池上俊一の作品一覧
「池上俊一」の「イタリア・ルネサンス再考 花の都とアルベルティ」「王様でたどるイギリス史」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
ハラリの著書「Nexus」を読んだ際、「人と情報」にまつわるエピソードとして、魔女狩りの例が述べられていた。
その文章を読んだ私は「噂で魔女と決めつけられただけで、本当は何もしてない人が拷問されて火刑とかクレイジーすぎる!!人間ヤバすぎ!!」と衝撃を受け、それ以来魔女狩りについて深く知りたいと思っていた。
その矢先、本書と出会った。
噂ベースで魔女と疑われた人が、(さまざまな拷問によって)自身が魔女であることを告白し(させられ)、(魔女の集会であるサバトで見た光景をもとに)ほかの人々も実は魔女であると証言し(道連れにし)、芋づる式に複数の魔女が裁判で裁かれ火刑などに処される過程をぼんやり理解することができた。
とくに上記の一連の流れを例示した事例が1章まるごと使って説明されているので、具体的なイメージを膨らませつつ魔女が誕生して処されるまでを(複雑な気持ちになりながら)把握することもできる。
後半の内容については少々難しく、正直あまり覚えていない。
子供たちの噂話から始まるイジメとかって、構造は魔女狩りと同じなんだよなぁ。そう思うと集団における人の心理なんて何百年経っても変わらないんだよなぁ(ナチスのホロコーストなんてまさにそう) と諦めに似た感情もわいてくる。
今は『魔女』と聞くと可愛いキャラクターや魔法使いみたいな可愛らしいイメージがあるけど、過去に人間が犯した大きすぎる過ちは忘れてはならないと思う。
Posted by ブクログ
p. 215-216 『さらに十八世紀になると理性尊重の啓蒙主義が、(…)広範な社会層に伝わって日常生活全般が「脱魔術化」する。すると人々は宗教的熱狂に陥ることはなくなり、悪魔の人間界の出来事への介入なども信じられなくなって魔女狩りは消滅した・・・というのは、分かりやすい道理かもしれないが、どこか現代人に心地よい進歩史観の物語にしてしまっているのではないか。(…)理性という認識の機械装置の根源的動力因は、人間の内部に潜む非合理な衝動なのであり、合理と非合理がたやすく入れ替わることは、二十世紀の次なる蛮行ーナチス・ドイツーを見れば明らかだろう。』
管理不可能であるという不安からの解放を求め、大衆は架空のシニフィアン(今回の場合は魔女)を作り出し、そこにシニフィエ(不作や災害の原因であるという思い込み)を事後的に注ぎ込むことで、不安を管理可能なものへと作り替えようとする。シニフィアンはメディアを通じて伝播し、状況に即したシニフィエがその都度加えられ、創作の二次創作というシニフィエの断続的な横滑りが生じる。これがボトムアップ的・複数的な空虚なシニフィアン(φ)の構築だとすると、このφに政治的イデオロギーを注ぎ込みその複数性を単一性にまとめ上げ、国家統治に利用するという姿勢こそは、トップダウン的・単一的なφの構築と言えるのではないか。
Posted by ブクログ
LGBT(お菓子)が主流の異成婚(水とか食料)より軽視されて当然だと思う。お菓子は文化発展に貢献してるんだからいいんだよ。何故主流と同じ扱いになりたいと思うのかって疑問もある。
「しかし甘味料つまり砂糖は、香辛料とおなじように、生きるために必要というわけではありません。それはむしろより良く生きるために必要なものなのです。だから、甘いもの、そしてお菓子は、さしあたり、政治的・経済的な支配ではなく、文化的な支配の力関係のなかに取り込まれることになりました。文化的な価値であるがゆえに、人々は甘いものに夢中になるのです。そのことをまず押さえておきましょう。」
