀行家ニュッシンゲン男爵を足がかりにするのだろう。 彼が今後人を利用しのし上がるだろうけれど、昔はゴリオ爺さんを見て人の誠実さ・人間の徳のようなものを感じたことは覚えておいてほしいなあ。 ❐読書会 ・自分ではできないことを自分の身代わりを立てて参加しようとしている。ゴリオ爺さん⇒娘を上流社会に。ヴォートラン⇒ラスティニャックを上流社会に。 ・金額がわからない。 ・愛情が過多すぎる。 ・金持ちでも、貧乏でも不幸。誰が幸せだったのだろう。 ・真剣になり不幸になる様子が面白い。 ・貴族社会の何も作らない虚しさを感じる。 ・ラスティニャックは今後悪に進むのだろう。ゴリオ爺さんの持っていた善意を忘れないのか、それともゴリオ爺さんが死んだことによって完全に悪に振り切るのか・笑 ・ヴォートランについて。 ⇒人の動かし方がお見事だ。逮捕されたときもヴォケール館の人々の心を掴んでいた。そこでヴォートランのような犯罪者よりも密告屋のほうが悪いという空気にしてしまった。その後ゴリオ爺さんが死んだ時には館の人たちは無関心だったのであれはもうヴォートランの人間掌握術。 ⇒バルザックの一種の理想なのかと思った。 ⇒ヴォートランは貧乏人からは金を取らない。彼なりの美学がある。 ・ゴリオ爺さんについて。 ⇒解説にあった「ゴリオ爺さんがエゴイストで娘は被害者」はその通りだと思う。娘にそんな躾をしたのはゴリオ爺さんなので、金がなくなったらゴリオ爺さんに優しくする必要はない。 ⇒そうはいっても、さすがに娘は周りを見て気がつく分別は身に付けないと。 ⇒終盤のゴリオ爺さんはもう認知症のようでもあるけれど、死の間際のゴリオ爺さんの譫言に見せる本音が、正気と娘に対する狂気のような妄執の揺れが見えて良かった。 ⇒ゴリオ爺さんは趣味をやり尽くしたんだから幸せなんじゃないの。
この作品、主な登場人物に幸福な者は一人もいない。そして不幸の原因は全員が全員、カネのためである。 19世紀初頭のフランス、大革命、恐怖政治、ナポレオンの没落を経て王政が復古し、貴族とブルジョワが支配するパリで貧乏青年ラスティニャックが出世するためには社交界に入り込むしかなかった。 社交界とは、能力で...続きを読むはなくカネとコネがなければ参加できない世界。社交界に入るカネもコネもないラスティニャックの貧しい隣人たちは、その時点ですでに不幸だが、父の献身によって社交界にデビューしたゴリオ爺さんの娘夫婦たちもまた、虚飾と裏切りと噂話に翻弄され、見栄のために多額の借金をしてでもカネを使い続けなければならぬ点において、また不幸である。 このような社会で人々の良心は磨耗してゆく。唯一、ラスティニャックだけがゴリオとの親交の中で良心を保っていられるが、それも度々誘惑にさらされてゆく。そして最後は…ネタバレは控えよう。 現代の価値観との違和感を覚える箇所もないとは言えないが、読みやすい訳でペース良く読み進むことができる。傑作である。
「今度はおれが相手だ!」 物語の最後、主人公のラスティニャックがパリの街へ向かって放ったセリフです ラスティニャックとパリの間に何があったのか?めっちゃ気になるよね ならない?いやなってよ!(懇願) はい、というわけでユッキーのリクエストに応えて19世紀のフランスを代表する作家のひとりバルザック...続きを読むの『ゴリオ爺さん』を読みました いやーすげーわバルザック こんな悲劇いや喜劇を読まされるかね 『ゴリオ爺さん』はバルザックが書いた〈人間喜劇〉という小説群の1作なんよね 〈人間喜劇〉というのはひとつの世界観の中でたくさんの小説が書かれていて、それぞれが当時のフランスを分析して描いているんだけど、大きな特徴として「人物再登場法」と呼ばれる手法を使って書かれているんです これはあっちで主人公だった◯◯がこっちで脇役として登場するってな具合に登場人物が作品を横断して登場することで作品同士を繋ぎ合わせるって手法です 分かりやすく言うと森山明夫さんですね(珍しくほんとに分かりやすい) 森山明夫さんの超先駆けつか元祖ですな 最多で三十一作品登場するキャラクターがいるのでスケールがでかい はい『ゴリオ爺さん』の話に戻りますよね う〜ん、難しいな〜 あらすじとか書く? いやめんどくさいなw まぁ、とにかく19世紀パリの社交界を舞台に悲喜こもごもの物語が展開するわけです 社交界でのし上がりたいけど、田舎で家族に愛されながら育った学生ラスティニャックは純真な心も捨てきれない ひと癖もふた癖もあるつわ者たちに翻弄されまくる中でゴリオ爺さんと二人の娘たちの間の歪んだ愛憎劇にも巻き込まれちゃう いやこれがほんとひどいのよ、どいひーなのよ もう腹立ってしゃーない なぜならさ、わいの心のなかにもきっとそんなひどい感情があることをバルザックに見透かされてるような気がするからなんよね 人のもつ利己的な内面を「隠しても無駄、お前も持ってるだろ?」ってバルザックに暴かれてるような気がするんよね これからいつもいつも影の中でバルザックに見られていて自分勝手な振る舞いをする度にバルザックにニヤリと笑われているような そんな気にさせられる物語でした 今度はスタンダールが相手だ!
