奥野克巳の作品一覧
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Posted by ブクログ
人類学が誕生したのは、ヨーロッパの精神的土壌が荒廃したことを問い直し、人間であるとはいかなることかを探るためであった
→今も同じか
言語や慣習や様々な集合表象など、行為を支える①万人が踏まえる②自明かつ③非自然的な前提が「社会的事実」で、「社会的事実」を/が可能にするものを考察するのが「社会学」です。デュルケム
「不安の埋め合わせのための無意味な反復」図式
ヴェーバー
ヴェーバーに始まる人格・対・没人格
コミュニケーション論も
★強度と意味 宮台真司
真実らしき語りをした後、「知らんけど」「たまたま聴いただけや」と偶然性を持ち出し、自己を脱主体化する営みです。かくて、偶然を持ち出し、アイロニー化することで、マウンティングされたという体験を回避して連帯する。
ローティ
その人の行為は理解不能でも
その人の体験は理解可能
原因?
社会とは法生活
それ以前は尊王的生存戦略
ます。ブラジル・サッカーからドイツ・サッカーへの「勝てるサッカー」の移行は、予測符号化から言語的予測符号化(予期化)への移行、すなわち共同身体性の劣化に対応します。
→どっちが「楽しい」か
因みに共同体の定義が3つあります。ひとつはマッキーバーですが、ヴェーバーは「内は掟、外は法」という二重性、モースは「内は贈与、外は交換」という二重性
人々が理性的であれ、社会の動きは未規定」
という前提で社会学は生まれた
普遍の人類史から特殊な近代を見る社会学。特殊な近代から普遍の人類史を見る人類学。両者は近代批判の両輪です。
認識論は「どうしたらHow我々はこの社会で幸せになれるか」を問いますが、存在論は「なぜWhy我々はこんな社会を生きているのか」を問います。
★今の社会は特殊であるということ
大都市の自由と多様性に満ちた社交場の経営者はユダヤ人、同性愛者ヒルシュフェルトもユダヤ人、大都市への投資を支えたのもユダヤ金融資本だった事実が、大都市を除く大半の地域で「ドイツ的生活をユダヤ人がキャンセルしている」との喧伝にリアリティを与えました。
オピニオンリーダーは
メディアの情報を濾過する存在
ソーシャルキャピタルが減衰すると
メディア情報に晒され
民主制は壊れる
★
内から湧く自由 主意主義
選択肢の多い自由 主知主義
=良い社会を前提にしている
伝統を遡る思考こそが社会学
社会学は民主制を前提にしてはいけない
think differentの意訳
「君は間違っている」
競争しないという勝ち方の提示で革命的
テック革命
→資本主義と民主主義の幻覚の除去
★選択肢の多さは、自由にならないのでは。
それを選ばせる権力がいる時点で従属になる。
大事なのは、自分で作ること?
プラグマティストの「知識から動機付けへ」
★行為から体験へ 宮台真司
前提付け連関の全体性を理解するのがエコロジー
★ 社会学は、前提を遡って前提付け連関全体(生態系)を考究する生態学的思考として自らを定義
↓
民自主主義の民主主義的前提を問うはずの社会学が、民主主義を自明なものとした、のがアメリカ社会学の退廃
ヴァナキュラー 土着的
イリイチ
「文化はひとつ」。つまり万物は人(見る存在)とするアニミズムが普遍的。
唯物的な、多自然(視座)がある。
知識ではなく知恵
原始社会のもの
「他者の経験を真剣に受け取るtaking seriously」という態度
世界は万物
社会は連関生態系
Posted by ブクログ
所有の概念がないから資産を持たず、「今、ここ」の時間軸が全てで将来の事など考えられない、くだらない下ネタで笑い合う等幸せに生きる術とは何かを考えられる一冊だった。
印象的だった話は狩りで得た獲物を6家族に均等に6分割したのに翌日誰がどの家庭に行ってもご飯を食べても大丈夫というエピソード。
結果的に食べる量は平等にならなさそうだけどパフォーマンスとして平等に分けようとする行為がただダラダラ過ごすだけではない調和を重んじる考え方で素晴らしいと感じた。
もちろん考え方は人それぞれなのだけれども多くの人にとってはプナン式の順位付けのない平等を意識したコミュニティのあり方は魅力的に映るのではないかと思う。