—『お菓子でたどるフランス史 (岩波ジュニア新書)』池上 俊一著
「それから、ケーキ(フランス語でガトー)にせよ、チョコレート(ショコラ)にせよ、アイスクリーム(グラス)にせよ、甘いものは、肉やご飯のように主菜・主食として食べられるわけではなく、食間のおやつとか食後のデザートといった、食事体系のすみっこに追いやられています。おやつもデザートも、なくてもよいようなものですが、ないと寂しいとか、物足りないとか、楽しさが欠けるとか、そんな思いになるでしょう。まさに画竜点睛を欠くのです。またお母さんとの、あるいは恋人・友人や家族との、特別な「思い出」につながっているお菓子も、少なくないでしょう。 すみっこにある余分なものだからこそ、お菓子には、生活に甘美なうるおいを与え、幸せな感興をわきおこす不思議な力があるのですし、また、そうした力を発揮させるような多様な工夫が、たえず加えられつづけてきたのです。あたかも、労働と対立する余分なものである遊びが、単調な生活に張りを与え、生きる喜びをもたらしてくれるようにです。」
—『お菓子でたどるフランス史 (岩波ジュニア新書)』池上 俊一著
「そしてこの「余分なもの」を、いかに丹精込めてつくりあげ大切にするかが、文化の質を測るひとつの基準となるのではないでしょうか。しかも驚くべきことに、歴史を遡ってみると、洗練されたお菓子たちは、いつでも文明の伝播ルートを忠実に伝って、文明度の高いところから低いところへ、東から西へ、西から東へと、各地に甘い夢を運んできたのです。」
—『お菓子でたどるフランス史 (岩波ジュニア新書)』池上 俊一著
「さらに、お菓子は「装飾」がとことん可能で、それが許されています。お菓子ほど建築や芸術に近い食べ物はありません。いくら芸術的でも、それは一種の「まがいもの」で、すぐに壊され、食べられてしまうものではありますが、他の食べ物ではあまり許されない、けばけばしい色彩やゴテゴテした飾り立てが可能なお菓子は、「洗練」や「繊細」といった感覚と親和的で、また「都会性」という価値が重要になってきます。田舎菓子も悪くはないのでしょうが、高貴さや贅沢、洗練という立場からは価値が下がります。この最後の点は、西洋菓子とりわけフランス菓子の真骨頂といえるかもしれません。」
—『お菓子でたどるフランス史 (岩波ジュニア新書)』池上 俊一著
「カレームの後継者としては、ユルバン・デュボワ(一八一八 ~一九〇一年)がいます。ロスチャイルド家の料理人として出発した彼は、カレームの仕事場を継いだアンスの弟子となり、ロシア貴族オルロフ公やプロイセン王宮廷の料理長にまでなりました。カレームの影響を濃厚に受け、料理は科学であり芸術だとした彼は、建築よりも彫刻に夢中になり、非常に洗練され凝った装飾を台座や縁飾りに積み上げ、複雑微妙で細緻な、城や古代遺跡などを設計しています。」
—『お菓子でたどるフランス史 (岩波ジュニア新書)』池上 俊一著
「フラヌールたちの目的地には、お菓子屋とならんで、カフェもありました。革命前にはパレ・ロワイヤル周辺に文学カフェや政治集団のたまり場カフェが多数あったようです。パレ・ロワイヤルは、もともとルイ一三世の宰相リシュリューの城館でしたが、その死後、王に遺贈され、国王ルイ一四世が移り住んだため、パレ・ロワイヤル(王宮)と呼ばれるようになりました。その後は、王自身でなく王族が住むようになり、のちにリシュリュー時代の建物は取り壊されて、庭園で囲んで建物が建てられ、店舗として貸し出されたのです。そこにはカフェ、レストラン、ダンスホールなどが入り、たちまち一大繁華街になり、パレ・ロワイヤルといえばこの区域一帯を指すようになります。」
—『お菓子でたどるフランス史 (岩波ジュニア新書)』池上 俊一著