19世紀パリ社交界を舞台に描かれるフランス文学の傑作。モームの世界十大小説の一つ。光文社古典新訳文庫版。 人間描写力すごすぎワラタ。いや人間観察力ともいうべきか、細密な心理や行動の描写が逐一的を得ていて圧倒される。段落などの区切りがなく長い文章が延々と続くため、序盤の間、舞台設定をつかむまではやや...続きを読む読みにくい。しかし謎解きのようになっているゴリオ爺さんの実像が見えてくる第一章の後半ごろには、込み入った人間関係の興味深さに引き込まれていた。その後物語は加速に加速を重ね、第四章あたりには、もう読みきらなければ本を閉じられないというほど夢中にさせてくれた。 しかし壮絶で切ない話だ。社交界という華やかかつ恐ろしい世界で、人間の醜さと愚かさを骨の髄まで見せつけられる。純真で好感の持てる青年・ラスティニャックの人格形成の顛末が巧みでその後が気になるし、もう一人の主人公級人物ヴォートランは前日譚も後日譚も読みたくなる。そのあたりがうまいつくりで、本作はバルザックの書いた《人間喜劇》という膨大な物語群の入口だという。彼らは主人公だったり脇役だったりでいくつもの他作品に登場するらしい。 社交界の泥沼で人間性を貶めてしまったせいなのか、行き過ぎた父性愛が罪作りだったのか、二人の女性の姿が読者の怒りを誘う。だがどちらが悪いと言い切れるほど真相は単純ではなかった。最後の彼の独白の叫びが愛憎の複雑さを呈していてすさまじい。これが古典として残る作品のすごさかと恐れ入った。 個人的には、おとなしいあの女性のその後が一番気になるのだが……。
2019.7.10付け朝日新聞掲載の「マンガ時評」で学習院大学教授の中条省平さんは、あの『闇金ウシジマくん』のことを「社会の諸相を細密で巨大な壁画のように描きだす現代日本のバルザック」と例えている。「ウシジマくん」に関する文章にいきなりバルザックが出てきたので、とても驚いた。 中条教授はさらに書く...続きを読む-「ウシジマくんは、そうした人々の運命を震えがくるほどのスリルで描きだしながら、彼らを生みだす時代の残酷な力、権力関係のメカニズム、そして金と金融社会の病理を抉りだします」と。 私は冒頭の「ウシジマくん」を「ゴリオ爺さん」へと置き換えてみた。すると違和感がまったくないではないか。 もちろん時代背景はまったく異なるので、「パチンコにはまり闇金に手を出す人」や「イベントサークルであぶく銭を追う人」をそのままバルザック作品に当てはめることはできない。しかし前もって「ウシジマくん」を読みその世界観に慣れておけば、「ゴリオ爺さん」の読解をかなり手助けしてくれるはず、とまで私は思っている。 実際に「ゴリオ爺さん」の登場人物をウシジマ的な視点から観察してみよう。 主人公のラスティニャックは、田舎貴族出だがその境遇に満足できず、大都会パリの貴族社会の一員に加わることを夢見る。しかし実際のパリ社交界は権謀術数が渦巻き、たとえ人間の魂の誠実さが踏みにじられようとも自己の欲望を吐き出すことを躊躇わない魑魅魍魎が蠢いており、その様子に一方で嫌悪を催しながら、それでもその有象無象の中に身を投じ、成り上がりの栄光に向かって突き進もうとする。 これは「ウシジマくん」で、特にこれといった取柄もなかった一青年が、読者モデル雑誌に取り上げられたことをきっかけにファッション界のカリスマとかオーラとかを際限なく求めていく「楽園くん」のエピソードと重なる部分はないだろうか? ほかの登場人物も同様に見ていくと、「ゴリオ爺さん」と「ウシジマくん」に共通のキーワードがあることに気づいた。それは《欲望》だ。 欲望というキーワードから照射するようにそれぞれの登場人物を見ていくと、たしかにゴリオの2人の娘をはじめとしたパリの貴族たち、アパートの住民たち、ヴォートラン、そしてゴリオまでもが《欲望》のるつぼに落ち込んだかのように描かれている。 ここで「ちょっと待って。ゴリオ爺さんだけは欲望のるつぼに落ちていないんじゃないの?」と言う人がいるかもしれない。しかし私はこう考える。 ゴリオは悲しいかな2人の娘に冷たくあしらわれ続ける。しかし彼はいくらそうされても(いや逆にそうされるがゆえに)娘への愛情をさらに深めるべく、自己の生活を切り詰め貧困化することがすなわち娘たちへの愛情の成就の証なのだというように見える。これは一種の被虐的な欲望の体現ではないか。 バルザック以前は、人間は神に見られているという一般観念のもと、文学作品は人間の理想や清い魂のあり方を求めていたと思う。しかしバルザックはその逆をいった。欲望にまみれて堕ちた人間の生き方にこそ、真実の姿を見出したのだ。そして欲望がもたらす不可避な現実(人はそれを運命という)に抗えない人間の悲しみを作家として追求したのだ。 善と悪という単純な二元論を超越した人間の真のありようを描こうとする視点。そして自分の欲望に翻弄される人間のおかしさと悲しみ。それはすなわちこの作品と闇金ウシジマくんとに共通して見られるものだ。 最後に、蛇足かもしれないけれど… 昭和の特撮TV番組コンドールマンでは、ゼニクレイジーなどのモンスターを生みだしたのは悪の組織ではなくて実は「人間の心」だった。 「ゴリオ爺さん」がバルザックによって世に出された数十年後には、さらにドストエフスキーの数々の長編作品によって人間の欲望に潜む複雑な裏面性が示された。 そして2021年の日本では、皇室の令嬢を巻き込んで人間の欲望が自己増殖していく様子(としか私には見えない)が世間を賑やかした。 いつの世でも人間の根源はすなわち《欲望》なのかと考えざるを得ない。
バルザックは初めて読んだが、この本が後世の作家に大きな影響を与えたことは間違いない。それはディケンズの作品にも感じられるし、ロマンロランの「ジャンクリストフ」にも出ている。
なんという悲劇、いや喜劇か。こんな日常にはとても我慢できないだろうな。金、金、金の生む人間喜劇というか、パリという国が生み出したものなのか…いや、こんなことは世界のどこにだってあるよな。日本で言えば、始まったばかりの大河の時代なんかその最たるものなんだろうな。 まぁでも、ゴリオ爺さんの奥さんはいつど...続きを読むこでいなくなったんだろう…
面白かったが、キャラクターの描かれ方が単純で、現実的でないような気がしたため、感情を没入させることはできなかった。でも「野心」とか「虚栄心」とか小説によく出てくるテーマについて色々と考察の深まるお話で、読み切ってよかったと思う。
父性愛の極地。レアリスム小説のはしり。ここから20世紀小説は「本当らしさ」からの脱却を求め始める。映画もあるらしいから観てみたい。
フランス文学の傑作とされているゴリオ爺さんだ。一回読んだだけではなんのことやらよくわからなかった。 ただ、この小説はゴリオ爺さんと法学を学ぶ学生ラスティニャックの関係性を書いた物語と捉えることもできるのではないかと感じた。 パリの社交界に憧れるラスニャック。パリの社交界に身を置く娘にひたすら尽くそ...続きを読むうとするゴリオ爺さん。注目すべきはこのメイン登場人物の二人が、「どちらも自分は現在社交界に身を置いていない」という点にあると考える。社交界に身を置いていない者を通じて社交界の有り様、そこにいる人間の様子を描き出した小説であるといえる。
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